19.到来
梅雨が明けた。肌をじりじりと焼くような日の光が、夏の到来を予感させる。
「希くん、そんな格好で暑くないんですか?」
ユキさんがオレの頭の上に日傘を掲げてくれ、束の間の陰が生まれる。直射日光が和らぐだけで不快指数はだいぶ減るが、それにしたって暑いものは暑い。
これでまだ本気を出していないというのが恐ろしいぜ、夏。一生来んな、夏。あと冬も。春と秋があればそれで良い。
「日焼けしたくないから、長袖を着てるんですよ」
エジプトだかどこだったか覚えていないが、全身を布で覆っていた人々の気持ちが良く分かる。
マジで暑い。とにかく暑い。が、半袖の服を着る気はない。夏の風物詩とも言える、パンダのような白黒の日焼け跡が生まれるのは御免だ。
「お水はちゃんと摂ってくださいね。熱中症って、本当に怖いらしいですから」
ユキさんは、どこで聞き齧ったのか、熱中症のあらゆる知識を滔々と語り出す。人差し指をピンと立て得意げに話す姿が可愛くて、オレは素直に耳を傾けた。
ふと視線を下に落とすと、アスファルトに落ちる黒い二人の影が仲睦まじい夫婦のようにぴったりと寄り添っていて、そわそわと浮ついた気持ちになる。
ユキさんから少し距離を取る。オレの体は日陰の庇護の下から外れ、再び暑さを訴えてくるが、ユキさんの隣でぎこちなく情けない姿を晒すよりは、こっちの方がまだマシだ。
「いやー……しかし、本当にあっちいね。まだ七月だってのが信じられないよ」
スニーカーにアロハシャツと短パンを着た陽気な小可さんが、車の鍵を仕舞いながらオレ達の元へとやってくる。シャツの胸ポケットにはサングラスが引っかけてあり、これでもかと夏を先取りしている出立ちだ。見ているだけで暑苦しくて仕方ない。
「お二方、僕も混ぜてくれない? このままじゃ、到着する前に干からびちゃうよ」
ここまで暑いのは想定外だったみたいだ。シャツの胸元をパタパタと扇ぎ、風を送っている。
「こんな暑い中、おしくらまんじゅうでもするつもり?」
オレは猛抗議する。とは言え、ユキさんから離れる口実を得られる身としては小可さんの提案はありがたい。
仕方ないからオレが我慢してやりましょう、と。
さりげなさを装って離れようとすると、それよりも先にユキさんがオレに日傘を渡してくる。
「じゃあ、希くんと小可さんで使ってください! 私は大丈夫ですから!」
ユキさんは、軽快な身のこなしで日傘の外に出た。後ろ手に手を組み、顔だけをこちらに向け、ニコニコと善意百パーセントの笑みをこちらに投げかけてくる。
虫の鳴き声に囲まれ、レースのあしらわれた黒い日傘の下、男二人は立ち尽くす。
「マジで……?」
「男二人で日傘……?」
小可さんと顔を見合わせる。
「二人とも、不思議そうな顔してどうしちゃったんですか?」
流石はユキさん。今日も天然で可愛いね。だがオレ達に相合傘を勧めるのは勘弁してくれ。ユキさんと一緒に並ぶ以上に気まずいことになる。
先に困惑から立ち直ったのは小可さんだった。
嫌な予感を覚え後ずさるも、小可さんはすかさずオレの肩に手を起き、不敵に微笑む。どんな状況も楽しんでやろうという図々しいほどの気概を感じる。
「お言葉に甘えて、この日傘は我々で使わせていただきましょうか」
ちょっとキリッとした顔してんじゃねえよ。奥さんにやるならともかく、オレにやっても格好つかねえからな。
「馴れ馴れしく触んなよ」
手を払い除けるも、懲りずに小可さんはオレの肩に手を置き直す。その左手の薬指に嵌められた銀の指輪が剣呑に光る。さながら国を守る騎士、あるいは番犬のように。目に入るもの全てを睨みつけるような鋭い眼差しは、オレを束の間怯ませた。
オレが指輪に気を取られているのを知ってか知らずか、追い討ちとばかりに
「親孝行したいんだろ? なら、僕達が仲良しなところをアピールしなくちゃな」
と、小可さんは小声で囁いてくる。
「……そんなことしなくたって、十分仲良くは見えるだろ。赤の他人にこんな誘いなんてしない」
ここ数ヶ月の付き合いで分かったことだが、小可さんは「友達」を想起させる言葉に滅法弱いようだった。いつもは積極的にオレとの距離を詰めるくせに、こちらから歩み寄ると、途端にたじろいでしまう。
小可さんは一瞬照れくさそうな顔になると、そんな自分を恥じているみたいに頭を軽く振り、オレの手から日傘をひったくる。
傘を剣のように構える頃には、いつも通りのうざったい小可さんに戻っていた。
「おい」
「返してほしければ、大人しく傘の中に入りな」
「どんな脅しだよ」
「歯向かう気か! お前、この傘がどうなっても良いって言うのか!」
「まだ何も言ってねえだろうが」
人質ならぬモノ質を手にした小可さんは、意気揚々と傘を空高く掲げ、か細い裏声を出す。
「キャー、タスケテ高嶺クーン!」
オレが止めなければ、一生この調子で寸劇を続けるだろう。その様子を横で見て冷笑するのも悪くないが、ユキさんが困ったようにオレ達を見ていたので、一旦打ち切ることにした。
「はいはい。降参ですよ、降参。入れば良いんでしょ」
にい、とヤニ吸いにしては白く綺麗な歯を見せ、小可さんは笑う。
「ふふん。そう来なくっちゃな」
オレは小可さんの隣に並んだ。
女性用の小可な傘に男二人で入るのはやはり無理があった。完全にはみ出ている。
「二人とも仲良しさんですね」
でも、ユキさんはご満悦の様子だ。
なら良いか。ユキさんが楽しそうだし。多少の不便は我慢しよう。
「ええ、まあ、ご覧の通りと言いますか何と言いますか。それなりに仲良くしていただいてますよ。ありがたいことにね」
肩に置かれる手を払い除けながらオレは答える。
ここから何事もなく、通行人に笑われることなく、平穏無事に目的地に到着できたらオレの勝ちだ。軽いゲームみたいなものだ。そう思えば気も紛れる。
「小可さんとは、世界を救う旅でお知り合いになったんですか?」
と思ったのも束の間、ユキさんは更なる問題発言を投下する。わざととしか思えない話題の選択センスに頭を抱えたくなる。
「旅? 何それ? 小可くんって勇者だったの?」
小可さんが不思議そうな顔をする。
オレはその場しのぎのテキトーな嘘、というか冗談を結構言うのだが、まさか他人の前で己の言動を掘り返されることがこんなにも屈辱的だとは夢にも思わなかった。




