第44話 骨董品だけど強い
大気圏外、高度四百キロメートルを周回する超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉。
その観測ラウンジの巨大なスクリーンには、先ほどまでロシアのモスクワ郊外の地下施設で繰り広げられていた狂気の手術と、その後の実演――両脚をサイボーグ化されたモロゾフ大佐が、分厚い防弾鋼板を軽々と蹴り砕き、人間離れした垂直跳躍を見せつける映像が、何度もリプレイされていた。
そして、その圧倒的な「歩く戦車」の性能を前にして、ロシアの首脳陣が狂喜乱舞し、「未来への投資だ」と国家の全資源を注ぎ込む決断を下したところで、一連の録画データは静止していた。
ラウンジの中には、映画のエンドロールを見終わった直後のような、少し静かな空気が漂っていた。
ただ、その静けさの質は、前回の与那国の奇跡を見た時の感動や安堵とは違い、純粋な「暴力の誕生」を見せつけられたことによる、重苦しい余韻だった。
部屋の面々は、それぞれの場所にいた。
ティアナ・レグリアは、ビーズソファにだらしなく寝転がり、ポテトチップスを齧りながらスクリーンをぼんやり眺めている。
KAMIは、隣のソファでワイングラスを片手に、テーブルに並べたメキシコのチリグミを一粒ずつつまみながら、退屈そうにモニターを見下ろしていた。
今日の地球菓子の発掘はこれで三種類目で、さっきまで食べていた北欧のサルミアッキの袋は既に空になっている。
工藤創一は、部屋の隅でジャンクパーツを弄っている。
そして、ソファのひじ掛けの上に、賢者・猫がちょこんと丸まり、翠の瞳でスクリーンの映像を静かに品定めするように眺めていた。
「うわぁ……」
コンソールの前に座るエミリー・カーター研究員は、両脚をすげ替えられたモロゾフの映像から目を逸らしきれず、完全に顔を引き攣らせていた。
「なんですか、あの手術……。痛みがなくても、血が出なくても……あんなの、人間をただの機械のパーツみたいに扱ってて、見てるだけで寒気がしました……」
「でも、脚からやるんだね。合理的だなー」
エミリーのドン引き具合とは対照的に、工藤は純粋な技術屋としての目線でスクリーンを眺め、感心したように呟いていた。
「一番荷重がかかって、一番出力が求められる土台から換装する。うんうん、現場のニーズをよく分かってる設計ですね」
「……人間の体を土台と呼ばないでください……」
エミリーが力なくツッコミを入れた。
「設計思想の話よ、設計思想」
工藤は悪びれもせず、そう返した。
「……商人として見ると、の」
その時、ひじ掛けの上で丸まっていた賢者・猫が、スクリーンのヴォストークをじっと見つめたまま、静かに口を開いた。
「あれは、売り物として何年前のモデルかの」
「銀河基準で言えば、かなり古いやつだよ」
ティアナが、ソファから声を上げた。
「ふむ」
猫は、前足でぺろりと顔を拭いながら、商人らしい目で映像を見続けた。
「ロシアという者たちは、あれを最高の買い物だと思っておるのじゃろうな。……値段の基準を知らない者が、相場の狂った市場で買い物をすると、そういうことになる」
「……それ、どっちに言ってるんですか。ロシアへの同情ですか? 批判ですか?」
エミリーが尋ねた。
「事実の観察じゃ」
猫は、澄ました顔でそう返した。
「売り手が悪いとも言わんし、買い手が愚かとも言わん。……ただ、相場を知らぬまま大金を払った者は、後で必ず後悔する。それだけのことよ」
そんな中。
ワイングラスを片手に、チリグミをもう一粒つまんでいたKAMIが、ふと、思い出したように口を開いた。
「あら」
KAMIは、静止画に映るロシアの最高権力者の顔を指差した。
「この世界(地球)のロシアは、ウラジーミル・ボグダノフ大統領がトップなのね」
「……そこから入るんだ」
ティアナが、ソファから半身を起こして苦笑した。
「知ってるんですか? あの大統領のこと」
エミリーが、少しだけ警戒を解いてKAMIに食いついた。
「ええ、まあね」
KAMIは、グラスを揺らしながら、並行世界を渡り歩いてきた高位存在としての、途方もないスケールの歴史のメタ知識を語り始めた。
「地球の並行世界って、国家の枠組みは似てても、上に立つ人間の名前とか、微妙な歴史の分岐が全然違うのよね。……で、たまにその微妙な違いが、後でとんでもなくデカいバフやデバフになったりするのよ」
「……並行世界を巡りまくった人のコメントだ……」
エミリーが、そのスケールの大きさにゴクリと唾を飲んだ。
「地球の並行世界って、ソビエト連邦崩壊後は、大体ロシア連邦が後継国として覇権を握るルートが基本なんだけどねー」
KAMIは、歴史の教科書をパラパラとめくるような軽さで続けた。
「でも、中には、ソ連が崩壊していない、冷戦が継続している世界線も、普通にあるのよ」
「ソ連が、崩壊していない地球……?」
エミリーは、自分の住む世界の歴史とは全く異なるそのビジョンを想像し、目を丸くした。
「そう。その場合、国家の統制が強すぎるから、あんたたちが使ってるようなオープンなインターネット文化は全然発達しないのよ。
検閲と監視だらけで、民間のIT技術とかエンタメ産業は完全に死ぬわね。
その弊害は結構デカい」
KAMIは、デメリットを挙げた後、チリグミをもう一粒口に放り込んでニヤリと笑った。
「でもね、その代わり。……国家予算が軍事と科学に全振りされるから、宇宙開発はめちゃくちゃ進むのよ。
ロケット技術もガンガン上がるし、国家統治用のAIや、軍事用のロボット技術も、今あんたたちがいる世界より遥かに早く伸びるの」
「へええ……」
「決して悪い世界ってわけでもないのよ。民間のスマホやゲームの技術が五年くらい遅れるだけで済むし」
KAMIは、面白そうに目を細めた。
「アメリカ一強のぬるま湯じゃない、バチバチの冷戦構造が続いている方が……逆に人類の科学技術が進むスピードは速い。不思議よねぇ」
「並行世界の話かの」
賢者・猫が、ひじ掛けの上でゆっくりと体を起こした。
「ワシも多少、渡り歩いてきたが……政治体制と技術発展の相関というのは、確かに面白い。締め付けが強い市場ほど、限られた領域の技術が集中的に伸びることがあるのう」
「詳しいんですか、猫さん」
エミリーが少し驚いて聞いた。
「商人じゃからの」
猫は、翠の瞳でKAMIを横目に見た。
「どの世界線の市場にどんな商材が流通しているか、大体の相場は頭に入っておる」
「KAMIさんと似たような知識の持ち方ですね」
エミリーが、二人を交互に見た。
「似てはおらんわ」
猫が即座に言った。
「似てないわ」
KAMIも同時に言った。
二人の声がハモり、そして互いに少しだけ顔をしかめた。
「……仲良しじゃないですか」
エミリーが苦笑した。
「いやー、HOI4の知識で語るとさ」
そこで、ティアナが完全にゲーマーの雑なノリで会話に乱入してきた。
「ソ連が崩壊しない世界線って、要するに民生工場は死ぬけど、軍需工場と研究枠がずっと強いルートみたいな感じあるよね」
「……はい?」
エミリーが、突然のゲーム用語にポカンとする。
「だからさ、研究速度補正と宇宙開発バフがガッツリ乗る代わりに、消費財工場のペナルティがずっと重いまま、みたいな。……まあ、国民の生活レベルを犠牲にして、ひたすら国家のステータスだけを尖らせてる尖ったビルドだよね」
ティアナは、うんうんと一人で納得している。
「その雑な例えで、割と本質を突いてるのがムカつくわね」
KAMIが、ジト目でティアナを睨んだ。
「分かりやすいような、余計に分かりにくいような……」
エミリーは、苦笑いして頭を掻いた。
「へー。そうなんですねー」
工藤は、その壮大な歴史ifの政治談義に対して、全く興味がなさそうに相槌を打っていた。
「歴史とか政治のイデオロギーとかは、俺あんまり分からないんですけど。……でも、ロケットの技術が強いってのはいいですね。宇宙行けるなら、工場の立地の選択肢も増えますし」
「薄っ」
ティアナが、工藤のあまりの政治への無関心さにツッコミを入れた。
「でも、ちょっと待ってください」
その、和やかな並行世界雑談の中で。
エミリーの表情が、ふと、現実の深刻な危機を思い出したように、スッと真顔に戻った。
「この世界のロシア……今、ウクライナに侵攻して、泥沼の戦争をやってる最中なんですよね?」
エミリーは、スクリーンの端に映る、現実の戦況マップを指差した。
「その最中に、あのヴォストークっていう、歩く戦車を量産できる悪魔の機械を手に入れたってことは……。これ、普通に考えて、ウクライナがめちゃくちゃ危ないんじゃ……?」
「ウクライナねー」
だが、KAMIはエミリーの悲壮な危機感に対しても、チリグミをつまみながら少しだけ嘲笑するような、毒の強いトーンで返した。
「私が前にいた世界だと、ロシアは結局侵攻計画を立てただけで、ビビって終わったんだけどね。……でも、あれはかなりレアケースなのよ。
私が観測したほとんどの並行世界では、ロシアは普通にウクライナに侵攻してるわ」
「えっ……そうなんですか?」
「ええ。で、だいたい見事に泥沼化する」
KAMIは、冷酷な事実を突きつけた。
「中身が腐りかけてるハリボテ国家(大国)が、俺たちはまだ強い! 三日で首都を落とせる! って勘違いして殴りかかった時の、テンプレみたいな末路よ。……どの世界線でも、大体同じような無様なミスをして、同じように経済制裁食らって、同じように泥沼で兵士をすり潰してるわね」
「し、辛辣すぎません!?」
エミリーは、一国の国家戦略をボロクソに切り捨てるKAMIの毒舌に、思わず顔を引き攣らせた。
「事実じゃない。……だからこそ、この世界のボグダノフ大統領は、あのヴォストークを見つけて、あんなに狂喜乱舞したのよ。
泥沼の戦況を、一発でひっくり返せるチート・アイテムを引いたんだから」
KAMIは、ワインを一口飲んだ。
「市場的に言えばの」
賢者・猫が、静かに割り込んだ。
「あれは、溺れかけている者が偶然手にした浮き輪のような代物じゃ」
猫は、尻尾をゆっくりと揺らした。
「救われたことは本物じゃが、その浮き輪の出どころが何者なのか、本当の品質はどれほどのものか……そこを吟味する余裕が、あの者たちにはなかったのじゃろう」
「溺れてる人に、品質を吟味しろとは言えませんよ……」
エミリーが、疲れた顔で言った。
「その通りじゃ」
猫は、あっさりと同意した。
「だからこそ、売り手としては、そういう局面を狙うのがいちばん楽な商売になる。……まあ、品のある商売ではないがの」
猫はそこで前足で顔を拭い、それきり黙った。
「でもさ」
そこで、ティアナが、ソファに寝転がったまま、ひどく軽い調子で口を挟んだ。
「ウクライナにも、普通にアーティファクト、落ちてるからね。……もし向こうが先に見つけたら、全然逆転するよ?」
「……えっ!?」
エミリーが、目を限界まで見開いてティアナを振り返った。
「あり得るわね」
KAMIも、ティアナの言葉を特に否定することなく、軽く頷いた。
「そ、そんな、軽く言います!?」
エミリーは、パニックを起こしてコンソールに身を乗り出した。
「戦争の流れが……何万人もの命がかかってる現実の戦争が、発掘イベント一つで、そんな簡単にひっくり返るんですか!?」
「変わる変わる。だって、今の地球、完全にそういうフェーズに入っちゃってるし」
ティアナは、あっさりと現実の残酷さを肯定した。
「ロシアのサイボーグ部隊が投入されて無双し始めても、ウクライナ側が例えば空間を削り取る杖とか見つけたら、一瞬で部隊ごと消滅して終わりだからね。……今の地球は、誰が次にどんなヤバい札を引くか、完全に運ゲーの盤面なんだよ」
「商人にとっては、そういう盤面こそが一番忙しいのじゃがな」
賢者・猫が、ぽつりと呟いた。
「誰が何を引くか分からない市場は、価格が読めない代わりに、嗅覚のある者にとっては最大の商機でもある」
「今のその一言、すごく嫌な感じがしました」
エミリーが、猫をジト目で見た。
「商人とはそういうものじゃ」
猫は澄ました顔で返した。
「……でも、それにしても」
エミリーは、どうにか気を取り直し、スクリーンに映るヴォストーク・メディック・ワンの異形の姿を見上げた。
「ヴォストークのあのテクノロジーは、やっぱり凄いですよ!」
エミリーは、人間としての素直な驚きを口にした。
「人間の脚を一瞬で機械にすげ替えて、しかも失敗しても、本人が望まなくても、元に戻せる、可逆性があるんですよ!?
あの機能があったからこそ、ロシアの首脳陣も安心して手術に踏み切れたんです。……あんなの、地球の医療から見たら、もはや奇跡じゃないですか!」
エミリーのその純粋な感動、評価に対して。
KAMIと、工藤創一が。
ほぼ同時に、ポカンとした顔で、見事にハモって返した。
「「……そう?」」
「……えっ?」
エミリーは、二人のあまりにも冷淡な反応に、きょとんとした。
「いや……」
KAMIが、眉をひそめてスクリーンのヴォストークを指差した。
「あの機械、かなり古臭いテクノロジーに見えたけど?」
「ですね」
工藤も、ドライバーで頭を掻きながら、完全に同意した。
「なんか、動作のプロセスとか、素材の出力の仕方とか……だいぶ昔の、非効率な設計思想っぽかったですよね」
「……古いんですか!?」
エミリーは、信じられないというように叫んだ。
「あんな、一滴の血も流さずに人間をサイボーグに改造できる機械が!?」
「そうだね」
ティアナが、ソファから起き上がり、ニヤリと笑って解説を引き継いだ。
「ヴォストークは、かなり古臭い。……銀河文明の基準で言えば、完全に銀河博物館行きの骨董品レベルのテクノロジーだよ」
「こ、骨董品……」
「サイボーグ化のテクノロジーとしては、まあ普通に実用レベルだし、今の地球の人間から見たら間違いなく神業に見えるのは分かるけどさ」
ティアナは、両手を広げて、宇宙と地球の圧倒的なスケール差を語り始めた。
「でも、設計思想がもう、だいぶ前時代的なんだよね。……例えば、性能をギリギリまで押し上げるために、必要な資源、レアメタルとかを無駄に食いすぎるし、ナノマシンの最適化効率も悪い。
だから改造パッケージ一回分の単価がめちゃくちゃ重いんだよ」
ティアナは、肩をすくめた。
「地球みたいな惑星文明の連中相手に無双するなら、あんなんでも十分すぎるオーバースペックだけど。……星間文明圏の戦争にアレ持ってったら、うわ、お前らまだあんな燃費の悪い旧式モデル現役で使ってんの? って鼻で笑われるやつだね」
エミリーは、口をパクパクさせた。
ロシアの国家首脳陣が狂喜乱舞してすがりついた「悪魔の機械」が。
サイト・アオの基準では、ただの「燃費の悪い型落ちの中古品」に過ぎないというのだ。
「骨董品……ふむ」
賢者・猫が、ひじ掛けの上でゆっくりと体を起こし、スクリーンのヴォストークを改めて眺めた。
「骨董品というのは、コレクターには価値があるのじゃがのう」
猫は、翠の瞳を細めた。
「ただ、あれは博物館に飾るには少し物騒すぎる」
「まあ、銃と骨董品が合わさったようなもんだからね」
ティアナが笑った。
「それを、買い手が市場相場を知らないまま最高値で買ったということじゃ」
猫は、淡々と続けた。
「……商人として言えば、買い手に相場を教えるかどうかは、そのまま自分の利益に直結する。
あのヴォストークを誰かが意図的にロシアに渡したのか、それとも彼らが偶然見つけたのか。……そこが気になるのう」
「その視点、なかったですね……」
エミリーが、少し真剣な顔になった。
「ただ」
ティアナは、骨董品だと切り捨てつつも、一つだけ本当に凄い部分を補足した。
「あれが自己診断の時にオンラインって言ってたのは、結構重要だよ」
「オンライン?」
「そう。本体のハードウェアは骨董品でもさ、もしあの機械が、今でもサイリーア文明の現行のネットワーク、クラウドと繋がってるんだとしたら……」
ティアナの目が、少しだけ真剣な光を帯びる。
「サイボーグ部品のレシピは、あんな旧式の脚だけじゃなくて、もっとヤバい超・先進モデルのパーツのデータまで、クラウドから引っ張ってこれる可能性がある。……そこは普通に凄いよ」
「ああ、なるほどね」
KAMIが、手を叩いて納得した。
「ローカルの端末、ヴォストーク本体がポンコツの旧型PCでも、クラウドの資産、サーバーが生きてれば、最新のソフトをダウンロードしてまだ全然戦える、みたいな話ね」
「例えが、急に分かりやすいですね……!」
エミリーが、ゲーム用語の解説に思わず感心してしまう。
「クラウドとの接続、か」
賢者・猫が、低く呟いた。
「つまり、あの機械の真の価値は、本体ではなく、本体が繋がっている先にある、ということじゃな」
「その通り」
ティアナが頷いた。
「ならば、本体を壊しても意味がない」
猫は、尻尾の先をゆらりと揺らした。
「接続先を断つか、あるいは逆に、同じ接続先に別の誰かが繋がれるようになれば……ロシアの優位は、一瞬で消える」
ラウンジが、少しだけ静かになった。
「……なんか今、すごく重要なことを言いましたよね、猫さん」
エミリーが、真剣な顔で黒猫を見た。
「当然のことを言っただけじゃ」
猫は、澄ました顔で前足をぺろりと舐めた。
「でも、対価、消費コストが酷すぎるんだよね」
ティアナは、再び問題の核心に戻った。
「レアアース? 貴金属? ……そんなもん、星間文明の連中から見たら、その辺の小惑星を一つ丸ごと砕けば無限に手に入る、ただの石ころだからね。
だから、あんな大雑把で燃費の悪い設計でも許されたの」
ティアナは、意地悪く笑う。
「でも……まだ自分たちの星の地面すら満足に掘り尽くせていない、地球の一国家、ロシア程度が賄える量じゃない。……あの改造手術、地球人類の視点から見たら、普通に国家が破産するレベルの莫大な消費量だよ」
「ですね」
工藤も、技術屋として、そのコストの異常さに完全に同意した。
「素材の要求が、とにかく古臭いんですよ。
効率の悪い時代の設計なんで、パーツのレベルをちょっと上げるだけで、指数関数的に要求されるコストが跳ね上がるタイプの、最悪の燃費の機械です」
「じゃあ……ロシアが、国家予算のすべてを注ぎ込んで、国が破産する覚悟で全力投資したとしても……」
エミリーが、恐る恐る尋ねる。
「あの歩く戦車の兵士は、一体何人くらい作れるんですか?」
「うーん」
ティアナは、少し計算する素振りを見せた後、あっさりと答えた。
「今の地球の資源産出量と、ロシアの経済力を限界まで絞り尽くして……まあ、一番最低限のテクノロジー、脚だけの改造で、三百人作れればいい方かな」
ピタリ、と。
エミリーの動きが止まった。
「……えっ。……たった、三百人、ですか?」
何万、何十万という軍隊が激突する現代の戦争において。
国家破産覚悟で全財産を注ぎ込んで、たった三百人しか作れないという数字は、あまりにも少なすぎるように思えたのだ。
「あのさ」
だが、KAMIが、エミリーのその「少なすぎる」という甘い認識を、冷酷な現実で殴りつけた。
「三百人も、作れるのよ」
「……!」
「いい、エミリー。
あのモロゾフみたいな、戦車の装甲を蹴り砕き、銃弾を避け、あらゆる地形を無視して時速数百キロで突撃してくる化け物が。……たった三百人いるだけで」
KAMIは、赤い瞳を鋭く光らせた。
「地球の戦争のバランスなんて、一瞬で、普通に壊れる、終わるわよ」
エミリーは、ハッとして息を呑んだ。
そうだ。
あのモロゾフ一人ですら、どんな特殊部隊も敵わないほどの力を見せつけていた。
それが三百人いれば、敵国の首都を数時間で無血制圧することすら可能だろう。
「三百人というのは、多いか少ないかで言えば」
賢者・猫が、静かに口を開いた。
「一人で軍の百倍の価値があるなら、三百人は三万人分の戦力ということじゃ」
猫は、商人らしい計算の目でスクリーンを眺めた。
「それをいかなる相場で売るか、どの陣営に渡すか……。
ロシアは今のところ自分たちだけで使うつもりじゃろうが、あの技術の扱い方次第では、世界中の勢力が食いついてくる」
「さっきから、あまりにも冷静な目で見てますよね、猫さん……」
エミリーが、複雑な顔で黒猫を見た。
「商人の目線とは、そういうものじゃ」
猫は、淡々と言った。
「感情で動けば、良い商売はできん。……ただ」
猫は、翠の瞳でエミリーを一瞥した。
「感情を持つ者が、どう動くかを読むことも、商売の一部じゃ。……あの者たち、ロシアの指導者たちが、あの骨董品を手に入れて、今どんな感情で動いているか。
それが、この盤面の次の展開を決める」
「だから俺、思うんですけど」
その、重苦しい三百人の脅威の話の最中に。
工藤創一が、またしても、全く空気を読まない、しかし彼の中では極めて真面目で合理的な提案を口にした。
「あんな燃費の悪い骨董品に、国家単位で全財産を投資するくらいなら。……さっさとあのヴォストークを、銀河博物館に売却しちゃった方がいいと思うんですよね」
「……はあ!?」
エミリーが、素っ頓狂な声を上げた。
「いや、マジですよ」
工藤は、ドライバーを振り回しながら、本気で力説した。
「あんな旧式の医療ユニット、星間文明の金持ちのコレクターには、そこそこ良い値段、プレミアがつくはずなんです。
……だから、あいつを売り飛ばして、その売却益で得た銀河エネルギー通貨を持って、適当な宇宙港の露店の改造ショップに行けば……」
工藤は、親指を立てて、ウィンクをした。
「あんな無駄なレアアースなんて使わずに、もっと安くて高性能な最新のパーツで、一億人分くらいは余裕でサイボーグに改造できますよ!」
「い、一億人分……!?」
エミリーは、工藤の口から飛び出した、あまりにもスケールがぶっ飛びすぎた銀河経済の錬金術に、完全に思考がショートした。
「……骨董品の売却益で最新装備を揃える、か」
賢者・猫が、翠の目を工藤に向けた。
「それは商人として、筋道の通った発想じゃな」
「でしょ?」
工藤が、少し嬉しそうに頷いた。
「ただ」
猫は、冷静に付け加えた。
「ロシアにとって、あの機械は単なる商品ではなく、国家の威信と未来の象徴に祭り上げられてしまっておる。……売れとは、なかなか言えんのう。
感情が絡むと、合理的な判断は難しくなるのじゃ」
「あー……」
工藤が、納得したように頷いた。
「それは確かに。
現場で『このラインを廃止した方が効率いいですよ』って言っても、責任者のプライドが邪魔して通らないのと、同じ構図ですね」
「ちょっと、露店って言い方やめなさいよ。
まあ、相場感としては間違ってないけど」
KAMIが、苦笑しながらツッコミを入れる。
「う、ううーん……」
エミリーは、頭を抱え、文字通りフラフラと眩暈を覚えながらコンソールに突っ伏した。
「もう、ダメです……。
スケールが違いすぎて、何がすごいのか、何がヤバいのか、全然分からなくなってきました……。
私が住んでる地球が、どんどんちっぽけな田舎の村みたいに思えてきて……」
エミリーは、深呼吸をして、どうにか自分を地球の現実に引き戻そうとした。
「……じゃあ、つまり。
ロシアが無理をしてヴォストークを手に入れて、三百人のサイボーグを作ったとしても。……宇宙の基準から見たら、それはすごく無駄な努力、骨折り損で、結局は無意味だったってことですか?」
エミリーは、どこか「そうであってほしい」という願いを込めて尋ねた。
だが。
ティアナは、ソファから立ち上がり、エミリーのその甘い期待を、はっきりと、そして残酷に打ち砕いた。
「いや。……決して、無意味ではないよ」
ティアナは、スクリーンの中で狂喜するロシア首脳陣の姿を、静かに見下ろした。
「そこは、絶対に勘違いしちゃ駄目だね、エミリー」
ティアナの声は、普段の軽さを消し去り、上位存在としての絶対的な観察の目を持っていた。
「ヴォストークは、銀河文明の基準で見れば、確かにただの骨董品だ。……でも、今の地球文明という狭い箱庭の中で見たら……それは、ゲームのルールを根本から破壊するほどに、メチャクチャに強い手札、ジョーカーなんだよ」
「……」
「ロシアが、あの骨董品を手に入れて、実際に三百人の兵士を作り上げた時点で。……地球の軍事バランスは、普通に、そして完全に変わる」
ティアナは、冷酷な事実を告げた。
「ただ、宇宙の規模で見ればしょぼい、非効率だってだけで。……今の地球の人類にとっては、あの骨董品一つが、国境線の意味すら書き換えてしまうほどの、十分すぎる絶対的な脅威なんだよ」
「クソゲーの初心者帯、地球に、旧環境の壊れキャラ、ヴォストークを一体だけぶち込んだような感じね」
KAMIが、ワイングラスを傾けて意地悪く笑った。
「最新の環境では通用しないポンコツ。……でも、右も左も分からない初心者相手なら、まだまだ余裕で無双して暴れられる。
そういうことよ」
「その例え……嫌になるくらい、分かりやすいですね……」
エミリーは、再び深い絶望の海へと沈み込んでいった。
「骨董品と言えど、使われる市場によって、その価値は全く変わる」
賢者・猫が、静かに締めくくった。
「時代遅れの剣でも、素手の者しかいない戦場では、最強の武器じゃ。……これは、商売の基本の一つでもある」
「なんか、猫さんが全部まとめてしまいましたね……」
エミリーが、力なく言った。
「うむ」
猫は、満足げに喉を鳴らした。
グルグルという低い音が、ラウンジに妙に馴染んだ。
「つまり、ロシアは、メチャクチャ金食い虫の骨董品を引いた」
ティアナは、再びポテトチップスに手を伸ばしながら、軽く締めくくった。
「でも、それでも。
今の地球にとっては、重すぎる札だったってことさ」
サイト・アオの観測ラウンジでは、それはただの骨董品として笑い飛ばされる対象だった。
だが、地球にとっては、その骨董品一つで、明日何万人の人間が死ぬか分からないのだ。
古い。
非効率。
燃費最悪。
だが、それでも十分に強い。
文明の段差とは、そういう理不尽で残酷な形で、下位の世界のバランスをいとも簡単に壊していく。
ロシアは、銀河の旧式品を掘り当てた。
だが惑星文明にとって、旧式品であることは、決して無害であることを意味しない。
彼らの手に入れた骨董品が、これから世界にどれほどの血の雨を降らせるのか。
その残酷な答え合わせは、もうすぐそこまで迫っていた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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