第一話 継承の玉
玉屋の看板が落ちたのは、私が七つの春だった。
江戸の町から花火師が消えて、もう十二年になる。幕府が「火工衆」を解体し、花火屋に課された本当の役目――夜な夜な人里に降りてくる〈妖火〉を、光と音で封じ込める仕事――が、御公儀公認の禁忌となってから、そのくらいになる。
残された花火師の一族は、薬も道具もすべて奪われた。残ったのは、代々受け継がれてきた配合帳ひとつ。それを囲炉裏端で読み聞かせる母の声だけが、私の子守唄だった。
その母も、三年前の秋に逝った。
「佐江。今夜、蔵へ行きなさい」
母の遺言だった。十九になった私は、蔵の床下から、固く封をした桐箱を掘り出した。中には、三寸の星尺玉が十二。ただし、玉皮にはそれぞれ、血のような朱で一文字ずつ書き付けてある。
一、二、三……十、十一、十二。
最後の一発にだけ、別の文字が記されていた。
――遺。
「……これが、継承の玉か」
掌に乗せると、意外なほど温かい。中で何かが、拍動のように静かに脈打っていた。母が、私に遺した十二発。玉屋の看板を、もう一度掲げるための十二発。
その晩、町外れの森で〈妖火〉が出た。
青白い鬼火が百、二百と連なって、水田を焼き、百姓家を舐めていく。逃げ遅れた童が泣いている。役人たちは遠巻きに囲むばかりで、誰も前に出ない。花火師のいない世では、あれを鎮める術を、もう誰も知らぬのだ。
私は、背負ってきた打揚筒を地面に突き立てた。桐箱から、番号「一」の玉を取り出す。火縄に、火を点ける。
「玉屋――佐江。ただいま、復位いたします」
筒に玉を込め、空へ放つ。ひゅう、と尾を引いて昇っていった三寸玉が、真上で割れた。
――ぱっ。
夜空に、菊が咲いた。
八重の紅。中心には青の芯。外輪は金を散らして、ぱちぱちと啼く。花弁の一枚一枚が、夜闇を切り裂いて降りてくる。
その刹那、地を這っていた鬼火どもが、いっせいに天を仰いだ。引き寄せられるように、ひとつ残らず、光の菊へと吸い込まれていく。花弁が一枚落ちるごとに、妖火が一匹ずつ、しゅう、と音を立てて消えていく。
百、五十、二十、十、三、一。
森は、再び静寂に包まれた。焼けた稲の匂いだけが、夜風に残った。
川向こうの土手では、夕涼みに出ていた町人たちが、手を叩いていた。
「おう、いい玉だ」
「どこの花火屋でぇ、今どき」
「死んだ親父が言ってたぜ。玉屋の玉は、見てるこっちの胸まで開くってな」
彼らは知らない。今、自分たちの命が、三寸の玉ひとつに救われたことを。知らなくていい、と私は思う。花火師の仕事とは、そういうものだ。
打揚筒を担ぎ直して、踵を返そうとした、その時――
「お見事」
背後から、しわがれた声がした。振り返ると、白髪の老人が立っていた。黒い羽織の胸元に、幕府火工方の紋。
……まずい。
取り締まりに来た役人なら、この場で玉は没収、私は打ち首。廃業された花火屋が勝手に玉を上げることは、御公儀の禁忌に触れる。
私は身構えた。桐箱を抱え、逃げる算段を瞬時に組み立てる。しかし老人は、ゆっくりと頭を下げた。
「――宗右衛門と申します。かつて、お母上に仕えた者でございます」
母に、仕えた?
混乱する私に、老人は一枚の絵図を差し出した。江戸の町絵図。赤い印が、十二箇所。
「妖火は、向こう十二夜、連続で出ます。場所はここに記しました。今宵のが、一日目」
老人の指が、絵図の端を示す。そこに書かれていたのは、町で一番大きな神社の名前。
「十二日目――町の大祭の夜。本殿に、〈親玉〉が降りてまいります。それまでに十一の妖火を祓い、最後に親玉を封じねば、江戸の町は火の海と化します」
私は、桐箱の中を見た。一発、使った。残りは、十一。
そして最後の一発には、「遺」の文字。
「お嬢様」宗右衛門が、静かに言った。
「お母上は、この日のために十二発を遺されました。一夜に一発。過たず、欠けず、打ち上げる。できますか」
私は、夜空を見上げた。紅の菊の残像が、まだ目の奥に焼きついていた。
「……玉屋・佐江、承りました」
打揚筒を担ぎ直し、私は夜の町へと歩き出した。
桐箱の中で、十一発の玉が、こつり、と鳴った。




