第46話 最後の一線の向こう側
ワシントンD.C.、ホワイトハウス地下。
大統領の緊急指揮所であるシチュエーション・ルーム(状況室)は、かつてないほどの異様で張り詰めた空気に包まれていた。
「……セレスティアル・ウォッチから、緊急会議の要請です」
国家安全保障担当補佐官が、キャサリン・ヘイズ大統領の耳元で、極めて硬い声で囁いた。
「最優先、即時、かつ対面および閉鎖回線での指定です。……すでに、アルファ司令官とドクター・ケンドールが、こちらに向かっています」
「……嫌な予感しかしないわね」
キャサリンは、手元のコーヒーカップを置き、重い溜息をついた。
最近のアメリカ政府とセレスティアル・ウォッチの定例会議は、日本の「出雲」や「与那国」、そして欧州の「ヘルメス協会」といった、世界を揺るがす地球外遺産の対応(綱渡り)に終始していた。
だが、彼らセレスティアル・ウォッチの側から、それも事前の根回しを一切飛ばして「今すぐに対面で会議を」と要求してくることは、極めて異例の事態だった。
数十分後。
状況室には、国防長官、統合参謀本部の制服組トップ、CIA(中央情報局)長官、NSA(国家安全保障局)長官、さらには財務長官や商務長官といった、アメリカ合衆国の軍事・情報・経済の中枢を担うトップたちが、急遽召集され、円卓を囲んでいた。
彼らは皆、最近の立て続けに起きる地球外案件に、良くも悪くも「慣れ」始めていたはずだった。
(また、日本が何か隠し事をしていたのか)
(あるいは、欧州のヘルメス協会が新たな動きを見せたのか)
誰もが、ある程度の予測と「諦め」を持って、その緊急会議の席についていた。
だが。
重い防爆扉が開き、入室してきた二人の男の姿を見た瞬間。
その場にいた全員が、「今回は、今までとはレベルの違う何かが起きた」と、本能的に悟らざるを得なかった。
「……アルファ?」
国防長官が、思わず眉をひそめて声をかけた。
セレスティアル・ウォッチの作戦司令官、オブザーバー・アルファ。常に完璧な身なりと、氷のように冷徹な表情を崩さなかったあの男が。
今日に限っては、明らかに【やつれて】いたのだ。
目の下には深い隈が刻まれ、顔色は土気色。まるで、数日間一睡もせずに極限のプレッシャーに晒され続けたか、あるいは致死量の毒を直接胃袋に流し込まれた直後のような、痛々しい姿だった。
「ケンドール博士まで、そんな顔をするのね」
キャサリンも、アルファの後ろに続く男の様子を見て、息を呑んだ。
常に「未知のテクノロジーを我が手に」と、軍人たち以上にイケイケの狂信的な科学者だったケンドールが。今日は完全に肩を落とし、幽鬼のように沈み込んだ、絶望的な瞳で床を見つめていた。
まだ、彼らは一言も発していない。
だが、それだけで、状況室の空気は完全に凍りついた。
「アルファ。……大丈夫なの?」
キャサリンは、思わず大統領としての建前を忘れ、彼の異常な顔色を気遣って声をかけた。
「……私の体調など、どうでもいいことです、大統領」
アルファは、キャサリンの気遣いを冷たく(だが、どこか苛立たしげに)無視し、ふらつく足取りで自分の席へと着いた。
「警戒すべき情報が入った」
アルファは、着席するや否や、挨拶も前置きもすべて切り捨てて、単刀直入に本題を切り出した。
「深部の情報網から得た、極めて確度の高いインテリジェンスだ。……事態の深刻さに鑑み、直ちに合衆国政府の中枢と共有すべきと判断し、この場を設けさせてもらった」
スパイからの情報。
アルファは、サイト・アオのティアナからの直接の『通達(お告げ)』であることを完全に伏せ、あくまでアメリカの情報網がキャッチした諜報であると偽装した。
「……何が起きたというんだ?」
統合参謀本部の議長が、ゴクリと唾を飲みながら先を促した。
アルファは、血走った目で円卓の面々を見回し、ゆっくりと、その重すぎる事実を口にした。
「ロシアが……【地球外テクノロジー(アーティファクト)】を手に入れた」
ピタリ、と。
状況室の時間が、停止した。
「……ロ、ロシアが!?」
数秒の完全な空白の後。CIA長官が、信じられないというように裏返った声を上げた。
「馬鹿な! 我々の衛星監視網は、シベリアからモスクワにかけての不審な動きを常に……いや」
「……確かに」
NSA長官が、顔面を蒼白にしながら、過去のインテリジェンスの断片を繋ぎ合わせ始めた。
「ウラジーミル・ボグダノフ大統領が、我々がアポロンの矢の情報を掴んだ後から、軍直轄の古代遺物探索部隊に異常な予算を突っ込み、シベリアの永久凍土を死に物狂いで掘り返させていたことは把握している。……欧州の異変や、日本の出雲・与那国の件を見て、彼らが狂ったように焦燥していたのも事実だ。……だが、実際に『本物』を引き当てたというのか!?」
それは、「ゼロからの飛躍」というより、「最悪の予感の現実化」だった。
アメリカ、欧州、日本。世界中の主要プレイヤーが次々とジョーカーを引き当てていく中、あの最も危険で野心的な軍事大国・ロシアだけが、いつまでも大人しくハズレを引き続けている保証など、どこにもなかったのだから。
「アルファ。……それは、確定なの?」
キャサリンは、震える両手を机の下で強く握り締め、大統領としての当然の【確認】を行った。
「彼らが、我々アメリカを牽制し、動揺させるために流した『欺瞞作戦』、あるいは情報攪乱の可能性は?」
アルファは、キャサリンのその一縷の望みを、冷酷な二文字で完全に断ち切った。
「確定です」
一切の迷いもない、即答。
その断定の重みが、状況室の空気を、ただの驚きから、底知れぬ【絶望】へと引きずり落とした。アルファがこれほど断言するということは、もはや「もし本当なら」という仮定の議論は意味を持たない。「どう対処するか」という、実戦のフェーズに移行したことを意味していた。
「……ケンドール博士」
アルファは、隣で俯いている科学者に視線を送った。
「得られたインテリジェンスに基づく、その遺物の『スペック(正体)』の解説を」
「……はい」
ケンドールは、重い足取りで立ち上がり、手元のタブレットから、メインスクリーンにテキストベースの推定データを表示させた。
彼自身の目には、かつての「未知の技術への狂信」は微塵もなく、純粋な科学者としての【恐怖】だけが色濃く浮かんでいた。
「得られた情報によれば……ロシアがシベリアから発掘し、モスクワの地下で目覚めさせたそのロボットの正体は、異星の『汎用軍事医療支援ユニット』です」
「……医療、ロボット?」
国防長官が、少しだけ拍子抜けしたように眉をひそめた。「大量破壊兵器ではなく、ただの野戦病院の代わりか?」
「単なる『治療機』ではありません、長官」
ケンドールは、血の気のない顔で首を横に振った。
「その機械は、兵士の肉体を細胞レベルで解析し、その場で未知の生体素材を用いた『代替部品』を出力し、接続する。……つまり、生身の兵士を、自我と記憶を完全に保ったまま、【サイボーグ化(能力最適化)】し、戦場における運動能力、耐久力、反応速度、あらゆる環境適応能力を、人類の限界を遥かに超えて飛躍的に引き上げる代物です」
サイボーグ兵士。
そのSF映画のような単語が、現実の安全保障会議のテーブルに叩きつけられた。
「……具体的に、どれほどの戦闘力(脅威)になる?」
統合参謀議長が、軍人としての実務的な視点で、その「強さ」を問い質した。
「得た情報が、事実通りであるならば――」
ケンドールは、一呼吸置き、アメリカ合衆国政府の心臓に、最も致命的で、絶望的な予測を突きつけた。
「そのサイボーグ兵士で『大隊(数百人規模)』を組み、直接投入された場合。……ワシントンD.C.は、数時間で【陥落(制圧)】します」
「なっ……!?」
「馬鹿な! たった数百人の歩兵で、世界最強のアメリカ軍が守る首都を、数時間で落とせるわけが……!」
将官たちが、一斉に立ち上がり、激しく反発した。
「誇張ではありません!」
ケンドールは、声を荒げて彼らの常識をへし折った。
「いいですか。人間のサイズでありながら、戦車十両以上の装甲(耐久力)と破壊力を持ち、戦闘機に匹敵する反応速度と機動力を保持しているバケモノだと認識してください!
彼らがその気になれば、通常のライフルを持った我々の歩兵が【三百人】いようと……彼らは反応すらできず、わずか『一〇〇秒程度』で一方的に【虐殺】される計算になります」
「一〇〇秒……だと……?」
「対戦車ミサイルも、戦闘機の精密爆撃も、人間サイズで時速数百キロで不規則に動き回る(建物に潜り込む)相手には、まともに有効打を与えられません! さらに、未知の装甲と最適化された内臓器官により、毒ガスや生物兵器、極限の環境(熱や寒さ)による消耗攻撃も、ほとんど通じない可能性が高い」
ケンドールは、両手で頭を抱え込んだ。
「……これは、通常の兵器体系の延長線上にある脅威ではありません。……戦争というゲームのルール(歩兵戦の定義)を、たった一体の機械が、完全にひっくり返してしまったんです!」
状況室は、完全な、そして底なしの無音に包み込まれた。
「……」
国防長官も、統合参謀議長も、先ほどまでの威勢はどこへやら、完全に顔面を蒼白にして押し黙っていた。
核ミサイルのように「撃ち落とせば済む」という単純な脅威ではない。
街角の陰から、普通の歩兵と同じサイズでありながら、戦車を素手で引き裂き、銃弾の雨をすり抜けて迫り来る「無敵の歩く戦車」の群れ。……それが、突如としてホワイトハウスの芝生に降り立った時の、絶望的な光景。
その悪夢のような現実味が、アメリカの軍事エリートたちの強靭な精神を、内側から完全に破壊しにかかっていた。
「……」
ワシントンD.C.の心臓部、ホワイトハウスのシチュエーション・ルームは、もはや核戦争の勃発を告げられた時のような、深く、そして逃げ場のない絶望的な沈黙に包み込まれていた。
つい先日まで、「出雲の知識」や「与那国のシステム」をどうやって日本から奪い取り、アメリカの覇権を維持するかという机上の空論(地政学ゲーム)に熱中していた軍事エリートたち。
彼らの足元に、突如として【ワシントン数時間陥落】という、あまりにも生々しく、そして暴力的な未来予測が叩きつけられたのだ。
防衛網も、核の抑止力も、軍事同盟も、すべてが無意味になる。
路地裏から、廃ビルから、下水道から。人間のサイズでありながら、戦車の主砲でも破壊できず、戦闘機を素手で引き裂くような化け物の群れが、時速数百キロでホワイトハウスを目指して突撃してくる。
その悪夢のようなビジョンが、彼らの強靭な理性を内側から完全に食い破っていた。
「……だが。絶望するのはまだ早い」
その、完全に凍りついた会議室の空気を。
血を吐くような疲労とストレスを抱えながらも、辛うじて「冷徹な戦略家」としての理性を保ち続けているアルファの、静かな声が引き戻した。
「……アルファ司令官。これ以上の、何の絶望があると言うんだ」
国防長官が、うつろな目で呟く。
「いや。絶望の底ではない。……かすかな【光明(打開策)】の話だ」
アルファは、円卓の面々を見回し、ティアナから得た『唯一の制限条件』を、この絶望的な盤面における最大の脆弱点として提示した。
「彼らの手に入れた技術は、確かに悪魔の代物だ。だが、それは決して『無尽蔵(無敵)』に湧き出てくるものではない」
アルファの声に、わずかに力がこもる。
「……ただし制限はあります」
全員の視線が、一斉にアルファに集中した。
「得られた情報によれば、彼らがシベリアで発掘した初期状態の資源で最適化(サイボーグ化)可能なのは、せいぜい【百名分】程度に過ぎない」
アルファは、冷酷な目でロシアの『兵站の限界』を突いた。
「それ以上の部隊を量産する、あるいはより高度な強化を施すためには……莫大な量の高純度チタン、タングステン、ニオブ、そして極めて希少な貴金属と【レアアース(希土類元素)】の継続的な大量投入が不可欠になる。……それは、ロシアの国家予算を丸ごと食い潰すほどの、途方もない規模の消費量だ」
その言葉に、財務長官と商務長官が、ハッと顔を見合わせた。
「……そしてロシアの首脳陣は、すでにその『悪魔の部品代』を確保するため、世界中から異常なペースで資源を買い漁るべく、動き始めている」
アルファは、CIA長官へと視線を向けた。
「……っ!!」
CIA長官が、弾かれたように手元の極秘ファイルをめくり、そして顔面を蒼白にしながら立ち上がった。
「た、確かに……! ロシアが数日前から、中東やアフリカのダミー会社を経由して、国際市場の【貴金属とレアアースの買い漁り】を急激に加速させているという不可解な動きは、我々のインテリジェンスでもすでに確認済みです!」
経済担当の補佐官も、それに続く。
「通常兵器の増産にしては、要求される純度も種類もあまりに異常だったため、目的が読めなかったのですが……。まさか、あの化け物の量産ラインを回すための、物理的な『餌(素材)』だったとは……っ!」
報告の点と点が、完璧な線として繋がった。
アルファの持ち込んだ「スパイ情報」が、決して机上の空論やSFの妄想などではなく、現在進行形で世界経済の裏側を侵食している【現実の脅威】であることが、完全に裏付けられた瞬間だった。
「……大統領」
統合参謀本部の議長が、震える声で、最も差し迫った『実戦の危機』を口にした。
「ロシアは今、ウクライナ戦線という泥沼を抱えています。……もし、彼らが最初の『百人』のサイボーグ大隊を完成させ、その実戦テストを兼ねて、あの戦場に投入してきたら……」
軍人たちの顔に、かつてない焦燥が浮かぶ。
「東部戦線のウクライナ軍の塹壕など、数十分で紙屑のように突破されます。……キーウは数日で陥落し、防衛線は一気にポーランド(NATO国境)まで押し込まれる。……欧州の軍事バランスが、文字通り一瞬にして崩壊します!」
「……っ!」
キャサリン・ヘイズ大統領は、その凄惨な戦場の未来図を想像し、強く唇を噛み締めた。
ウクライナへの軍事支援を主導してきたアメリカにとって、その戦線の崩壊は、世界の警察としての威信の完全なる失墜を意味する。
「そんなことが起きたら、ウクライナ戦線は一変する……!」
キャサリンは、デスクの上に置いた両手を強く握り締め、大統領としての最初の即断を下した。
「まず、このインテリジェンスを、直ちに同盟国と【情報共有】よ!」
「大統領! お待ちください!」
NSA長官が、慌てて制止の声を上げた。
「『ロシアがサイボーグ兵士の量産を開始した』などと、あまりにも荒唐無稽なSF映画のような情報を、証拠の現物もないまま各国に流せば……。我々アメリカ政府が、ロシアへの敵対心を煽るために【狂った妄想】をでっち上げたと、逆に世界中から非難されかねません!」
「狂ったと思われても、そんなことはどうでも良い!」
キャサリンは、NSA長官の及び腰な懸念を、かつてないほどの激しい怒声で一刀両断にした。
「いいこと!? 証拠がないからと体面を気にして黙り込み、何一つ警戒をしていない同盟国の首都に、ある日突然、無敵のサイボーグ兵士の群れが空から降ってくる……。そっちの方が、よほど取り返しのつかない【悪夢】だわ! 狂人扱いされようと構わない、今すぐNATOとG7の首脳陣に、最上位の暗号回線で警告を発しなさい!」
彼女は、保身(見え方)よりも、まずは味方の命を守るという、リーダーとしての極めて正しい決断を下した。
「……情報共有の範囲は、どうしますか?」
国務長官が、慎重に問いかける。
「日本は……出雲と与那国の件で、明確に我々を締め出しています。彼らを含めるべきでしょうか。……また、EUはすでに、あの『ヘルメス協会』の狂信的な思想に指導層が半ば傀儡化されつつあります。彼らにまで、この情報を与えるのは危険では?」
「日本も、EUも含めなさい。すべてよ」
キャサリンは、迷うことなく言い切った。
「日本が今何を隠していようと、この件に関してはロシアという共通の脅威を前にした『標的』の一つよ。……EUも同じ。彼らがどう動くかは分からないけれど、この絶望的な情報を前にして、彼らを蚊帳の外に置く余裕は今の私たちにはないわ」
「……大統領の判断は正しい」
そこで、アルファが静かに、そして極めて冷徹な『相性分析』を口にした。
「むしろ、EU……いや、彼らの背後にいる【ヘルメス協会】に関しては。この対ロシアのサイボーグ問題においては、我々の強烈な『味方(防波堤)』になり得る」
「……味方? あの狂人どもがですか?」
国防長官が、訝しげに問う。
「そうだ」
アルファは、深く頷いた。
「彼らヘルメス協会が、あの円盤の異星人から授かったとされる基本理念は『大いなる宇宙の意志との調和』だ。彼らは、精神性やオカルト的な宇宙観を至高のものとして崇拝している。
……そんな彼らが、人間の尊い肉体を無残に切り刻み、冷たい機械の部品に置き換えるという、極端な合理主義。……ヘルメス協会が機械化(サイボーグ化)を許容することはないでしょう。物質主義の極みであるサイボーグ化には、徹底した弾圧を加えるはずです」
アルファの分析に、状況室の空気はさらに一段階、複雑な色を帯びた。
アメリカと対立し、世界を混乱に陥れている狂気のカルト集団が。ロシアの生み出した新たな機械の怪物に対しては、宗教的な嫌悪感から真っ向から衝突し、結果的にアメリカの利益(防波堤)に合致する。
敵の敵は味方という、あまりにも捻じ曲がった、怪物の時代の奇妙な共闘関係。
「……では、具体的な対抗策(防衛策)ですが」
財務長官と商務長官が、顔を見合わせ、実務的な【ロシア資源封鎖策】の協議へと移った。
「ロシアがサイボーグの量産ラインを回すために、莫大な貴金属とレアアースを必要としているのなら。……我々がやるべきは、物理的な軍事攻撃ではありません。国際市場からの【徹底した兵糧攻め(兵站の破壊)】です」
財務長官が、モニターに世界の資源取引ルートの図を展開した。
「市場介入が必要です。名目は何でも構いません。ウクライナ侵攻に対する『前例のない最強硬の経済制裁』として。……これより先、ロシアに対して特定のレアアースや貴金属、及び関連する技術部品を輸出するすべての国家、企業、銀行に対し、アメリカ合衆国との一切の取引を禁ずる『二次的制裁』を発動します」
「いっそ、『ロシアにサイボーグの部品代を売る行為は、ウクライナにおける大量虐殺への直接的な武力参加とみなす』という強烈な恫喝を行ってもいい」
国防長官も、それに同意し、武力行使をチラつかせた海上封鎖のオプションすら口にし始めた。
だが。
その強硬な資源封鎖策の議論が最高潮に達しようとした時。
国家経済会議(NEC)の委員長が、胃を押さえながら、極めて重い、そして誰もが触れたがらなかった【最大のハードル】を口にした。
「……中国まで、やるのか……?」
ピタリ、と。
強硬論に沸いていた会議室が、一瞬にして凍りついた。
「どういうことよ」
キャサリンが、鋭く問う。
「大統領。世界のレアアースの産出と精製能力の大部分を握っているのは、中国です。そして彼らは、表向きは中立を装いながらも、裏では確実にロシアの軍需産業を支える最大のパイプとなっている」
経済担当補佐官が、絶望的な現実を突きつけた。
「ロシアのサイボーグ量産を本当に『ゼロ』にまで干上がらせるためには、ただの小国の企業を叩くだけでは不十分です。……我々は、中国という巨大な国家そのものを、完全に制裁の対象に含め、彼らとの経済的関係を【物理的に断ち切る】必要があります」
「それは……」
財務長官が、青ざめた顔で言葉を失う。
「もし、中国に対してそこまでの致命的な二次制裁を発動し、彼らとのデカップリング(経済の切り離し)を強行すれば……」
経済担当補佐官は、震える声で予測を口にした。
「世界中のサプライチェーンは、数日で完全に崩壊します。アメリカ国内の物価は天文学的に跳ね上がり、ドルは暴落し、金融市場はパニックに陥る。……2008年の金融危機など比較にならない、世界経済そのものが焼け野原になる【大恐慌】が、確実に引き起こされます!」
ロシアの怪物を餓死させるためには、世界経済というアメリカ自身の心臓(血流)をも、半分止めなければならない。
数億人の生活を破壊し、自国の経済を破滅の淵に追いやるという、あまりにも巨大すぎる代償。
会議室は、完全な沈黙に支配された。
誰もが、その決断の重さに尻込みし、視線を泳がせている。
「……」
キャサリン・ヘイズ大統領は、モニターに映る真っ赤な経済指標の予測グラフと、ロシアのシベリアの凍土の画像を、交互に見つめていた。
彼女の脳裏に。
ほんの数日前、この同じ地下の状況室で、アルファが自分に対して突きつけた、あの冷酷で、静かな問いかけが、鮮明に蘇っていた。
『――今後、出雲や与那国に匹敵する、いや、それ以上の破滅的な力を持った遺産が、別の国家に出現しないと、誰が保証する?』
『――その時も、あなたは今日のように、「まだ国際世論が」「経済的影響が」と、同じ言葉を繰り返して、相手に先手(魔法)を打たれるのを黙って待っているつもりか?』
『――大統領。……最後の一線を越える覚悟が、お有りか?』
あの時は、まだどこか「未来の抽象的な脅威」に対する覚悟の話だった。
だが今。その脅威は、抽象論などではなく、【ロシアのサイボーグ兵】という極めて暴力的で具体的な現実となって、彼女の喉元に冷たい刃を突きつけている。
ここで、自国の経済と世論(選挙の票)を恐れて、制裁の手を緩めればどうなるか。
中国経由で莫大なレアアースを手に入れたロシアは、数百、数千の「歩く戦車」を完成させ。いずれはウクライナの泥濘を越え、欧州を蹂躙し、そして海を渡って、このワシントンD.C.へと、文字通り血の雨を降らせに来るだろう。
経済の崩壊か。それとも、人類が機械の怪物に屠られる未来か。
どちらを選んでも、彼女は歴史に「最悪の大統領」として名を残すことになる。
「……大統領」
アルファが、静かに、彼女の決断を促すように声をかけた。
キャサリンは、ゆっくりと立ち上がった。
彼女の顔には、もはや「同盟国を思いやる心優しいリーダー」の甘さは微塵も残っていなかった。そこにあったのは、泥に塗れ、血を吐きながらでも、この狂った『怪物の時代』で生き残ることを選んだ、冷酷なプレイヤーの顔だった。
「……汚名は、全て私が背負います」
静かな、しかし状況室の分厚いコンクリートの壁すらも震わせるような、絶対的な重みを持った宣言。
その一言に、国防長官も、財務長官も、息を呑んで彼女を見上げた。
「対中国も、厳しい経済制裁を!」
キャサリンは、机を強く叩き、退路を完全に断ち切った命令を咆哮した。
「ロシアのサイボーグ化を支える資源の血流を、どんな手段を使ってでも、ここで完全に断ち切るのよ! 世界経済への影響? 失業率の悪化? そんなもの……私たちの首都の芝生が、不死身の化け物たちの軍靴で踏み荒らされる絶望的な現実に比べれば、些末な問題よ!」
彼女は、前回の「同盟国を守りたい」という優しい正義の殻を完全に破り捨てた。
「私たちアメリカ合衆国は、これより、ロシアの地球外テクノロジーの軍事転用を、世界に対する最大の【文明的脅威】と認定し……世界経済を一時的に破壊してでも、彼らの兵站を完全に干上がらせる!」
会議室は、水を打ったように静まり返っていた。
誰も、反論できなかった。
彼らは、目の前のキャサリン大統領が、かつての「調整型」のリーダーから、冷酷で、時に世界を道連れにしてでも怪物を止めるための【狂気(強さ)】を手に入れたことを、まざまざと見せつけられたのだ。
「……了解しました。直ちに、中国を含む第三国への最強硬のセカンダリー・サンクション(二次的制裁)の準備に入ります」
財務長官が、青ざめた顔で、震える手でタブレットに承認のサインを入力した。
アルファは、自らの席から、そのキャサリンの決断を静かに、そして深く見つめていた。
彼女は、ついにあの『最後の一線』を、自らの足で、悲鳴も歓声も上げずに、ただ重い国家の責任という十字架を背負って、越え切ったのだ。
その夜。
アメリカ合衆国は、ロシアのサイボーグ兵という新たな怪物の誕生を止めるために、前代未聞の経済制裁を決断した。
だがそれは同時に、世界経済という脆弱なガラス細工と、これまでの旧い国際秩序のルールに、自らの手で刃を突き立てるという、後戻りのできない決断でもあった。
怪物の時代に、怪物でないまま(綺麗事のまま)で勝ち残ることはできない。
キャサリン・ヘイズは、その絶望的な現実を受け入れ、世界を巻き添えにしてでも生き残ることを選んだ、歴史上最初のアメリカ大統領となったのである。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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