二人の時間
敏姫は早速仕事を終えた容保の部屋を訪れる。
「殿!!」
その日の夜、元気よく敏姫に開けられた襖が跳ね返る。
「殿!ようやくお仕事が終わりましたのね!」
「…………」
容保は、しばし呆然として敏姫の方を見ていた。
「ほほほ、殿のそのようなお顔初めて見ましたわ」
容保は囲碁を嗜んでいた手を静かに止め、敏姫に隣に座るように手を置く。
「どうした。こんな時間に珍しい……いつもは伏しているのに」
敏姫は嬉しそうに容保の隣に座る。
「もう元気が有り余って眠れないのですわ。それに、殿に一刻も早く会いたくて……」
「……敏姫……」
「二人の時は敏とお呼びくださいませ!」
容保はわずかに目を伏せた。
「……と、敏?」
敏姫のいつもなら絶対にしないであろう要望に、容保は一瞬たじろいだ。
瞳をキラキラさせてこちらを見る敏姫に見つめられて、容保は仕方なさそうに微笑む。
(殿……笑っ……た?)
容保のそのような姿を見た事のない敏姫は一瞬驚いた。
「……敏……」
「……!!//」
(ど、どうしよう……頼んだのは私ですけど、思いもよらない殿の笑顔が……)
「敏……」
容保はもう一度、愛おしそうに名を呼んだ。
蝋燭の火が、二人を包み込むようにゆらゆらと優しく揺れた。
その光の中で、敏姫はふと息を呑む。容保が、こんなにも近い。穏やかな顔で、自分を見ている。
それが夢のようで――けれど、確かな現実だと。
本当に自分の身に奇跡が起こったのだと。
「……殿」
思わず、容保を呼ぶ声がかすれる。
容保は何も言わず、ただ静かに敏姫を見つめていた。
その視線は、かつてのような『気遣い』だけではない。
どこか、戸惑いと――
そして、抑えきれぬ何かを含んでいる。
「……本当に……元気なのだな」
ぽつりと落ちた言葉は、確認するようでいて、どこか信じきれぬ響きを帯びていた。
敏姫はこくりと頷く。
「ええ……だからこうして殿のそばにいるのです」
「……そうか」
それだけ言って、容保はわずかに視線を落とした。
その手が、確かめるように無意識に敏姫の袖に触れる。
そこに『いる』ことを、失わぬように。
敏姫はその仕草に気づき、少しだけ目を細めた。
(殿は……まだ怖いのかもしれない)
自分がまた倒れてしまうのではないかと。
この奇跡が、いつか消えてしまうのではないかと。
だからこそ――
敏姫はそっとその手に自分の手を重ねた。
「……殿。敏は、もうどこにも行きません」
「……」
容保の指が、ぴくりと動く。
「これからは、ずっと……殿のお側におります」
静かな声。けれど、はっきりとした意思を宿した言葉。
しばしの沈黙のあと――
容保の手が、ゆっくりと敏姫の手を包み込んだ。もう決して離さぬとでもいうかのように。
「……ああ」
容保はそう短く返した。短い言葉だけれど、その中にすべてが込められていた。
蝋燭の火が、またひときわ大きく揺れる。
夜は、まだ長い。
けれど――
二人の時間は、今、ようやく動き始めたのだった。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の表現好きです。
こんな感じで二人とも静かで、穏やかな感じで進みます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。




