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生きているということ

アシュフォードが向かった離れとは、彼が生まれた時に追いやられた(本邸に比べれば)とても小さな屋敷だ。

広大な公爵家の敷地内の本邸からは決して目に入らない木立の中に隠されるように建っている。

今、離れに居るのは療養中のジークフリードと、アシュフォードの育ての親に等しい従僕のオリバーと侍女のマリアンヌ。

事故当時、屋敷内でアシュフォードが大切な甥を任せられるのはこの2人だけだった。

それと、子供の頃から世話になっている魔法医師。

屋敷の周囲を覆っているのはアシュフォードが構築した探知魔法をごく薄く張り巡らせた結界で、魔法石を動力源に登録者以外の侵入があった場合術者に知らせるという、前世で言うところの警報装置に近い。

発動時以外には術者の魔力消費がない画期的な術式は、王城でも実用化されているアシュフォードの功績のひとつ。

アシュフォードはネルベルク公爵家の直系としては話にならないくらい魔力が低いのだが、その分最大限に効率よく運用するための技術に長けていた。

ただ、それを一切自分の考案したものだとは吹聴しなかったので、世間一般の評価はゼロ。

今はどんどんマイナスを更新している。


アシュフォードは表門ではなく、裏口に回った。

貴族なら自分の屋敷であってもやらない事だが、その方が早いので彼は気にしない。

「まあ!ぼっちゃま!またこんなところから!」

厨房に入る裏口を開けると、途端に明るい声に咎められた。

「マリアンヌ。いい加減坊ちゃまはやめてくれ」

立場上は侍女であるが、親以上に乳母以上にアシュフォードに愛情を注いでくれた人だ。

アシュフォードは彼女達こそを兄家族と共に自分の家族だと思っている。

「いい大人は勿体付けてご自分の奥様をいつまでも紹介しないなんて事はしませんよ」

彼女は勿論彼の『悪役公爵』が演技だと知っている。

アシュフォードからジークフリードを託されて2年、ずっとこの離れにいるがいつだってアシュフォードを案じていた。

「いや、勿体付けてる訳じゃ無いんだが……。それは、もう少し待ってくれ」

「奥様は大変に美しい方とお伺いしておりますよ」

『奥様』が男性である事は彼女にはなんの問題にもならない。

「ああ、それは間違いない。俺には過ぎた妻だよ」

「まあ!」

幼少期を虐げられていたせいで、実は恐ろしく自己肯定感の低いこの息子同然の主人が心を許せる相手ならばそれで良かった。

「そんな事よりジークは?部屋にいるのか」

「午後の訓練中ですよ。もうそろそろ戻られると思いますけど」

「そうか。お茶を頼んで良いか?こちらに居る時くらいマリアンヌのお茶が欲しい」

「お茶くらい、いくらでも」

「そうそう、シルヴァールもお茶を淹れるのが上手くてな。最近はティータイムも楽しんでるよ」

「まあまあまあ!!」

泣き出しそうな顔をして笑った母代わりの女性に柔らかく微笑んで、アシュフォードは厨房から出た。


一階のエントランスに一番近いところにジークフリードの部屋はある。

そこは本来貴族家の嫡男が暮らすような部屋では無いのだが。

「叔父上!」

エントランスに嬉しそうな声が響いた。

杖を突き、足をひきずりながらアシュフォードに近付いてきたのは、彼の甥であるジークフリードだった。

「ジーク」

愛称で呼び、アシュフォードも相好を崩す。

「いらしてたんですね」

ジークフリードの部屋が貴族の常識を無視した位置にあるのはこの為だ。

事故から2年、ようやく杖を用いての歩行ができるようになってきた。

ジークフリードが特に重傷だったのが足で、優秀な魔法医師ですら手の施しようがないくらいに、両足の膝から下の骨が砕けていた。

そんな状態で、それでも切断せずに済んで、尚且つ立てるようになるまでに回復したのはその医師のお陰だった。

「随分足取りがしっかりしてきたな」

ジークフリードの部屋に入るとアシュフォードは彼をソファに座らせた。

水差しからグラスに水を注いでテーブルに置き、額にうっすらと汗が滲んでいたので部屋に用意されたタオルを渡してやる。

2年前より背が伸びた。

少年特有のまろい頬に少し精悍さが滲んでいて、面立ちがますます父である前公爵クリスフォードに似てきている。

明るい金色の髪と特徴的な碧眼も輝きを増していて、誰が見てもネルベルク公爵家の血を引くと気付くだろう。

「ええ、魔力で補助すれば杖が無くとも歩けるようになるのではないかと。今日は魔力操作の訓練もしてきたんです」

ワゴンでティーセットを運んできたマリアンヌを何くれと無く手伝いながらアシュフォードは嬉しそうに何度も頷いた。

その意識してない行動に、ジークフリードとマリアンヌはこっそりと顔を見合わせて苦笑する。

この部屋で最も高位なのがアシュフォードなのだが、本人にその自覚はないらしい。

本来、指一本たりとも動かしてはならない立場だというのに。

「ああ、やっぱり美味いなぁ」

慣れ親しんだお茶にほっと息を吐く。

シルヴァールと共に居て気を張るという事も大分少なくなってきたものの、彼に対してはどうしても『ジークから預かっている』という微かな思いが頭の片隅にあった。

「ジーク、魔力操作はどんな感じだ?」

「僕はまだ細かな操作が難しくて……。魔力で全身を身体強化した方が早いと言われました」

繊細な魔力操作は必要になるが魔力の消費量を抑える方が重要なので、本来体の不自由な部分を魔力で補う場合はできるだけ範囲を小さくする。

「そうか、大分魔力量も増えてるもんなぁ」

ジークフリードはネルベルク公爵家の直系なだけあって、非凡な才能と非凡な魔力量を有していた。

医師が言うからには日常に全身強化を使用しても全く問題ない魔力量があるのだろう。

「量だけあっても上手く使えなくては仕方ないと」

どこか不貞腐れた声音は、まだ子供だ。

彼は一番楽しいはずだった時期の2年間を両親と共に失ってしまったから、アシュフォードには彼の子供っぽさが時折表れるのが、なんとも嬉しい。

「ふふ、先生は正しい。精進しろ。ジークならきっとすぐにでも兄上を超えるよ」

「『完璧な貴族』である父上を……?」

アシュフォードの兄であり、ジークフリードの父であるクリスフォードは、歴史に名を残したであろう偉大な人物であった。

「ああ、俺が保証する」

その言葉に何か思い出したようにジークフリードが笑った。

「母上が」

「ん、義姉上が?」

「叔父上の『保証する』は何があっても信じろと」

「そ、そうなのか……?どうやら義姉上の認識には少々誤りがあったようだな」

「父上もその通りと」

「ぐぬう、ジークの両親が俺を買いかぶり過ぎてた件……!」

「違うと思う」

そして同時に、クリスフォードとその妻は彼の家族を深く愛した(そこに実の両親は入っていなかったようだが)。

その愛情があるからこそ、今2人はこうやって笑って話して居られる。

「坊ちゃま方、お茶菓子はどうなさいます?」

話のちょうど良い区切りに、傍に控えていたマリアンヌが声を掛けた。

「とはいえ、お夕食の時間も近いのですけれどね」

「腹は空いてるけど……」

「そうだ、この時間にせっかく来たんだ。何か作ろうか」

「食べたいです!」

ジークフリードは勢い込んで答える。

幼い頃から、たまに振る舞ってくれる叔父上の料理が好きだった。

それは今は幸せな記憶と紐付いて、とても尊いものに感じる。

「といっても簡単なものだが……」

「食べたいです!」

「そ、そうか。じゃあ少し待ってなさい。ちなみにマリアンヌ、今日の茶菓子はなんだった?」

「ベリーのパイと、キャラメルソースを焼き込んだマフィンでございます」

「それを少し包んでくれ」

「ベリーパイはヴィクトール様もお好きでしたものね」

「ああ、それと。シルヴァールにも食べさせたい」

「ふふふ、かしこりました」

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