第66話 平和な一ヶ月と、死んだコレクター
中国の李天明国家主席が世界に向けて放った「仙人宣言」、そしてアメリカのキャサリン・ヘイズ大統領が対中制裁の即時解除とともに宣言した「無制限入札」。
人類の文明史が根底から覆るような、あの狂乱の会見の連続から、さらに一ヶ月の月日が流れた。
世界は、完全な平和を取り戻したわけではなかった。
しかし、誰もが覚悟した「第三次世界大戦」や「文明の即死」という最悪のシナリオへ突入することもなかった。
極限状態まで引き絞られていた世界のテンションは、ここに来て、互いが牽制し合うことで生まれる【奇妙な均衡】へと着地しつつあったのだ。
世界は大きく、五つの極に分かれていた。
アメリカ。
ヘイズ大統領の「無制限入札」と、セレスティアル・ウォッチによるアンデスの小箱の解析を軸に、地球外テクノロジーの情報、現物、理論を世界中から資本の暴力で買い集めている。表向きは自由と市場経済の旗手として振る舞いながら、裏では地球規模の監視網とインテリジェンスを張り巡らせていた。
ロシア。
ウクライナ戦線からの一方的な強制撤退という痛みを伴う損切りを行い、莫大な資源をサイボーグ兵の量産へと全振りした。表面上は静まり返っているが、誰もが彼らが「次の戦争(五年後の中国侵攻)」のための牙を研いでいることを知っている。
中国。
仙人・太乙の弟子となった李天明ら四十六人を中枢に据え、精神的覇権国家として我が道を行く。不老無病の恩恵を「殺せば移る」と公言したことで、北京は世界中の暗殺者が群がる世界一危険な都市となり、同時にそれを跳ね除ける世界一硬い要塞と化していた。
EUおよびヘルメス協会。
ウクライナの戦後復興を名目に、インフラ企業と「導師」を大量に派遣。人道、復興支援、そして宗教的信仰を一体化させ、独自の精神主義文明圏の足場固めを虎視眈々と進めている。
そして、日本。
与那国島の「ガイアズ・ドリーム」という治癒AIを見せ札として世界に切り、最も危険な「出雲」を完全に沈黙させた。世界からは「医療と環境系の地球外テクノロジー保有国」として一目置かれると同時に、虎視眈々と狙われる特異なポジションを確立していた。
世界は崩壊していない。
だが、以前の世界には、もう二度と戻っていなかった。
「……また今日のトップニュースも、アーティファクト関連ですか」
首相官邸地下。既存技術外事象評価セルの会議室。
壁面に並ぶマルチモニターの一つを眺めながら、若手の官僚が呆れたような、疲労の入り混じった声を漏らした。
画面の中では、朝のニュース番組のキャスターが、極めて真面目な顔で原稿を読み上げている。
『続いてのニュースです。昨日未明、北京郊外において、身元不明の武装集団が中国の治安部隊によって拘束されました。当局はテロ未遂事件として捜査を進めていますが、不老無病の恩恵を狙った暗殺未遂の可能性が高いと見られています。……一方、アメリカ国務省は昨日、地球外テクノロジーの情報提供を促す特設窓口の予算枠をさらに三〇パーセント拡充すると発表しました。では、次はお天気です――』
「この一ヶ月で、ニュース番組の構成が完全におかしくなりましたね」
別の官僚が、温くなったコーヒーを啜りながら同意した。
「スーパーの野菜の値段、明日の天気、プロ野球の試合結果、そしてアーティファクトの強奪未遂事件……。全部が同じ温度感で、同じ番組の枠の中で並んで報道されている。狂っていますよ」
「人間という生き物は、異常が長く続けば、それを『日常』に組み込んでしまうものです」
沖田室長が、手元の資料から目を離さずに淡々と答えた。
「毎日『世界が終わるかもしれない』と恐怖し続けるには、人間の精神はキャパシティが足りない。だから、脳が勝手に麻痺して、異常な出来事も『いつもの厄介なニュース』として消費し始めているだけのことです」
世界経済が復旧し、物流が戻り、コンビニの棚に弁当が並ぶようになった。
その「普通の生活」が保証された瞬間、大衆の関心は「生存」から「好奇心」へとシフトしていた。
今、ネットや世間を最も賑わせているのは、過去の不可思議な事件の【再解釈】だった。
数十年前の未解決の集団失踪事件。
特定の地域で語り継がれる宗教的な奇跡。
原因不明の海難事故や山岳遭難。
そして、世界中の博物館や旧家の蔵に眠る怪しい美術品、呪物、秘宝の伝説。
『これ、今の視点で見ると完全にアーティファクト絡みじゃね?』
『昔はただのオカルト扱いだったけど、中国が仙人になる世界なら普通にあり得る』
『あの有名な神隠し事件も、地球外テクノロジーの転送システムに巻き込まれたって考えれば辻褄が合う』
オカルト界隈のみならず、一般層までが探偵気取りで過去の歴史を掘り返し始めていた。
街の古本屋からは「月刊ムー」のバックナンバーやオカルト関連書籍が完全に姿を消し、動画配信サイトでは昔のUFO特番や怪奇事件のドキュメンタリーが連日ランキングの上位を独占している。
ここ官邸地下の特別会議室も、一ヶ月前に比べれば、その張り詰めた空気はほんの少しだけ緩んでいた。
矢崎総理の決断によって、日本は即死の危機を脱し、「出雲」と「与那国」という札の切り方を確定させた。すぐに他国から弾道ミサイルが飛んでくるような切迫した事態には陥っていない。
だが、彼らが完全に安心しているわけではなかった。
むしろ、目に見えない水面下での情報戦と探索競争の泥沼に、足首まで浸かっている状態だ。
「……で、そのオカルトブームの火付け役が、また出ているわけね」
矢崎総理が、呆れたように小さく溜息をつき、壁面の別のモニターを指差した。
モニターに映し出されているのは、民放の朝のワイドショー番組。
そこに、コメンテーターとして堂々と座り、フリップを指し棒で叩きながら熱弁を振るっているのは、他でもない――よれよれのスーツを着た男、月刊ムーの三神編集長だった。
『この前、某国の博物館で展示されているクリスタル・スカルの話題が出ましたが』
画面の中の三神は、実に楽しそうに笑っている。
『実はですね、あれはただのオーパーツではなく、内部の構造がピーーーー』
突然、甲高い放送禁止の自主規制音が被せられた。
『おっと、失礼。これはまだ地上波では放送できませんか。ハハハハ!』
三神がわざとらしく口元を押さえ、スタジオの司会者やタレントたちが「ええっ!? 何ですか今の!」「ちょっと編集長、怖いですよ!」と大仰にリアクションを取る。
「……またテレビ出てますね、あの人」
情報機関の幹部が、こめかみを押さえて呻いた。
「この前も、深夜のオカルト特番で『クリスタル・スカルの正体は……』って言いかけて、見事に規制音で隠されていましたよ。何を言おうとしたんでしょうね」
「知りたくないような、知りたいような……」
さらに、若手官僚が別のタブレットを操作し、メインモニターの一角にYouTubeの映像を投影した。
タイトルは、【神回】月刊ムー・三神編集長が語る! 中国仙人46人の現在は!?
切り抜き動画の中で、三神は人気YouTuberのインタビューに答えていた。
『中国の四十六人ですか? ああ、彼らは今、必死で修行中でしょうね』
三神は、さも見てきたかのように断言する。
『仙人の恩恵というのは、手に入れた力をそのまま振り回せばいいという便利な代物じゃありませんから。己の精神を宇宙の波長に合わせるための、地獄のような研鑽が必要なんですよ』
『へえー! 編集長、なんでそんな内情まで分かるんですか?』
YouTuberが身を乗り出して聞く。
三神は、ニヤリと不敵に笑った。
『いやあ。……創世神話に書かれていることは、だいたい【事実】ですからね』
動画の中では「さすが編集長!」と笑いが起きていた。
しかし、官邸地下の会議室でその動画を見ている政府高官たちの中に、笑っている者は一人もいなかった。
「……『創世神話は事実です』って、断言してましたね」
外務省の幹部が、引き攣った顔で言った。
「どこで仕入れたんでしょうか、そんなトップシークレットのインテリジェンス」
「嘘か本当か分からないのが、一番困るんですよ」
防衛省の幹部も頭を抱える。
「いや、あの人の場合、出雲の深淵にまで平気で顔を突っ込む男だ。本当に知っていそうなのが、もっと困る」
情報機関の幹部が、深くため息をついた。
「三神編集長が、現在進行形で何を知っていて、何を知らないのか。……正直、我々内調でも全く判別できません」
「国内のオカルト番組で消費されているうちはまだしも、最近では彼の発言が海外のネットメディアや、果ては一部のインテリジェンス機関の分析レポートにまで引用され始めています」
外務幹部が顔をしかめる。
「彼の不用意な言葉一つで、変な国の情報機関が動いて、日本に工作員を送り込んでくる可能性があるんです」
「その一方で」
経産省の幹部が、別の視点を提示する。
「彼が『月刊ムーの編集長』というオカルト枠で、冗談めかして喋り続けているからこそ、かえって真実が『煙幕化(エンタメ化)』されて、情報の出所がうやむやになっているという防諜上のメリットがあるのも事実です」
「つまり」
沖田室長が、冷徹に総括した。
「極めて役に立つが、完全に制御不能。……劇薬ですね」
「一番困るタイプね」
矢崎総理は、皮肉げに笑った。
「あの人、そんなに詳しいなら、テレビで喋る前に我々に教えてほしいんですがね」
若手官僚の一人が、ボヤくように言った。
「せめて、国内にまだ眠っている『危険なアーティファクト』の場所だけでも……」
「そう言ったら、彼に何て返されたと思いますか?」
沖田が、少しだけ疲れた顔で言った。
「『私ばかり頼りにされても困りますよ。国家の安全保障は、皆さんの仕事でしょう?』……と、笑われました」
「確かにその通りなんだけど……」
総理は苦笑した。
会議室に、何とも言えない沈黙が落ちる。
全員が、同じことを思っていた。
『よくない。一介のオカルト雑誌編集長に、国家のインテリジェンスが依存しすぎるのは、絶対によくない』
だが、今のところ、日本政府側には三神以上にこの「既存技術外事象」という狂った分野に精通し、深淵を覗き込める人材が存在しないのだ。
その情けなさが、官僚たちの心をチクチクと刺していた。
日本政府も、決して遊んでいたわけではない。
この一ヶ月間、アメリカの無制限入札に対抗するため、そして何より自国の防衛のために、国内における「アーティファクトの探索」を、極秘裏かつ大規模に進めてきた。
対象は、全国の古い神社仏閣、旧家の蔵、博物館の非公開収蔵品、手付かずの海底地形、山岳の封鎖地域、古代の古墳群。さらには、財閥や旧華族の残した収集品、民間のオカルトコレクターの資産、過去に不可解な死亡事故や失踪事件が起きた場所まで、徹底的に洗い直した。
しかし。
明確な成果は、何一つ出ていない。
「……偽物と、誤認の数が多すぎます」
科学技術担当の幹部が、分厚い報告書を机に叩きつけるように置いた。
「全国の自治体や警察経由で『これがアーティファクトではないか』と持ち込まれる物品の九割九分は、ただの古びた骨董品か、あるいは便乗した詐欺案件です。我々の解析リソースが、ガラクタの鑑定に浪費されています」
「残りの一厘が怖いんだ」
防衛幹部が反論する。
「もし万が一、本物が市中に紛れていて、それが起動でもしたら大惨事になる。確認しないわけにはいかない」
「しかし、出雲と与那国に匹敵するような『本物』の反応は、いまだゼロです。……三神編集長が国内を放置してテレビに出演しているということは、国内にはすぐに危険なアーティファクトは存在しない、と思いたいところですが」
「彼が“本当にヤバいもの”を見逃すとは、私には思えません」
沖田が静かに言う。「ヤバければ、我々に警告くらいはするはずだ」
「でも、それを『国家の安全保障の判断基準』にしていいのかしらね」
矢崎総理のその一言に、全員が再び沈黙した。
まさにその、気まずい沈黙のタイミングだった。
ガチャッ、と。
会議室の重厚な防音扉が、ノックもなしに開いた。
「どうもどうも。お疲れ様です」
まるで近所のコンビニにでもやって来たかのような軽い足取りで、噂の主――三神編集長が、いつものよれよれのスーツ姿で会議室に入ってきた。
会議室の全員が、先ほどまで彼を話題にしていたバツの悪さも手伝って、一斉に少しだけ気まずい顔になった。
三神は、そんな彼らの空気に気づいているのかいないのか、ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべて、空いている椅子に腰を下ろした。
「三神編集長。……お忙しそうで何よりね」
矢崎総理が、皮肉を込めて言った。
「ええ、おかげさまで。最近はテレビ局から引っ張りだこですよ」
三神は、悪びれる様子もなく答えた。
「中国が仙人になったり、アメリカが宇宙人の機械を買い取ると宣言したりして、オカルトや地球外テクノロジーが『事実』だと世界中に知れ渡りましたからね。……みんな、正体不明の不安を埋めるための『情報』に飢えているんでしょう。オカルト誌の編集長としては、まさに書き入れ時です」
「YouTubeにも、ずいぶんご熱心に出演されていましたね」
沖田室長が、チクリと刺す。
「いやあ、あれはあくまで『都市伝説』として、面白おかしく語っているだけですよ。エンターテインメントです」
三神は、手のひらをヒラヒラと振った。
(嘘だろ)
会議室の空気が、完全に一つになった。
「……クリスタル・スカルの件で、放送禁止のピー音が入っていましたが」
情報担当の幹部が、探るように聞いた。
「ああ、あれですか」
三神は肩をすくめた。
「いやあ、さすがに地上波の朝の番組で言うには、少し刺激が強すぎたみたいでしてね。テレビ局の自主規制ってやつですよ」
「……本物なんですか? あれは」
防衛幹部が、身を乗り出す。
「さて。都市伝説ですから」
三神は、はぐらかすように笑った。
「中国の四十六人が、必死に修行中だという話は?」
総理が問う。
「それも、都市伝説の類です」
「……『創世神話は事実だ』と、断言されていましたが」
沖田が、鋭い視線を向ける。
「比喩表現ですよ。神話に隠されたメタファーの面白さについて語っただけです」
三神は、どこまでも飄々としている。
(絶対に、比喩じゃない)
会議室の全員が、確信を持った。この男は、真実をエンタメのオブラートに包んで世界にばら撒いているのだ。
「……冗談はともかく、三神編集長」
矢崎総理は、これ以上の探り合いは無駄だと悟り、話を本題へと引き戻した。
「この一ヶ月、日本政府としても、国内外のアーティファクト探索を国策として進めています。……でも、見つからないの」
総理は、素直に現状の行き詰まりを吐露した。
「怪しい報告は山ほどある。詐欺やガラクタはいくらでも出てくる。けれど、国家の切り札となるような『本物』の影すら掴めない。
……出雲と与那国は、かつてない幸運(あるいは呪い)だったとして。次に我々は、どこを、どう探すべきなのか。正直に言って、手詰まりです」
総理のその真摯な相談に対し。
三神は、ふっと笑みを収め、少しだけ真面目な、しかしどこか冷めた顔になった。
「まあ、そうでしょうね」
「……そうでしょうね、なんですか?」
総理が聞き返す。
「そう簡単に、山の中や海底を掘り起こして見つかると思わない方がいいですよ、ということです」
三神は、テーブルの上で両手の指を組み合わせた。
「アーティファクトというものは……必ずしも、人里離れた古代遺跡や、誰も知らない神域の奥深くに眠っているとは限りません。
……むしろ、近代以降に発見された『本物』の多くは、現在、ある特定の人間たちの手によって管理されていることが多いんです」
「特定の人間?」
総理が眉をひそめる。
「ええ」
三神の瞳の奥が、鋭く光った。
「【コレクター】ですよ」
「……コレクター」
「そうです。富豪、歴史ある貴族、裏社会の骨董商、秘密結社、歴史の長い大学の非公開収蔵庫、あるいは巨大な財団の地下倉庫。そういった場所です」
三神は、淡々と世界の裏側の構造を語り始めた。
「彼らは、それが地球外テクノロジーであると正確に理解していなくとも……『作られた意味は全く分からないが、とにかく異常な力を持つ物』として、何百年も前から、代々コレクションとして秘匿し続けているケースがあるんです」
三神の言葉に、情報機関の幹部が反応した。
「……つまり、国家が管理しているのではなく、民間の個人や組織が保有しているケースが多いと?」
「はい。特に、歴史の古いヨーロッパは、そういった『曰く付きのコレクション』の宝庫です」
三神は頷く。
「本人は、ただの呪われた美術品だと思っていて、それがアーティファクトだと気づいていないこともある。……逆に、本物だと完全に理解した上で、自らの権力のために意図的に隠し持っている者もいます」
「古い貴族、旧家、財団、宗教組織……」
外務担当が、ヨーロッパの複雑な権力図を思い浮かべながら呻いた。
「ええ。表に出ていないだけで、世界中にはかなりの数が眠っています。アメリカの『無制限入札』は、まさにそういったコレクターたちから、金に物を言わせて現物を吐き出させるための強硬手段なんですよ」
三神は、一拍置き。
この会議室の空気を、日常から一気に「次なる危機」へと引き摺り込む、一つの名前を口にした。
「そうだ。コレクターといえば……イギリスに、有名な地球外テクノロジーのコレクターがいます」
三神の声が、わずかに低くなる。
「【アシュワース卿】」
その名前が出た瞬間、情報担当幹部の指が素早くタブレットの上を走り、即座に検索結果をメインモニターに投影した。
「……第十一代アシュワース伯爵、アーサー・アシュワース。イギリスの古い貴族であり、莫大な資産を持つ慈善家。表向きは、古美術品と稀覯本の収集家として知られていますが……」
「ええ、表向きはね」
三神は、モニターに映し出された初老の英国紳士の写真を指差した。
「ですが、裏の世界では……地球外テクノロジー、あるいは既存技術外アーティファクトのコレクターとして、非常に有名な人物でした」
「有名……」
沖田が、鋭い視線を向ける。
「それは、どの界隈でですか?」
「知っている人間たちの間で、です」
三神は、平然と答えた。
「嫌な言い方ですね」
総理が、ため息をつく。「あなたも、その『知っている人間』の一人なのでしょう?」
「ええ。何度か、彼のご自慢のコレクションを取材させてもらったことがあります」
三神は、懐かしむように目を細めた。
「面白い方でしたよ。英国貴族らしい上品な教養と、未知のものに対する子どものような好奇心が、見事に同居していた。彼自身は、争い事や権力を好むタイプではなかった」
三神は、ふっと言葉を切り。
そして、極めて断定的な口調で言った。
「ただ……あの方のコレクションの中には、間違いなく【本物】がありました」
「……ッ」
会議室の空気が、一瞬で変わった。
これまでの「都市伝説」の軽口から、完全に「国家安全保障に関わる重大インテリジェンス」へと、三神の言葉の重みが切り替わったのだ。
「断言するんですね」
沖田が、身を乗り出す。
「ええ。本物を持っていました」
三神は、一切の躊躇なく頷いた。
「……何を持っていたんですか?」
総理が、単刀直入に問う。
「いくつかありますが……詳しくは、まだ言えません」
三神は、ふらりとはぐらかした。
「またそれですか」
沖田が、苛立ちを隠せずに顔をしかめる。
「いや、今回は意地悪で隠しているわけじゃありません。私も、彼のコレクションの『全貌』をすべて知っているわけではないんですよ」
三神は、肩をすくめた。
「彼が一番奥に隠していた『最高の品』は、ついに見せてもらえませんでしたからね」
「……そのアシュワース卿が、何か?」
外務担当が、話の核心を急かす。
「ええ」
三神は、表情から一切の笑みを消して、言った。
「そのアシュワース卿ですが。……亡くなったらしいんですよ」
「……亡くなった?」
総理が、眉を寄せる。
情報担当が、慌ててタブレットを叩く。
「お待ちください。イギリスの大手メディアにも、政府の公報にも、アシュワース伯爵の訃報など一切出ていません! 死亡確認は取れていませんよ!」
「ええ。正確には【失踪】です」
三神は、静かに答えた。
「彼がいつ、どこで消えたのか、誰も知らない。……ですが、本人が生前に、自らの弁護士と財団の遺言管理人に対して、ある奇妙な『条件』を指定していたようでしてね」
三神の言葉に、会議室が静まり返る。
「『もし、自分から一定の期日までに連絡が途絶えた場合は……自分は死んだものとして扱い、法的な手続きを進めてほしい』。
……そういう取り決めを、残していたらしいんです」
「……つまり、自分が失踪する(あるいは殺される)危険を、事前に予期していたということですか」
外務担当が、血の気を引いた顔で呟いた。
「でしょうね」
三神は同意する。
「今の世界情勢で、本物のアーティファクトを抱え込んでいる個人なんて、極上のステーキ肉を首から下げてライオンの檻を散歩しているようなものですから」
「殺されたか、あるいはコレクションごと攫われた可能性は?」
防衛幹部が、最悪の事態を想定して問う。
「十分にあります」
「誰に?」
「さて」
三神は、皮肉な笑みを浮かべた。
「今の狂った世界では、候補が多すぎますよ」
会議室の面々の脳裏に、世界中のプレイヤーたちの顔が次々と浮かび上がった。
アメリカ。
無制限入札を始めた彼らは、金で買えないと分かれば、裏の特殊部隊を使って実力行使に出てもおかしくない。
ロシア。
サイボーグ軍団の再建のために、どんな手段を使ってでも新たなアーティファクトの力を欲している。英国貴族のコレクションなら、彼らの標的として十分すぎる価値がある。
中国。
仙人化したとはいえ、他の文明が強力な手札を持つことを警戒している。自国の不老無病という恩恵を守り抜くためにも、未知の技術は全て手中に収めたいはずだ。
EUおよびヘルメス協会。
イギリスとはブレグジット以降、微妙な距離感にあるが、もしコレクションの中に『精神主義系』のアーティファクトが含まれているとすれば、彼らも絶対に動く。
さらには、各国の富豪、民間軍事会社、狂信的な宗教団体、そして裏社会のアーティファクト・ブローカー。
あるいは、アシュワース卿自身が、何らかの目的のために自らの失踪を偽装した可能性すら捨てきれない。
「……この一ヶ月、世界はなんとなく『均衡』しているように見えました」
三神は、静まり返った円卓を見回して、ゆっくりと言った。
「でも、均衡とは、火種が消えて平和になった状態ではありません。
……火種が、全員の足元に均等にばらまかれ、誰も身動きが取れなくなっていただけの状態です」
その、絶妙なバランスの上に成り立っていた薄氷の平和。
「ともかく、彼が指定した期日が過ぎ、彼が『法的に死亡した』と見なされたことで。……【遺言】が残されているそうです」
「遺言?」
総理が、身を乗り出す。
「ええ。……一週間後に、公開されます」
三神の目が、細められる。
「それも、ただの莫大な資産や不動産の分配という、普通の遺産相続の話ではない。
……どうも、彼の隠し持っていた『コレクション(アーティファクト)』の処遇に関するものらしい」
一週間後。アーティファクトの遺言公開。
その言葉が持つ破壊力に、会議室の空気が完全に凍りついた。
「……公開、というのは」
情報担当の幹部が、震える声で確認する。
「誰に対してですか? 親族ですか? それとも財団の理事向けに、極秘にですか?」
「そこが、最大の問題なんですよ」
三神は、楽しそうに、しかし極めて不吉な響きを含んで言った。
「限定公開なのか。それとも……全世界に向けた、公開なのか。現時点では、私にも分かりません」
「三神編集長」
矢崎総理は、立ち上がり、三神を真っ直ぐに睨みつけた。
「あなたは……その遺言に、何が書かれていると予測していますか?」
三神は、ふっ、と笑った。
それは、長年オカルトと世界の裏側を追い続けてきた男の、極上のミステリーに出会った時のような、純粋な歓喜の笑みだった。
「……平和なのは、今日で終わりかもしれませんね」
その言葉に、総理は即座に大統領にも劣らない冷徹な決断を下した。
「外務省! 直ちに英国政府と非公式接触を開始しなさい! アシュワース卿の失踪の事実確認が最優先よ!」
「情報機関は、彼の失踪前後の経緯を洗い出しなさい。英国の弁護士事務所、財団、遺言管理人の特定! アシュワース邸、非公開の収蔵庫、財団施設のすべての位置を地図に落とし込んで!」
「防衛省! アメリカ、EU、中国、ロシアの情報機関および特殊部隊の動向を監視! 一週間後に向けて、世界中がロンドンに集結する可能性があるわ!」
官僚たちが、一斉に弾かれたように動き出し、静かだった会議室が再び「戦場」の喧騒へと包まれていく。
「三神編集長」
沖田室長が、混乱する会議室の中で、三神に詰め寄った。
「あなたが過去にアシュワース卿に取材した時の記録……可能な範囲で構いません。直ちに提出してもらえますか」
「私の取材ノートですか?」
三神は、困ったように頭を掻いた。
「いやあ、私にもオカルト雑誌の編集者としての『情報源の秘匿義務』というものがありましてね」
「国家存亡級の話です。出し惜しみしている場合ではない」
矢崎総理が、厳しい声で釘を刺す。
「困りましたねえ」
三神は、どこ吹く風で笑う。
「困っているのは、こちらです」
沖田が、本気で睨みつける。
少しだけコミカルな、しかし極限の緊張感を孕んだやり取り。
だが、事態は確実に、破滅的な方向へと転がり始めていた。
会議室の壁面モニターでは、まだ朝のワイドショーの録画が停止したまま映し出されている。
画面の中で「クリスタル・スカル」について楽しそうに語り、笑っている三神。
そして今、現実の会議室で、世界の火薬庫の導火線に火をつけながら、飄々と笑っている三神。
だが、会議室の空気は、もう一ミリも緩くはなかった。
「……この一ヶ月、本当に平和だったわね」
矢崎総理は、慌ただしく動き回る官僚たちを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「はい」
沖田が、短く同意する。
「でも、どうやら……終わりそうね」
「ええ。たぶん」
三神は、スーツのポケットに手を入れたまま、モニターの向こうの世界地図を見つめて、静かに言った。
「アシュワース卿の遺言は……今まで息を潜めていた、世界中のコレクターたちを完全に目覚めさせます。
……国家が血眼になってアーティファクトを探す時代から。
個人が隠し持っていたアーティファクトが、国家を動かし、世界を破壊する時代へと……ルールが変わるかもしれません」
平和な一ヶ月は、ただの巨大な嵐の目に過ぎなかった。
そして、世界を巻き込む次の嵐は、国家の宣言からではなく、一人の死んだコレクターの遺言から、静かに、そして確実に始まろうとしていた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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