第45話 良いニュースと悪いニュース
大気圏外に浮かぶ超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉。
その中枢に位置する談話スペースは、まるで高級ホテルのラウンジのように、柔らかい照明と座り心地の良いソファ、そして淹れたてのコーヒーの香りに満ちていた。
「さてさて」
ティアナ・レグリアは、ソファの上でだらっと寝転がりながら、空中にホログラムの通信ウィンドウを展開した。
「そろそろ定例通信の時間だね。……今日も、地球で一番胃に穴が開いてそうなアルファくんに、優しい情報共有でもしてあげますか」
「優しい、ねぇ」
隣のソファでネイルを弄っていたKAMIが、鼻で笑った。
「その言い方、もう不穏なんですが……」
エミリー・カーター研究員は、これから始まる『宇宙規模の雑談』が、地球側の人間にどれほどの精神的ダメージを与えるかを知っているだけに、早くも顔を覆ってしまった。
ここサイト・アオの面々にとっては、地球の情勢変化など、ただのチェス盤のコマが動いた程度の「雑談」に過ぎない。だが、通信の向こう側にいる人間――国家の存亡と人類の覇権を背負って血を吐くような思いで戦っている人間からすれば、彼らからの情報提供は、文字通り【災害通知】と同義なのだから。
ピィィン、という電子音と共に。
ホログラム通信が繋がり、セレスティアル・ウォッチの作戦司令官、オブザーバー・アルファの姿が映し出された。
アルファの背景は、薄暗い地下の戦略会議室だった。
彼の顔には、常に張り付いている冷徹な仮面の奥に、ここ最近の「日本政府の離反」や「アメリカ軍部の暴走」を抑え込んだことによる、隠しきれない【疲労の色】が濃く滲んでいた。
『……定例通信を開始する』
アルファは、ホログラム越しのティアナの、ひどくリラックスした顔を見た瞬間、すでに眉間に深い皺を寄せていた。
『本日は何だ。……また、私の神経を逆撫でするような「余興」を見つけたのか?』
「えー、そんなに最初から警戒しなくてもいいのに」
ティアナは、心外だというように唇を尖らせた。
『君がそう言う時は、大抵、私の警戒が足りていない時だ』
アルファは、これまでの付き合いで完全に学習(トラウマ化)していた。この上位存在の「軽いノリ」の裏には、常に地球の常識をひっくり返す爆弾が隠されていることを。
「あはは、アルファくん、すっかり被害者ヅラが板についてきたね」
ティアナは、ケラケラと笑いながら、唐突に、そして極めてカジュアルに、本題へと切り込んだ。
「あっ、そうそう。今日はね、君に【良いニュース】と【悪いニュース】があるんだけど。……どっちから聞きたい?」
ピタリ、と。
アルファの動きが止まった。
「……出た、最悪のテンプレ導入……」
エミリーが、ソファの陰で頭を抱える。
「悪いニュースが後に控えてるのが確定してるじゃないですか……!」
『……何?』
アルファは、画面越しにジッとティアナを睨みつけた。
「だから、良いニュースと、悪いニュース」
ティアナは、悪びれることなく繰り返した。
『……』
アルファは、数秒の沈黙の後。これ以上の最悪の事態(悪いニュース)を聞く前に、少しでも盤面を有利にするための「プラスの情報」を確保しておくべきだと判断し、短く答えた。
『……良いニュースからで、頼む』
「最初に良いニュースを聞いてメンタルにバフをかける判断は、プレイヤーとして正しいわね」
KAMIが、横でクスクスと笑いながら講評した。「まあ、後半で確実に死ぬ(デバフを食らう)んだけど」
「あいよ、じゃあ良いニュースからね」
ティアナは、指を鳴らした。
「君らアメリカが回収した、あの【アンデスの小箱】ってあったじゃん? あれ、今どんな感じ?」
『……小箱か』
アルファは、すぐに何の話か理解し、僅かに自嘲気味な笑みを浮かべた。
『現在は、セレスティアル・ウォッチ本部のアーティファクト保管庫に厳重に隔離されている。……君の助言通り、箱を開けるための「論理パズル」は、NSA(国家安全保障局)のスーパーコンピュータを何基も並列稼働させて解析中だが……』
アルファは、疲れたように息を吐いた。
『本質的な突破口が、全く見えん。あれは単なる暗号解読というより、我々人類の「文明の成熟度」を測る審査のようなものだ。……我々の側の知性が、決定的に足りていないのだろう。このペースでは、箱が開くまでに【五百年】はかかる計算だ。我ながら笑える話だ』
世界最高の計算資源と頭脳を注ぎ込んでも、ビクともしない異星のセキュリティ。
アルファの言葉には、アメリカという覇権国家が抱える、絶対的な技術の壁に対する焦りと無力感が滲んでいた。
「うん、そうだね。僕も前に『スーパーコンピュータで三百年くらいかかるかも』って言ったもんね」
ティアナは、あっさりとアルファの絶望を肯定した。
「でもね、アルファ。……今は、ちょっと状況が変わったと思うんだよね」
『……状況が、変わった?』
「そう」
ティアナは、にっこりと笑った。
「あのさ、欧州の【ヘルメス協会】が、新月の儀式で『星間通信』と『精神主義寄りのFTL(超光速)概念』を手に入れたでしょ?」
『ああ、それがどうした』
「多分ね、あの小箱のシステム側が、地球上のその『異常な技術的ジャンプ(FTL概念の発生)』を、ネットワーク越しに感知してるはずなんだよ」
ティアナは、極めて合理的な、しかし地球人にとっては思いもよらない【裏技】を提示した。
「で、小箱のAIはこう勘違いする。『おっ、この星の原住民、いつの間にか自力でFTL通信まで辿り着いたじゃん。技術レベル(文明ランク)上がったな』って。……つまり、正規の論理パズルを解かなくても、システム側が勝手に【情報開示の条件を満たした】と誤認して、中身の技術データを開けてくれる(くれる)可能性が、めちゃくちゃ高いんだよね」
ティアナは、親指を立てた。
「だから、五百年も待たなくていい。一回、小箱の様子を再確認してごらん」
――ガタッ!
ホログラムの向こう側で、常に冷静沈着なアルファが、思わず椅子から立ち上がり、画面に身を乗り出した。
『……本当か!?』
アルファの声が、かつてないほど強く、そして抑えきれない【歓喜】に震えていた。
「うん。嘘じゃないよ」
ティアナは、軽く頷いた。
『それは……吉報だ。文句なしの、最高の吉報だ……!』
アルファは、深く息を吸い込み、目を閉じた。
彼のアメリカ軍事戦略は、今、日本の『出雲』と『与那国』というチート遺産の前に、完全にデッドロック(手詰まり)に陥っていた。だが、もしここで、アメリカの手元にある『アンデスの小箱』が開いて、新たな異星のテクノロジーが手に入れば。……盤面は、再びアメリカ優位へと完全にひっくり返る!
『この後すぐ、技術班に確認させる。……もし君の言う通りに箱が開くなら、我々の状況は劇的に変わる。……感謝する、ティアナ』
アルファは、本気で救われたような、憑き物が落ちたような顔をして、ティアナに深く頭を下げた。
「よかったですね、アルファさん!」
エミリーも、画面越しに嬉しそうに手を叩いた。
「うんうん。喜んでもらえて何よりだよ」
ティアナも、ニコニコと笑って応えた。
そして。
アルファが完全に「希望」を抱き、メンタルの防御力をすっかり解いてしまった、まさにその最悪のタイミングで。
「じゃあ」
ティアナは、まるで「今日の晩御飯なににする?」とでも聞くような、恐ろしいほど軽いトーンで、空気を一変させた。
「次は、【悪いニュース】なんだけどさ」
ピタリ、と。
アルファの顔から、先ほどまでの歓喜の表情が完全に凍りつき、抜け落ちた。
『……待て』
アルファは、本能的な死の危険を察知し、ホログラム越しに手を前に出した。
『今の吉報だけで……この定例会議を終えるという選択肢はないのか』
「ないね!」
ティアナは、満面の笑みで、即座に、そして無慈悲に拒絶した。
「……アルファさん、逃げて……」
エミリーが、ソファの陰から同情の涙を流す。
「はい、じゃあ悪いニュース発表しまーす」
ティアナは、パンッと手を叩き、この地球のパワーバランスを根本から崩壊させる、最大級の【凶報】を、極めてカジュアルに投げ落とした。
「ロシアが、シベリアの永久凍土の底から、完全な状態の『地球外テクノロジー(アーティファクト)』を手に入れました。いえーい!」
『…………は?』
アルファの思考回路が、完全に停止した。
ロシアが。地球外テクノロジーを。手に入れた。
アメリカがアポロンの矢で圧倒的優位に立ち、日本が魂の庭で世界を出し抜こうとしているこの盤面で。最も野心深く、最も危険なあの軍事大国が、ついに「ジョーカー」を引き当ててしまったというのか。
「しかもね」
ティアナは、アルファが情報の処理に追いつくのを待つことなく、さらに追い打ちをかけるように『中身』を開示し始めた。
「それが、ただの遺物じゃなくて。人間の兵士の肉体を切り刻んで、機械のパーツにすげ替える(最適化する)、【サイボーグ化専用の軍事医療ロボット】なんだよね」
『……ロシアが、サイボーグ……だと……?』
アルファの顔面から、文字通りすべての血の気が失せていく。
「そうそう。で、その改造された『歩く戦車』みたいな兵士が、とにかくオーバースペックでさぁ」
ティアナは、楽しそうに笑いながら、アルファの心臓に物理的なトドメを刺す、最後の一撃を放った。
「そのサイボーグ兵士で『大隊(数百人規模)』を組んで突撃させれば。……たぶん、数時間でアメリカの首都(ワシントンD.C.)、余裕で陥落させられるレベルです。いえーい!」
『――――ッ!?』
ガハッ、と。
ホログラムの向こう側で。
常に冷徹で、どんな絶望的な報告を受けても眉一つ動かさなかったあのアルファが。
文字通り、口から真っ赤な【血(胃液の混じった鮮血)】を吐き出し、デスクの上に激しく咽せ返ったのだ。
「わあっ!? 本当に吐いた!?」
エミリーが、画面を見て本気の悲鳴を上げた。
「わーお、見事に綺麗に入ったわね。クリティカル・ヒットよ」
KAMIが、ワイングラスを掲げて拍手喝采を送る。
「おいおい、アルファくん。大丈夫かい?」
ティアナは、デスクに血を吐いてうずくまるアルファの姿を見て、本気で心配そうな顔を作った。だが、その声のトーンは、完全に『自分には関係ない対岸の火事』を見るような、ひどく他人事なものだった。
「可哀想に……最近、いろいろと無理しすぎなんじゃない? ストレスで胃に穴でも開いたのかなぁ……」
『……ぐっ……、はぁっ、はぁっ……!』
アルファは、ハンカチで口元の血を乱暴に拭い去り、血走った、殺意に満ちた瞳で、ホログラム越しのティアナをギロリと睨みつけた。
『……誰が……!!』
アルファは、かつてないほど人間臭い、激しい怒りを爆発させて怒鳴った。
『誰が! 私にそのストレスを与えていると思うんだ、この宇宙の悪魔め……!!』
「えぇ……僕じゃないでしょ。僕はただの観測者だし」
ティアナは、心外だというように肩をすくめた。
『君が! 今、この瞬間に! その最悪の絶望(爆弾)を、私の胃の腑に直接投げ込んだのだろうが!!』
アルファは、机を叩いて吠えた。ロシアのサイボーグ大隊がワシントンを落とす。そんなふざけた未来図を提示されて、平気でいられる国家防衛の責任者など、この地球上のどこにも存在しない。
「いやいや、ちょっと待ってよ」
ティアナは、少しだけ抗議するように言った。
「僕、ただ教えてあげただけじゃん? もし僕がこのまま黙ってて、数ヶ月後にいきなりロシアのサイボーグ部隊がホワイトハウスの庭に降ってきたら、君らアメリカ、完全に『詰み(ゲームオーバー)』でしょ?」
ティアナは、ニコッと笑った。
「だから、今教えないと君らが全滅しちゃうから、わざわざ親切に『情報共有』してあげたんじゃん! むしろ、感謝されるべきファインプレーでしょ?」
「……理屈としては……はい、ティアナ代表の言う通りです……」
エミリーが、ソファの陰から、複雑な顔でアルファに同情しながら同意した。
「アルファさん……どうか、強く生きてください……」
「まあ実際、手遅れになってから知るよりは、マシなバッドニュースではあるわね」
KAMIも、ケラケラと笑いながら補足した。
『……はぁ、はぁ……』
アルファは、荒い息を整えながら、どうにか極限の怒りと絶望を理性の檻に押し込め、再び「冷徹な戦略家」としての顔を取り戻そうと必死にもがいていた。
ティアナの言う通りだ。ここで感情的になっても意味はない。情報を得た以上、即座に対策を打たなければ、本当にアメリカは終わる。
「あとね、一応言っておくけど。そのロシアのサイボーグ部隊、完全に【無敵(無尽蔵)】ってわけじゃないからね。一応、制限付きだよ」
ティアナは、アルファが少し落ち着いたのを見計らって、さらなる追加情報(唯一の救い)を提示した。
「あの異星の機械で兵士をサイボーグ化するには、膨大な量のレアアースとか、貴金属とか、希少な触媒物質が必要なんだよね。……だから、ロシアがいくら頑張っても、無限に量産できるわけじゃない。国家予算がパンクするからね」
『……なるほど』
アルファは、その「制限」というキーワードを聞いて、血の気の引いた顔に、再び思考の光を宿した。
『……つまり。鋼鉄の槌を振るうには、それ相応の「腕力(国家の基礎体力)」が必要というわけだ』
アルファの脳内で、ロシアの弱点と、アメリカの取るべき次の一手が、超高速で再構築されていく。
『兵士の肉体を鋼鉄化できても、国家そのもの(経済と資源)がそれを支えきれねば、大量生産も、長期的な戦争の継続も不可能だ。……ロシアは、その悪魔の力を得るために、自国の経済と資源をすり潰すという、重い代償を払っているということだな』
「そういうわけ!」
ティアナは、アルファが即座に「戦略的弱点」を理解したことに満足し、パンッと手を叩いた。
「ま、ロシアが資源をかき集めてサイボーグ大隊を完成させるのが先か、君らがアンデスの小箱を開けて新しい超技術を手に入れるのが先か。……時間との勝負だね!」
ティアナは、ソファから立ち上がり、ホログラム通信の切断ボタンに手を伸ばした。
「というわけで、僕からの優しい【警告】はこれでおしまい! じゃあ、あとは適当に地球の覇権争い、対応ヨロシク~!」
『待て、まだ小箱の解析についての詳細を――』
プツン。
アルファの制止の声を完全に無視して、ティアナはあっさりと通信を終了させた。
ホログラムウィンドウが消滅し、ラウンジには再び、コーヒーの香りと静かな空気が戻ってきた。
「ふふ。定例会議っていうより、完全に『災害の事前通知(Jアラート)』だったわね」
KAMIが、残ったワインを飲み干しながら笑う。
「……アルファさん、本当に可哀想です……」
エミリーは、画面の向こうで血を吐きながら一人置き去りにされた男の姿を思い浮かべ、深く同情の溜息をついた。
サイト・アオにとっては、ほんの数分の、退屈しのぎの雑談だった。
だが、地球の覇権を争う者たちにとっては。その数分の通信の『良いニュース』と『悪いニュース』だけで、国家の生存戦略が根底から作り変えられ、何万人もの命の使い道が決定づけられてしまうのだ。
希望は、与えられた。
絶望も、与えられた。
あとは、血を吐きながらでも、この狂った世界で生き残る方法を必死に考えるだけだ。
それが、地球という盤面でゲームを強いられている、アルファたち人類の指導者に残された、唯一にして最大の仕事であった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
もし「続きが読みたい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。




