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宵闇に咲くは、此の一発~江戸最後の花火師、佐江〜  作者: 吉良カンタ


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第二話 十二の玉、七の夜

 夜明け前の蔵は、冷えていた。

 私は桐箱の前に端座して、残り十一発の玉を、ひとつずつ検めていた。玉皮の厚み、重さ、振ったときの音。母に叩き込まれた確認手順。一発でも不良があれば、打ち上げた瞬間に筒ごと吹き飛ぶ。


「――お嬢様、朝餉あさげの仕度が」


宗右衛門の声に、私は顔を上げた。土間の向こうで、白髪の老人が釜の火加減を見ていた。

 昨夜から、宗右衛門は我が家に居着いている。

「爺、飯は自分で炊くから」

「いけませぬ。お嬢様のお役目は、玉を守ることです」

「……玉を守るのと、米を炊くのは両立するだろ」

「恐れながら、お嬢様の炊いた飯は、いつも芯が残ります」


言い返せなかった。

 私は桐箱の蓋を閉じ、朝餉の膳についた。味噌汁の匂いがして、久々に、人が作った飯の味がした。


 •


「で、今夜はどこだい」

箸を置いて、私は絵図を広げた。宗右衛門が赤丸の二番目を指す。隅田川の河原。町人が夕涼みに集まる、人通りの多い場所。


「……人目があるぞ」

「ございます」

「打揚筒、どこに構えるんだ」

「渡し舟の上から」


私は噴き出した。


「舟の上で花火上げるやつがあるか。転覆するぞ」

「玉屋の先々代は、舟の上から大川に水中花を上げておりました。お嬢様に、できぬはずはございますまい」

「……そりゃ先々代の話だろ」

「配合帳の、二十三丁目をご覧ください」


宗右衛門が、私の前に配合帳を置いた。確かに、そこには「舟上打揚法」の項があった。母の声で暗唱したはずなのに、舟の上で打つ段になると、自分の手が震えているのが分かった。



 夕刻。河原へ向かう道で、声をかけられた。


「佐江ちゃん」


振り返ると、魚屋の籠を担いだ弥助が立っていた。幼馴染の、馬鹿正直な男。私は、とっさに打揚筒を布で隠した。


「よう、弥助。商売上がりかい」

「うん。――なあ、その荷物、何だい。えらく長え棒だけど」

「物干し竿。蔵の奥から出してきたんだ」

「ふうん。……佐江ちゃん、最近、夜によく出歩いてるって、近所で噂だぜ」

「……」

「変な男にでも引っかかってんじゃねえだろうな」

「馬鹿。あたしを口説ける男がいたら、顔見てみたいわ」


弥助は、ちょっと笑った。それから、真面目な顔になった。


「昨日の花火、見たかい」

「……見た」

「きれいだったなあ。俺、死んだ親父が花火好きでさ。久々に、あんなのを見たよ」

「そう」

「ありゃあ、どこの花火屋が上げたんだろうな」


私は、答えなかった。


「――気をつけて帰れよ」


弥助の背中が、夕闇に消えていく。私は、布の下の打揚筒を、握り直した。


 •


 渡し舟の上は、想像の十倍、揺れた。

 宗右衛門が艪を握り、私は舟の真ん中で打揚筒を支えた。波が来るたび、筒が傾ぐ。対岸の河原では、町人たちが涼み台で酒を酌み交わしている。その足元に、青白い光が、音もなく湧き始めていた。

 妖火。今宵は、三十ばかり。

 一刻も早く祓わねば、酔った客たちが気づかぬうちに、足元から燃え上がる。


「お嬢様、舟が安定する瞬間は、波と波の間の一呼吸。そこで火縄を」

「分かってる」


私は、桐箱から番号「二」の玉を出した。今夜の玉は、水物――水面に反射して二重に咲く、特殊な配合。

波が一つ来て、引いた。

 ――今。

火縄を点け、筒に込め、空へ放つ。

 ひゅうう、と玉が昇っていく。舟がぐらりと揺れ、私はとっさに艪につかまった。宗右衛門の手が、私の腕を支えていた。

 真上で、玉が割れた。

 ――ぱっ、ぱっ。

空に青の牡丹。そして川面に、もう一つの青の牡丹。水と空で、花が二つ、同時に咲いた。

 対岸の町人たちが、一斉に声を上げた。


「おおお!」

「水中花だ! 水中花が上がったぞ!」

「こりゃあ、玉屋の技じゃねえか!」


私は、その声を背中で聞きながら、下流に流れていた妖火の一群が、青の花弁に吸い寄せられて消えていくのを、じっと見つめていた。


 •


 舟を岸に着けたとき、宗右衛門が、静かに言った。


「お嬢様。よろしゅうございました」

「……まだ十発、残ってる」

「はい」

「爺、」

「なんでございましょう」

「あたしは、弥助に、花火師だって言っちゃだめなんだな」


宗右衛門は、答えなかった。

 代わりに、夜空を見上げた。青の牡丹の残像が、まだ、そこにあった。


「お嬢様。玉屋の花火は、見た者の胸に、その夜のぶんだけ残ります。言わずとも、届くものは、届きます」


私は、うなずいた。

 川向こうで、弥助が、友達と連れ立って涼み台から立ち上がるのが見えた。夜空を指さして、何か笑っていた。

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