上げた言葉の先には
保健室の扉を二回ノックして開ける。
「先生、ギルが指を挟んだので……」
保健室をぐるっと一周見渡すが、先生の姿はないみたいだ。代わりに、
「…………」
「よぉ」
二度見して存在を認知したのは、堂々とベッドに寝転んでいる先輩の姿だった。微動だにしなかったから背景と化かしていて気づけなかった。
「……れーくん誰?」
ギルが顔を向けてくるが、説明するのも難しい。言わずに、当然のように先輩がいる理由を問う。
「なんでって、サボり?」
一限目からサボるなら学校に来なかったらよかっただろうに。
「……保健室の先生がどこにいるか知りませんか」
「せんせぇはいなかったなぁ。だからこうしてサボれてんだぁ。で、そのギルって子がどうしたって? 俺がやってやらぁ」
不覚にもギルの名前を教えてしまったな。まあ、先輩が悪い人なんて思っていないから、構わない。
「にしても、ハーフなんだなぁ、その髪色と瞳」
「……僕がやりますので、大丈夫です」
先輩は、信じたい。ギルを差別しないと。
入り口の隣にある長椅子にギルを座らせ、袋と氷を探す。適当に引き出しを開けていくと、ポリ袋が箱に入ってあったからその袋を一枚取って、冷蔵庫の氷を袋に入れていく。わかりやすい場所にあってよかった。
「手際いいなぁ。君もしや常連か?」
「常連にしないでください」
と言っても、ギルよりかは来ている。ついこの間の体育祭でも来た。去年もお世話になった。……僕は常連か?
適当に氷を入れたら袋を縛って、ギルのもとに行く。まだ肌は赤く染まっていて、左手で包むようにしていた。
ハンカチを患部の上に敷いて袋をそこに置いた。それをギルは持ってくれる。
「とりあえず今日はできるだけ冷やしておけ」
「うん」
「ふっふっふ……」
いきなり奇妙な笑い方をする人がいると思ったが、今ここでそんなことをする人は一人しかいない。声に振り向けば、僕の後ろに立っていて胸の前で腕を組んでいた。初めて見る先輩のスカート姿……。なんだか、新鮮だ。
「俺が診てやろうじゃ」
「ギルに触らないでください」
「まだ触ってねぇし? 即答やめろ」
ギルは変わらずぽかんとしていて、その拍子に氷が落ちた。それを拾い上げようとしたとき、先輩の女性らしい太ももが目に入って、しかも内腿のホクロを見つけて、視線を逸らした。
拾ってギルに渡すも、まだ心臓がドクドク言って、冷房の効く室内でも体を熱くさせてくる。太腿に視線を向けようとした僕の思考もどうかしている。
「せ、先輩は早くホームルームに行ったらどうですか。もうすぐ始まると思いますけど」
「それは君たちだってそうじゃねぇかよぉ」
「僕らは保健室の先生に用があるので」
かといってこのまま帰ってくるまで居座るつもりはないが。僕は授業を受けたいんだ。休んだ分を取り返すためにも。
「俺はバレるまでここにいらぁ」
「勝手にしてください」
ギルに、もう少しだけ待っていると言おうとした矢先、扉が開いた。出てきたのは保健室の先生。タイミングがいい。
「あら、二人ともいらっしゃい。今日はどうしましたか新藤くん?」
当然かのように……。
「今日は僕じゃないです。ギルが指を挟んでしまって、氷をもらいに来ました。いなかったんで勝手にさせてもらいました」
「そう。珍しいわね、英川くんが怪我なんて。ちょっと見せてくれる?」
僕と場所を代わって先生がギルの患部を見る。
「……今日のお昼休みにもまた来てくれる? 様子を見たいわ」
「うん。わかった」
「じゃあ、もうホームルーム始まるから。……英川くんって左利きだったわよね。あんまり動かさないようにね」
「うん」
先生にも見てもらったことだし教室に戻ろうとするが、先生が思いだしたように「もう一人いると思ったんだけど」と呟いた。確かに廊下には僕とギルの靴の他にもう一つあるはずだ。なぜなら先輩がいるから。
先生とギルは気にせず立ち上がるが、僕は先輩はどこに行ったのかと保健室を見渡す。案の定さっきまで開いていたはずのカーテンが閉まっていた。
「れーくん?」
扉から出ようとするギルに少し待っててくれと手のひらを見せて合図をし、そのカーテンの中を覗いてみた。覗けば布団に身を包めている誰かがいることがわかる。先輩だろう。
「新藤くんどうしたの、カーテンなんか覗いて」
「先輩がここにいます」
「先輩?」
先生が傍に来るから、大きくカーテンを開ける。僕が勢いよく掛け布団をめくれば、先輩が「げっ」と書いたような顔で出迎えた。すぐに「なにしてくれてるんだ」とでも言いたげに僕を睨んでくる。
「あ、またこんなところでサボって」
僕を保健室の常連扱いにしたくせに、先輩のサボりは常連らしいじゃないか。
「こんなところでサボってないで森泉さんも行ってきなさい?」
「チッ……だから、差別すんなよ……」
僕はその一言で、先輩がなにを言いたいのかわかった。先輩の事情を知っているからこそわかるしかなかった。
「差別?」
一部の先生はよくこう言う。男なら姓名の後ろに「くん」。女なら姓名の後ろに「さん」と。
「せんせーはさ、知ってんだろ。俺が男じゃないって」
「そうね。発育測定とかで知るし」
「なんで俺って言ってるのかわかんねぇのか。……俺は男がいいんだ。男になりたいんだ。だからこうして一人称を俺にして、口調も髪型も、男みてぇにして……。なのに、お前も含む教師の呼び方で、俺が男じゃないって完全に否定されてんだ。それがどんだけ苦しいかわかんねぇのか」
僕はわからない。が、なんとなくはわかる。人それぞれ苦しいことはある。先輩の場合、これだ。
「けどそれは、森泉さんのために」
「俺の……ため……? っざけんじゃねぇ。それはお前らのためだろぉ? ちっとも俺のためになってねぇんだよ!」
先輩は静かに涙を流していた。それを袖で拭う。
「……俺は俺が生きたいように生きる。お前らに縛られたくはねぇんだよ!」
「……その気持ち、なんだかわかるな……」
声を聞いた時、グッと後ろから服を掴まれる。いつの間にかいたらしい。僕の背中で頭を埋めている。
「俺は日本人だって思ってるのに、見た目のせいで全部違うって言われて。みんなそれぞれで中身なんて知らないと思うけど、外見だけでなにもかもを決めるのは違うよね。
俺は日本人ってこと否定されたくないから他の人のこと否定しないけど……みんな俺を否定……するから……」
声が止まったと思えば、バランスを崩しそうになるくらい服を引っ張られた。次第に鼻をすする音が聞こえてくる。
ハッとしてギルに顔を向ければ強く抱きしめてきて、それに応えて僕もギルの頭を腕で包んだ。
「……私はあなたの気持ちを完全にわかったとは言わないけど、一度先生方に伝えてみるわ。気持ちを伝えてくれてありがとう。一応、あなたはどう呼んでほしいの?」
「……『くん』か……呼び捨て」
「うん。わかったわ森泉くん」
その言葉に先輩は目に涙を添えて、でも口元は笑わせていた。
「あぁ、なんかすっげぇすっきりしたぁ。久々に授業出てくらぁ」
涙を袖で拭いたら立ち上がって、扉がある僕らのほうへ近づいてくる。そのすれ違い際に、僕の耳元で言われた。
「放下後、屋上なぁ」
顔を振り向かずが、もう先輩はいなかった。
……放課後、屋上か。屋上は入ってはいけないところなんですが。
けど、僕も悪い奴だから何度か入ったことがある。文化祭の準備をサボるときや、どうしても一人でいたい時などに。
放課後なにが話されるのかと考えるが、先生の「英川くんはどうする?」という言葉に今の現状を思いだした。ギルはまだ僕の腕の中で泣いている。
「ギル。授業は受けられそうか」
「…………」
自分の泣き声で聞こえていないのか、返事はない。けど、こんなに泣いていたら泣き終えた時に鼻声だとか目が腫れているとか、少し目立ってしまうだろう。
「ギル。……ギル、聞こえるか」
小さく頷いてくれる。
「少し保健室で休もうか。気持ちが落ち着いたら授業に出ればいい」
「……う、うん」
そう返事してくれてよかった。
先生に目を向ければ優しく頷いてくれる。
「ベッドに行こうか」
「…………」
言っても手を離してくれない。仕方なく僕がバックしながらベッドに向かって、ベッドに足が当たったことを合図にギルと場所を代わった。ゆっくりと座らせるが、座っても手を離してくれず、ギルの後ろに手を付いた。
「英川くん、新藤くんも授業があるからね」
「……構いませんよ」
ギルが泣いて、離してくれないなんてことは過去にも何度かあった。ギルが気が済むまで涙を流して、服を引っ張って、心を落ち着かせたらいい。
「……ぬいぐるみあるけど、使う?」
先生から言われた言葉には強く反応して、パッと顔を上げた。その反応を見た先生が、後ろのぬいぐるみが鎮座している机から、胴くらいの大きさのぬいぐるみを一つ持ってきてギルに渡した。渡されると、僕の背中にあった腕はぬいぐるのみの背中に移動した。
ぬいぐるみに顔を埋めているギルの頭を軽く撫でた。
「……ギルをお願いします」
「任せてくださいな」
「ギル、あとでな」
「うん……」
ギルが僕のことを見ているというわけでもなかったが、もう一度軽く頭を撫でたあと優しく微笑みを作った。




