20.邂逅
朝目覚めた時から、ユキさんはやけに浮かれていた。食卓に並べられた朝食を目の前に、まるで自分が作ったかのように「美味しいですか?」と尋ねてくるほどだ。
「作ったのはオレですけどね」と返すと、ユキさんは「あれ、そうでしたっけ?」ととぼける。
プチ家出をしたあの日以降、ユキさんの不調もあって、オレは家事を自分で行うようになった。睡眠時間は削れるが、その分自分の好きなものを食べられるので、早起きをして朝食を作るのは悪い気はしない。
朝の澄み切った空気の中、エプロンをつけて華麗に調理をするオレ。
うん。一足先に大人になったみたいだ。悪くない。
歯磨きや着替え、持ち物の確認。諸々の確認をしていると、約束の時間が近づいてきた。スマホを確認するとメッセージが入っていた。
「今家出たそうです。そう遠くないと思うんで、すぐ着きますよ」
オレの言葉に、落ち着きなく右往左往するユキさん。
「家庭訪問ってわけじゃないんですから、そんなに緊張しなくても良いじゃないですか」
「そ、そうですよね。分かってるんです。分かってますけど、どうしても緊張しちゃって。だって、希くんがお友達を紹介してくれるなんて、初めてなんですもん」
今日は小可さんに車を出してもらい、三人で海へ行く。ダメ元で頼んでみたのだが、小可さんはすんなりと了承してくれ、それどころかオレの学校の都合を考えて休日に予定を空けてくれた。
「どんなお友達なんですか? 学校のクラスメイト? それとも街で知り合った人?」
「変な人。説明するよりも、実際に会ってみた方が分かりやすいと思いますよ」
言うが早いか、ピンポーンと、宅配便以外では滅多に鳴らされない、どこか間の抜けたチャイムの音が会話を途切れさせる。
「わ、わ、どうしましょう。私、まだ挨拶とか何も考えてません!」
「いつも通りにしてたら良いんですよ」
玄関へと向かうオレの後ろを、ユキさんは数秒遅れて、慌ただしくついてくる。いつもは保護者代わりなのに、今日は生まれたての雛みたいだ。
ピンポン、と追い討ちを掛けてもう一度鳴らされるチャイムに「今出ますよ」と一人ごちながら鍵を開けた。
「おはよう、高嶺くん。今日は絶好の海日和だねえ」
軽装の小可さんがオレを出迎える。ここが漫画の世界なら、背後に「アロハ~」と文字が浮かび上がっていそうな、そんな格好である。
オレはユキさんとまではいかなくとも密かに緊張していて、小可さんはいつもの飄々とした調子を貫いている。
出迎えたのはオレのはずなのに、何故だかオレの方が小可さんの家にお邪魔したような気分になった。
オレ達の気も知らず、バカンス気分の浮かれ男は、オレの肩越しにユキさんを発見し目をまん丸に見開いた。
「あれ? 君のお姉さんかい?」
ユキさんがオレの隣に並び、ひょこりと弾かれたように会釈をする。
「は、初めまして、小可さん。私は、えっと、希くんの……」
もごもごと聞き取れない言葉を発するユキさんに、オレは助け船を出してやる。
「この人はオレの親だよ」
ユキさんはその瞬間、はっと息を呑んだ。大きく見開かれた瞳が、ともすれば泣きそうなほどに潤んで輝き、笑みを浮かべる。
「そうなんです! 私、希くんの保護者をさせてもらってるんです! ユキって言います」
小可さんはあんぐりと口を開き、油の切れた玩具みたいにぎこちなく顔をこちらに向ける。肩を強く掴まれ、小可さんの方へと耳を引き寄せられる。
「この人が君の母親ってマジ!? ちょーわけーじゃん! しかも美人! うっわ、羨ましー」
囁いているのに、やかましさを感じる声。思わず耳を塞ぎたくなるのを堪え、横目で小可さんを睨む。
「……狙わないでくださいよ」
「何言ってんだよ。そんなことするわけないだろ。こちとら妻子持ちだぞ」
とか何とか言いながら、小可さんはいつもにも増して張り切って声を上げる。胸を張り、居住まいを正し、思い出したように服で汗を拭ってから手を差し出した。
「こちらこそ初めまして、ユキさん! 僕は息子さんの親友の小可一縷です! どうぞ、今日はよろしくお願いします!」
「親友じゃなくて友達な」
「親友です」
しれっと昇格しようとすんな。
「僕のことは小可さんとでも一縷さんとでも、何とでもお呼びください。何だったら呼び捨てでも_____」
小可さんの肩を叩く。
「やめろよ、馴れ馴れしいな。ユキさんが困ってるだろうが」
小可さんのグイグイくる性格に押され、ユキさんは慌てふためいている。オレと、親父と、朝一さんとか、その他諸々。基本的に決められた人としか喋らないから、新しい人種との接し方を頭の中で構築しようとして、フリーズしているようだ。
「ユキさん、この人いつもこんな感じなんで、訳分かんないこと言い出したら無視して良いですからね。あと、名前は普通に苗字にさん付けで良いから」
オレがアドバイスしてやると、ちょっとした混乱から立ち直ったユキさんが、ぎこちなく笑みを浮かべる。
「えっと……いつも希くんがお世話になってます。小可さん、今日はよろしくお願いしますね」
ぺこりとお辞儀をした後、百点満点の笑顔を浮かべる。その純度極まりない表情に、小可さんは胸を押さえて仰反る。
「ううっ……なんてことだ。捻くれまくりの高嶺くんの母親とは思えない。なんだ、この包容力溢れる笑顔は……」
悪かったな、捻くれまくりで。
「高嶺くん。もしかして君、毎朝優しく起こされたり、ご飯を作ってもらったり、そんなことをしてるんじゃないだろうな。この優しいお姉さんに!」
「まあ、前はそうしてもらってましたけど。最近は一人で起きてますし、家事も自分でやってますよ」
小可さんの言いたいことが分からず、思わず馬鹿正直に答えてしまう。
小可さんは額に手を当て空を仰ぐ。ともすれば、「ジーザス」と静かに涙を流しかねない表情をしていた。
「羨ましい。羨ましすぎるよ。俺もユキさんみたいな母親が欲しかった。もしうちの親がこんな人だったら、今頃俺は品行方正、文武両道、眉目秀麗な非の打ち所がない完璧男だっただろうに」
全ての責任を親に押し付けるな。あと意外と四字熟語知ってんのな。
「高嶺くん、家事を自分でやるなんてもったいないよ。甘えられるうちに甘えてた方が良いって」
「オレが何しようがオレの勝手だ」
「勝手じゃない! 君は恵まれた環境にいる者として、不幸な人間の分だけ幸せになる義務があるんだよ! というか幸せになれ! ならんと俺が許さん!」
「鬱陶しいなあ」
どういう理屈なのか謎だが、とにかく羨望と嫉みの両方を兼ね備えた嘆きのようなものを吐き捨て、小可さんは大きなため息を吐いた。
「……言いたいことは全部言いました?」
息継ぎの合間に尋ねると、小可さんは腕を組み、憮然として首を横に振る。
「いーや。まだ言い足りないね。男が抱く理想の母親像というものを、君にはたっぷりと教え込まなくちゃいけないな」
このままヒートアップすると家の前で日が暮れてしまいそうだ。いい加減止めなくては。
この男と二人きりで放るのも酷なので、ユキさんに二人分の荷物を持ってくるように頼む。
「あんたがマザコンだろうとあんたの勝手ですが、続きは車の中でお願いしますね。あんま家の前に車停めたままにしてると、周りに迷惑がかかります」
小可さんを車に押し込み、続けてオレも後部座席に座る。以前は何も考えずに助手席に乗ってしまったが、ユキさんがいる以上わざわざそこに座る理由はない。
オレの隣にユキさんが乗ると、助手席のみが空席の余所余所しい空間が出来上がってしまった。本来そこに座るべき人は、今ここにはいない。




