第40話 同盟国ではなく、潜在敵として
ワシントンD.C.、ホワイトハウスの地下深く。
大統領の緊急時の指揮所であるシチュエーション・ルーム(状況室)は、空調が効きすぎているのか、それとも集まった人間たちの放つ殺気にも似た冷気のせいか、肌を刺すような底冷えのする空気に満たされていた。
部屋の正面を覆う巨大なスクリーンには、極東の島国――日本列島の衛星写真が映し出されている。
島根県の出雲山域に敷かれた、自衛隊による異常なまでに分厚い多重封鎖線。
そして、台湾の目と鼻の先にある与那国島沖で、海上自衛隊と海上保安庁の艦艇が、円を描くようにして特定の海域(龍宮の扉の真上)を厳重に囲い込んでいる様子。
それらの映像の隣には、日本政府から送られてきた『米国の共同安全管理および支援の提案を、全面的に辞退する』という、短い外交文書のログが添えられていた。
その部屋にいた誰一人として、スクリーンに映る極東の島国を、もはや「最も重要な同盟国」として見てはいなかった。
そこにあるのは、まだ正式に宣戦布告されていないだけの「潜在的な敵対国家」を、いかにして無力化し、その地下に眠る資源を奪い取るかという、乾いた計算だけだった。
「……CIAからの報告によれば」
中央情報局の長官が、手元のファイルに視線を落としたまま、忌々しげに口を開いた。
「日本政府は、出雲の封鎖において我々の情報支援を完全に拒絶したばかりか、与那国島沖での海洋調査に関しても、一切のデータを我々に共有していません。……彼らは、明確な意図を持って、我々アメリカ合衆国を【締め出し(アクセス・ディナイアル)】にかかっています」
「与那国と出雲に関する情報遮断は、もはや同盟国としての独自の裁量の範囲を完全に超えている」
統合参謀本部議長が、太い腕を組んで深く頷いた。
「我々の偵察衛星は、与那国の海底で何らかの『異常な発光現象』と、未知のエネルギーの脈動を断続的に観測している。……彼らは間違いなく、あの海の底で『新しい何か(第二の地球外遺産)』を発見し、それをアメリカから隠して独占しようとしているんだ」
「同盟国間の信義違反どころの話ではない。これは重大な安全保障上の主権問題であると同時に、明確な【敵対的情報遮断行為】だ」
国防長官が、テーブルを軽く叩いて結論づけた。
「日本政府の行動を、『国内の混乱を自力で収めようとしているだけの善意の表れ』として解釈する段階は、もはや終わったと見るべきです、大統領」
彼らの言葉の端々から飛び出すのは、同盟国に対するものではなく、完全に「敵国」を評価する際の冷酷な軍事・情報用語ばかりだった。
アメリカという巨大な国家機構が、その巨大な質量をもって、明確に「日本への不信と敵意」へと傾き始めている。
「そもそも……主人の手を噛む猟犬など、我々には必要ありません」
その冷え切った会議室の空気に、さらにガソリンをぶち撒けるように。
オブザーバーとして参加していたドクター・ケンドール――セレスティアル・ウォッチの主任研究員にして、アメリカ政府内の最も過激な『強硬派』の顔役――が、前のめりになって暴言を吐き捨てた。
「日本政府は、出雲の『魂のアーカイブ』の真の価値に気づき、それを独占するために、あえて民間人の犠牲(事故)すら利用して自衛隊を動かし、我々を物理的に締め出したんです! しかも、与那国という新たな特異点まで見つけ出し、コソコソと何かを企んでいる……。これ以上、あの猿どもに人類の至宝を預けておく(管理させる)理由がどこにありますか!」
ケンドールは、血走った目でスクリーンを睨みつけながら、自らの欲望(科学的探求心と覇権欲)を剥き出しにして叫んだ。
「我々が取るべき『最低ライン』の行動は、もはや明白です! 出雲と与那国島は、即座に日本政府から管理権を剥奪し、我々【アメリカ軍の直轄区域】へと移管(接収)すべきです! 日本政府はすでに、あの遺産を安全に管理する能力と資格を完全に失っている!」
そのケンドールの極端すぎる「主権剥奪(侵略)」の主張に。
普段であれば眉をひそめるはずの制服組の将官たちが、しかし、今回は静かに、そして深く頷いたのだ。
「ドクター・ケンドールの言い方は過激ですが……戦略的には、彼の主張は極めて妥当です」
陸軍の将官が、低く重い声で同調した。
「現地の脆弱な封鎖能力と、情報管理(隠蔽)の杜撰さを考えるなら、日本との『共同管理』などという生温い手段では不十分です。……最低でも、出雲と与那国は、米軍直轄の『一時的保護区域(安全保障区域)』に強制的に編入する必要があります」
「ええ。与那国島は、対中国防衛線における極めて重要な海洋要衝でもある。あの島の近海で、得体の知れないエネルギー反応を日本単独で抱え込ませておく理由は、我々の安全保障上、どこにも存在しない」
海軍の将官も、地政学的な理屈をつけて『強奪』を正当化した。
一時的管理、安定化措置、共同保護。
彼らは言葉を巧妙に言い換えているが、その本質が意味するところは、単なる【軍事的な占領(侵略)】に他ならない。
「……待ちなさい」
キャサリン・ヘイズ大統領は、その会議室を満たす剥き出しの帝国主義的な狂気に、本能的な恐怖と嫌悪感を覚え、冷たい声で制止した。
「あなたたち、一体何を言っているの。……日本は、まだ我々の最も重要な同盟国よ」
キャサリンは、円卓の軍人たちを真っ直ぐに見据えた。
「軍事侵攻(武力による接収)なんて、論外だわ。……少なくとも現時点で、日本政府が我々アメリカに対して、物理的な『攻撃の意思』を持っているという証拠は、どこにもないじゃない」
キャサリンの言葉は、民主主義国家のリーダーとして、極めて真っ当な正論だった。
だが。その正論は、もはやこの冷え切った状況室の壁に虚しく吸い込まれるだけで、誰の心にも響かなかった。
誰も、彼女の言葉に即座に同意しようとはしない。
将官たちは、直接的な反論こそ口にしないものの、静かに目を伏せ、あるいは手元の資料に視線を落とし……誰一人として、大統領と目を合わせようとしなかった。
情報機関の幹部たちも、ペンを弄りながら、無言で彼女の「甘さ」を批判している。
(……大統領は、大局を見失っているのではないか?)
その、言葉にはされない、しかし明確な『不信の視線』が、部屋中に満ちていた。
キャサリンは、軍の出身者ではない。彼ら軍人や情報機関の人間特有の「国家の覇権と力の論理」を、根本的なところで理解していない(感情的になりすぎている)のではないかという、軍歴を持たぬ大統領への静かな、しかし強烈な不信感。
それは、キャサリン自身の肌にも、痛いほど突き刺さっていた。
「……それに」
キャサリンは、自らの言葉の弱さを自覚しながらも、必死に反論を重ねた。
「出雲には、今、自衛隊が展開しているのよ。もし我々が強引に軍を動かせば、最悪の場合、同盟国同士での物理的な武力衝突(戦争)に発展しかねない。……そんなことになれば、国際社会は……」
だが、その反論も、彼女自身が心の底から「絶対にあり得ない(日本は反撃してこない)」という完全な確信を持てていないため、どこか弱々しいものになってしまっていた。
日本を守りたい。友人である矢崎総理との約束を守りたい。
だが同時に、アメリカのトップとして、出雲と与那国の『文明を支配する力』を他国に奪われることの恐怖も、痛いほど理解している。
(……もし、限定的な管理区画の設置だけで済むのなら……少しだけ、圧力をかけて……)
キャサリンの心が、軍部と情報機関の放つ圧倒的な「同調圧力」の前に、ほんの一瞬、グラリと揺らぎかけた。
その、大統領が流されかけ、アメリカという巨大な軍事機械が、日本への「侵略」へと完全に舵を切ろうとした、まさにその絶対の危機的瞬間だった。
「……諸君。少しいいか」
会議の最初からずっと、円卓の末席で影のように沈黙を保っていた男――セレスティアル・ウォッチの作戦司令官、オブザーバー・アルファが、静かに、しかし異常なほどよく通る声で口を開いた。
全員の視線が、彼に集まる。
誰もが、「ついにセレスティアル・ウォッチのトップが、軍と同調して大統領に日本侵攻のトドメを刺しに来た」と思った。
だが、アルファの口から出たのは、日本への侵略を後押しする言葉ではなかった。
「諸君。……【ヘルメス協会】の件を、忘れていないか?」
ピタリ、と。
軍人たちが、熱に浮かされていた顔をハッと上げ、互いの顔を見合わせた。
「……あ」
キャサリンも、その言葉を聞いて、一瞬だけ呼吸を止めた。
出雲と与那国という、目の前にぶら下げられたあまりにも巨大で魅力的な『餌』に目を奪われるあまり、彼らは完全に忘却していたのだ。
ほんの前に、ヨーロッパ全土をオーロラで覆い尽くし、世界を崩壊の一歩手前まで追い込んだ、あの『現在進行形の最大の敵』の存在を。
「……アルファ司令官。今は、日本の問題について……」
国防長官が、バツが悪そうに話を戻そうとする。
「順序が逆だと言っているんだ、長官」
アルファは、冷徹な声で、会議室の空気を一撃でひっくり返した。
「我々アメリカにとって、現在最も警戒すべき『潜在敵の優先度』は、日本ではなく【欧州】だ」
アルファは、モニターの映像を、日本からヨーロッパの地図へと強制的に切り替えた。
「ヘルメス協会は、先の『新月の儀式』を成功させ、信じがたい異星のテクノロジーと宇宙観を、彼らの指導部(エリート層)の脳内に直接ダウンロードした。……彼らは現在、その狂信的な思想をもって、EU各国の政治中枢や経済界のトップへと急速に浸透しつつある。……近い将来、EUという巨大な経済・軍事ブロックそのものが、ヘルメス協会の『実質的な傀儡国家』と化す可能性が極めて高い」
アルファの氷のような論理が、軍人たちの頭に冷水を浴びせていく。
「EUが実質的に傀儡化され、我々のコントロールを完全に離れようとしているこの致命的な局面に……。我々アメリカが、極東の島国に腹を立てて、正規軍を動かして『同盟国への侵略戦争』という泥沼の議論に熱中するなど、完全に大局を見失った愚行だ」
アルファは、ケンドールと統合参謀議長を冷たい目で見据えた。
「少なくとも現時点で、地球規模の秩序(アメリカの覇権)に対する、即時的かつ現実的な脅威は、明らかに欧州(ヘルメス協会)の方だ。……今ここで我々が日本を敵視して極東に軍事リソースと政治的関心を割けば、欧州の連中は喜んでその隙を突き、彼らの狂った『調和の計画』を自由に深化させるだろう」
「……確かに、欧州の動向は無視できないが」
陸軍の将官が、悔しそうに唸った。
「しかし、日本が保持している出雲と与那国は、それを遥かに凌駕する脅威になり得る! 彼らがその力を使って、我々に牙を剥いてきたらどうするんだ!」
「誤解のないように言っておくが、私は『日本の持つ力が危険ではない』などとは一言も言っていない」
アルファは、脅威論そのものは否定しなかった。
「出雲のアーカイブと、与那国の未知のシステム。……あれらが完全に日本のコントロール下に置かれれば、条件次第では、核兵器数百発分すら超える、世界を書き換えるほどの戦略的脅威(爆弾)となる。それは事実だ」
アルファは、そこで一拍の間を置き、しかし極めて明確な『切り分け』を行った。
「だが……その巨大な爆弾を持った日本という国家が。それを他国に向かって投げつけ、積極的に【軍事侵略戦争】へと走る確率が、果たしてどれほどあると思う?」
「……」
軍人たちが、押し黙る。
「ゼロに近い。少なくとも、現時点ではな」
アルファは、断言した。
「日本国民の特殊な政治文化、極端な戦争忌避の世論、そして日本政府の国内における脆弱な正統性を考慮すれば。……彼らが、出雲や与那国の力を利用して、自発的に他国への大規模な侵略戦争に『同意』し、軍(自衛隊)を海外に派兵することなど、あり得ない。……彼らは、あの力を『自国を守る(現状を維持する)ため』にしか使えない、臆病なシステムなのだから」
「……」
軍人たちが、さらに押し黙る。
「日本という国家は、自国の防衛(現状維持)という極めて内向きな目的にしか、あの強大な力を行使できない。……つまり、彼らが我々アメリカ本土を『魂の庭』の力を使って先制攻撃してくるようなシナリオは、彼らの国民感情と政治システムが根底から崩壊しない限り、あり得ないのだ」
アルファは、軍人たちの過剰な『日本脅威論』を、極めて冷徹な地政学的・社会的分析によって真っ向から否定した。
「それにだ。……そもそも、我々が今、強引に軍を動かして日本へ『侵攻』したとして。その正当な理由を、国際社会に向けてどう説明するつもりだ?」
アルファは、静まり返った円卓を見回し、最も致命的な『政治コスト』の計算を彼らに突きつけた。
「同盟国である日本へ、突如として牙を剥く。その不可解な行動を正当化するためには……我々は世界に向けて、出雲と与那国の『真の価値(全知性体のアーカイブと、巨大な地球外システム)』を完全に暴露せねばならない」
その言葉に、外務省(国務省)の幹部やCIAの人間たちが、ハッと顔色を変えた。
極秘のまま日本を制圧することなど不可能だ。自衛隊との衝突が起きれば、必ず世界中から「なぜアメリカは日本を攻撃しているのか」という非難と疑惑の目が集中する。それを誤魔化すためには、真実(あるいはそれに近い大義名分)をぶちまけるしかない。
「その真実を暴露した瞬間……世界はどう動くと思う?」
アルファは、冷笑を浮かべた。
「中国、ロシア、EU、そして中東のあらゆる国家が、その人類の至宝を求めて、一斉に日本列島へと群がってくる。……我々アメリカは、『世界の正義の管理者』としてではなく、至宝を独り占めしようとした『最初の強盗(抜け駆けした国)』として、全世界から袋叩きにされるだろう」
アルファの氷のような予測が、状況室の空気を完全に凍結させた。
「我々が日本を押さえる前に、全世界を敵に回すことになる。……他国も同じく狙う。米国は、極東の島国で終わりのない消耗戦に引きずり込まれ、完全に【デッドロック(手詰まり)】に陥る。……これが、今すぐ日本に侵攻した場合の、最も確実な未来だ」
「……っ」
先ほどまで「主人の手を噛む猟犬など要らない!」「米軍直轄が必要です!」と息巻いていたケンドールや将官たちが、アルファの提示したあまりにもリアルで絶望的なシミュレーションの前に、完全に沈黙し、歯噛みした。
彼らは軍事的な制圧力しか頭になかったが、アルファは「侵略した後の世界の反応」という、より高次な政治・情報戦のレイヤーで、彼らの即侵攻論を完全に叩き潰したのだ。
「では、我々はどうすればいいと言うのだ!」
統合参謀本部の議長が、苛立ちを隠せずに机を叩いた。
「日本はすでに管理能力を失っている! あのまま彼らに巨大な爆弾を二つも抱えさせておけば、いつか彼ら自身の失態で、世界中を巻き込む破局が起きるかもしれないんだぞ!」
「だからこそ、日本に関与するなら【最低ライン】というものがある」
アルファは、激昂する軍人たちを冷たい目で見下ろし、極めて冷酷な、そして狡猾な「妥協案」を提示した。
「我々が自ら手を下すのではない。……他国、あるいはヘルメス協会のような非国家勢力が、あの出雲と与那国を狙って『先に動く(日本へ侵攻する)』のを待つんだ」
「待つ、だと?」
「そうだ。他国が先に牙を剥いた時、自衛隊の防衛力だけでは、複数の特異点を同時には守りきれない。……日本が単独で防ぎきれず、完全に悲鳴を上げたその絶好のタイミングで」
アルファは、悪魔のような笑みを浮かべた。
「我々アメリカが、『同盟国の防衛』と『世界秩序の維持』という完璧な大義名分(正義の味方)を掲げて、堂々と介入する」
その言葉の響きに、軍人たちの目の色が変わった。
「他国からの攻撃を退け、その圧倒的な混乱と恩衣のどさくさに紛れて……『これ以上の民間人の犠牲を防ぐため』と称し、出雲と与那国の対象区域を、合法的かつ半永久的に、我がアメリカ軍の【直轄安全保障区域】へと編入する」
アルファは、指を一つ立てた。
「これが、我々が取るべき唯一の『最低ライン』の策だ。我々は血を流さず、正義の顔を保ったまま、日本から合法的にすべてを奪い取る。……今すぐ自ら手を汚すような真似は、これ以外の下策(悪手)に他ならない」
恐ろしいほどに冷静で、そして完璧に計算し尽くされた略奪のシナリオ。
軍人たちも、情報機関の幹部たちも、アルファの提示したその「待つ」という戦略の圧倒的な合理性と、最終的に得られる利益の大きさに、完全に魅了され、反論の言葉を失っていた。
「……アルファ」
その、円卓を支配する冷酷な論理の応酬のさなか。
キャサリン・ヘイズ大統領は、張り詰めていた肩の力を少しだけ抜き、アルファの方を向いて、微かに震える声で呼びかけた。
「あなた……もしかして、味方してくれているの?」
キャサリンの目には、ほんの一瞬だけ、安堵の光が浮かんでいた。
彼女は、アルファが軍部やケンドールの「即時侵攻論」を真っ向から叩き潰してくれたことで、彼が自分の「日本を守りたい(矢崎総理との友情を裏切りたくない)」という密かな願いを汲み取り、助け舟を出してくれたのだと、人間的な【誤解】をしてしまったのだ。
彼が味方についてくれるなら、まだこの狂った軍部を抑え込み、日本との同盟関係を維持できるかもしれない。そう、すがるような思いで。
だが。
そのキャサリンの淡い、そして甘すぎる期待を、アルファは一片の感情も交えずに、即座に、そして完璧に粉砕した。
「誤解のないように言っておくが、大統領」
アルファの冷たい視線が、キャサリンを射抜いた。
「私は、日本の味方ではない。……私は常に、アメリカ合衆国の【国益】を最優先して動いている」
「え……」
「今回は、ただ単に、日本に対して我々が『優位なポジション(カード)』を取った。それだけの話だ」
アルファは、キャサリンの人間的な弱さを冷笑するように、冷酷に言い放った。
「今、この瞬間に日本という国を火の海にする(軍事侵攻する)のが、世界戦略において極めてリスクの高い『愚策』だから止めたに過ぎない。……決して、彼らを擁護したわけでも、同盟国としての情けをかけたわけでもない」
その言葉に、キャサリンは全身の血が凍りつくような寒気を感じた。
アルファは、戦争を回避しようとしているのではない。彼が提案したのは、ただアメリカが最も効率よく、最も被害を少なく世界を出し抜くための、「侵略スケジュールの最適な再計算」に過ぎなかったのだ。
その徹底した合理性と冷酷な「アメリカ・ファースト」の姿勢に、ケンドールや統合参謀議長をはじめとする軍部・情報機関の幹部たちは、アルファへの信頼(あるいは畏怖)をさらに深くした。彼こそが、この冷たい戦争を勝ち抜くための真の戦略家であると。
「しかし、アルファ司令官」
ケンドール博士が、まだ不満げに口を挟んだ。
「待つと言っても、いつ他国が動くか分からない! その間に日本が、あの魂の庭の知識を使って我々の科学力を超越してしまったら、どうするつもりだ! 彼らが我々を出し抜く危険性は十分に……」
「本質を見誤るな、ドクター」
アルファは、ケンドールの焦りを冷たく遮り、会議室全体に向かって、その視座を「極東の島国」という小さな盤面から、一気に【地球全体(未来の覇権ゲーム)】へと引き上げた。
「本質は、日本に勝つことではない。出雲や与那国をどう料理するかという、目先の局地戦の話でもない」
アルファは、スクリーンに映る世界地図を見回した。
「本当に重要なのは……今後も、地球のあちこちに落下(あるいは発掘)するであろう『地球外テクノロジー』を、我々アメリカが、他国に先んじて【能動的に探索し、確保し続ける】という、終わりのないプロセスそのものだ」
アルファの言葉が、部屋の空気を一段階重くする。
「出雲のアーカイブや、与那国。あるいは我々が確保したアポロンの矢。……これらは、これから地球上に現れるであろう、無数の地球外遺産の『最初の数例』に過ぎない」
アルファは、キャサリン大統領を真っ直ぐに見据えて問うた。
「今後、出雲や与那国に匹敵する、いや、それ以上の破滅的な力を持った遺産が、別の国家に出現しないと、誰が保証する?
もし次にそれを手にするのが、我々の友好国ではない……ロシアや中国、あるいは中東の過激派組織のような『仮想敵国』だった場合。……その時も、大統領。あなたは今日のように、『まずは外交交渉だ』『国際世論が許さない』という理屈で、先制的な武力行使を躊躇されるのか?」
「……っ」
キャサリンは、アルファの突きつける、逃げ場のない未来のシミュレーションに言葉を詰まらせた。
「最悪のケースを想定してもいい」
アルファは、円卓の幹部たちに、地球外テクノロジーの【真の恐ろしさ】を、神話と軍事の中間のような、極めて生々しい言葉で語り始めた。
「今後発見される地球外テクノロジーの中には、地球上で起きている地政学的な争いや軍事バランスを、たった一発でひっくり返せる『逆転ホームラン』が、無数に含まれている可能性がある」
アルファは、指を一本ずつ折りながら、絶望的な兵器のカタログを読み上げていく。
「例えば、対象となる国家の指導層の精神を、数日で完全に掌握(書き換え)できる【洗脳兵器】。
例えば、認識した相手の存在そのものを、物理法則を無視して完全に消し去る【因果消去兵器】。
例えば、死という生物学的なリミットを後退させる、あるいは無効化する【不老不死の薬】。
例えば、起きた出来事そのものを後出しで修復(改変)できる、夢のような技術。……あるいは、神話にしか見えない【魔法の杖】だ」
その、あまりにも荒唐無稽で、しかし今となっては、絶対にあり得ないとは言い切れない超技術の数々。
会議室の空気が、これまでの「通常の戦争」の概念から完全に逸脱した、未知の宇宙的恐怖へと染まっていく。
「地球外のテクノロジーは、我々未熟な人類の理解を遥かに超え、一見すると『魔法』にしか見えない」
アルファは、さらに恐ろしい歴史的仮説をさらりと口にした。
「過去の伝承に現れる、奇跡を起こす魔法使い、魔女、仙人、あるいは預言者……。それらが、太古の昔に地球に漂着した異星人、あるいは異星技術の断片に触れただけの『ただの人間(接触者)』だった可能性を……ここにいる誰が、科学的に否定できる?」
軍人たちも、情報機関の幹部たちも、ここで初めて「日本だけが問題なのではない」ということを完全に理解した。
これは、日本とアメリカの主権争いなどという小さな話ではない。
神話の時代から続く、あるいはこれから始まる、人類という種の限界を超えた【魔法(超技術)の奪い合い】という、全く新しい次元の生存競争なのだ。
「大統領」
アルファは、会議室全体に向けてではなく、大国アメリカの最高意思決定者であるキャサリン・ヘイズ、ただ一人に向けて、その鋭い刃のような問いを突きつけた。
「これから先、我々が直面するのは、従来の核抑止論や、軍事同盟の枠組みでは全く測ることのできない、規格外の脅威だ」
アルファの言葉は、民主主義という平和な時代のルールで動いてきたキャサリンの「常識」を、完膚なきまでに破壊しにかかっていた。
「もし、敵国が我々の指導部を無血で制圧できる『洗脳兵器』を持っていたら?
もし、狂信的な独裁者が『不老不死』を独占し、永遠の帝国を築こうとしたら?
もし、敵が『死そのものを無効化』し、無限に蘇る軍隊を手に入れたら?
……その時も、あなたは今日のように、『まだ相手は攻撃してきていない』『国際法が』『世論が』と、同じ言葉を繰り返して、相手に先手(魔法)を打たれるのを黙って待っているつもりか?」
アルファは、一歩だけキャサリンの方へ歩み寄り、冷酷な目で彼女を見下ろした。
「……最後の一線を越える覚悟が、お有りか?」
それは、アルファによるキャサリンへの、一種の【通過儀礼】だった。
ただの「同盟国を守りたい」という心優しい民主国家のリーダーでいるのか。それとも、これから来る『怪物の時代』において、人類を、そしてアメリカを生き残らせるための「冷酷なプレイヤー(選ぶ者)」になるのか。
その究極の問いに、会議室は水を打ったように静まり返り、全員の視線がキャサリンに集中した。
キャサリンは、アルファのその圧倒的な圧力と、彼が提示したあまりにも絶望的で無慈悲な未来のビジョンに、一瞬、呼吸が止まるほどの恐怖を感じた。
もし自分がここで「そんな恐ろしい兵器を使うような真似はしない」と民主主義の倫理(綺麗事)を盾に逃げれば、アルファや軍部に見限られ、大統領としての実権を完全に失うだろう。
だが、「先制攻撃も辞さない」と即答すれば、彼女は完全にアルファと同じ『冷酷な怪物』に成り下がり、矢崎総理との友情も、自分自身の人間性もすべて捨てることになる。
数秒の、永遠にも感じられる深い沈黙。
キャサリンは、恐怖も、迷いも、そしてこれから自分が背負わなければならない血まみれの責任も、すべてをその細い両肩に抱え込んだまま。
それでも、決してその問いから目を逸らすことなく、顔を上げた。
「……最後の一線を、越えるかどうか」
キャサリンの声は、震えていた。だが、その瞳の奥には、アルファの冷酷さに完全に屈しないだけの、大統領としての、そして一人の人間としての【意地】が宿っていた。
「最後の一線を越えるかどうかを決めるのは、あなた(軍部)ではないわ、アルファ」
彼女は、アルファを、そして会議室の男たちを真っ直ぐに見据えた。
「私よ。……アメリカ合衆国大統領である、私が決める」
それは、怪物の論理に完全に染まるわけでもなく、かといって逃げるわけでもない。
最も苦しく、最も責任の重い「決断の椅子」に座り続けるという、彼女なりの血を吐くような【覚悟の始まり】だった。
「私は、自ら進んで怪物になる(無闇に他国を侵略する)覚悟はないわ」
キャサリンは、明確に宣言した。
「でも……その未知の怪物たちに、この世界を、そして我が国を黙って明け渡すつもりも、毛頭ない。
だから……探すわ。見つける。出雲も、与那国も、これから世界中に現れるすべての地球外テクノロジーも、アメリカが総力を挙げて確保に行く。我々は、この探索から絶対に降りない」
キャサリンは、最後にアルファに向かって、毅然と言い放った。
「そして、その手に入れた力を使って、どこで線を引くか(どう使うか)は……私が、私の責任で決めるわ」
その言葉に、ケンドールも、将官たちも、一瞬だけ息を呑み、そして静かに彼女の「大統領としての覚悟」を認めたように押し黙った。
アルファは、表情を一切変えなかったが、内心では『……悪くない。ただの案山子ではなかったか』と、ほんの少しだけ彼女の生存本能を評価していた。
「……了解した。大統領のその決意、我々も全力でサポートしよう」
アルファは、静かに一礼し、自らの席へと戻った。
会議は、これで終わった。
当面の日本への即時侵攻は見送られ、「他国が動くのを待ち、混乱に乗じて介入する」というアルファの策が、アメリカの対日基本方針として(表向きは同盟関係を維持したまま)静かにセットされた。
だが、この夜のホワイトハウス地下で行われた会議の本当の結論は、「日本への侵攻を延期した」ことなどではない。
それは、アメリカ合衆国という世界最強の覇権国家が。
従来の核兵器や地政学のルールを完全に捨て去り、「地球外テクノロジー(魔法)」という名の、ルール無用の果てしなく残酷で巨大な戦場へと、自ら本格的に足を踏み入れると決断した【怪物の時代への入場宣言】であった。
キャサリン・ヘイズは、誰もいなくなった状況室で、一人、スクリーンに映る極東の島国を見つめていた。
彼女は、その夜、友人である矢崎総理との「同盟(信頼)」を、完全な意味で守り切ることはできなかった。
だが同時に、彼女は、これから世界を飲み込むもっと巨大で絶望的な時代の入口で、決して逃げ出さず、その重すぎる責任を背負い続けることだけは選んだのだ。
日本は、まだアメリカの標的のままだ。
だが同時に、アメリカも、日本も、そして世界中のあらゆる国家が、今日この日から「地球外テクノロジー争奪戦」という、勝者なき新しい戦争の泥沼へと、本格的に引きずり込まれていく。
世界はもう、後戻りできない。
魔法という名の絶望の矢が、今、放たれようとしていた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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