2.公園
公園はいつ行っても、とても長閑な雰囲気が漂っている。
公園と言っても、ここには子供が喜ぶような遊具は一切置かれていない。それに団地からは少し離れた高所に位置しているため人の喧騒からも程遠い。
あるのは立ち並ぶ桜の木々と、ベンチと、それからこの街を一望できる展望台だけだ。
展望台には落下防止の柵が申し訳程度に張り巡らせてあり、柵に沿ってベンチが等間隔で並べられている。一番見晴らしが良いところに置かれたベンチがオレのお気に入りスポットだ。
生憎と今日は先客がいるようだったから、仕方なくいつものベンチから少し離れた場所に座ることにした。
鞄をベンチに放り、桜の花びらを手で払い除け座るスペースを確保して、どっかりと腰を下ろす。いつもはここで鳥のさえずりを聴きながら、スマホや読書に勤しみ、自然を楽しみ、時間を忘れてのんびりと過ごすのだけど、今日は別のところに興味が向いた。
オレの定位置に座っている人物が、なんとなく気になったのだ。
こんなところにオレ以外の人が来るなんて珍しい。それも若い男だ。男はベンチの背もたれに腕を置いて、コンビニのコーヒーらしきものを飲みながらのんびりと街を眺めている。
清潔な白いポロシャツとジーンズを履いた、ショートボブの黒髪の男。かなり素っ気ない、というか地味な風采をしている。
外見からして恐らく二十歳は超えているような気がするけど、今日は仕事は休みなんだろうか。それとも、オレと同じで学校をサボってるとか? もしくは暇つぶしの大学生?
オレの視線を感じたのか、街を見下ろしていた男が不意にこっちを向いた。
やべ、見られてるのバレたか?
オレは慌てて外方を向いたけれど、どうやら手遅れだったみたいだ。男がベンチから立ち上がり、こっちにやってくる。
「隣、座ってもいいかな」
そして、あろうことかオレに話しかけてきた。
髪よりも少し色素の薄い瞳は、おっとりとした印象を与える垂れ目だ。だけど口元に湛えられた笑みは軽薄で、どこか胡散臭さをオレは感じた。
「……嫌だって言ったら?」
「警戒しないで。僕は別に怪しい人じゃないよ」
「自分で怪しくないって言うやつは大抵怪しいんですけど」
「じゃあ言い直そう」
男は大仰に胸を張る。
「僕はとても怪しい人だよ」
「そうですか。じゃ、さよなら」
「待って待って、サヨナラしないで!」
立ち上がったオレの手首を男は掴む。
「僕は小可一縷。最近この街に引っ越してきたばかりなんだ」
「はぁ、そうですか」
「名前は名乗ったから、もう怪しい人じゃないだろ?」
むしろ怪しいところしかないんだが。怪しさの権化なんだが。
オレは手を振り払い小可と名乗る男を睨みつけた。男は意に介さなかったようで、ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべたままである。
うっぜ。
「この公園いい所だよね。娘の幼稚園がすぐ近くにあるから、僕も朝通るんだ」
うわ、聞いてもいないのに話し始めた。
「そしたら最近、いつも同じ場所で佇んでる制服の子を見かけるから、話しかけたってわけ」
「はあ」
「君がここでいつも何してるか当ててあげようか」
男は不敵に笑う。
「ズバリ、学校をサボっているんだろ!」
「……」
「ふふん。どうだ。凄いだろ。当たってるかい?」
「……まあ、そうですけど」
「驚いた?」
「はい」
見れば分かるようなことをドヤ顔で言われたことに凄く驚いている。
オレが頷くと、男は得意気に笑った。
「いやー、お兄さんも昔はよく学校をサボったものさ。こう見えて勉強はからっきしでね」
野暮ったく伸びた黒髪をワシワシと掻き混ぜながら、男は言う。
「家を出てから学校に行くフリをして、ゲームセンターに行くんだけど。そしたら行きつけのゲームセンターの前で幼馴染が腕を組んで待ってるの。だから度々行き先を変えるんだけどね、どこに行っても幼馴染はいるの。それで捕まって、学校に連れていかれるってわけだ……その幼馴染が、今では僕の奥さんなんだけどね」
「はあ」
オレは何を聞かされているんだ。
「……こうやって大人になって一人の子供の親になるとさ、子供のときが凄く懐かしくなるんだよ。そして後悔するんだ。学生のうちにもっと勉強しておけばよかったなってね」
「つまりそれは、こんな所でサボってないで勉強しろ、という説教ですか」
「あー、違う違う。別に叱ってるわけじゃないよ。そんな説教できるような立場でもないし。ただ、勉強はしなくてもいいからせめて学校に行くくらいはしておいた方がいいんじゃないかって思ったんだ。人生の先輩からのアドバイスだよ」
一般的にはそれを「説教」と呼ぶんだけどな。
男が困ったように眉を下げる。しかし、その表情は一瞬だった。
すぐにニコッと手慣れた笑みを浮かべて立ち上がる。
「もしかして余計なお世話、かな」
「そうですね」
「ごめんね、お兄さんの世間話に君を付き合わせちゃって」
「……いえ、別に」
元はと言えば、オレがこいつを見ていたのが悪かったのだ。目が合ってしまったせいで、この馴れ馴れしい男はオレに話しかけても大丈夫だと判断したんだろう。
不審者とは目を合わせてはならない。これ、社会の常識。
「えっと、そろそろ家に帰ろうかな。家事もしないといけないし。それじゃね。学生くん」
男が家に帰ろうとしたそのときだった。
ニャー、と。
何処かから、可愛らしい声が聞こえてきた。
オレ達は声のした方を一斉に振り返った。
「キジ!」
と、オレは言った。
「しまんちゅ!」
と、男は叫んだ。
顔を見合わせ、ちょっとの間黙り込む。先に口を開いたのは男だった。
「僕、そのネーミングセンスはどうかと思うなあ」
「あんたには言われたくないですね」
「キジ猫だからキジなんて安直すぎる。それじゃ鳥みたいじゃないか」
「実際キジ猫はキジに模様が似てるからそう名付けられたらしいですよ。つまりオレのネーミングは間違っていない。それに、しまんちゅって」
「縞々だから、しまんちゅ。可愛い名前だろ?」
「だけど、しまんちゅって……沖縄弁で島民ってことでしょ。変だよ。センスなさすぎ」
思わず失笑すると、男は目をこれでもかと見開き、瞳をキラキラと輝かせた。
「いいんだよ! こんなに可愛い子なんだから可愛い名前つけたっていいじゃないか!」
確かに響きは可愛いけども。
「でも、こいつが可愛いっていうのは同意だ……おいで」
しゃがんで手を差し出すと、キジはオレの手の匂いをすんすんと嗅ぐ。微かに当たる呼吸がくすぐったい。
ひとしきり匂いを嗅ぎ満足したのか、キジは今度はオレの足元に寄り、制服に体を擦り付ける。
野良にしては人懐こい。この辺りで飼われている家猫なのだろう。証拠に、首元に赤い首輪がついている。
「お前は、しまんちゅって名前よりキジって呼ばれる方が好きだよな」
ニャー、と嬉しそうにキジが鳴く。
「あ、ずるい!」
男が負けじと手を差し出した。
「この子はしまんちゅだよ。ね、しまんちゅ」
キジは男の指の匂いを嗅ぎ、やっぱり嬉しそうにニャーと鳴いた。
二人で再び顔を見合わせた。
「そんなことどうでもいいって感じですね」
「あはは、そうかも」
オレ達はキジと一頻り遊んだ。
キジは遊び疲れたのか、男の膝の上で丸まって眠り始めた。
「もう懐いてるんだ」
「子猫のときから人間に飼われてるんだろうね。ちょっと遊んであげたら、すぐに懐いたよ」
「オレだって結構前からキジと遊んでたのに。なんかズルい」
「ふふん。僕はものすごーくモテるからね。人からも、動物からも」
「はいはい。すごいすごい」
男は柔らかな手つきでキジの毛を触れるように撫でる。楽しげに、目を細めて。
公園に飾られた時計を一瞥して、男はあっと声を上げた。
「あ、もうこんな時間? そろそろ家に帰らないと」
男はキジを抱き上げていた手を地面に下ろした。持ち前の運動神経でするりとキジは地面に着地し、気が逸れたのか近くの茂みに飛び込んでいく。
「今日は僕の話に付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ」
男はにっこりと笑った。先程までは胡散臭いと感じていた笑みが、今では少し印象がよくなっていた。
我ながらチョロいとは思うが仕方ない。動物に優しい人間に悪いやつはいないのだ。恐らくは。
「……明日もここ、来るんですか?」
「ん?……ああ、娘の幼稚園の日は必ずここを通るからね。見かけたら声をかけてくれたら嬉しいな。まだ知り合いも少ないから、話しかけてもらえると凄く安心するんだ。君は明日もここに来るのかな?」
「ここ最近は気分が乗らなかっただけなので、多分明日は学校に行ってますよ。まあ、明日も気分が乗らない可能性はなくもないですが」
「それは是非ともノリノリになってほしいところだなあ」
それじゃあまた、と、男は手を軽く振って去っていく。
遠くなっていく男の背中を見送る。
そして視界から見えなくなったところで、視線を再び街に移した。
「あんな変な人でも、父親になれるんだな」
口に出してそう言ってみたけれど、心にぽっかりと空いた穴が塞がることはなかった。
これは、あの人によって空けられた穴ではない。元々空いていて、だけど今まで見てみぬフリをしてきたものだ。
「……羨ましい」
オレが吐いたため息は、春の風と共にどこか遠くへと飛んでいった。




