第39話 日本、詰み盤面です
大気圏外に浮かぶ超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉の観測ラウンジ。
その巨大なメインスクリーンには、先ほどまで映し出されていた日本の首相官邸地下――矢崎総理や三神編集長が「地球上のあらゆる国家が、日本人を核で虐殺するシナリオすらあり得る」という絶望的な結論に行き着いた、あの重苦しい会議の様子が、静止画として残されていた。
数十分前まで、「人類の愛が勝った!」「女神様です!」と、与那国の奇跡的なハッピーエンドに涙を流して感動していたラウンジの空気は、一瞬にして凍りついていた。
さすがに、「民族ごと核で焼かれる」というスケールが大きすぎる絶望的な飛躍には、サイト・アオの面々も言葉を失っていたのだ。
ビーズソファにはティアナが骨抜きになって沈んでいる。
KAMIは隣のソファで、台湾の鳳梨酥の包み紙を丁寧に剥きながら、ホログラムの地球儀を横目で眺めていた。
今日の地球菓子はこれで四種類目だ。
作業テーブルでは工藤がコーヒーを啜りながら物流データをチェックしている。
そして、ソファのひじ掛けの上に、賢者・猫がちょこんと座り、翠の瞳でスクリーンの静止画を静かに品定めするように見つめていた。
「……あわわわわ」
エミリー・カーター研究員は、コンソールの前で口をポカンと開けたまま、完全に顔面を蒼白にして固まっていた。
彼女の脳内では、「良かった、二人とも助かって本当に良かった」という温かい感情が、「でも世界中から核ミサイルで国ごと吹き飛ばされるかもしれない」という絶対的な暴力によって、無残に踏み躙られていた。
その、エミリーの絶望と硬直を。
ティアナが、ポテトチップスをかじる軽い音と共に、あっさりと打ち破った。
「うーん、なるほどね」
ティアナは、スクリーンの静止画を見上げながら、同情半分、そして感心半分の声を出した。
「日本政府も、やっと理解できたかー。……魂の庭が自国の領土内にあるっていうだけで、あれ、もうだいぶ詰み盤面なんだよね」
ティアナの口調は、まるでチェスの盤面を見下ろすプレイヤーのように、ひどく軽かった。
「彼らは今まで、出雲をただの危ない国家機密くらいにしか見てなかったけど。……実際には、あれって持ってるだけで全世界から敵対判定されて焼かれる、呪いのヘイト・アイテムだからね。
それに気づけたのは、プレイヤーとしては大きな進歩だよ」
「ひ、進歩って……!」
エミリーが、ようやく声帯の機能を回復させ、悲鳴のようなツッコミを入れた。
「ハッピーエンドだと思ったら、とんでもないことになってるじゃないですか……!
良い話で終わったはずなのに、なんで国家存亡どころか、全人類を巻き込む世界大戦みたいな話になってるんですか!」
「いや、だから魂の庭の価値がバグりすぎてるのよ」
KAMIが、鳳梨酥を一口かじりながら、心底退屈そうに欠伸をした。
「出雲も与那国も見つけたのに、どうして報酬が全地球からの敵対なんだって?
それはね、エミリー。
あんたがレベル1の初期村の近くで、いきなりラスボスのドロップアイテムを拾っちゃったからよ。……他のプレイヤーから見たら、そんなのシステムエラーのチーターにしか見えないでしょ。
よってたかってBANしに来るに決まってるじゃない」
「そんな……!」
エミリーは、頭を抱えてコンソールに突っ伏した。
「……ふむ」
ひじ掛けの上の賢者・猫が、スクリーンの矢崎総理の背中を見つめながら、低く唸った。
「あの総理という者は、今回も一人で背負っておるな」
誰も答えなかったが、全員が少しだけ静かになった。
「民族ごと核で焼かれる可能性まで含めて、それでも正面から向き合っておる。……商人としては、そういう者が一番扱いに困るのじゃが」
猫は、前足でぺろりと顔を拭い、尻尾の先をゆらりと揺らした。
「扱いに困るが……値打ちはある」
「……猫さん」
エミリーが、涙目で黒猫を見た。
「ただ、値打ちがあるからといって、詰んでいないわけではない」
猫は、翠の瞳でエミリーを一瞥し、冷静に続けた。
「感情論は後じゃ。まず、詰みの構造を正確に見ることが先よ」
「まあまあ、エミリー。そんなに絶望しなさんな」
KAMIが、鳳梨酥を食べ終えて次の菓子を袋から取り出しながら、少しだけ楽しそうに笑った。
今度は北欧のリコリスだ。
「あんたたち、こういう絶望的な盤面の整理って苦手でしょ。だから、私が運営目線で、今の日本がどれくらい綺麗に詰んでいるか、分かりやすく詰み筋を整理してあげるわ」
KAMIの指先が動き、ホログラムの上に赤い警告のポップアップが次々と表示されていく。
「まず、第一のルート。
出雲を自力で調べようとするとどうなるか。……これはもう分かってるわね。情報量に脳が耐えきれなくて一瞬で廃人よ。
物理的に手が出せない」
「第二のルート。
じゃあ、今のまま厳重に封鎖し続けるとどうなるか。……中に入れないなら、鍵(アクセス権)を持ってる人間を攫えばいい。
つまり、国内の神職や霊能者、イタコたちが、他国のスパイやテロリストに無差別に狙われて、国内の治安が完全に崩壊するわね」
KAMIは、楽しそうに次々と絶望のルートを潰していく。
「第三のルート。
じゃあ、いっそ全世界に公開するのは? ……全国家が死者の知識を巡って狂い始め、日本を主戦場にした第三次世界大戦が起きて、最終的に日本は更地になるわね」
「第四のルート。
だったら、強固な防衛網を敷いて、日本一国で独占するのは? ……さっきあの変なおじさん、三神が言ってた通りよ。
奪えないなら壊すしかない。
全世界が結託して、日本の使用主体、つまり国民ごと、核で消し飛ばしに来るわ」
エミリーの顔色が、さらに一段階、真っ青になる。
「そして、最後の第五のルート。
一番現実的な、同盟国のアメリカに頼る、譲り渡すのはどうかしら? ……まあ、実質的に日本はアメリカに占領されることになるわね。
日本人が完全に魂の庭へのアクセスキー扱いになるけど……まあ、アメリカも鬼じゃないし、従順なペットとして、悪いようにはしないでしょ、多分」
「多分!? 多分って何ですか!?」
エミリーが、バンッと顔を上げて叫んだ。
「それ、全然安心できませんよ!
全然ハッピーエンドじゃないじゃないですか!
というか、今の整理を聞く限り……完全に、全部の選択肢が詰んでません!?」
「その通り」
XT-378が、KAMIの整理に無機質な補足を加えた。
「補足します。
現在の日本政府にとって最も致命的な点は、与那国のAIとの対話ルートが開き、出雲の正体が確定してしまったことです。……もはや彼らは、ただの危ない森だと思っていましたという無知を装う状態には、二度と復帰できません」
「そうそう」
ティアナも、スナック菓子を齧りながら頷いた。
「知っちゃった国って、その時点で強制的に、ゲームのメジャー・プレイヤーに引きずり出されちゃうからね。
誰にも頼れないし、知らないふりもできない」
「わーお、本当に見事な、逃げ場のない綺麗な詰み方!」
KAMIが、パンッと手を叩いて笑った。
リコリスをもう一本つまみながら。
「商人として見ると、の」
賢者・猫が、静かに口を開いた。
「良い素材を持っているのに、売り方が分からない。
それどころか、持っているだけで命を狙われる。……これは市場の失敗というより、その素材の価値が、今の市場規模に対して大きすぎる、ということじゃな」
猫は、尻尾をゆっくりと揺らしながら続けた。
「普通、そういう時の商人の選択は一つじゃ。……市場そのものを、素材の価値に見合う規模まで大きくするか。
あるいは、その素材を適切に管理できる買い手、後見人を見つけるか」
「後見人……ですか」
エミリーが、涙目のまま聞き返した。
「アメリカに渡すのとは、違います?」
「大きく違う」
猫は、ピシャリと言った。
「渡すのは所有権の放棄じゃ。
後見人とは、対等な契約の下で管理を委ねることよ。……まあ、今の地球に、出雲の後見人を任せられる相手がおるかどうかは、別の話じゃがの」
猫は、そう言い切ってから、ふと何かを思い出したように翠の目を細めた。
「……ワシが引き受けても良いが、それはさすがに対価の話が複雑になりすぎるのう」
「今それを言わないでください!」
エミリーが悲鳴を上げた。
エミリーは、もはや反論する気力すら失い、「どうしてこんなことに……」と、日本の、いや人類の絶望的な未来に、深い溜息をつくしかなかった。
「うーん……」
その、エミリーが世界の終わりに絶望している横で。
客分の工藤創一が、手に持っていたドライバーをくるくると回しながら、全く悪びれる様子もなく、いつも通りのズレた提案を口にした。
「じゃあ、いっそのこと……日本列島ごと、改造しちゃったらどうですか?」
ピタリ、と。
ラウンジの空気が、一瞬だけ止まった。
「……え?」
エミリーが、涙目のまま工藤を見た。
「いや、だから」
工藤は、まるで工場の生産ラインのレイアウト変更でも提案するような、ひどく軽いノリで言った。
「出雲が狙われるのも、アメリカに占領されるのも、今の日本の国土の防衛力がペラペラで、アクセスキーになる人間、神職がその辺に無防備に散らばってるからでしょ?
だったら、日本列島の地形からインフラから防衛システムまで、アクセスキーになる人間も含めて、全部まとめて要塞みたいに作り直しちゃった方が、管理の工数も減るし、手っ取り早い気がするんですけど」
「おお……!」
エミリーの目が、一瞬だけキラリと輝いた。
「あるいはですね」
工藤は、さらに無邪気に、別案を被せてきた。
「もう、地球に置いとくから奪われるし、核で狙われるんでしょ?
だったら、宇宙船作って、日本列島ごと宇宙に逃げちゃえばいいんじゃないですか?
引っ越しですよ、引っ越し。
島国なんだから、根元から切り離して浮かせれば……」
「工藤さん! 流石です!」
エミリーは、完全にその「ズレた狂気」を「現実的な解決策」だと勘違いし、身を乗り出して工藤を褒めちぎった。
「列島改造とか、宇宙船で避難とか……すごくSFチックですけど、ちゃんと日本という国と国民を守る視点に立った、素晴らしいアイデアだと思います!」
「いやー、そうですかね? ありがとうございます」
工藤は、照れたように頭を掻いた。
「いや、無理だよ」
「無理ね。即却下」
エミリーと工藤のハートフルな空間に、ティアナとKAMIの、冷酷で完璧にハモった同時ツッコミが突き刺さった。
「えっ……」
エミリーが、きょとんとする。
「いや、発想自体は嫌いじゃないけどさ」
ティアナは、呆れたようにため息をついた。
「日本列島を要塞に改造するとかやった瞬間に、他国から見たら完全に、あ、日本は地球を支配するための軍事基地を作り始めたな、やっぱり侵略国家だって確信されて、改造が終わる前に核の雨が降ってくるよ。……その時点で、普通の地球の国家としての日本は完全に終わるからね」
「逃げるのもダメよ、エミリー」
KAMIも、リコリスの袋を置いて呆れ顔で言った。
「主権国家が、うちの地下にヤバい魂の庭があるんで、国ごと宇宙に引っ越しまーす、とか、どんなクソゲーの逃亡ルートよ。……あと、残された人間、他の国の人たちはどうすんのよ。
ログインしてないプレイヤー全員置き去りにして、自分たちだけ鯖移動する気?」
「うっ……確かに……」
エミリーは、あっさりと論破され、再びシュンと落ち込んだ。
「工数の話としては、まあ分かるんですよ、俺は」
工藤が、腕を組んで工藤らしい補足を入れた。
「問題の根本は『素材(出雲)の管理コストが防衛ラインを超えている』ってことなんで、管理ラインを素材に合わせて引き上げるか、素材を管理コスト以内に収まる場所に移すか、どちらかしかない。
その意味では、列島改造も宇宙移転も、方向性としては正しいんですよ」
工藤は、少しだけ困ったような顔をした。
「ただ、実行した瞬間に、政治的なコストの方が爆発するっていう話で……そこを計算に入れてなかったのは、俺の見積もりが甘かったですね」
「工藤さんが反省している……」
エミリーが、少し驚いたように工藤を見た。
「俺、設計の話しかしてなかったんで、政治の話は盲点でした」
工藤は、あっさりと認めた。
「……政治の話というよりもの」
賢者・猫が、静かに言った。
「あの矢崎という者が、どれだけの力を手に入れたとしても、それを使う時には相応の覚悟と代償が要る。……その覚悟を彼が持てるかどうか、それが問題の本質じゃな」
「でも、どんな選択肢も詰んでますよね」
エミリーが、疲れ果てた声で言った。
「でもさ」
ティアナが、スナック菓子の袋を置き、少しだけ真面目な……いや、悪戯を思いついた子供のような、底知れぬ笑みを浮かべて言った。
「アーティファクト……というか、銀河帝国換算ではもう時代遅れのローテクを使えば。……今の日本のこの絶望的な詰み盤面でも、いくらでも逆転ホームランは打てるよ?」
「えっ!?」
エミリーが、弾かれたように顔を上げた。
「今からでも、出来るんですか!?」
「うん、出来る出来る」
ティアナは、軽く手をひらひらと振った。
「地球の基準で見たら完全に詰みの絶望的な状況でもさ。
星間文明の基準から見たら、え? なんでそんな原始的なことで困ってるの? これ使えば一発じゃん、みたいな手札、いくらでもあるし」
「はいはい、出たわね。宇宙基準のクソ・バランスブレイカーが」
KAMIが、面白そうに身を乗り出した。
「まず、一つ目。
一番シンプルで派手なやつ」
ティアナは、指を一本立てた。
「バリアだね。……星間文明の軍用戦艦に標準装備されてる、防御障壁の技術を応用するの」
「バリア……ですか?」
「そう。
国民全員に、ナノレベルの個別バリアを付与して。
さらに、日本の国土全体を丸ごと覆い尽くす、国家規模の巨大バリアを張るのさ」
ティアナは、空中の日本地図を光のドームで覆うジェスチャーをした。
「あらゆる物理的障害、他国からの害意、事故、有害環境から完全に遮断される。
酸素も内部で循環供給できるし、未知の感染症も、毒も、放射線も全部無効化。……他国が何千発の核ミサイルを撃ち込もうと、バリアの表面で花火みたいに弾けるだけで、日本国民には傷一つ、熱波一つ届かない」
ティアナは、ニヤリと笑った。
「他国が絶対に手出しできない、まさに無敵のバリア国家・日本の誕生ってわけ」
「す、凄い……!!」
エミリーは、目をキラキラと輝かせた。
「それなら、誰も出雲を奪えないし、核で脅される心配もありません!
……でも、そんなSF映画みたいに都合のいい技術が、本当に今の地球のどこかにあるんですか!?」
「あるよ。イギリスに」
ティアナは、さらりと、とんでもない極秘情報を口にした。
「まあ、その遺物の主機能は全く別の恐ろしい用途なんだけど……そのおまけ機能、防御機構を少し弄れば、国家バリアくらいなら余裕で展開できる。……まあ、イギリス政府が素直に貸してくれるかは別としてね」
「イギリスに……!?」
エミリーは、新たな超常の遺産がまだ地球に眠っている事実に驚愕した。
「二つ目。
もっと物騒で、攻撃的な逆転札」
ティアナは、二本目の指を立てた。
「地球上にはね、使用者が認知した対象を、確実に、そして物理法則を無視して殲滅する機能を持った兵器があるんだ」
「せ、殲滅兵器……!?」
「うん。……出力の限界は、星の軌道を少しずらす程度かな。
まあ、地球の地表で全力で撃ったら、大陸一つに永久に消えない傷跡が残るくらいの火力だけど」
ティアナは、恐ろしい火力を、まるで爆竹の話でもするように語った。
「でもさ、それを日本が手に入れて。
もし我が国に核を撃ったら、この不可避の殲滅兵器で、お前たちの国の首都を確実に消し飛ばすぞ? って脅せば。……日本が核兵器を一発も持っていなくても、世界を相手に完璧な相互確証破壊が成立する。
誰も手出しできなくなる」
「あわわわわ……」
エミリーは、あまりのスケールの大きさに顔を引き攣らせた。
「それ、出力の調整とか、誤射の安全装置はどうなってるんですか!?」
工藤は、なぜかその兵器の仕様に興味津々で身を乗り出している。
「脅しのスケールがデカすぎるのよ。
星の軌道ずらす兵器で地球の領土争いするとか、完全にオーバースペックでしょ」
KAMIが、呆れたようにツッコミを入れる。
「じゃあ、三つ目。
一番タチが悪くて、一番ヤバい後出しジャンケンの札」
ティアナは、さらに三本目の指を立て、楽しそうに笑った。
「認知した存在を確実に殺す。……さらに、その存在が起こした出来事そのものを、システム的に修復、なかったことにする兵器」
「……出来事を、修復?」
エミリーが、首を傾げる。
「そう。……例えばね、日本が他国から数千発の核ミサイルで攻撃されて、国土が完全に焦土と化して、日本人がほぼ全滅したとするじゃない?」
ティアナは、最悪のシナリオを語る。
「でも、もし日本人の生き残りが、たった一人でもその兵器のスイッチを押せば、発動させれば。……対象となった存在、攻撃した国家を全員殺した上で、さらに日本が核攻撃で破壊されたという物理的な結果、因果そのものを、システム的に修復してなかったことにできるんだよ」
「……っ!?」
「つまり、お前たちが先に撃って、日本を滅ぼしましたっていう確定した結果を。……発動さえすれば、後出しで、いえ、お前たちだけが消滅して、日本は無傷ですっていう結果に改変できちゃうの。
……究極の因果改変兵器だね」
「ヤバい兵器だらけじゃないですか……!!」
エミリーは、完全にキャパシティをオーバーし、頭を抱えて絶叫した。
「いや、後出しジャンケンで負け確の盤面から強制的に私の勝ちーって結果を書き換えられるとか、対人戦として完全に終わってるでしょ。
そんなの持ってる奴、絶対に対戦したくないわ」
KAMIが、心底嫌そうな顔をした。
「商人としては」
賢者・猫が、そこで静かに割り込んだ。
「その手の兵器は、持っているだけで相手の胆を冷やす。……本来、商売における最高の交渉カードは、使わなくていいものじゃ」
猫は、翠の瞳でエミリーを見た。
「使う必要が生じた時点で、すでに交渉は失敗しておる。……日本にとって本当に必要なのは、そういった兵器そのものではなく、使わずとも相手が手を出せない状況を作る、外交の妙手の方じゃないかのう」
「外交の妙手……」
エミリーが、少しだけ希望の色を浮かべた。
「まあ、今の日本の状況でそれが可能かは、また別の話じゃが」
猫は、淡々と付け加えた。
「しれっとオチをつけないでください……!」
エミリーが力なく突っ込んだ。
「じゃあ、四つ目。
もっと防御寄りだけど、ぶっ飛んでるやつ」
ティアナが指を立てようとしたところを、工藤が割り込んできた。
「それなら、空間の位相を弄る技術を使って、日本列島ごと、空間を折りたたんで隠れちゃうってのはどうですか?」
工藤が、ポンと手を打った。
「あー、できるよ。やろうと思えば」
ティアナも、あっさりと肯定した。
「日本列島を、地球の表層空間から半歩だけズラした別の位相の層に丸ごと移しちゃうの。……外の国から見たら、日本はそこにあるように見えてるんだけど、実際には触れない。
船で入ろうとしてもすり抜けるし、核ミサイルを撃ち込んでも、全部スルーして海に落ちるだけ。……見えてるけど、絶対に届かない国」
「それ、もう伝説の島、アヴァロンじゃないですか!」
エミリーがツッコミを入れる。
「伝説っていうか、ログインするサーバー、チャンネルを物理的に分離しただけね」
KAMIが、ゲーム用語で冷酷に翻訳する。
「もっと雑に逃げるなら、日本列島ごと、地球とは全く別の次元空間に隔離しちゃうって手もあるよ?」
ティアナは、さらに極端な逃げ札を出した。
「日本列島ごと、地球とは全く別の次元空間に隔離しちゃって。
必要な時だけ、少しだけ窓を開けるの。
完全な引きこもり国家だね」
「それは、もはや国家防衛ではありません。文明の退避、逃亡です」
ザーラ博士が、その案の持つ致命的な代償を指摘した。
「異次元に行った瞬間に、日本は地球という政治圏のプレイヤーではなくなります。……地球の歴史からは完全に切り離されることになります」
「待ってください! 待ってください!!」
エミリーは、次々と飛び出す常識外れの超兵器や異次元技術の数々に、パニックを起こして両手を振り回した。
「さっきから話してる内容が、全部日本を守る話じゃなくて、地球の世界観を完全に壊す話になってるじゃないですか!
バリアとか、因果改変とか、空間折りたたみとか!
そんなアニメみたいな技術、絶対におかしいです!」
「えー、でも守れますよね?」
工藤が、不思議そうに首を傾げた。
「守れますけど!!
結果的には守れますけど!!」
エミリーが涙目で怒鳴る。
「じゃあ、良くないですか?
固定治具の強度計算とか、異次元格納のライン構築の工数はかかりそうですけど、出来るならやっちゃえばいいじゃないですか」
工藤は、相変わらず効率と結果だけで物事を判断していた。
「良くないです!!
全然良くないです!!」
エミリーは、工藤のズレた合理性に本気で腹を立てた。
「まあ、守れるかどうかと、守った後に何が残るかは、別の話じゃがの」
賢者・猫が、ふと呟いた。
全員が、黒猫を見た。
「日本という国の値打ちは、出雲を持っているからではない」
猫は、翠の瞳をスクリーンの日本列島へと向けた。
「あの総理が背負っているもの、あの島の人間たちが積み上げてきたもの。……それを守ることが目的なのであれば、どんな手札を使うにせよ、それが消えてしまっては意味がなかろう」
「……猫さん」
エミリーが、目を赤くした。
「商人として言っておく」
猫は、尻尾をゆらりと揺らして続けた。
「値打ちのあるものは、雑に扱うと壊れる。……どの手札を切るにせよ、一番守りたいものが何かを、あの総理はまだ見失っておらんと思うがのう」
ラウンジが、少しだけ静かになった。
「はい、整理」
KAMIが、パンッと手を叩き、一瞬で場を冷徹な運営の顔へと戻した。
「いいこと、エミリー。
地球の常識だけでやってる限り、あの矢崎総理たちが気づいた通り、日本は確実に詰みよ」
KAMIは、ホログラムの日本地図を指差した。
「でも、そこに宇宙のルールを持ち込めば、さっき代表が言ったように、いくらでも勝てる札はある。……ただし」
KAMIの赤い瞳が、スッと細められた。
「その宇宙の札を切った瞬間に。……日本はもう、可哀想な被害者国家じゃなくなるのよ」
「……え?」
エミリーが、言葉に詰まる。
「考えてもみなさいよ。
出雲に全知性体の死者の記憶を持ってるうえに。……全国民が絶対防御のバリアに守られて、核を無かったことにする因果改変兵器をチラつかせて、空間を折りたたんで攻撃をすり抜ける国」
KAMIは、冷酷な笑みを浮かべた。
「他の国から見たら、それ、もう日本じゃないわ。……地球を支配しようと目論む新規のラスボス勢力、エイリアン国家の誕生よ。
……今度は魂の庭を持ってるからじゃなくて、あんなヤバい超兵器国家、生かしておけない、っていう別の理由で、全世界から全力の討伐対象にされるわね」
KAMIは、残酷な結論を突きつけた。
「要するに、詰み回避はできる。
でも、その札を使った時点で、地球文明の普通の国際社会からは、完全に追放されるって感じね」
その言葉に、エミリーは完全に押し黙った。
日本を守る究極の手段は、日本を日本でなくすこと、怪物の国になることと同義なのだ。
「まあ、そういうこと」
ティアナは、ソファから立ち上がり、ラウンジの巨大な窓ガラスの向こう……青く輝く地球を見下ろした。
彼の顔には、先ほどまでの軽い笑みはなく、ただ静かで、そして底知れぬ深淵を見透かすような、観察者の光が宿っていた。
「逆転ホームランは打てるよ。
いくらでもね。……でもさ、それをやった瞬間、日本はもう地球の一国家ではいられなくなる」
ティアナは、窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、静かに言った。
「魂の庭を守るために、宇宙文明の札、禁忌を切るってことは……人間の、地球のルールから降りるってことだからね。
……そうなれば、いよいよ僕ら、サイト・アオも、直接手を出す、介入する理由ができちゃうかもしれないし」
ティアナは、窓から視線を外し、モニターに映る官邸地下の、苦悩する人間たちの姿へと目を向けた。
「さて……」
ティアナの呟きが、ラウンジに静かに響く。
「日本は、どこまで人間の国のまま、この絶望的な盤面を耐え抜くのかな」
ひじ掛けの上の賢者・猫は、その問いには答えず、ただスクリーンの日本列島を、翠の瞳で静かに見つめ続けていた。
その尻尾の先だけが、ゆっくりと、一定のリズムで揺れていた。
スクリーンの向こうの日本列島は、出雲の森も、与那国の海底も、今はまだ静かだった。
だが、その静かでいられる時間は、宇宙の基準、上位文明の観測から見れば、もうほとんど残されてはいなかった。
詰みは回避できる。
問題は、その瞬間に何が日本でなくなるのかだった。
助かる方法はいくらでもあった。
だが、そのどれもが、今までの日本を助ける方法ではなかったのである。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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