原作にはないエピソード
もう用はないんだがなあ……あっちの人に用事があるとかじゃないかなあ……ないよなあ……。
往生際の悪い願いも空しく数人の令嬢が2人の前に立ちはだかり、アシュフォードは内心辟易する。
「ごきげんよう。ネルベルク公爵閣下」
美しいお辞儀をして見せたのは。
「王女殿下にご挨拶申し上げる」
よりにもよって、王族のひとりとその取り巻きであった。
「学園でご一緒した方です」
婚姻を結んでまだ半年程であったが、アシュフォードにも少しシルヴァールという人物が分かってきている。
頭を下げたまま囁いたシルヴァールは、顔をみるまでもなく途轍もなく嫌そうだった。
「シルヴァール・ネル」
「今はシルヴァール・ネルベルクと」
「底辺貴族はお黙りなさい!」
ちょうど舞踏曲の途切れたタイミングのせいで、ホールにどこか幼い甲高い声が会場に響き渡り、一斉に視線が集まる。
玉座で額を押さえる王の姿が見えた。
以前シルヴァールに聞いていた、顔が気に入ったから自分の従僕になれとしつこく言ってきた王女というのは、まず間違いなく彼女だろう。貧乏で名ばかりの貴族にはこれ以上ない名誉だろうと。
勿論きっぱりと断りそれ以降相手にもしなかったのだが、何故か『恥をかかされた』と思った彼女は、取り巻きにシルヴァールへの嫌がらせを命じた。
『机に動物の死骸だの、教室全員で無視だの。ふふ、高位貴族の御令嬢の嫌がらせの愛らしい事。俺を階段や噴水に突き落とそうとして押し負けた方もいらして。随分と救護室に運んで差し上げたものです。ああ、制服を破かれたのには少々困りました。仕方なくシャツ無しで授業を受けてたら学園から支給するから服を着てくれと』
そんな笑い事ではない学生時代のエピソードを、笑いながら話されてアシュフォードは思った。
『うちの嫁、最強』と。
そして上半身裸で授業を受けるシルヴァールのクラスの子女は、思春期にさぞや大変な思いをしたに違いないと同情した。
シルヴァールはそんな幼稚な虐めに付き合っている暇は無かった。
なんなら不埒な目的の為に空き部屋に引っ張り込もうとした体格の良い男子生徒の方が危険だったし、より多くを学ばねば『あの方』の役には立てないと、とにかく必死だったのだ。
それこそ、従僕の見習いとしてでも近付ければ良いと思っていたのに、『あの方』は両親によって変態に売りつけられたシルヴァールを信じられないくらいの高額で買い取ってくれたのだが。
「貧しい伯爵家の出の癖に」
「今は私の妻です」
正直なところ、17歳なんて一番面倒臭い年齢のしかも未婚女性になんて関わりたくなかったが、妻が侮辱されては黙っている訳にはいくまい。
言ってはなんだが、先代国王の末娘とネルベルク公爵夫人では夫人の方が立場は上である。
「お金で買われただけの癖に図々しく夜会に出席して!汚らしい!」
「王女殿下と言えども、ネルベルク公爵夫人に対して無礼では?」
「お金を積まなきゃ婚姻もできなかった醜男が!」
「まあ、それは事実」
何か言いかけたシルヴァールを制して、アシュフォードは冷静に返す。
為政者としての立場があるのでそれを表に出す事はほぼ無いが、実は国王一家の面々は皆、気の良い方々である。
しかしビルネ王室全体で見てみれば、まあ、『こういうの』も勿論いるだろう。
王女はシルヴァールの何もかもが気に入らない。
耳に付けたイヤーカフのアクアマリンが、自分の付けているイヤリングより高級な石なのも面白くなかった。
着ている夜会服が、予約の取れないデザイナーが手がけているものだったのも気に食わなかった。
何より、王女たる自分が声を掛けてやっても一切表情を変えなかった『妖精の生まれ変わり』が『見目の悪い悪辣公爵』に微笑み返したのが、許しがたい。
王女は手に持っていたグラスを振り上げ、力任せにシルヴァールの顔めがけて投げつけた。
ここは避けずにグラスに当たった方が騒ぎが収まるだろうかと、シルヴァールは冷静に考える。
旦那様の色で仕立てられたこの衣装が汚れるのは嫌なのだけど。
ガラスの割れた音の後に、幾つもの悲鳴が続いた。
シルヴァールの前に出したアシュフォードの手に当たったグラスが砕け散ったのだ。
そのグラスは赤ワインだったのか。
いや、シルヴァールの手にあるものと同じ金色のワインだったはずだ。
「アッシュ様!」
公爵夫人の叫びは、虐げられているものの声音ではなかった。
一瞬で色を無くした頬が震えていた。
濡れていないほうの手で、安心させる様に妻の肩を撫で、それから同じく顔色を無くした王女をちらりと眺め、玉座の方を向く。
「国王陛下に申し上げる。我等夫夫がネルベルク公爵家当主に相応しくないとお思いでしたらどうぞ、すぐにでも御処断を。この場で貴族籍をお返しし、今後はビルネ王国の名も無き民草となりましょう」
怒りを飲み込んだ冷たい声だった。
しかし誰も『悪辣公爵』だとは思わない。
相手が王族であろうと妻への非礼を咎め、いわれの無い暴力から身を挺して妻を庇う、善き夫そのものだ。
国王は王女の名を呼んだ。
ネルベルク公爵より更に冷たい声だった。
公爵夫妻への謝罪を命じるが、王女はヒステリックにそれを拒否する
会場がまたざわめいた。
王女とは言え国王の家臣に過ぎないのに、王命に逆らったのだ。
シルヴァールの美しさを自分のアクセサリーのように扱おうとして、それが叶わず癇癪を起こす王女こそ、『悪辣公爵』のようではないか。
「これ以上はどなたもご不快にさせるばかりか。御前失礼致します」
ネルベルク公爵は優雅に一礼すると、妻を伴って会場を出た。




