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第43話 歩く戦車

 モスクワ郊外、第17中央科学研究所地下五階。

 レベルΩ特殊隔離チャンバーの空気は、極限まで冷却されたドライアイスの霧が薄く漂う中、今まさに人類史上初の『一線を越える儀式』が執り行われようとする、絶対的な沈黙に包まれていた。


 分厚い防爆ガラスの向こう側、VIP観測室。

 ウラジーミル・ボグダノフ大統領を中心に、国防大臣、連邦宇宙局長官、対外情報庁長官といったロシア国家の中枢を担う男たちが、瞬きすら忘れたかのように下のチャンバーを見下ろしている。彼らの隣で、レーナ・ソコロヴァ博士をはじめとする科学班は、これから行われる『未知の医療介入』のデータを一ミリも漏らさず記録しようと、青ざめた顔でコンソールに食い入っていた。


 チャンバーの中央。

 氷の檻から解放され、黒曜石の多面体装甲を鈍く光らせる六本脚の異星の機械――『ヴォストーク・メディック・ワン』。

 その巨大な威容の前に、最初の被験者モルモットとして志願したイヴァン・モロゾフ大佐が、単身で立っていた。


 彼は、身につけていた軍帽をゆっくりと脱ぎ、分厚いミリタリーコートを付き従っていた副官のユーリに預けた。

 極寒のシベリアでの不眠不休の探索。クレムリンからの「手ぶらで帰れば凍土に埋める」という苛烈なプレッシャー。そして、他国――アメリカのアポロンの矢、欧州の狂気、日本の神話――に完全に後れを取っているという、軍人としての焦燥感と屈辱。

 (……ここで私が尻尾を巻いて逃げれば、母なるロシアは、この狂った世界で永遠に後手に回ることになる)

 モロゾフは、自らを鼓舞するように奥歯を噛み締め、軍人特有の無言の緊張を全身に纏いながら、巨大な機械の正面へと真っ直ぐに一歩を踏み出した。


 観測室の周囲を固める武装兵たちも、研究員たちも、誰一人として口を開くことはできない。

「本当に、この先に進んでよいのか」。その本能的な不安と恐怖が、部屋中に重くのしかかっている。

 ソコロヴァ博士は、乾いた喉をゴクリと鳴らしながら、ヴォストークの生体スキャナーの波形を凝視した。


 ヴォストークは、巨大な昆虫の複眼を思わせる複数の漆黒のレンズ状センサーを、直立不動のモロゾフへと向けた。

 そして、一切の抑揚を持たない、完璧なロシア語の合成音声が、冷たく響き渡る。


『――被験体:イヴァン・モロゾフ。初期最適化プロトコルを開始する』


 機械の宣告。

『対象部位:下肢両側(両脚)』

『目的:運動機能の飛躍的向上、耐久性・瞬発力・平衡感覚、及びあらゆる地形への適応性能の最適化』


 モロゾフは、その冷酷な宣告を正面から受け止め、短く、力強く頷いた。


「……やれ」


 その一言が落ちた瞬間。

 チャンバー内の空気が、完全に凍りついた。


 ガシュッ、という微かな駆動音と共に。

 ヴォストークの胴体表面に刻まれた未知の幾何学模様が、青白く、まるで心臓の鼓動のように明滅を始めた。

 同時に、下部に格納されていた無数のマニピュレーター(アーム)が、空間に花が開くように、ゆっくりと、しかし恐ろしいほどの精密さで展開されていく。その動きは、昆虫のように多関節でありながら、極めて合理的で、一切の無駄がない。


 まず、ヴォストークは、展開したアームの一つから、モロゾフの全身に向けて『極微細なナノマシンのミスト』を噴霧した。


 プシュゥゥ……。

 白く、淡い光を帯びた霧が、モロゾフの両脚を優しく包み込み、そして瞬時に、軍服の布地を透過して皮膚の内側へと浸透していく。

 モロゾフは、未知の化学物質の侵入に一瞬身構え、筋肉を硬直させた。


 だが。

 ……痛みが、ない。熱も、痺れも、異物感すら全くない。

 ただ、両脚の感覚だけが、まるで冷たい水の中に足を入れた時のように、極めて静かに、スーッと消え去っていくのを感じた。


『局所、及び全身の痛覚遮断(麻酔プロトコル)を完了』

 ヴォストークが、淡々と報告する。

『出血、神経ショック、及び精神錯乱の可能性を最小化。……被験体は、完全に意識を維持したまま、施術(最適化)の全行程を受けることが可能である』


 観測室の面々は、その報告に背筋を凍らせた。

 両脚を切り落として機械にすげ替えるという、本来なら想像を絶する激痛を伴う大手術。それなのに、麻酔医も、執刀医のチームも、生命維持装置すら存在しない。ただ、機械が霧を吹きかけただけで、被験者は立ったまま、意識も明瞭な状態で自分の体が解体されるのを見つめるのだという。

 あまりにも人間的な医療のプロセスから逸脱したその光景は、彼らに、異星の技術の「異様さ」を強烈に突きつけていた。


 次に、ヴォストークは、別のアームの先端に、極めて細く、鋭い『レーザー様の光線』を形成し、モロゾフの両脚へと向けた。

 ジィィィ……。

 その光の刃は、一切の駆動音や切断音を発さず、まるで空間そのものが最初から存在しなかったかのように、モロゾフの皮膚を、筋肉を、そして太い大腿骨を、極めて静かに、そして滑らかに『切断(透過)』していく。


 だが、ここで観測室の全員が、我が目を疑う光景を目撃した。


「……血が、出ていない……!?」

 医療班のスタッフが、悲鳴のような声を上げた。


 肉が切り開かれ、骨が断たれているというのに。モロゾフの切断面からは、文字通り【一滴の血も】流れ出ていなかったのだ。

 肉眼では見えないナノマシン群が、レーザーによる切断と同時に、切断された毛細血管や神経束をリアルタイムで瞬時に『封止コーティング』し、同時に生体情報を完璧に解析・保存しているためである。


 モロゾフは、自分の両脚が、膝上から綺麗に切り離されていくのを、自分自身の目でハッキリと見ていた。

 なのに、全く痛くない。恐怖すら湧いてこないほど、あまりにも静かで、事務的な切断作業。

 それが逆に、彼の軍人としての強靭な精神に、薄気味悪い違和感をもたらし、額に冷たい汗を滲ませた。


「あり得ない……」

 ソコロヴァ博士は、コンソールに映し出されるリアルタイムの細胞スキャンデータを見て、小さく呻いた。

「こんな速度で……こんなミクロの精度で、人間の複雑な神経と血管のネットワークを一つ残らず把握し、切断と同時に止血を完了させるなんて……。これはもはや、医療行為(手術)じゃありません……」


 ソコロヴァの目には、その光景が、まるで故障した車から『古い部品をただ取り外す』だけの、極めて無機質で工業的な作業にしか見えなかった。

 人間の複雑で神聖な肉体が、この異星の機械ヴォストークにとっては、単なる『交換可能なモジュール(部品)』の一部に過ぎないのだという残酷な事実が、そこに示されていた。


 切り離されたモロゾフの生身の脚が、アームによって静かに脇へと避けられる。

 そして、ヴォストークは、自らの胴体下部のハッチを開き、内部のナノ・アセンブラー(分子構築機)によってたった今、モロゾフの遺伝子情報に合わせて【その場でプリント(生成)】されたばかりの、新しい『代替部品』を展開した。


 それは、人間の骨格や筋肉の構造を模しつつも、明らかに地球の生物学的な進化の枠を飛び越えた、異形の『人工の脚』だった。

 外装は、ヴォストーク本体と同じ、黒曜石のように鈍く光る未知の軽量高強度素材。その内部には、金属の代わりに、青く脈打つ微細なライン(人工の神経束とエネルギー伝達経路)が、まるで生き物のようにビッシリと張り巡らされている。金属というより、未知の生体素材と機械が完全に融合したような、不気味なほどの機能美。


 ヴォストークのアームが、その新しい人工の脚を、モロゾフの太ももの切断面へと寸分の狂いもなく接合セットした。

 ジュゥゥゥ……。

 ナノマシン群が、細胞レベルで組織を急速に再編していく。

 切断されていたモロゾフの生身の神経束が、人工脚の青いラインと直接リンクし、人工筋繊維が人間の細胞と完璧に一体化していく。


『神経接続:良好。血流代替機能:正常に稼働』

 ヴォストークが、手術の進行状況を淡々と読み上げる。

『運動制御同期率:99.998%。……自己免疫(拒絶)反応:許容範囲内(完全抑制)』


 最後に、接合部の表面の皮膚と表層組織が、ナノマシンによって綺麗に再構築(縫合)されていく。

 数分後。

 モロゾフ大佐は、見た目には、手術前と全く変わらない姿で、自然に床の上に立っていた。

 軍服のズボンに隠されてはいるが、その下にあるのは、もはや人間の脆弱な肉ではなく、未知の黒い装甲と青いラインが走る、完璧な『機械の脚』である。


 ヴォストークが、すべてのアームを静かに胴体へと格納し、一歩だけ後退した。


『――初期最適化プロトコル、完了』

 機械の声が、手術の終わりを告げる。

『被験体は、立位(自立行動)可能である』


 観測室の全員が、息を呑んでモロゾフの姿を見つめた。

 モロゾフは、恐る恐る、自分の意思で右足に力を込め、ゆっくりと……しかし、間違いなく、自らの新しい『脚』で、一歩を踏み出した。


 ガシャン。


 その瞬間。

 モロゾフの全身に、まるで雷に打たれたような、強烈な【情報インプット】が駆け巡った。


「……っ!」


 彼が踏みしめた床面のコンクリートの微細な硬度、靴底との摩擦係数、自分自身の重心の完璧な位置、そして人工筋繊維の限界値と、周囲の空気抵抗。

 それらの莫大な物理データが、眼球や皮膚を通さず、直接、彼の脳の運動野へと『直感(感覚)』として流れ込んできたのだ。


 モロゾフは、目を見開いた。


「……軽い」

 彼は、信じられないというように呟いた。


 二歩、三歩と歩く。

 それだけで、彼は従来の生身の身体では絶対にあり得ない、圧倒的な『反応速度』と『安定性』を実感していた。

 長年の過酷な軍務で彼を苦しめ続けていた、膝の軟骨のすり減るような鈍痛も。銃創の古傷が引き起こす神経の痺れも。すべてが、嘘のように完全に消え去っている。

 脚は、完全に自分の意思通りに動く。自分の肉体の一部だと、脳が完全に認識している。なのに、同時に、これが「人間の脆弱な脚ではない」ということも、圧倒的なパワーの余剰感からハッキリと理解できた。


『代替生体部品は、被験体の神経パターンに完全適合している』

 ヴォストークが、補足説明を入れる。

『歩行、走行、跳躍、衝撃吸収、地形適応、及びバランス制御において……従来の生体脚の性能を、大幅に上回るスペックを発揮する』


 モロゾフの顔に、冷徹な「冬将軍」の仮面が剥がれ落ち、まるで新しい玩具を与えられた少年のように、狂気じみた、しかし純粋な【歓喜と万能感】の笑みが浮かび上がった。

 自分が、老いや肉体の限界という檻から完全に解放され、人間とは別の『上位の生物(兵器)』へと進化したという、圧倒的な全能感。


 観測室の首脳陣も、モニターに映るモロゾフの明らかな「変化(強化)」を目の当たりにし、ただならぬ可能性に身を乗り出した。


「……モロゾフ大佐。性能を見せろ」

 ボグダノフ大統領が、マイク越しに、低い声で命じた。


「はっ!」

 モロゾフは、軍人らしく短く、しかしこれまでで最もキレのある敬礼を返し、チャンバー内の広い空間テストエリアへと移動した。


 まずは、軽く駆け足の姿勢をとる。

 その、次の瞬間だった。


 ――ヒュンッ!!


「なっ……!?」

 観測室のソコロヴァ博士が、悲鳴を上げた。

 彼女たちの人間の目(動体視力)から、チャンバー内のモロゾフの姿が、文字通り【消えた】のだ。


 正確には、消えたのではない。

 人間の脚力(収縮率)の数十倍の出力を誇る人工筋繊維が、モロゾフの身体を、人間の目では捉えきれないほどの異常な速度で『加速(射出)』させたのだ。


 一瞬遅れて。

 数十メートル離れたチャンバーの反対側の壁際に、突風を巻き起こしながらモロゾフの姿が出現し、ピタリと、文字通り一ミリのブレもなく【急停止】した。

 通常なら、あれほどの速度から急ブレーキをかければ、慣性の法則で体が吹き飛ぶか、膝の関節が砕け散るはずだ。だが、モロゾフの新しい脚は、その莫大な運動エネルギーを一瞬で完璧に吸収・相殺し、彼を彫像のように直立させていた。


 観測室から、どよめきと感嘆の声が爆発する。


「は、速い……!」

「カメラの標準フレームレートから、完全に姿が消えたぞ!?」

「なんという瞬発力と制動力だ……まるで物理法則を無視している!」


 さらに、モロゾフの実演ショーは続く。

 彼は、助走を一切つけず、その場からただ軽く膝を曲げ、真上に向かって【垂直跳躍】を行った。


 ドォォン!!

 床のコンクリートが、踏み込みの衝撃で蜘蛛の巣状にひび割れる。

 モロゾフの身体は、砲弾のように五メートル以上の高さを軽々と跳び上がり、チャンバーの高所に張り出していた太い鉄骨の設備フレームへと、片手でやすやすとぶら下がった。

 そのまま、空中で猫のようにしなやかに姿勢を制御し、ふわりと、足音一つ立てずに床へと着地する。


 その後、ヴォストークがチャンバー内に用意した簡易試験装置(障害物コース)を用いて、さらなる性能試験が行われた。


 分厚い二インチの防弾鋼板を、ただの回し蹴り一発でひしゃげさせる(蹴り砕く)。

 表面が完全に凍結した摩擦係数ゼロの床面を、センサーと脚部の微細な重心制御によって、スケート靴も履かずに一切滑ることなく全力疾走する。

 通常の兵士ならロープを使わなければ絶対に登れない六十度の急斜面を、まるで平地のように走破する。

 数百キロの重さがある鋼製のブロックを、脚のバネ(油圧補助)だけを使って軽々と持ち上げ、数メートルの段差を無理なく跳び越える。


 その、人間離れした、あまりにも圧倒的なパフォーマンスの連続。

 それを見る首脳陣の表情は、最初の「未知への恐怖」から、狂気じみた「歓喜と欲望」へと、完全に塗り替えられていた。


「これだ……!! これこそ、我々が喉から手が出るほど必要としていたものだ!」

 国防大臣が、窓ガラスに額を擦りつけるようにして、興奮でヨダレを飛ばしながら叫んだ。

「あの脚の機動力と積載能力があれば、もはや戦車や装甲車が通れないような山岳地帯や密林、極寒の地でも、我が軍の歩兵は一切の機動力を落とさずに重火器を運用できる!」


「歩兵一人がこの性能を持てば、特殊部隊の定義が根本から覆る……いや、戦争という概念そのものが変わるぞ!」

 対外情報庁長官も、冷静な分析官の顔を捨て、声を震わせた。

「この脚を持つ工作員(暗殺者)を国境の向こう側に放てば、あらゆる地形(壁や障害物)を無視して敵国の要人を強襲し、そして車よりも速い速度で完全に離脱できる。……NATO(西側諸国)に対する、これ以上ない究極の心理的圧迫テロルになる!」


「軍事だけではありません!」

 連邦宇宙局長官も、目を輝かせる。

「この技術を宇宙飛行士の船外活動や、他惑星の過酷な環境探査に転用できれば……我々の宇宙開発は、アメリカを周回遅れにして、完全に覇権を握ることができます!」


 だが、彼らの議論の中心は、あくまで「いかにしてこの力を軍事力(殺し合いの道具)として運用するか」に集束していた。

 彼らはもはや、この異星の技術を「医療」などという生ぬるい言葉では捉えていない。これは、人間を最強の【歩く戦車】へと作り変えるための、究極の「兵器生産システム」なのだと。


 実演を終え、息一つ乱すことなく観測室の下に戻ってきたモロゾフ大佐。

 彼を見下ろすボグダノフ大統領の顔には、この世界の覇者となったかのような、深く、そして暗い満足の笑みが浮かんでいた。


「モロゾフ大佐」

 ボグダノフは、マイクを握り、ゆっくりと宣言した。

「お前は今……ロシアの『未来』そのものになった」


「はっ!」

 モロゾフは、以前よりも遥かに強い、人間を超えた怪物としての軍人的誇りを宿した表情で、力強く答えた。

「祖国のためならば、いかなる過酷な戦場であろうと蹂躙してみせます。……必要とあらば、さらなる最適化(肉体の改造)も辞しません」


 そのモロゾフの忠誠と狂気の言葉に、観測室の軍人たちは、割れんばかりの拍手と熱狂で応えた。


 だが。

 その狂乱の最中。ボグダノフ大統領は、冷徹な為政者としての計算を忘れてはいなかった。

 彼は、歓喜に沸く幹部たちを横目に、再びマイクのスイッチを入れ、チャンバー内のヴォストークへと問いかけた。


「ヴォストーク。一つ確認する」

 ボグダノフの声が、静かに響く。

「今、モロゾフ大佐に施したのと全く同じ『最適化(下肢の置換)』を……我が軍の他の兵士たちに施す場合。お前は、【何名まで】連続して製造・施術することが可能だ?」


 この魔法のようなシステムが、もし無尽蔵にサイボーグ兵士を量産できるのであれば、今すぐ世界征服も夢ではない。

 だが、現実はそう甘くはなかった。


『――現在、当ユニットの内部ストレージ、及び製造モジュール(ナノ・アセンブラー)に備蓄されているマテリアル残量を計算』

 ヴォストークは、一切の誇張もなく、即答した。


『下肢の代替生体部品を中心とした、初期最適化パッケージの製造限界は……おおよそ【百体分】までである』


 百体。

 その数字に、熱狂していた幹部たちが一瞬だけ息を呑んだ。

 何万の大軍勢を瞬時にサイボーグ化できるわけではないのか、という微かな落胆。

 だが、すぐに彼らは思い直した。たった百人であっても、あのモロゾフのような規格外の機動力と戦闘力を持つ「歩く戦車」の特殊部隊が編成できれば、それだけでも十分に世界をひっくり返せるだけの、強烈な【戦略級の脅威カード】になり得る。


 しかし、ヴォストークの報告は、それだけでは終わらなかった。


『それ以上の最適化(百体を超える量産)、あるいはさらなる上位の最適化(上半身や中枢神経の置換)を実施するためには……当ユニットに、【追加の資源マテリアル】を補給する必要がある』


「追加の、資源だと?」

 ボグダノフが、眉をひそめる。


『肯定する。……当ユニットが要求する資源のリストを、開示する』


 次の瞬間、観測室のメインモニターに、膨大な元素記号と必要質量のリストが、滝のように弾き出された。


『高純度のチタン合金、ニオブ、タングステン、バナジウム。及び、特定の希土類元素群レアアース、その他高密度エネルギー変換用の特殊触媒。……』

 ヴォストークは、無機質な声で、その「要求量」を告げた。

『これらの資源の要求量は、現在の貴種族(地球文明)の年間産出量・精製能力を基準とした場合……国家予算の数年分に匹敵する、極めて【相当な規模】に達すると推算される』


「年間産出量を、超える……?」

 ソコロヴァ博士が、その途方もない数値の羅列を見て、絶望的な声を上げた。

「そんな莫大な量のレアメタルと特殊合金を……しかも、不純物の混ざっていない最高純度のものを、たかだか一兵卒の義足を作るためだけに投入するなんて……国家の経済そのものが破綻してしまいます!」


『代替生体部品は、単なる義肢ではない。極限環境下での高い耐久性、軽量性、そして莫大なエネルギー効率を、同時に満たす必要がある』

 ヴォストークは、ソコロヴァの悲鳴を冷酷な事実で切り捨てた。

『低純度の材料、あるいは代替品を使用した場合。……最適化の過程において、性能の著しい劣化、生体との不適合(拒絶反応)、及び戦闘行動中の致命的な耐久性不足(パーツの崩壊)が、高確率で発生する』


 つまり、その辺の工場で作った安い鉄クズでは、異星文明仕様の戦闘用強化部品サイボーグパーツは作れないのだ。

 たった数百人、数千人のサイボーグ兵士を量産(維持)するためだけに、地球上のあらゆる希少資源を根こそぎかき集め、国家の経済と産業のすべてを『この機械への餌やり』に全振りしなければならない。


 一部の官僚や研究者たちは、ここで少しだけ冷静になりかけた。

 これほどの膨大な資源を軍事(サイボーグ化)にのみ投入すれば、ロシア国内の民間産業は完全にストップし、資源の輸入を巡って他国との深刻な外交摩擦(あるいは戦争)に発展しかねない。それは、国を強くするどころか、国を内側から食い潰す劇薬ではないのか。


 しかし。

 ウラジーミル・ボグダノフ大統領は、違った。


 彼は、一拍の沈黙の後。

 モニターに映し出された絶望的な資源の要求リストを前に、微塵も怯むことなく、むしろ野心に満ちた冷笑を浮かべて、断言したのだ。


「……それは、何の問題でもない。未来への『投資』だ」


 その大統領の一言で。

 観測室に漂いかけた「躊躇」の空気は、完全に、そして強制的に吹き飛ばされた。

 ロシアという国家の意思が、完全に「退路を断って進む」方向へと固定された瞬間だった。


「国防大臣。対外情報庁長官」

 ボグダノフは、両脇のトップ二人を見据え、矢継ぎ早に命令を下した。

「国内のあらゆる鉱山の増産体制を敷け。極東、シベリア、ウラル山脈の資源開発を、環境保護など無視して最大速度で加速させろ。……不足分は、中東やアフリカの友好国、影響下の国家群から、ありとあらゆる手段を用いて調達する。必要ならば、裏ルートの非合法取引を使っても構わん」


「はっ!」

「学術機関と軍需産業のすべてを総動員し、この『ヴォストーク』への資源供給と技術解析を、我が国の最優先国家課題トップ・プライオリティとする!……我々が世界を支配するための部品代だ。いくらかかろうと、必ず掻き集めろ!」


 国防大臣は即座に資源調達の計画案を脳内で組み立て始め、対外情報庁長官は、アフリカや中央アジアにおける非合法な資源ネットワークの確保に向けて動き出した。

 連邦宇宙局長官も、この技術を宇宙開発に転用できる可能性に目が眩み、予算の獲得に向けて喜色を隠せずにいる。


 誰も、止めない。

 人類の限界(経済と倫理の枠組み)を超えた、狂気の沙汰とも言える代償を支払うことになろうとも。彼らはただ、目の前に提示された「圧倒的な強さ」に酔いしれ、自ら喜んでその毒杯を飲み干そうとしているのだ。


「……私たちは」


 その、権力者たちの熱狂の輪から一人外れ、ソコロヴァ博士だけが、隔離チャンバーの底で静かに佇む『ヴォストーク』を見つめ続けていた。


 六本脚の異形の巨体は、相変わらず無機質で、冷たかった。

 彼らは、ロシアを支配しようとも、甘い言葉で誘惑しようともしていない。ただ、プログラムに従って「能力最適化(治療)」という選択肢を、淡々と提供(開示)しただけだ。


 それなのに。人間の側が、勝手にその力に魅了され、自らの国をすり潰してでもその兵器を量産しようと、狂乱のステップを踊り始めている。


 ソコロヴァは、ふと、チャンバー内に立つモロゾフ大佐の『新しい脚』を見た。

 外見上は、人間の脚のシルエットに似ている。だが、あの黒曜石の装甲と青いラインは、もはや明らかに人間のそれではなく「別の生物(機械)」のものだ。


 彼は、以前と同じ、誇り高き『イヴァン・モロゾフ』という人間なのだろうか。

 それとも、もうロシア国家が異星の技術によって作り出した、血の通わない『新たな兵器(部品)』へと成り下がってしまったのだろうか。


「……私たちは、一体……何を目覚めさせてしまったの……?」

 ソコロヴァは、自らの両腕を抱きしめ、小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。


 だが、彼女のその悲痛な不安の声は、首脳陣の熱狂と、次なる軍事計画の喧騒に、あっけなく掻き消されていった。


「編成するぞ」

 ボグダノフ大統領が、満足げに宣言する。

「歩兵の柔軟性と、戦車の破壊力。その両方を完全に兼ね備えた、人類史上最強の『サイボーグ特殊部隊』を」


「コードネームは……【赤き星旅団レッドスター・ブリガード】」

 国防大臣が、新たな悪魔の部隊に名前を与えた。


 モロゾフ大佐は、自分がその伝説の旅団の最初の旗手(象徴)となることを理解し、チャンバーの底で、誇りと陶酔に満ちた笑みを浮かべていた。

 彼は、新たな脚で、コンクリートの床を強く踏みしめる。


 ガキン。

 その音は、もはや人間の肉と骨が発する音ではなく、重く、硬い……純然たる『兵器』が、殺戮の戦場へと歩み出すための、冷酷な足音だった。


 ロシアは、ついに「歩く戦車」の量産という、もう二度と元には戻れない禁断の未来(軍事ドクトリン)へと、国家総出で足を踏み入れたのである。



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レアメタルを求めて諸外国とあつれきが起きそうですね。
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