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早咲きの蓮華は地面に咲いた  作者: 雨夜玲
それを望んだわけではない
35/66

屋上にて

「……じゃあ、悪いが少し待っててくれ」

「うん」

 約束された放下後、遅くまで部活動をする運動部の掛け声が窓の外から聞こえるなか、ギルを図書室まで送って屋上に向かう。先輩と会うために。

 屋上には最上階まで上ったあと、唯一屋上のつながる階段を上らないといけない。だからこんな奥まったひとけのない、薄暗い廊下を歩いている。

 基本的に立ち入り禁止だが、鍵は空いている。手前に張り紙を貼ったカラーコーンはあるが、空いていることを知っている生徒はよく入っている。

 といってもこの学校にヤンキーのような人間はいない。僕が憶えているので二人くらいしか立ち入らない。しかもどちらも静かな生徒で、気分を落ち着かせるのに使っているらしい。僕はその二人に親近感を抱いて「悪い奴ら」と呼んでいる。名前は知らない。話したこともない。なぜか僕を見たら逃げていくから。……話そうと思ったこともないが。

 屋上はもちろん校舎の一番上まで行かないといけなくて、階段を四、五階上るのは、相当に体力がいる。特に僕みたいな奴なんて。

 屋上への扉の前の踊り場で、膝に手をつきながら息を整えていた。なんで先輩は屋上なんてところを選んだんだ。疲れるじゃないか。

「……ふぅ」

 息が整えられたら、ドアノブに手をかける。が、ひねる前に思いだす。なんの話をするんだろう。どんなことを言われるんだろうか……。

 胸の奥でドクッドクッという音を強めながら、扉をひねった。

 扉を開けたとき、廊下が薄暗かったから外の光が明るく感じて目を細めてしまう。細めながらも太陽を背にして腕組みしながら立っている人間がいることがわかる。先輩だ。扉がバンッと閉まったことで、僕の存在に気づいたらしく目が合う。僕はさっと逸らした。

「やっと来たか」

「お待たせしました」

「とにかく、眩しいからこっち来い」

 先輩は腕を組みながら左の壁に姿を消した。僕も向かう。そこは太陽の影になっていて。ま眩しくない。

 夕日は綺麗だが、こんなにも直射だと、さすがに目を背けたくもなる。

 先輩の制服姿、女性姿……慣れない。崩した胸元に、短くしたスカート。ひょいとしゃがめば見えそうだ。風に吹かれてもきっと。

 着崩した胸元に少し丸みがあるのはそうなんだが、ネクタイが気になる。先輩が付けているから、なんてものじゃない。それにここは男女ともネクタイだ。

 そうじゃなくて、不器用なのか、リボンみたいに大剣と小剣が重ならずバラバラになっている。……手先が不器用なのは、なんとなくわかるが。

「先輩、ネクタイおかしくないですか」

「あ? 男女どっちもネクタイなのがここの」

「いえ、そうではなくて。結び方というか、形がヘンというか……」

 先輩は眉を寄せて、僕の胸元を見てから自分の胸元に目を移す。そしてまた僕の胸元に。

「確かになんかおかしいなぁ。俺、結び方わかんねぇんだ」

 今までどうしてたんだ。

「代わりに結んでくれねぇかぁ?」

「……僕がですか」

「君以外に誰がいる」

「…………」

 他の人がいないかと左右を見たが、紛れもなく僕と先輩しかいない。

 そのことを確かめたら、もう一度聞いた。

「だからぁ、君以外に誰がいるってぇんだ。幽霊でも見えてんのかぁ?」

 見えてはないが。僕が、先輩のネクタイを……。

 先輩の胸元に手を伸ばしたら、いっそう鼓動が早くなる。その早さに思わず一度手を引くが、また伸ばした。

 ……たぶん、結び方がそもそも違う。固結びみたいな結び目がある。一度解いたほうがいい。慎重に、慎重に取って、やっとのことで襟からネクタイを取った。思わず溜息をつく。

 あとはいつも僕が結んでいるように結ぶだけ……。結ぼうと、顔を上げたとき、

「っ……あ、の……」

 胸の奥からドクドクドクドクと聞こえてくる。

 見える。包帯の上からハートの上の部分のような……谷、みたいな。それを谷間ということくらい、知っている。

 そもそもなんで胸に巻かれている包帯が見えるんだ。と、先輩の胸元を見たら、第三ボタンまで外されていた。

「んだぁ?」

「……ぼたん、しめてください」

「あぁ? べつのいいだろあちぃし。君やったことねぇのかぁ? ネクタイで隠れるから、数個ボタン外しててもバレねぇんだよ」

 体が熱くなって、手に汗を握っていることも自覚しながら、慎重に先輩の第三ボタンに手を伸ばす。

「バレないじゃないです、閉めてください。風で煽られたときはどうするんですか、見えるじゃないですか」

「……見えるってぇ?」

「…………」

 無自覚ですか、そうですか。

 第三ボタンを閉めたあと、またふぅーと吐く。今度は少し長く。体が熱い。思わずパタパタと服を揺らす。

「でぇ? 君はなんでそんな顔熱くなってんだぁ? また熱出したかぁ?」

 目の前に伸びてくる手を払う。誰のせいですか。

「……第三ボタンまで開けるのはいいです。けどせめて肌着が着てください。……見えます」

「だから見えるってなぁにがだよぉ?」

 自分で覗いてくださいそれくらい。

「……もし肌着を着たくないのなら、上まで隠してくれる……その、下着をつけてください」

「下着ってぇ?」

「…………」

「黙んなよ」

「……ぶ、ぶら……じゃー、です」

「……それなんだぁ?」

 もう、本当に、本当になにも知らないこの人は……! 少しムッとして、相変わらず心臓の音を高鳴らせながら、先輩の襟を立ててネクタイを掛けた。早く結んでしまおう。

 襟を下げたあとは、僕がいつも結んでいるようにするだけ。それだけなのに、不意に手が胸に当たってしまった。

「すっ、すいませんっ」

 当たって手を、身を引いたから、先輩も僕に引かれて一歩前に近づく。

「引っ張んなぁって。べつに何回でも当たりたきゃ当たればいいから早く結べって」

 そんなたやすく当たっていいわけないだろ。人の気も知らないで……。

 心臓がずっと速く鳴っていて、ヘンな汗をかいていることを自覚した頃、ネクタイが結び終わった。まさか男女によって長さが違うだなんて。小剣が大剣より長くなって結び直すことになってしまった。

 結び終われば安堵から、後ろに一歩、二歩と下がって、屋上には柵がないから落ちそうになった。けど先輩に腕を(つか)まれてなんとか落下しなかった。僕自身、落ちそうになっていたなんてことを理解するのに数十秒と要していた。

 先輩からは眉を上げて「なにやってんだ!」と僕の気持ちもわからず注意される。本当に……ただでさえ女の体をして男の距離感で近づいてきてやりづらいのに。

 一度目をつぶって視界に蓋を閉じた。先輩といるとなんだか息苦しくなる。心臓が速く鳴るせいだ。なんで速くなるんだ。やはり相手の体が女だからだろうか。

「ネクタイ、ありがとなぁ」

 一度深く息を吐いたあと目を開ける。

「ネクタイは基本洗う必要はないので、制服を脱ぐとき小剣を完全には抜かないでください」

「ショウケン? てかどうやってこれ取るんだぁ」

 そこからか。本当にこの人はこれまでの高校生活、どうやって制服を着ていたんだ。

 僕のネクタイを使って説明する。

「これが大剣で、こっちが小剣です。

 ネクタイを取る時はこう、下に引けば緩んで取れます」

 一度ネクタイを取った。先輩から「ほぉ」と感心の声を聞いたあと、今度は襟を立ててネクタイを通す。

「こうしたら、あとは結び目が崩れないようにしながら小剣を下に引けば……締めれます」

 少し締めすぎた。少し緩める。

「ほぉん。器用だなぁ」

「むしろ先輩はこの二年ちょっと、誰かから教わらなかったんですか。調べても出てきますし」

「いやぁ、調べるほど気にはならなかったし、てか俺に友だちなんていねぇって。せんせーも俺を怖がって誰も話し掛けてくれねぇし。話できんの君と保健室のせんせーくらい。親父はいつも朝早いから俺が起きたときにはいねぇし。

 けど……一年のときに俺を女だと思って話し掛けてくれた女子はいたなぁ。それで三年でまた同じクラスになって、こんな『俺』とか言ってる女の姿した奴だとわかっても話し掛けてくれてる。いい奴だろぉ」

「……そうですね」

「本当に男になった時はあいつを恋人にしてもいいくらいだぁ」

「…………」

 恋人……。

 先輩に、できるんですかね。

「なんだぁ、そんな顔して。嫉妬か?」

「べつに、違います。触らないでください」

 頬を人差し指で突かれて、それを払った。なにが嫉妬だ。馬鹿馬鹿しい。そもそも僕は先輩に恋愛感情なんて……。

 僕はなんで先輩の「嫉妬」という言葉が女子生徒に向けた言葉だと思ったんだ……? 僕は……。

 胸がモヤモヤしてきて、それを確かめたくなってくる。

「……それで、ここに呼びだしたわけはなんですか」

 よくわからない感情に体を乗っ取られる前に早く用を済ませて帰ろう。

「おう、そうだったなぁ。……なんと言うか礼……してぇと思ってよぉ」

 似合わないモジモジとした様子。頬が赤く見えるのは、夕方のせいかどうか。

「俺がこんな性格だから味方する奴なんて、学校にも家にもいなくてよ。……さっきの女子はべつだ。あいつは敵にも味方にもならねぇ。だからこうして君から思ってくれてるのがちょっとっていうかすげぇ嬉しくてよ。あの時、君とあの場所で出会わなかったら俺の心は壊れてただろうぜ。君やギルって子に迷惑掛けたし、空腹な時金貰ってしまったしな。

 だからぁ……」

 先輩の目は二重でとても綺麗な目だ。

「ありがとうなぁ」

 微笑んで先輩は、そう言って深々と頭を下げた。

 顔を上げた先輩は続ける。

「それとぉ、君とこうして会ったことは、なかったことにするからなぁ。今日で縁を切る。そっちのほうが君も都合いいだろぉ?」

 確かにそっちのほうが都合がいいはずだ。またもとの日常に戻れる。

 けど僕の目に映る先輩の表情を見ては、

「…………」

 その気持ちを素直に受け取ることができなかった。

 その目が死に向かう目にしか見えなかった。


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