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第38話 魂の庭を知っていた男

 首相官邸のさらに地下深くに位置する、既存技術外事象評価セルの最深部・特別防音室。

 普段はごく限られた閣僚と分析官しか足を踏み入れないこの密室に、一人の民間人が極秘裏に招集されていた。


 よれよれのスーツに身を包み、いつもと同じように飄々とした足取りで部屋に入ってきたその男――オカルト雑誌の編集長にして、日本政府の『裏の知恵袋』として立ち回ってきた三神は、しかし、部屋の空気に触れた瞬間に、わずかに歩みを止めた。


 円卓を囲む矢崎総理、防衛省、外務省、内閣情報調査室のトップたち。

 彼らの顔には、先日までのような「未知への恐怖」や「政治的な焦り」はなかった。代わりに張り付いていたのは、あまりにも巨大すぎる絶望の淵を覗き込んでしまった人間の、魂が抜け落ちたような、底知れぬ虚無感と重圧だった。


(……なるほど)

 三神は、持ち前の鋭い嗅覚で、即座に事態のフェーズが変わったことを察知した。

(どうやら、ついに「引いてはいけないババ」を引き当ててしまったようですね)


「おや」

 三神は、いつものように口角を少しだけ上げ、軽口を叩きながら指定されたパイプ椅子に腰を下ろした。

「ずいぶんと物々しい空気ですね、皆様。……何か、事態に致命的な進展でも?」


「ええ」

 矢崎総理は、挨拶も前置きもすべて切り捨てて、氷のように冷たい声で答えた。

「進展というより、胃潰瘍のタネが国家予算レベルで増えたわ」


 総理は、デスクの上で両手を組み、三神の目を真っ直ぐに射抜いた。


「出雲の件なんだけど……」

 総理は、核心を突く単語を、ためらいなく口にした。


「貴方、最初の会議の時から、妙にあの場所に詳しかったわよね」

 総理の目が、細められる。


「【魂の庭】。……これに、心当たりは?」


 ピクッ、と。

 三神の、常に余裕を湛えていた表情が、ほんの一瞬だけ、微かに強張った。

 それは、並の人間であれば見逃してしまうほどの僅かな反応だったが、この部屋にいる諜報と交渉のプロフェッショナルたちにとっては、それだけで十分な『答え(クロ)』だった。


「……おや」

 三神は、すぐに元の飄々とした表情を取り繕ったが、その声のトーンは明らかに一段階低くなっていた。

「それはまた……ずいぶんと、物騒で『核心的』な名称が飛び出しましたね」


 三神は、小さく息を吐き、逆に総理へと問いを投げ返した。

「誰に聞いたんですか? その名前」


「与那国の海底の、AIよ」


 その総理の答えに、三神は目を丸くし、そして「なるほど」と深く納得したように頷いた。


「沖田室長が、あの『龍宮の扉(環境調和システム)』との第二回対話で、出雲の正体について質問したの。……そしたら、相手は驚くほど親切に、あの場所の正式名称から、システムの構造まで、すべて教えてくれたわ」

 総理の言葉に、官邸の幹部たちが一斉に苦い顔をする。彼らにとって、それは親切などではなく、呪いの知識の押し売りだった。


「なるほど。……そちら(別の地球外システム)経由の情報開示でしたか」

 三神は、苦笑するように肩をすくめた。

「与那国で『扉』を見つけた時点で、いつかこうして情報が繋がる可能性はあると思っていましたが……。よく、そこまで辿り着きましたね」


「やっぱり、知っていたのね」

 内調の幹部が、鋭い視線を三神に突き刺した。

「貴様、我々日本政府に対して、あそこが『全知性体の死後アーカイブ領域』であることを隠していたのか!?」


「まあまあ、落ち着いてください。正確には、隠していたというよりは『確証がなかった』んですよ」

 三神は、両手を広げて宥めるように言った。


「正確には、貴方を疑って尋問しているわけじゃないの」

 矢崎総理が、内調幹部を制し、三神に向き直った。

「でも、オカルトや民俗学に詳しい貴方なら……実際に現地に潜入したわけではなく、降霊術、交霊術、あるいはイタコのような『霊的・精神的なアプローチ(経路)』を通じて、あの場所の断片的な知識を得ていたんじゃないかと思って」


 総理の推測に、三神は少しだけ驚いたような顔をし、そして観念したように短く息を吐いた。


「ええ。大筋、その認識で問題ありません」

 三神は、自らの『情報源』の正体を、あっさりと認めた。

「黙っていた件については、素直に謝罪します。……ただ、誤解しないでいただきたいのですが、私が実際にあの『魂の庭』の中(深層)を見たわけではないんです」


 三神は、少しだけ真面目な顔になり、説明を始めた。

「我々のようなオカルトや精神世界を探求する界隈では、昔から、極度に霊感の強い交霊者やイタコたちが、トランス状態に入った際に『底なしの記憶の海』や『無数の死者の声が渦巻く場所』に、一瞬だけ意識を引っ張られる(接続してしまう)という事例が、断片的な記録として残されていました」


「……浅層への、限定的な接続」

 防衛省の幹部が、与那国のAIが語った言葉と完全に一致する三神の説明に、戦慄の声を漏らした。


「ええ。ですが、こちら側の未熟な技術で分かるのは、せいぜい『その場所がとてつもなく重く、危険な性質を持っている』ということと、『黄泉』や『魂の庭』といった、曖昧な比喩表現の単語くらいなものです」

 三神は、肩をすくめた。

「それらの断片的な噂が繋がって、私の中にも『出雲の地下には、何かとてつもない死者のシステムがあるのではないか』という推論はありました。……ですが、それを地球外文明が建造した明確な『基幹アーカイブ』として、ここまで完璧にシステムとして機能していると確信したのは、今回が初めてです」


 三神は、総理の目を見つめ返した。

「つまり、私も皆様と同じように、今回初めて『ああ、やっぱりただのオカルト(比喩)じゃなくて、物理的なシステムとして実在していたのか』と、答え合わせをして震え上がっている側なんですよ」


 それは、彼が単なる秘密主義者ではなく、あくまで「オカルトの知識の延長線上」で事態を推測していたに過ぎないという、極めて自然な立ち位置の証明だった。


「……なぜ、最初からその推論(魂の庭の可能性)を、私たちに言わなかったの?」

 矢崎総理が、静かに問う。


「単純な理由です」

 三神は、一切の悪びれる様子もなく、極めて合理的な『沈黙の理由』を口にした。


「余計な情報を与えると、悪影響(破局)の方が大きいと判断したからです」

 三神は、円卓の幹部たちを冷徹な視線で見回した。

「いいですか、総理。人間という生き物は、『全人類の記憶が眠る宝の山』があるという情報を知った瞬間、必ず『恐怖』よりも先に『どうやってそれを自国の利益として使えるか』という【欲望】を計算し始めます。……それは、政治家や官僚であればなおさらです」


「……っ」

 外務省や防衛省の幹部たちが、図星を突かれて顔をしかめた。


「もし、最初の会議の時点で私がその推論をペラペラと喋っていれば。……皆様は間違いなく、出雲の危険性を軽視し、アメリカのセレスティアル・ウォッチと情報を共有してでも、あのアーカイブから『過去のオーバーテクノロジー』や『歴史の真実』を引っ張り出そうと、欲を出して無理な調査を強行していたはずです」

 三神は、冷酷に断言した。

「魂の庭のような情報は、知識として持っているだけで、人間の理性を内側から破壊します。……だから、私は黙っていました」


 それは、情報隠蔽ではなく、明確な『国家防衛(自滅の防止)』のための沈黙だった。


 会議室に、重い静寂が降りた。


「……いいえ」


 その沈黙を破り、矢崎総理が、静かに、しかし深く納得したように首を横に振った。


「多分、貴方のその判断で、正しかったわ」


 総理の言葉に、幹部たちが驚いて顔を上げる。


「もし、あの初期の混乱した状況で、あの出雲が『歴史上のあらゆる知性体の知識を抽出できる、死者蘇生すら可能なアーカイブ』だと明かされていたら。……私たちは間違いなく、その価値の重さに目が眩み、『これほどのものを日本単独で管理するのは不可能だ、同盟国に共有すべきだ』という安易な結論に逃げ込んでいたでしょうね」


 総理は、自らの、そして日本政府の脆さを率直に認めた。

「そして、もしあの時点でアメリカに情報を共有していたら……今頃、日本はアメリカ軍によって、実質的に占領されていたでしょうね」


 占領。

 その物騒な単語に、三神は少しだけ目を細めた。


「……おや。総理のその言い草だと、アメリカという同盟国が、明確に『敵に回る』という認識に至ったわけですね」


「ええ」

 矢崎総理は、アメリカ大統領からの極秘の警告を思い出しながら、はっきりと頷いた。

「魂の庭の正確な情報がワシントンに渡れば、彼らは確実に、日本の主権を踏みにじってでもそれを奪いに来る。……彼らは、敵になるわ」


「甘いですね、総理」


 三神が、突如として、その場にいる全員の背筋を凍らせるような、冷酷な否定の言葉を投げ放った。


「……何が甘いというの?」

 総理が、不快感を露わにして眉をひそめる。


「『アメリカが敵に回って、日本が占領される』。……そんな生温いレベルの悲劇で済むと、本気で思っているんですか?」

 三神は、まるで出来の悪い生徒を諭す教師のように、呆れたように肩をすくめた。


「……占領で済まないというのか?」

 防衛省の幹部が、怪訝な顔で問う。


「占領で済めば、まだマシですよ」

 三神は、椅子の背もたれから身を乗り出し、机の上に両肘をついて、この部屋の誰よりも深く冷たい『地政学と人類文明の最悪のシナリオ』を展開し始めた。


「いいですか。魂の庭を独占した国家は、実質的に『地球上の全死者の知識資産』を独占することになります。歴史上の天才科学者、偉大な政治家、天才的な軍略家、宗教の開祖……そのすべてを再構成し、知識を抽出し、対話することができる」

 三神は、指を一本ずつ折りながら数え上げた。

「それはつまり、過去のすべての技術的優位性を手に入れ、すべての歴史の『正解』を握るということです。……そんな、人類の歴史と文明の支配権そのものを書き換えるような究極のシステムを、極東の島国である日本一国に、あるいは覇権国家であるアメリカ一国に独占させることを、他の国々が黙って許すと思いますか?」


「……それは」


「答えはノーです。……魂の庭の存在が世界に知れ渡った瞬間、アメリカだけではありません。中国も、ロシアも、EUも、中東の宗教国家も……地球上のありとあらゆる国家が、血眼になって日本を『制圧(あるいは破壊)』しに来ます」


 三神の言葉は、単なる陰謀論ではなく、極めて冷徹な合理性に基づいていた。


「奪えない場合、どうするか。……答えは簡単です。『壊す』しかないんです」

 三神の目が、暗く淀む。

「魂の庭は、単なる地下資源ではありません。世界の秩序そのものです。宗教、科学、政治、歴史、法、支配の正当性……それらすべてをまとめて再定義してしまう、究極の爆弾です。

 もし、日本が強力な防衛網を敷き、他国が魂の庭へのアクセス権を奪えないと判断した場合。……『あんなものを特定の国家に独占されるくらいなら、使用主体である日本社会ごと、跡形もなく焼き払ってしまえ』と考える国家は、残念ながら確実に出ます」


 三神は、最後に、最も恐ろしい『結末』を口にした。


「……地球上のあらゆる国家が結託し、日本人という民族を、核兵器で【虐殺(殲滅)】してでも、あのシステムを無力化(封印)しようとする。……そういう、全地球規模の絶滅シナリオすら、極めて現実的な選択肢としてテーブルに上がるんですよ」


 ピタリ、と。

 官邸地下の会議室から、文字通り一切の音が消え失せた。


「……核による、虐殺……」

 外務省の幹部が、ガタガタと震える唇から、その言葉を零し落とした。

「そんな……馬鹿な。世界中が結託して、我が国に核を落とすなど……」


「馬鹿な話ではありません。これは冷徹なゲーム理論の帰結です」

 三神は、一切の容赦なく現実を突きつけた。

「特定国家が死者の知識を独占することは、核兵器を独占するよりも遥かに危険です。核は一回の物理的な破壊で終わりますが、魂の庭は、文明の『恒久的な絶対優位』を保証してしまうからです。……そして何より、あのシステムには『死者蘇生』まで可能だという悪夢のようなオマケがついている」


 三神は、宗教と死生観の根本的な崩壊について指摘した。

「『死』が、もはや人間の終点ではなくなる。……そんな事実が公になれば、世界のあらゆる宗教の死生観は崩壊し、権力者たちは永遠の命(支配)を求めて狂い始めます。……魂の庭は、立地こそ日本列島の地下にありますが、中に保存されているのは日本人だけではない。人類、ひいては全知性体の記録です。

 それを日本が『自国の資産だ』と主張した瞬間、世界中から『全人類の魂を私物化する悪魔の国』として、大義名分をもって略奪と破壊の対象にされるんです」


 立地は日本。だが、所有権は全地球。

 それが、日本政府が抱え込んでしまった『魂の庭』の、最も最悪で、最も絶望的なジレンマの正体だった。


 官邸地下にいた全員が、ようやく、自分たちが今立っている場所の本当の恐ろしさを完全に理解した。

 この国は今、石油やレアメタルといった金鉱脈を掘り当てたのではない。

 人類の文明を根底から狂わせる、『死者』そのものを掘り当ててしまったのだ。


「……」


 外務省の幹部は、もはやこれは通常の外交交渉でどうにかできるレベルの話ではないと悟り、完全に沈黙した。

 防衛省の幹部は、自国の防衛線が「特定の仮想敵国」から「全地球」へと一気に跳ね上がった現実に、頭を抱え込んだ。

 内閣情報調査室の幹部は、国内に潜む民間霊能者やイタコたちが、いつ他国のスパイに攫われ、魂の庭へのアクセスキーとして利用されるか分からないという底なしの恐怖に、胃液が逆流するのを感じていた。


「……いい?」


 その、深い絶望のどん底から這い上がるように。

 矢崎総理が、血の気の引いた顔を上げ、かつてないほどの凄みと、悲壮な決意を込めて、円卓の全員に向かって宣言した。


「これは、もうただの国家機密じゃない。……【文明級機密ワールド・エンド・シークレット】よ」


 総理は、デスクを強く叩き、己の意志を官僚たちに叩き込んだ。


「対米共有は、絶対に行わない。……もちろん、対世界での共有も行わない。出雲の『魂の庭』に関する情報は、今日この部屋で完全に止める。絶対に、外へは一文字も出さない!」

 総理の指示は、もはや「防衛」というより「隔離(隠蔽)」の徹底だった。

「出雲の山域は、引き続き自衛隊による完全封鎖を維持。同時に、国内の神楽の伝承者、神職、巫女、そして交霊系統の民間霊能者の徹底的な洗い出しと、国家による極秘の『管理(保護と監視)』を開始しなさい。……これ以上、誰もあの深淵にはアクセスさせない」


「了解しました」

 各省庁の幹部たちが、青ざめた顔で一斉に頷いた。


 日本政府の方針は、完全に固まった。

 だが、それは問題の根本的な解決ではない。むしろ、人類史の真実という重すぎる爆弾を抱えたまま、世界中を欺き続けなければならないという、永遠に続く「絶望的な隠れんぼ(防衛戦)」の始まりに過ぎなかった。


「……ようこそ、死者を抱えた国へ」


 会議が終わり、席を立つ幹部たちの背中に向けて、三神編集長が、飄々とした、しかしどこか憐れむような声でポツリと呟いた。


「知ってしまった以上、もう『無知だった頃の平和な日本』には、二度と戻れませんよ」


 三神のその言葉は、誰の心にも重く、呪いのように突き刺さった。

 日本は、資源大国になったのではない。死者を抱え込んだ国になったのだ。

 その瞬間から、この極東の島国は、単なる地政学の舞台の一つから、人類文明そのものの支配権を巡る「急所ターゲット」へと、完全に変貌を遂げてしまった。


 祝うには、その価値はあまりにも重すぎた。

 そして嘆くには、その力はあまりにも絶大すぎた。


 誰も喜べない。だが、目を逸らすことも、もはや誰にもできない。

 それが、『魂の庭』という真実を知ってしまった、日本という国家に与えられた、新しい、そして最悪の現実であった。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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