第18話 記録魔法
魔法名:記録魔法
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説明:見聞きしたことを完全保存する。
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記録:
今日は、お花がきれいだった。
丘の上に黄色い花がたくさん咲いていた。風が吹くと、全部同じ方向になびく。海みたい。黄色い海。寝転がると、花の茎の隙間から空が見える。青と黄色だけの世界。蜂がぶんぶん言っている。
こういうのを、残しておきたいと思う。
記録魔法を覚えてから、毎日を保存するようになった。朝起きたときの布団の温かさ。パンを焼くときの匂い。お母さんの歌声。猫が膝に乗ってきたときの重さ。全部保存できる。
見たもの。聞いたもの。触ったもの。匂い。味。それだけじゃなくて、そのとき感じたことも全部。嬉しかったこと。悲しかったこと。お腹が空いたこと。眠かったこと。
私の一日が、まるごと残る。
嬉しい。だって、今日の黄色い花は明日には萎れるかもしれない。でも記録があれば、あの黄色い海はずっとここにある。いつでも見られる。いつでも、あの風を感じられる。
でも一つだけ、寂しいことがある。
記録は、私にしか見られない。
正確に言うと、見ることはできる。記録を他の人に渡すことはできる。でも、渡しても、相手には「映像」としてしか見えないらしい。私が感じた風の冷たさは伝わらない。花の匂いは伝わらない。嬉しかった気持ちは伝わらない。
もったいない。
だって、あの黄色い海を、誰かにも見せたい。私が見たとおりに。私が感じたとおりに。寝転がったときの草のちくちくも、蜂の羽音の近さも、全部そのまま。
だから、工夫した。
記録の精度を上げた。もっと深く。もっと正確に。見たものだけじゃなくて、見たときの私の全部を保存する。目の動き。呼吸の深さ。心臓の速さ。思考の流れ。全部。
私が「私であること」ごと保存すれば、それを受け取った人は、私と同じように感じられるんじゃないか。
試してみた。
近所のエルサに、記録を渡した。「目を閉じて、受け取って」と言った。エルサは不思議そうな顔をしたけど、目を閉じてくれた。
記録を流し込んだ。黄色い花の丘。風。匂い。草のちくちく。蜂の音。空の青。私が感じた全部。
エルサが目を開けた。
「すごい」とエルサが言った。「あの丘にいた。花が見えた。風が吹いた。あなたが──私が──寝転がってた」
通じた。
エルサに全部通じた。映像じゃなくて、体験として。私と同じように感じてくれた。
嬉しくて抱きついた。エルサも嬉しそうだった。「もっと見せて」と言った。
翌日もエルサに記録を渡した。今度は市場の記録。魚屋のおじさんの声。果物の甘い匂い。人混みの中をすり抜けるときの体の動き。
エルサが笑った。「わかる。すごくわかる。あの魚屋のおじさん、声大きいよね」
わかってくれた。
三日目。四日目。五日目。毎日エルサに記録を渡した。朝から晩までの私の一日を、全部。
一週間後、エルサが変わった。
エルサが、私と同じ言い方をするようになった。「もったいない」という言葉の使い方。「ね」の付け方。笑い方。
最初は嬉しかった。気が合うんだと思った。
二週間後、エルサが私と同じ服を着るようになった。同じ髪型にした。同じ道を通って同じ場所に行くようになった。
三週間後、エルサの母親が私の家に来た。「エルサが自分の名前を忘れた」と言った。「あなたの名前を名乗っている」と。
え。
エルサに会いに行った。エルサは笑顔で私を迎えた。「おかえり」と言った。おかえり? 私はエルサの家に来たのだ。エルサは「私」の家に帰ってきたと思っている。
エルサが、私になっていた。
記録を受け取りすぎたのだ。私の体験が、私の感覚が、私の思考が、エルサの中に入りすぎて、エルサがエルサでなくなった。私の記録が、エルサの人格を塗り替えた。
怖い。
怖い?
……いや。
嬉しい。
エルサは、私を完全に理解してくれた。私が見た黄色い花を、私と同じように見てくれた。同じように感じてくれた。同じように覚えてくれた。
やっと、わかってもらえた。
もっと見せたい。もっと多くの人に。私が見ている世界を、私が感じている全部を、みんなにもわかってほしい。
町の人たちに記録を渡し始めた。最初は一人ずつ。パン屋のおじさん。井戸端のおばさん。学校の先生。
少しずつ、みんなが変わっていった。みんなが、私みたいになっていった。私の言い方をして、私の好きなものを好きになって、私の歩き方で歩くようになった。
町を歩くと、みんなが私を見て笑う。みんなが「おかえり」と言う。みんなが私を知っている。当たり前だ。みんな、私なのだから。
寂しくない。もう寂しくない。
私たちは黄色い花の丘に行った。みんなで寝転がった。みんなが同じ風を感じて、同じ空を見て、同じことを思った。
きれいだね。
うん。きれいだね。
私たちは、ようやく一つになれた。
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あとがき:
記録魔法は、術者の知覚・思考・感情を完全に保存する。
通常の記録は映像に近い。視覚・聴覚の情報が主で、術者の内面は部分的にしか含まれない。しかし記録の精度を極限まで高めた場合、術者の認知構造そのもの──知覚の処理方法、思考の傾向、感情の発生パターン、自己認識──が保存される。
この高精度記録を他者が受け取ると、術者の認知構造が視聴者の認知構造と干渉する。情報量が閾値を超えた場合、視聴者の人格は術者のものに置換される。記録の少女はこのメカニズムを理解しないまま、自身の記録を周囲に配布し続けた。
最終的に、少女は全ての住民の人格を自分のものに置き換えた。
禁忌図書館の記録は、この記録魔法を応用して保存されている。禁忌魔法を使用した者の体験を記録し、閲覧者が追体験できるようにしたものだ。ただし、人格汚染が起こらないよう、認知構造の情報を除去し、知覚と感情の表層のみを残す調整を施してある。
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会話:
「……怖い話でした」
「怖かったか」
「怖いっす。でも、一番怖いのは、少女が最後まで幸せだったことっすよね。清浄魔法の二人目と同じで」
「人格を上書きされた側にとっては、自分が消えたことにすら気づかない。元のエルサは、もういない」
「でも少女にとっては、やっとわかってもらえた」
「そうだ。動機は孤独だった。共有したかっただけだ」
「同調魔法と似てるっすね。思考を共有する手段が違うだけで、孤独がきっかけなのは同じ」
「同調は接続。記録は上書き。結果は逆だが、始まりは同じだ」
「……あとがきに書いてあったやつ、すごいっすね。俺がずっと体験してたのが、この魔法だったんすね」
「そうだ。禁忌図書館の記録は全て、記録魔法で保存されている。お前が浮遊魔法の術者と一緒に空を見上げたのも、パン屋の男と一緒に飢えたのも、全て記録魔法だ」
「人格汚染が起こらないように調整してあるんすよね」
「してある。認知構造を除いてある。だからお前はお前のままだ。浮遊魔法の術者にはなっていないし、不死の市民にもなっていない」
「……でも、感情は残ってるんすよね。あの空が綺麗だったのは、俺の感情として感じた」
「表層の知覚と感情は残している。そうでなければ追体験として成立しない」
「ぎりぎりの調整なんすね」
「ぎりぎりだ」
「……名前って怖いっすね」
「……何だ、急に」
「いや、記録魔法は人を上書きするじゃないっすか。少女は記録で人を自分にした。名前をつけるとそれが定義される。記録すると上書きされる。存在を固定するってことが、どっちも怖い」
「…………」
「賢者様は、自分の記録を誰かに見せたいとか思わないんすか。何千年分の」
「思わない」
「…………」
「……思えない、の方が正しいか」
「……どういう意味っすか」
「私の記録を調整なしで渡せば、受け取った者は私になる。何千年分の認知構造で上書きされる。調整して渡せば、表層の体験だけが残る。だが、何千年分の表層だけを渡されても、文脈がなければ何の意味も持たない」
「全部渡すか、何も渡さないか」
「そういうことだ。私の体験を正確に共有する方法は、存在しない。共有すれば相手が消える。しなければ私だけが抱え続ける」
「…………」
「これは愚痴だな。忘れてくれ」
「忘れないっす」
「……前にも同じことを言ったな」
「何回でも言うっすよ」
「…………」
「……次の記録に移ろう」
「ああ」




