「あ」はあなたの「あ」
幽霊の正体は案の定ときだった。
おときは斉藤に買ってもらった真珠の櫛を取り出して怪しい歌を口ずさむ。
あの箱って……
斎藤が息を呑む声が聞こえた。
ぱか、と開けたその中には、斉藤があげた真珠の櫛。月明かりに照らされて、真珠が一層幻想的に見える。
「……師匠……」
ときはそう呟くと徐に櫛を取り出した。
「『お』はお菓子の『お』♪『あ』はあなたの『あ』♪」
意味不明な歌を歌いながら櫛で髪をとくおとき。
事情を知らない人が見たらちょっと関わりたくない人物だろう。
「なんだあの歌は。すげぇ楽しそう!一緒に歌いたい」
ノリノリの永倉と。
「ほら、幽霊でもなんでもなかった。それにしても何ですかこの歌は?」
純粋に分析したいだけの沖田。
「ときは相変わらず不思議な子だねぇ」
ときが夢みがちな子だとは前から知っていたので特に何とも思わない私。
そして……
「……おときは少し変わっているだけで誰よりも優しい女子だ」
斉藤だけなんか違う。なんかときに対する感情が……
「おとき、こんな所で何をしている?」
いつのまにか斉藤が井戸の縁に立っていた。
「しっ、師匠!!」
「こんな夜更けに見張りも付けないで……いくら人が寄りつかないと言ってもここは屯所だぞ!」
斉藤とときのやりとりを見て何かを察した我々「壬生詮議組」もとい「熊一人と問題児」は、無言で頷き合ってその場から撤収した。
「師匠……、あの、これには事情があってですね」
「事情?なんの事情だ?」
ときは恥ずかしそうに目を伏せて、蚊の鳴くような声で呟く。
「……師匠には内緒で……文が上達したところを見せて、褒められたかったんです……//」
「…………っ」
ときのその言葉を聞き、斉藤は胸が締め付けられた。ときの手には、真珠の櫛がしっかりと握られている。
「はぁ……とき……」
(クソ……なんだこの気持ちは)
考えるより先に、斉藤はときを抱きしめていた。初夏の夜の冷たさで、ときの小さな体はすっかり冷え切ってしまっていた。
ときは特に抵抗するそぶりもなく身を任せ、斉藤の腕に頭を乗せた。
「……そのようなことは俺の部屋か、書院でやれば良いだろう。黒谷でもなんでも」
ときは口をとんがらせて、拗ねたように話す。
「ごめんなさい師匠、どうしても誰にも見つからない場所でやりたかったんです……」
「……今度からは絶対ダメだ。お前は当分黒谷か、壬生の書院で修行するんだ。俺の見ている場所でな」
ときは残念そうに目を伏せた。だが次の瞬間パッと顔を挙げる。
「……そこでやったら、また美味しいお菓子、くれますか?」
ああ……
「そんなもの、いくらでも……なんでもやるよ……」
「やったぁ!あのお菓子、高級そうだったから滅多に食べられないと思っていたんです!」
(なんだ……変なところで遠慮するんだな……)
「やった!やった!」
そう言っていつまでも自分の腕の中ではしゃぐとき。
斉藤は自分の腕に無意識に力を入れていた。
腕の中のぬくもりを、なぜか離したくなかった。
* * *
一方熊一人と問題児はーー
「よし、俺はあと一カ月だ!」
「意外と早いかもしれませんよ?僕はあと一週間にします」
『斉藤が自分の気持ちに気づくまでの期間』
を賭けて勝負していた。
※これでも二人は付き合ってないんです。
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