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第16話 同調魔法

魔法名:同調魔法

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説明:思考を共有する。

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記録:


 戦争が終わる。


 そう聞いたとき、最初に思ったのは「本当か」だった。八年間戦ってきた。入隊したのが十六のときで、今は二十四だ。人生の三分の一を塹壕で過ごした。隣で死んだ仲間の数は覚えていない。覚えていたら頭がおかしくなる。


 両国の王が和平に合意した。そこまでは何度かあった。合意して、決裂して、また戦って。今回が違うのは、方法だった。


 同調魔法。


 二つの国の国民の思考を繋ぐ。お互いの考えていることが、感じていることが、直接伝わるようになる。言葉を介さず。嘘もなく。相手が何を恐れ、何を望み、何を愛しているかが、そのままわかる。


 そうすれば憎しみは消える。相手を知れば、殺せなくなる。王はそう言った。


 正直なところ、怖かった。


 敵兵の思考が流れ込んでくる。八年間殺し合った相手の。あいつらが何を考えているかなんて、知りたくなかった。


 儀式は国境の平原で行われた。両軍が向かい合って立っている。冬の朝だった。息が白い。向かいに並んでいる敵兵の顔が見える。こっちと同じくらい疲れた顔をしている。


 魔法が発動した。


 最初は何も感じなかった。風が吹いて、旗がはためいて、向かいの兵士が鼻をすすった。それだけだ。


 次の瞬間、頭の中に何かが流れ込んできた。


 寒い。腹が減った。今夜は妻の作ったシチューが食べたい。シチューには必ずカブを入れる。妻はカブが好きだ。息子は嫌いだが──。


 私の思考ではなかった。


 私は独身だ。妻はいない。シチューの好みもない。だが今、誰かの妻と息子のことを、自分のことのように感じている。温かい台所の匂い。息子が食卓でカブを端に寄せている。妻が笑っている。


 これは向かいに立っている、あの兵士の記憶だ。


 涙が出た。


 なぜ泣いているのかわからなかった。敵の記憶で泣いている。敵に妻がいて、子供がいて、カブの入ったシチューがあることで泣いている。


 周りを見た。泣いている兵士が何人もいた。こちら側も、向こう側も。


 次々と流れ込んでくる。


 故郷を離れるときの母の顔。初めて人を殺した夜の吐き気。塹壕の泥の冷たさ。友人が死んだ朝の空の色。全部、私のものではない。でも全部、私のものと同じだ。


 あいつらも怖かったのだ。あいつらも帰りたかったのだ。あいつらも、殺したくなかったのだ。


 向かいの兵士と目が合った。あの男だ。シチューの男だ。男も泣いていた。私の記憶が流れ込んでいるのだろう。私の母の顔を見ているのだろう。


 男が一歩前に出た。手を伸ばした。私も一歩前に出た。手を握った。


 冷たい手だった。震えていた。私の手も震えていた。


 美しい日が続いた。


 同調魔法が国民全体に広がった。国境が意味を失った。あちら側の市場に買い物に行く人が増えた。言葉は違うが、思考で通じる。むしろ言葉より正確に通じる。


 元敵兵と一緒に酒を飲んだ。名前はドランという男で、シチューの話は本当だった。カブのシチューを作ってくれた。美味かった。息子は七つで、将来は鍛冶師になりたいらしい。


 ドランの恐怖も感じた。戦場での記憶。あの時、塹壕で隣にいた男が倒れて、血が自分の顔にかかって──。


 重い記憶だった。でも共有できた。共有することで、少しだけ軽くなった気がした。


 二ヶ月ほど経った頃だった。


 夜中に目が覚めた。心臓がばくばく言っていた。


 悪夢ではなかった。自分は何も夢を見ていなかった。だが、誰かが怖がっている。誰かの恐怖が流れ込んできている。遠くの誰かが。


 すぐに収まった。大丈夫だ。誰かが悪夢を見ただけだろう。


 翌週、また起きた。今度は昼間だった。市場で買い物をしていたら、突然胸が苦しくなった。息ができない。恐怖。逃げなければ。何から? わからない。自分の恐怖ではない。


 周りの人も立ち止まっていた。全員が同じ方を向いていた。全員が、同じ恐怖を感じていた。


 数分で収まった。


 翌月、収まらなくなった。


 どこかで誰かが発狂した。その恐怖が周囲に伝わった。周囲の恐怖がさらに広がった。恐怖が恐怖を呼んだ。都市全体が、理由のないパニックに陥った。


 私は頭を抱えてうずくまっていた。自分の恐怖なのか、他人の恐怖なのか、わからない。わからないことが怖い。怖いという感情がまた他の誰かに流れ込む。その誰かの恐怖がまた私に──。


 やめてくれ。


 叫んだ。声を出した。だが叫びの意味が同調魔法で全員に伝わった。「やめてくれ」という悲鳴が何千人にも共有された。何千人が同時に「やめてくれ」と叫んだ。


 ドランの恐怖が流れ込んできた。ドランの息子の泣き声が聞こえた。ドランの妻の悲鳴が聞こえた。全部聞こえた。


 全部が私の中にある。全員が私の中にある。


 私はどこまでが私だ。


 この恐怖は誰のものだ。この叫びは誰のものだ。この涙は──。


 誰かが。誰かの。誰かの誰かの。もう。


 もう、わからない──。


---------------


あとがき:


 同調魔法は複数の人間の思考を相互接続する。接続された者は互いの思考・感情・記憶を共有する。


 初期段階では、共感と相互理解が促進される。敵意の原因が相互の無理解にある場合、同調魔法は極めて効果的に機能する。記録の通り、八年間の戦争が数日で終結した。


 問題は、同調が「接続」であって「統合」ではないことだ。


 個々の意識は独立したまま、全ての入力を共有する。感情の処理能力は個人に依存する。一人の処理限界を超えた恐怖やパニックが発生した場合、それは加工されることなく全接続者に伝播する。


 恐怖が恐怖を呼ぶ。パニックがパニックを増幅する。増殖魔法と同じ構造だ。正のフィードバック。一人の悲鳴が全員の悲鳴になり、全員の悲鳴が一人の悲鳴をさらに強化する。


 同調魔法が崩壊するとき、最も弱い一点から崩壊する。どれほど多くの人間が平静を保っていても、たった一人がパニックに陥れば、その一点から全体が崩れる。


 孤独は、思っているよりも人を守っている。


---------------


会話:


「…………」


「……大丈夫か」


「……大丈夫っす。ちょっと待ってください」


「…………」


「……はい。大丈夫です」


「追体験の強度が強かったか。記録の終盤は思考の混濁が激しい。調整はしてあるが、限界がある」


「いや、記録の前半がきつかったっす。後半の恐怖より」


「前半が?」


「シチューのとこ。手を握ったとこ。あそこが一番きつかったっす。だって、うまくいってたじゃないっすか。敵だった人と友達になって、一緒に飯食って。あれが本物だったから、壊れたときがきつい」


「……そうだな」


「あの兵士さんとドランさん、修復で巻き戻されたら、また敵同士っすよね」


「そうだ。カブのシチューも、手を握ったことも、覚えていない」


「…………」


「壊れなかった世界線もあり得たんすかね。たった一人がパニックにならなければ」


「あり得ただろう。だが、何万人も繋がっていれば、一人が崩れる確率は限りなく高い。構造的に脆い。たまたま崩壊しなかったとしても、時間の問題だ」


「ネットの炎上と同じっすね。一人がキレると全員キレる。しかもネットは文字だけだから、まだマシっす。思考が直接繋がってたら──」


「お前の世界にも、魔法なしでこれがあるのか」


「規模は小さいっすけど。繋がりすぎると壊れるのは同じっす」


「そうか」


「……あとがきの最後の一文、良かったっす」


「どれだ」


「『孤独は、思っているよりも人を守っている』。あれ、めちゃくちゃ刺さった」


「事実を書いただけだ」


「でもそれ、賢者様が言うとすごい重みがあるっす。一番長く一人でいる人が言う『孤独は人を守っている』って」


「…………」


「あ、すみません、余計なこと──」


「余計ではない。ただ、孤独が人を守っているのは事実だが、守られていることが良いことかどうかは、また別の話だ」


「…………」


「……次の記録に移ろう」


「……はい」


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