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夫夫水入らずの短い旅

道中は概ね平和だった。

ネルベルク公爵領内で公爵家の紋章の付いた馬車を襲う阿呆は居ない……というか、領内に野盗の類いはほぼ存在しない。

「うちの特性上、農民も他領の兵士以上に戦えるからなあ。野盗は割に合わないんだよ。下手な場所に潜伏したら魔物の餌食まっしぐらだし」

「お恥ずかしながら考えた事もありませんでした……その、ネル家の男が魔物討伐に参加した事はなかったので……」

シルヴァールが公爵夫人となってからも、何度も魔物の出没の報告を受けている。

幸い、ここ暫くは『ビルネ王国の守護聖人』自ら出陣する程の規模の大きな事案は起きていなかった。

「ああ、それな。普通は貴族主体で軍の編成をすると思う。ただ、今となっては真偽の程は不明なんだが、ネルベルクの初代が『貴族で軍を作ると権益だ柵だのがあって面倒くさい』って理由で民兵を主体にした……とか言われてるな」

「……初代公爵閣下のご苦労が偲ばれますね……」

幾つか書類を持ち込んではいるが、アシュフォードがこんなにゆったりと過ごしているのは婚姻後初めてだった。

2人は様々な話をした。

アシュフォードは街道沿いの町村の名物をシルヴァールに教え、時々馬車を停めて実際に名物料理を買っては口にして同行の3人にも振る舞う。

他にもおおよそ貴族のしないような方法でシルヴァールが退屈しないようにと気遣ってくれた。

公爵家の豪華な馬車に気軽に手を振る子供達もいて驚かされる。

貴族以外は、領主公爵としてのアシュフォードを好意的に見てくれているらしい。

「俺はこの顔だからなあ。兄上が居た頃は視察だ討伐だと領内を飛び回っていたし、取っつきやすいんだろう」

シルヴァールは『旦那様のお顔は素敵です』と言いかけて言葉を飲み込んだ。

何度か伝えてみたのだが、アシュフォードは困った顔で笑うばかりだったので、段々と言えなくなってしまった。

その代わりに『確かに、先代様にこの様な真似はできませんね』とアシュフォードの両頬を指先で摘まんで、柔らかく引っ張る事にした。

最初は酷く狼狽したアシュフォードだが、最近では少しそのスキンシップにも慣れてきたようだ。

「はいはい、俺の顔は不細工ではなくて親しみやすいんでした」

「はい、その通りです」

彼の母が掛けた根深い『呪い』が解けますように、とシルヴァールは祈る。


その為なら、旦那様の母と言えども、締め上げます。


もし本当に神がその祈りを聞いていたら、願いを叶えるべきか否か躊躇しているに違いない。


王都のネルベルク公爵家のタウンハウスに到着すれば、そこからはまた『悪辣公爵と金で買われた憐れな妻』となる。

シルヴァールはこの頃、不謹慎ながらごっこ遊びをしているような気分になっていた。

旦那様は真剣だし、貴族達にはかなりの効果があると理解しているけれど。


タウンハウスでシルヴァールに付けられた侍女は好意的なので驚いた。

魔物討伐隊では以前からアシュフォードの直属の部下で、今は王都での『悪辣公爵』の噂の流布を請け負っているらしい。

「旦那様は『スローライフ』なるものを目指しているそうです」

夜会に向けてシルヴァールの肌や髪の手入れをしながら侍女は言う。

「スローライフ?」

「私共にもよく分かりませんが、ジークフリード様に全てをお任せして、のんびり隠棲したいそうですよ」

「なるほど」

シルヴァールはとうに決めている。

アシュフォードが公爵位を甥に譲ろうが隠棲しようが、自分は彼に付いていくだけだと。


旦那様、もう絶対に、離れませんし、逃がしません。

ようやくお会い出来たのですから。


アシュフォードが書類を捌きながら盛大なくしゃみをしたのは何かの『報せ』だったのかもしれない。


そうしていよいよ夜会の幕は上がる。


これ以上は無い程に美しく装った妻を、アシュフォードは不機嫌そうな顔で睥睨した。

「忘れるな。私から離れる事は許さない」

「……はい」

美しい妻への悋気と執着を隠そうともしない公爵の、王都デビューである。


馬車に乗り込み2人になれば『悪辣公爵』は、しばし『旦那様』に戻る。

「はぁ……行きたくない……。せめて私的な茶会にでもしてくれれば良いのに……」

大々的な夜会への招待だなんて、王族の嫌がらせにしか思えない。

「王家の方々は、旦那様に何をお望みなのでしょう」

「いや、マジで『嫁を見たいだけ』なんだと思います……」

王家に連なる公爵家当主ともなればその婚姻にも色々と制約があるはずだが、アシュフォードは全部無視してシルヴァールを娶った。

アシュフォードの評価を落とすため『茶番を演じる為のお飾りの妻』が必要だったのは理解したが、何故シルヴァールを選んだのかは、まだ聞けていない。

「とにかく、本当に俺の傍から離れないでくれ。王家主催の夜会なんぞ『常夜の森』よりも魔物の巣だ」

「はい、旦那様」

「それと」

少し言いにくそうに口ごもってから、アシュフォードは顔を背けた。

「今日のルヴァは、とても、綺麗だ……と、思う」

シルヴァールからアシュフォードの表情は見えないが、耳が真っ赤だ。


領地で呼び出した仕立屋は公爵夫人を見て興奮し、大量のデザイン画を書き散らした。

その中から採用された夜会服は、アシュフォードと意匠を揃え、それぞれに互いの色を使ったデザインで、アシュフォードはそれなりに、シルヴァールに至っては、全てが輝いていた。

「ありがとうございます」

「あ、んう、あ、うん」

しかも夫の不器用な褒め言葉に、それはもう嬉しそうに微笑むものだから、『悪役公爵』は馬車が王城に到着するまで謎の呻き声しか出せなくなった。

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