生きた先
数秒沈黙があったと、先輩が口を開いた。
「なに言ってんだぁ? 自死って、自殺ってことだろぉ? それしようとしてるように見えたのかぁ?」
「……違うんですか」
「んなわぇねぇだろぉ? 確かにしようとしたことはあったけど、今は全然そんなんでもねぇって」
僕の勘違い……? でも……。
「なら、あのときの目はなんだったんですか。以前にこうやって話したときに見た、死にそうな目は」
「君がどんな目を見たのかなんて知らねぇけど、俺は死のうとなんかしてねぇ。今日は君に会いたくなったからここにいたら会えるかなぁって思ってここに来ただけだぁ」
僕に……会いたくなって……?
ふわっと力が抜けて、地面に尻を付く。……なんだ、そんなことか……。
「君? 大丈夫か」
「……大丈夫ですけど、大丈夫じゃないです」
力の抜けた体で一息つく。僕が勝手に勘違いしていただけか……。でもよかった。
「君が来たかと思えば急に水ぶっかけられるからさすがにキレそうになったぁ。俺に言うことはぁ?」
「……すいません」
「ははっ、君の真面目なところちょぉ好きだぜ。許してやる」
「でも、なんで邪魔するかって、聞いたんですか」
「だぁって、座ろうとしたの邪魔してくるから」
そうだったのか……。ただほんと、僕が勘違いしただけだったのか。
「けどまぁ、死のうとしたことは何回かあったなぁ」
「…………」
「聞かねぇんだなぁ。君と初めて会った時、ほんとは死のうとしてたんだぜぇ」
僕と初めて会った日……。確か、体育祭があった日だ。あの時も……。
「この夏の暑さで死んでやろぉってな。けど君がいて、邪魔されたぁ。必死に生きようとしてる奴が目の前にいるのに、こんなことで簡単に死んでいいのかって思ってよ」
「……そう思える先輩は優しいんですよ」
「……褒めてもなんもでねぇぞ。あとはぁ、あれだ。親父と話したんだ。君と前ここで話した日の次の日に。けどうまくいかなくて衝動的に首吊ってぇ? けど親父に見つかって失敗。まあそれがきっかけで俺の話聞いてくれるようになったんだけどな」
相当追い詰められていたのだろうな。衝動的に首吊りをするなんて。もしそれで発見が遅れて、見つけたときに息をしていなかったら……。
「…………」
ゾクゾクッと鳥肌が立った。今ここにいるのはそのとき死んでいなかったから。少しでも発見が遅れたら今頃先輩はいない……。
胃のあたりがぐるぐるとしだして腹を抱える。それでも服を握ってその不快感を堪えるしかなかった。
そんな僕を気にも留めず、先輩は話を続ける。
「それに俺も調べたんだ。俺のことについて。女が男になりたいってやつ。そしたら……なんだっけ、トランプ? ともう一つなんとか障害って」
「……トランスジェンダーと性同一性障害ですか」
「あーそぉそぉ。それが出てきたんだ。違いがわかんねぇけど」
「トランスジェンダーは心の性と体の性……いわば自分のことを男や女と思っている自認と、体の形があっていない状態の人を指しますが、性同一性障害の人はそれに加えて性別を一致させたいと思う人のことを指します。……性同一性障害は改名されて性別違和と、今では言われますね」
名前にあるように障害と捉えるのはどうかとは思っていたから、改名されてよかった。少しは当事者の気持ちも楽になっていればいいが。
「それで、なんか女が男になれるみたいなの見つけて親父に言ったんだ。親父は医者だけどそういう科じゃないからあんまり詳しくねぇみてぇだけど。
男性ホルモン入れて声とかも低くできるみてぇだからそれしたいって言ったら考えてみるって。どうしても金額が高くなるから、簡単にはできねぇけど、胸切るくらいは絶対にさせてやるってよ」
きっと先輩が望む性になるには長い道のりになるだろう。今がその一歩目を踏みだした時。いい方向に進んでいるのならよかった。
「人間ってほんと難しいことばっかだよなぁ」
「……そうですね」
僕も過去に何度も考えたことがあった。
そのうちの一つ。
生きて意味があるのか。何度も思ったことがある。
いっそ死んでしまったほうが楽なんじゃないか。何度でも思ったことがある。
先輩はもうずいぶん落ちた夕日に背を染めて屋上の端にしゃがみ込む。なにをするのかと思えば足を屋上の端から下ろした。僕は相当な信頼を得ているらしい。
なんとなく僕も隣に座った。落ちそうだから足は下ろさず。
「死んだらなにもかもなくなって楽になるかもしれねぇけど、楽しかったことまでなくなっちまう。そう考えるとちと抵抗するってもんだ。実際、死ななかったからこうして君にも出会えて、人生もいい方向に進んでるはずだぁ。
でもよくここまで耐えたと思うわ。死にてぇって思っても行動に移すとなれば案外簡単には上手くいかねぇ。改めて知ったわ。
けど今はあの時死ななくてよかったぁって思ってる。君と出会えたからな。俺のこと肯定してくれて、人生も変えさせてもらって、何者だほんと。……ありがとな」
「……褒めてもなにもでないですよ」
先輩を真似て、そう言った。先輩はわかったのかふっと笑った。心から笑ったような微笑み。いつまでもそれを見たい。
「けどまぁ、今こうして生きてるのは、生きててよかったって思えたのは君のおかげだ」
先輩は足を下ろすのを止めて立ち上がりながら言った。スカートの汚れを払い落とせば振り向いて僕と目が合う。
やっぱり、先輩はとても綺麗な目をしている。僕の心を見透かしているかのように、澄んでいる。つい目を奪われてしまう。
「本当にありがとう」
そう言って深々と頭を下げた。




