第17話 不死魔法
魔法名:不死魔法
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説明:死を無効にする。
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記録:
死なない体を手に入れた。
王の勅令だった。この国の全国民に不死を付与すると。王自身が不死魔法の第一号で、十年以上前から老いていないらしい。その恩恵を国民にも、と。
正直なところ、実感がない。魔法をかけられた日、何か体が変わったかといえば、別に。少し体が軽くなった気がしたが、気のせいかもしれない。
でも、嬉しかった。
私は三十二歳で、パン屋をやっている。妻がいて、娘が二人いる。上の娘は来年には嫁に行くだろう。下の娘はまだ十で、毎日店を手伝ってくれる。粉まみれの顔で「お父さん、焼けたよ」と言う。かわいい。
死なないということは、この日常がずっと続くということだ。妻と一緒に老いて──いや、老いないのか。ずっと三十二歳のまま。妻もずっと二十八歳のまま。娘たちもいつか大人になって、でも老いなくて、孫ができて、孫も老いなくて。
永遠の家族。永遠の日常。悪くない。
五年後。
街の人口が増えた。当然だ。誰も死なないのだから、生まれた分だけ増える。市場が混み合うようになった。パンの材料が手に入りにくくなった。小麦の価格が上がった。
十年後。
食糧が足りない。畑の面積は変わらないのに、人口は増え続けている。配給制が始まった。パン屋を続けているが、小麦の配給が減らされて、一日に焼ける数が半分になった。客は倍に増えているのに。
二十年後。
飢えている。
飢えているが、死なない。
腹が鳴っている。ずっと鳴っている。胃が縮む痛み。体が重い。力が入らない。だが死なない。
妻も飢えている。娘たちも。孫も。孫は五歳で、いつも泣いている。腹が減って泣いている。あげるものがない。
五十年後。
戦争が始まった。食糧をめぐって。隣国も不死を導入していて、同じ問題を抱えていた。互いの備蓄を奪い合う戦争。
戦場に駆り出された。剣で斬られた。痛い。腕が落ちた。痛い。死なない。腕のない体で地面に倒れている。血が出て、止まって、傷口が塞がらないまま乾いている。
痛い。ずっと痛い。
百年後。
国という概念がなくなった。王はまだいるが、誰も従っていない。政治が動かない。権力者が入れ替わらないから、何も変わらない。新しい考えを持つ者が上に立てない。上にいる者は百年前の考えのまま生きている。
私はまだパン屋だ。パンは焼けない。小麦がない。店は残っている。毎日、空の竈の前に座っている。
妻は隣にいる。何も話さなくなった。何年も前から。話すことがない。全部話した。百年分の全部を。
二百年後。
体がおかしい。
老いないはずだった。老いてはいない。だが、体が摩耗している。関節が動かなくなっている。筋肉が痩せている。食糧がないから。エネルギーがないから。体は死なないが、維持もされない。
歩けなくなった。
床に横たわっている。天井を見ている。天井に染みがある。この染みはいつからあるのだろう。百年前にもあった気がする。
妻が隣にいる。妻も動けなくなっている。手を伸ばせば届く距離に、妻の手がある。握りたい。指が動かない。
三百年後。
目が見えなくなった。
暗い。ずっと暗い。音は聞こえる。風の音。遠くで誰かが叫んでいる。何を叫んでいるのかわからない。言葉が、聞き取れない。
言葉。
言葉が、わからなくなってきている。
昔は話せた。妻と。娘と。客と。今は、言葉が。何だったか。音は覚えている。意味が。
パン。パンは覚えている。焼くもの。食べるもの。温かいもの。
妻の名前。
妻の名前が。
何だったか。
隣にいるはず。手を。指が。動か。
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四百年。あるいは五百年。わからない。
時間がわからない。
暗い。
痛い。
どこが痛いのかわからない。全部痛い。体という概念が遠い。体があるのかどうか。ある。痛いから。痛いということは体がある。
何かが聞こえる。何かが。
意味がない音。意味。意味とは何だったか。
光。
光が見えた。見えた? 目はもう。でも光が。
光。痛み。光。何か。温かい。冷たい。わからない。
光。
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光。
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あとがき:
不死魔法は肉体の死を無効化する。心臓が止まっても、臓器が壊れても、脳が損傷しても、意識は消えない。
社会への影響は複合的だ。
人口が増加を続け、資源が枯渇する。食糧の生産量は土地の面積に制約されるが、人口の増加に上限はなくなる。不均衡は時間と共に拡大する。
政治が硬直する。権力者が死なないため世代交代が起きず、社会の変革が不可能になる。百年前の思想が百年後の政策を支配する。新しい問題に対して古い解法が繰り返し適用され、失敗が蓄積する。
戦争の形態が変わる。死が戦争の抑止力として機能しなくなる。兵士は殺せないため、戦闘は制圧と拘束に移行するが、永続的な拘束は永続的な資源消費を意味する。戦争は終わらない。
文明は窒息した。
不死を選ばなかった理由を、ここに記す必要はないだろう。
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会話:
「…………」
「…………」
「……最後のほう、何も考えられなくなっていくのが」
「記録の後半は、体験者の認知能力の低下に伴って情報の質が劣化する。言語が失われ、時間感覚が失われ、自己認識が失われていく」
「でも意識だけは残ってるんすよね。痛みだけは感じてる」
「不死魔法はそういう魔法だ。肉体が機能を停止しても、意識は止まらない。痛覚も止まらない」
「何百年も。ずっと」
「ずっとだ」
「…………」
「…………」
「……賢者様って、不死なんすよね」
「不死魔法とは違う。私は修復魔法で自分を巻き戻しているだけだ。体が老いれば、若い状態に戻す。記憶はそのまま残る」
「でも、終われないのは同じじゃないっすか」
「……そうだな」
「…………」
「…………」
「……賢者様は、何年くらい生きてるんすか」
「正確にはわからない。数えるのをやめた時期がある。おそらく──いや、正確な数字に意味はないだろう」
「……長いんすね」
「長い」
「言葉を忘れたりは」
「しない。巻き戻しているから。だが──記録の体験者が言葉を失っていく感覚は、私にも少し、想像がつく」
「え」
「長く生きていると、忘れるのではなく、重みが変わるのだ。千年前に覚えた言葉と、昨日覚えた言葉が同じ重さではいられなくなる。言葉の意味は知っているが、意味の重さが均一になっていく。全部がただの情報になっていく。……巻き戻してもそれは戻らない。経験は巻き戻せても、経験の蓄積が意識に与える影響は、修復の対象外なのかもしれない」
「代償魔法と同じっすね。修復の外側にあるもの」
「……そうかもしれない」
「…………」
「…………」
「……あの」
「なんだ」
「…………」
「…………」
「……今日のお茶、美味いっすね」
「……そうだな」
「…………」
「…………そうだな」




