12.吐露
「オレの母親が死んだのは、今から十年前のことです──」
オレは昔の記憶を整理するように、ゆっくりと過去のことを思い出していく。
「交通事故でした。オレの目の前で母親は亡くなりました」
あの時の光景は今でも覚えている。人間は危機的状況にある時、時間感覚がゆっくりになるなんて言われるが、オレの場合はほんの一瞬の出来事だった。
体を突き飛ばされ歩道に尻餅をつく。痛みに目を閉じ、再び開けた瞬間。母親の体が横に弾き飛ばされた。
人間の体ってのはかなり柔らかいらしい。縄跳びで蛇の形を描くように、タコの足のように。関節なんてものが存在しないかのように体の形を変形させ、母親はオレの目の前で吹っ飛んだ。
担架に乗せられた母さんを、ただ見つめることしかできなかった。
喋っているうちに思い出す。真っ白な布。気持ち悪い匂い。母さんに縋り付き声を枯らして泣いていた親父。
全てはオレにとって、遠い世界で起きた出来事でしかなかった。
「当時はまだ死ぬってことが何なのか理解できなくて、オレは親父に尋ねたんです。どうして母さんがいないのか。母さんはどこに連れていかれたのか」
オレにとって事故の出来事は夢だった。だって、体がぐにゃぐにゃになった母さんなんて生まれて一度も見たことがなかったから。
車に轢かれた瞬間、別の誰かが母親と入れ替わったのだと思った。動かない母さんは全て偽物で、誰が入れ替えたのかはわからないけど、それはきっと悪い人なんだと思った。
「親父はオレに言ったんです。オレ達が元気にしていたら、きっと母さんは帰ってくるって。オレはその言葉を信じて、いつも元気でいるようにしてました。元気っていうのがどういうことかわからないから、とにかく笑ってばかりでしたけど」
笑っていればいつか母さんが帰ってくると信じていた。
「だけど、母さんは帰ってくるはずがなかった」
母さんが死んでしばらくして。オレはいくら笑っても元気にしていても母さんが帰ってはこないことを知った。その時、死んでしまった人には二度と会うことができないんだと知った。
「だけど諦めきれなかった。なんとかして母さんを取り戻したいと思って、いろんなことをしました」
母さんが死んだ場所に何度も足を運んだ。どこかに隠れているんじゃないかと街中を探し回った。
本当はオレのことを見ているんじゃないかと、後ろを振り返ったりした。
……母さんの望む「オレ」でいようとした。
「そんなときに、オレはユキさんに出会った。あの、公園の桜の木の下で」
ユキさんに出会った瞬間、あの人を見た瞬間。
『見つけた』と思った。
ユキさんの瞳の中に母さんはいたから。
あの人のまとう雰囲気は、母さんにそっくりだった。
「オレは、なんとかしてユキさんにオレの『母さん』になってもらおうとした。親父にユキさんを会わせて、それから家に連れていって……それ以来ずっとオレの家にユキさんは住んでいます。一生懸命、オレの『母さん』になりきろうとしています」
ユキさんはいつだって優しい人だった。いつだってオレのことを考えていてくれた。
仕事で家に帰らない親父の代わりにオレのご飯を作ってくれたのはユキさんだった。オレの孤独を癒してくれたのはユキさんだった。
オレは本当の母さんのようにユキさんを好きになろうとした。だけど無理だった。
あの人の傍にいればいるほど、あの人がオレに優しくしてくれるほど、オレとあの人の間に立ちはだかる絶対的な距離を感じてしまい、虚しくなる。
ユキさんは眩しすぎる。汚れなき優しさに触れていると、醜さで構成されたオレの体はきっと全て溶けてなくなってしまう。
オレはユキさんを母親として愛すことはできない。同様に、ユキさんになることもできない。あの人の美しさを奪えない。
だから、ずっと孤独なままだ。
「オレの話なんて聞いても楽しくないですよね」
「うん。全然」
小可さんは夜の国道で車を走らせている。窓を開け、煙草を手に取り。話を聞きながら時々深い息を吐いた。
窓の外へ逃げていく白い煙のように、オレの心の中の靄も晴れればいいのに。そうはいかないみたいだ。
「全っ然楽しくない。公園のベンチで雲の流れを見てる方が、よっぽど楽しいかもね」
ジジイかよ。
「でも笑い飛ばしてほしいっていうなら俺は笑うよ。どうする?」
「……笑わないでください」
「おっけー」
オレに言われた通り、小可さんはずっと無表情で前を見つめている。いつも朗らかに笑っている人だから、笑わないと急に雰囲気が怖くなった。口を閉じているだけで怒っているように見える。
「小可さん」
「何?」
「あとどれくらいで着くんですか?」
「そうだねー、あと三十分くらい?」
「どこに向かってんですか」
「俺の実家」
「えっ」
「バカ。何本気にしてんの。銭湯に行ってんの」
なんだよ、びっくりさせやがって。
「高嶺くんってすぐ騙されるタイプでしょ。かーわい」
ぶん殴ってやろうかこの男。殴ったらオレにまで被害が及ぶから殴らないが。銭湯に到着したら肩パンぐらいはしないと気がすまない。
「あんたって、今まで猫被ってたの?」
「んー? なして?」
「いつもとちょっと雰囲気が違うから」
「んー。半分正解。半分間違い、かな。猫被ってると言えば確かにそうだけど、でもどっちも本当の俺だからさ。そうだ。高嶺くんは多重人格って知ってる?」
「知ってるけど、それが何?」
「多重人格っていうのは、本来誰もが持っているものなんだよ。誰だって場所によってキャラはそれなりに使い分けるものだろ? 常識の範囲で行われるキャラの転換は“社会性”と呼ばれ、病的な場合は“多重人格”的な病名がつく。要するに何事も程度の問題なんだよね。だから、どんな俺も俺なの。どちらかが欠けてしまったら、俺は俺じゃなくなっちゃうの」
……。
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔してる。どうしたの?」
「あんたって案外色んなこと考えて生きてるんだな」
「そりゃ俺だって人間だし。パステルさんも言ってんじゃん? 人間は考える……foot?」
「葦。reedな」
それとパステルじゃなくてパスカルだ。何ちょっと可愛くしてんだよ。
「そうとも言う」
「そうとしか言わないんだよ。ったく。バカはどっちだよ」
「んー、間取って両方バカってことにしない?」
「しない」
「……ケチ」
「すみませんねケチで。まだ高校生なんで金はないんすよ」
「また金の話してる……まあ、安心しなよ。銭湯はもちろん俺の奢りだから」
「……ありがとうございます」
「敬語」
「……ありがとう」
「よし」
オレが敬語を外すと小可さんは満足そうだった。
「普通逆じゃない?」
オレがそう尋ねると、小可さんは咥えていた煙草を携帯灰皿にこすりつけながら、
「俺は本当のお前と話したいから。敬語を使う君とじゃなくて」
と言った。
「でもさっきのあんたの話だと、敬語のオレも含めて本当のオレってことになるはずだけど」
「……うるっさいなあ、もう。黙れ黙れ」
あ、やっぱこの人バカだ。考えはするけど、後先考えずにテキトーに喋ってしまうタイプだ。




