波乱の夜会
「ネルベルク公爵家、アシュフォード公爵閣下、シルヴァール公爵夫人、ご到着でございます」
社交界には殆ど顔を出さなかったネルベルク公爵家の現当主と、伯爵家から無理矢理に連れて来られたという夫人の名が呼ばれ、好奇の視線とざわめきが大扉一カ所に集まった。
そして、その扉が開いた瞬間に、ざわめきが消える。
夫の手を取りしずしずと、しかししっかりとした足取りで入場してきた『美し過ぎたが故に金で買われた憐れな青年』は周囲から突き刺さる視線をものともせずまっすぐに前を向いていた。
柔らかく編み込まれた髪は、全ての月光を集めたような白銀で、毛先に向かって夜に融けるような黒に変わっていく、非常に珍しい色だった。
銀色の睫毛に縁取られた神秘的なアメジストの瞳は瑞々しく輝き、その肌は最高級の陶器か真珠のように滑らかだった。
目敏い者ならば化粧を一切施していないと気付くだろう。
噂の見目の悪いという噂の悪辣公爵を見て笑ってやろうと待ち構えていた男も女も、公爵夫人に見蕩れて、皆『それ』を忘れてしまった。
淡いアクアブルーを差し色にした極々薄いグレーという、普通ならば印象がぼやけてしまいそうな色合いのドレススーツも、触れたら溶けて消えてしまいそうな神秘的な雰囲気を醸し出している。
誰もが思った。
妖精の生まれ変わりなどではない、神の御使いだ、と。
「ふふ、俺は誰にも見えていないみたいだ」
アシュフォードの囁きに、シルヴァールはうっそりと頷く。
「旦那様が穢れなくて何よりです」
「どゆこと!?」
本気なのか冗談なのか、前を向いたままのシルヴァールからは言葉以上のものは窺えなかった。
「さあ、王家の方々にご挨拶を」
「はい、公爵閣下」
アシュフォードの冷たい声にシルヴァールが答えた途端、会場にざわめきが戻ってきた。
隣の男が噂の悪辣公爵なのだと、ようやく皆が思い出したようだった。
シルヴァールは、『あれが』とか『噂は……』等の断片的な声を、表情を変えずに耳だけで拾う。
アクアマリンをあしらったイヤーカフは、アシュフォードが手ずから付けてくれたもので、シルヴァールはそうするように促した侍女に感謝している。
「見目が悪いと聞いていたが、噂程ではないじゃないか」
「どこぞの令嬢が悲鳴を上げて逃げ出したと言われてるのもデマだったのか」
「言う程悪くはないのですね」
「ネルベルク公爵夫人になれるのなら、まあ我慢できるかしら」
シルヴァールは心の中で、最後の言葉を吐いた令嬢が誰なのか判明したら思い知らせてやろうと決めたのだった。
一段高く設えた玉座に座る国王夫妻と王太子夫妻、そしてその傍に並ぶ王子王女達。
いくら主催がとは言え、王族出席率高過ぎじゃないか、とアシュフォードは内心でげんなりした。
兄クリスフォードならば、それはもう威風堂々と挨拶の口上を述べたのだろうが、何せ自分は前世しがないサラリーマンの日本人だ。
一歩玉座に近付くごとに胃がキリキリと痛む。
しかし腕に添えられたシルヴァールの手に僅かに力が籠もったのを感じて、はっとした。
『原作通りに』を言い訳に、シルヴァールをジークフリードに会わせもせずにこんな所まで連れ回しているのはアシュフォードだ。
自分より年若く、爵位も持たないシルヴァールの方が余程不安な筈なのに、こうしてまっすぐに前を向いている。
自分がしゃんとしていなくてどうする、と気合いを入れ直した。
「偉大なる国王陛下にご挨拶を申し上げる」
ネルベルク公爵の声は存外しっとりと落ち着いた低音で、柔らかさと甘さもあった。
その声が先代公爵に似ている、と気付いた者もいるかもしれない。
夫夫揃っての、右手を胸に当て深く頭を下げるこの国の最上級礼の仕草は、他の貴族が思っていたよりもずっと洗練されていた。
「面を上げよ」
国王の声に従い顔を上げる。
噂に聞く公爵夫人に、国王夫妻は軽く息を飲んだ。
「遠路大義であった」
国王がアシュフォードに話し掛けたところで、楽団が華やかな舞踏曲を奏で始めた。
これならば他の招待客に壇上の会話は聞こえないだろう。
「息災であったか」
「国王陛下のご威光のお陰にございます」
「楽にせよ」
「不調法者ゆえ、どうぞご勘弁を」
「アシュフォード。王の仰せだ。王命だと言われたいか」
僅かに身を乗り出した王太子の言葉に、アシュフォードは表情を変えぬまま嫌そうにする、という器用な事をしてみせた。
「勘弁してください」
「そういうな。当主後継の変更届以来か」
「あの時の事は感謝しています」
王太子とアシュフォードは貴族学園の同級生であった。
ひっそりと勉学に励んでいたアシュフォードだったが、何故かやたらと王太子に気に入られて、一方的に友人認定されてしまった。
あの事故の時にジークフリードからアシュフォードへの後継変更の届け出の受理が早かったのは、王太子の口利きがあったからだった。
「ジークフリードの容態はどうだ」
ついでに言うなら、国王は兄クリスフォードの(こちらは本当の意味での)友人で、ごく私的な交流があった。
「国王陛下が遣わして下さった魔法医師殿のお陰で、歩行訓練を開始できるまでになりました。今後、魔力による補助は必要となるでしょうが……」
友人としてのクリスフォードが残した弟と息子とを、それとなく気に掛けてくれている。
「そうか。そなたにせよジークフリードにせよ、何か必要なものがあれば、なんなりと言うがよい」
国王もまた、あの日クリスフォードを城に招いた事を後悔していた。
歴代最強の『王国の守護聖人』を失ってしまった王として、親しい友人を亡くした個人として。
「お言葉だけで十分です」
「うむ、では本題に入るとしよう。ネルベルク公爵夫人よ」
「はい」
「噂通り……いや、確かに噂以上に美しい。あの堅物アシュフォードが妖精の生まれ変わりを攫ったと我が家では随分と噂になってな」
王妃の扇で隠した口元は見なくても笑みの形だと想像できた。
王太子は面白がっているのを隠す気もないようだ。
「ええ、下世話に言うならば、私の一目惚れというものです。兄上のいない今、好きにさせて頂く事に致しました」
王に答えながらうっすらと笑みを貼り付けているが、その心中は如何ばかりか。
シルヴァールはアシュフォードが声もなく泣いているような気がして、そっと腕に手を添える。
「好きに、か。それで斯様な振る舞いを」
そして、悟る。
どうやら王家の方々は旦那様の言う『茶番』に気付いているようだ。
「どうか、お目こぼしを」
そしてアシュフォードも『それ』を知っている。
「クリスフォードが常々そなたの好きにさせてやりたいと話していたので、今迄黙っておったが。あの時介入すべきだった」
ネルベルク公爵家はビルネ王国に無くてはならない。
だが、それはあくまでも正しい血統を継いでの話だ。
富と権力に目が眩んだ者がその座についてはすぐにでも国が滅ぶのだと、殆どの貴族はわかっていなかった。
国王の溜息交じりの言葉を王太子が継いだ。
「アシュフォード、お前は当主には向かない。今からでも遅くない。ジークフリードに家督を譲り、夫人と共に私の下につけ。彼には十分な後見をしてやる」
その言葉に、アシュフォードの気配が変わった。
「殿下は、魔力で補助をせねば歩けもしない15歳の少年に、ネルベルクの責を負わせよと仰いますか」
シルヴァールが彼の『怒り』を感じたのは初めてだった。
表情には変わらず薄い笑みを浮かべたままだったが、その気配に王家の近衛騎士が一斉に身構えた程だ。
「……まあ、待て。皆抑えよ。今のは王太子の失言であった」
王は溜息をつく。
どう考えても人の上に立つべき者の言葉では無かった。
「王太子殿下の過分な評価、大変光栄にございます」
「……すまん」
「王太子殿下は分別のある御方です。私こそ無礼な物言い、申し訳ありません」
シルヴァールにはアシュフォードの言葉が『お前イイ歳して言って良い事と悪い事とあんの。分からないのかよ』と聞こえたが、きっと間違っていないだろう。
「私達だけが斯様に国王陛下や皆々様のお時間を頂いてはなりませんな。御前、失礼いたします」
国王が苦笑しながら手を振り、一方的に話を切り上げたアシュフォードは、妻と共に礼をした。




