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お飾りの妻の愛らしいお願い


ネルベルク公爵領から王都までは馬車で数日が公式なのだが、ビルネ王国でも有数の広さを有するので屋敷から領地の境界までも数日かかる。

そのため王都にはタウンハウスがあり、王都滞在に必要なものは全てそちらに用意させてあった。

供は従僕兼護衛1人と馬車の御者だけという、公爵家にあるまじき身軽さはいつもの事だ。

なにせ公爵本人が『王国の守護聖人』と呼ばれる戦力であり、御者も従僕もそれなり以上に魔物と戦えるのだ。

心配はされず、むしろあからさまに嬉しげな使用人達に見送られ、馬車は出発した。


「よろしく頼む」

「お任せください。奥様もどうぞお寛ぎを。公爵閣下も2人きりなら少しは気の利いた事を仰って下さるでしょうよ」

「おい、ハードルを上げるな」

アシュフォードがヴィクトールと御者に声を掛けていて、尚且つ御者が気安く答えた事に、シルヴァールは少し驚いた。

「御者は、アシュフォード様直属なのですよ」

馬で併走するヴィクトールが説明した。

前公爵存命の頃、アシュフォードは魔物と戦う領兵の統括的な立場にいたらしい。

ネルベルク公爵家の有する軍は対魔物戦に於いて王国最強と謳われているが、兵士の殆どは平民である。

年若いが面倒見が良く親しみやすい顔立ちのアシュフォードは、良い意味で貴族らしくなかったので、慕われるようになるのはすぐだった。

クリスフォードはそれを見越していたのかもしれない。

御者も、からからと暴露する。

「アシュフォード様が貴族の間で『悪辣公爵』って呼ばれていると聞いて、皆、酒を吹いたもんですよ。いやあれは勿体ない事をした」

「それは俺が酒代を弁償する案件か?」

「くれるというなら喜んで」

「はあ……これは福利厚生費になるのか……?まあ、覚えてたらワイン樽位は差し入れしとく」

ヴィクトールが後ろに下がり、御者との間にある小窓を閉めると、馬車の中は公爵夫妻の2人きりとなった。

「全く……アイツらは口さがなくて困る」

「そう仰る割には、旦那様も楽しそうでした」

「まあ、気楽ではあるな」

元々腹芸は苦手……いや、そもそも貴族なんていう立場が向いていないのだ。

物語から無事に退場できたら、軍の事務方の下っ端か領地の小役人にでもなって、ジークフリードの役に立てれば良いと思う。

ジークフリードはまだ子供だが、兄と義姉の能力をしっかりと受け継いでいて、何よりもカリスマ性があるので、ネルベルク公爵として恥じぬ振る舞いが出来るようになる筈だ。

「気楽な暮らしをなさりたいのですね」

「うん?そりゃあ、まあ、それに越した事はないよ。ジークにこの立場を押しつける時には最大限労働環境を改善していくつもりだけどな」

自ら『悪役公爵』なんてものになって得意でも無い振る舞いを繰り返しているのは、ネルベルク家の持つ権益に群がる輩を追い払い、領民を守り、そして正当な後継者であるジークフリードに爵位を渡す為なのだと、ある日アシュフォードはシルヴァールに話してくれた。

『それまでは、この茶番に付き合って欲しい』と、頭を下げたのだ。

ジークフリードが怪我を負ってなければ彼に家を継がせて裏方で戦う事も出来たかもしれない。

早過ぎるクリスフォードの死以降、ジークフリードに群がろうとしたのは『若き公爵の後見人』、或いは『公爵夫人の実父』という立場を狙う者達だった。

しかも、その殆どがジークフリードの祖母の親族だ。

ジークフリードの後見人になったのだからと我先に魔物討伐に飛び出して行くような人物だったならまだアシュフォードも認めたかも知れない。

しかし、その誰もが野心の大きさの割には『悪辣公爵』のひと睨みに愛想笑いしか出来なかった、小物だった。

「旦那様」

ジークフリードに爵位を譲った後、旦那様はどうなさるおつもりなのだろうと、シルヴァールは思う。

「どうした。あ、もしかして馬車酔いか?」

なんだか、ひっそりと姿を消してしまいそうで少し恐ろしい。

「いえ、馬車酔いは大丈夫です。荒れ地の疾走にも耐えられます」

「それは俺が死ぬから」

どんなに褒めそやされる外見をしていようとも、貴族学園で首席卒業をしようとも、この優しい人の役に立つにはまだ足りない。

「旦那様は、甥御様を『ジーク』とお呼びになるのですね」

「え?ああ、うん。まあ、あの子を生まれた時から見てるからな」

「俺はお飾りの妻ですが、その親愛を少しばかり分けて頂く事は……できませんか」

隣に座るシルヴァールに膝の上の両手を握られて、アシュフォードは目を見開いた。

その真剣な表情は、いつものよう美しかったが、何故か王都に行くと言った時に顔色を変えたジークフリードと重なった。

「どうか、俺の事も愛称で呼んで欲しいのです」

「ふふっ」

そんな真剣な顔で言うのがそれかと、アシュフォードから思わず笑いが零れた。

「旦那様っ」

「ああ、いやすまん」

恐ろしく有能で、妖精の生まれ変わりと謳われる程美しい、この『お飾りの妻』を可愛いと思ってしまった。

つい忘れてしまうが彼はジークフリードの方が年が近くて、まだ成人前の青年なのだった。


アシュフォードは心の内で呻いた。

物語の最後には『旦那様』では無くなる自分なのに、夫夫ではなくとも繋がりが欲しいと、そんな都合の良い事を思うなんてふざけてる。

「いや、そうか。愛称か。……シルヴィでは……少し女性的か?シール、ルヴィ……んー、君らしくはないな」

だが、今はまだ夫夫なのだ。

彼の望みを叶えてやるだけだと、自分に言い訳をしながら、アシュフォードは腕を組んだ。

「ルヴァ……うん、ルヴァだな。どうだろう?こういう時くらいにしか呼んでやれないが」

「……ありがとう、ございます」

嬉しそうに微笑むシルヴァールの美しさを、アシュフォードはいつの間にか『主人公だから』とは思わなくなっていた。

「そうだな……気が向いたら、俺の事もアッシュとでも呼んでくれ」

「旦那様……アッシュ様……。くっ!どちらも捨てがたい……っ!!」

何をそんなに悩む必要があるのかと不思議なのだが、シルヴァールが頭を抱える様がまた本当に悩ましげで、アシュフォードは声を上げて笑った。

それはアシュフォードの兄家族だけの『特別な』呼び方で、ヴィクトールでさえその愛称で呼ぶ事は許されていないのだという事を、シルヴァールは知らない。


物語の終わりには別れがある事を知りながら、アシュフォードがシルヴァールを家族だと受け入れた瞬間だった。

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