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第37話 魂の庭という悪夢

 首相官邸の地下に位置する、既存技術外事象評価セル。

 その日の会議室の空気は、例えるならば、「喪服を着たまま、巨大なウェディングケーキの前に座らされている」ような、極めて奇妙で、胃の腑がねじ切れるような重苦しさに満ちていた。


 与那国島の海底に鎮座する『ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7』とのコンタクト。

 それは、日本という国家が、人類史上初めて「地球外の高度な知性体」との間に、敵対ではない『対話の窓口』を開いたという、文明史的な偉業(誕生日)であった。

 だが同時に、その対話の相手がもたらすであろう「未知の情報」は、人類がこれまで築き上げてきた歴史や宗教、そして科学の常識という名の棺桶に、冷酷に釘を打ち込む葬送曲(お通夜)になる可能性が極めて高かった。


「……誰もが、知りたいと思っている。だが同時に、知ってしまえば、もう二度と元の世界には戻れないと分かっているのね」


 矢崎総理は、円卓を囲む各省庁の幹部たちの、青白くこわばった顔を見回しながら、乾いた声で呟いた。

 彼らは今から、人類が絶対に開けてはならない「パンドラの箱」の底を、覗き込もうとしているのだ。


「総理」

 モニター越しに、与那国沖の調査母艦から、沖田室長が静かに呼びかけた。

 彼の顔色には、昨日までの「死の影」は完全に消え去り、澄み切った生気と、未知へ踏み込む指揮官としての強靭な覚悟が戻っていた。


「……始めるわね、沖田」

 矢崎総理は、一つ深く息を吸い込み、頷いた。


「はい。……これより、ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7との【第二回対話】を開始します」


 沖田室長が、コンソールの暗号通信キーを叩く。

 官邸地下のメインモニターと、与那国母艦の隔離区画のスクリーンが完全に同期し、深海に沈む『龍宮の扉』の青白い幾何学レリーフが、鮮明な映像として映し出された。


 昨日のような、命を天秤にかけられる極限の恐怖はない。

 しかし、今回は「知識」という、物理的な破壊よりもはるかに深く、人類の精神の根幹を狂わせる猛毒を受け取らなければならないという、全く別の次元の恐怖が、彼らを支配していた。


『――個体名オキタからの通信要求を確認。限定対話を許可する』


 AIの声は、昨日と変わらず、一切の感情を排したフラットなものだった。もはや敵対的でも、試すような圧力もなく、ただ「条件付きの情報開示フェーズ」へと粛々と移行したシステム音声。


「……応答に感謝する」

 沖田は、一呼吸置き、日本政府が現在最も警戒し、そして最も切実に「正体」を知りたがっている、あのもう一つの厄災について、真っ直ぐに切り込んだ。


「前回、あなたが自らを開示した情報(環境調和システム)に関連して。……確認したい領域がある」

 沖田の言葉に、官邸地下の幹部たち全員が、ゴクリと唾を飲み、息を止めた。


「日本列島の、出雲地方と呼ばれる山域。あそこに存在する、異常な高密度の精神・記憶の集積反応領域について、説明を求める」

 沖田は、なるべく事務的な、感情を交えないトーンで聞いた。

「我々が『出雲の禁足地』と呼んでいる、あの領域。……あれは、一体何なのですか」


 これが、今回の本当の開始線だった。

 あの、不用意に近づいた数十人の民間人の精神を一瞬にして破壊し、アメリカ政府の強硬派が喉から手が出るほど欲しがっている、底なしの深淵。


 数秒の、短い演算のラグ。

 そして、AIは一切もったいぶることも、人類の無知を煽るような素振りも見せず、「ああ、あれのことか」といったような、ひどくあっさりとした温度で答えた。


『――該当領域の、現行の座標および観測波長を確認』


 AIの声が、会議室に静かに響く。


『貴領域の一部文化圏(日本)において、神域、黄泉、常世、根の国、祖霊領域など、複数の俗称(不正確な認識名)が存在することは把握している』

『だが、基幹システム上の正式な登録名称は……【魂の庭】である』


「魂の、庭……」

 科学技術顧問が、その言葉を反芻し、愕然とした。

 名前が明確に定義されている。それはつまり、あそこが日本神話の神々が創り出した魔法のような奇跡の空間などではなく、明確な設計思想を持って建造された『地球外のシステム』の一部であることを、残酷なまでに裏付けていた。


「……つまり我々は、死者の国ではなく、何らかのシステム化された『死者のアーカイブ』を抱え込んでいるということですか?」

 沖田が、さらに問いを重ねる。


『肯定する』

 AIは、驚くほど親切に、しかしその親切さゆえに最も恐ろしい『基礎情報』を、官邸のモニターにテキストデータと共に流し込み始めた。


『【魂の庭】は、地球圏の知性体における、死後情報保存領域バックアップ・サーバーである』

『知性を持つ個体が物理的肉体の死を迎えた際。その個体の精神構造、記憶痕跡、人格の基本情報、および魂的残響クオリアは、自動的に当該領域へと抽出され、データとして構造保存される』


「……全人類の、死後の記憶が、あそこに自動保存されていると……!?」

 外務省の幹部が、あまりのスケールの大きさに顔面を蒼白にした。


『貴種族の未熟な宗教概念においては「死者の国」や「地獄」「天国」という曖昧な表現に近い。だが、厳密には魂への罰や報酬を与える場所ではなく、ただ純粋に、知性のデータを劣化なく保存するための基幹アーカイブである』


「全人類の、歴史のすべてが……あそこに……」

 内閣情報調査室の幹部が、ガタガタと震えながら呟いた。

 それは、過去のどんな偉大な指導者の思考も、未解決事件の真犯人の記憶も、失われた古代文明の技術も、すべて検索可能なデータとしてあそこに眠っているということを意味する。アメリカが日米同盟を破棄してでも手に入れようとするわけだ。


 だが。

 人類が「自分たちの歴史の宝庫だ」と戦慄しているその生ぬるい認識を、AIの次の一言が、粉々に打ち砕いた。


『――ただし。当然ながら、保存対象は「ヒト(ホモ・サピエンス)種」に限定されるものではない』


「……えっ?」

 矢崎総理が、思わず声を上げた。


『貴種族以前に、この惑星上で知性を獲得し、そして独自の文明を築いて絶滅していった【複数の知性存在群】の痕跡も、同じく当該アーカイブには保存されている』

 AIは、まるで天動説を信じている中世の人間を諭すように、少しだけ冷ややかな響きを混ぜて言った。


『――まさか、ヒトという種族が、この惑星の四十六億年の歴史の中で「最初に知性を持った種」であるなどと、驕ってはいないだろうな?』


 ピタリ、と。

 官邸地下の空気が、絶対零度まで凍りついた。


「人類、以前の……知性種……?」

 科学技術顧問が、両手で頭を抱え込み、椅子からずり落ちそうになった。

「あり得ない……化石の記録にも、地層の痕跡にも、そんなものは一切……いや、数千万年、数億年単位の時間が経過していれば、物理的な痕跡はプレートテクトニクスで完全に消失する……っ。……我々人類は、この地球という星の、最初の支配者ですらなかったというのか……!?」


 科学、宗教、そして「地球人類史」という根本的なアイデンティティそのものに、巨大な核爆弾が投げ込まれた瞬間だった。

「だから……出雲はあんなに人を無差別に拒むのか」

 現場の神職の男が、血の気のない顔で震えながら呟いた。

「人間の脳のキャパシティで、人類以外の、全く別の進化を遂げた古代の異星種族や、未知の知性体の記憶クオリアの奔流に直接触れれば……一瞬で自我が崩壊して当然だ……」


 彼らは、歴史の宝庫どころか、もっと深く、底なしの「宇宙的狂気の沼」の上に蓋をして座っていたのだ。


『神話時代と呼ばれる期間においては、当該領域(魂の庭)への【接触資格】を持つ個体群が、現在よりも比較的高頻度で存在した』

 AIは、人類の絶望など意に介さず、歴史とシステムを紐づける「親切な解説」を淡々と続けた。

『そのため、死者との対話、祖霊からの助言、神託、あるいは黄泉からの帰還といった事象が、一部の特異な個体によって実際に実行され……それが劣化し、脚色された記録として、汝らの「神話」や「伝承」として保存された』


「……日本の神話や、古事記の記述が……単なる作り話ではなく、システムへの『アクセス記録』の劣化版だったと……」

 防衛省の幹部が、呆然と呟く。

 それは、もはや「オカルトが本物だった」で済む話ではない。歴史書そのものが、上位文明のシステムの仕様書に過ぎなかったという、屈辱的で圧倒的な事実の突きつけだった。


『そして。現代においても、その接触資格の保持者は完全に消失してはいない』


「……なっ」

 今度は、内調の幹部が弾かれたように顔を上げた。

「現代の日本にも、あのシステムにアクセスできる人間がいるというのか!?」


『肯定する。降霊術、交霊術、口寄せ、あるいは「イタコ」と呼ばれるような特定の脳波パターン(霊的技能)を保持する者たちは……無意識のうちに、魂の庭の【ごく浅い層】への限定的な接続を行っている場合がある』


 AIのその言葉は、内調の幹部にとって最悪の死刑宣告だった。

『ただし、彼らの大半は、自分たちが巨大な基幹アーカイブに接続していること自体を体系的に理解しておらず、ただ「死者の声が聞こえた」と個別の現象として誤認しているに過ぎないが』


「……全国の、民間の霊能者やイタコを……全員洗い出して、保護(隔離)しなければならないということか……っ!」

 内調幹部は、頭を掻きむしった。

 もし、その「浅い層」にアクセスできる人間が、何かの拍子に「深い層」の国家機密データ(例えば死んだテロリストの記憶や、他国の軍事機密)をダウンロードしてしまったら。現代日本に、歩く情報漏洩の爆弾が野放しになっている可能性があるのだ。


「……待ってくれ。そこまでアクセスが可能だというなら」

 科学技術顧問が、震える声で、この話の中で最も恐ろしい、そして誰もが心の奥底で予感していた「究極の疑問」を口にした。


「死者の記憶の閲覧、対話、人格の再構成、知識の抽出……。それらが可能であるならば。……理論上、そのアーカイブのデータを用いて、【死者を蘇らせる(蘇生させる)】ことも……可能なのか?」


 その質問に、会議室の全員が呼吸を止め、AIの返答を待った。


 数秒後。

 AIは、まるで「1+1は2ですか?」と聞かれた時のような、呆れるほど平坦で、当たり前すぎるという温度で返した。


『――可能である』


 ピタリ、と。

 官邸地下の空気が、絶対的な静寂に包まれた。


『当たり前のことを確認している、汝の意図が不明である』

 AIは、少しだけ不思議そうに、残酷な真理を補足した。

『魂の庭には、個体の完全なバックアップデータが存在する。適正な情報接続を行い、ナノマシン等で物理的な「器(肉体)」を再構成し、魂的整合性の同期が成立すれば。……システムの【再起動(蘇生)】は、技術的に何ら困難なプロセスではない』


 死者蘇生。可能。


 その言葉の持つ意味の巨大さに、誰も、一言も歓喜の声を上げることはできなかった。

 防衛省の幹部は顔面を蒼白にし、外務省の幹部は「これをアメリカや中国に知られたら、第三次世界大戦が起きる」と悟って完全に言葉を失った。

 医療班の責任者も、自らの職業の存在意義そのものを根底から覆す「死の克服」という概念に、思考が追いつかず沈黙した。


 喜ぶべき奇跡のニュースのはずなのに。

 あまりにその価値が巨大すぎて、そしてあまりにも人類の手に余る危険な禁忌すぎて、誰もが「悪夢」としてそれを受け取っていた。


「……会議室が、まるでお通夜みたいね」

 矢崎総理は、椅子に深く沈み込みながら、引き攣った笑いを浮かべた。

「誰も笑ってない。……世界最大の資産(誕生日プレゼント)をもらったはずなのに、誰もケーキのロウソクを吹き消そうとしないわ」


『ただし、当該アーカイブへのアクセスは、無制限ではない』

 AIは、絶望のどん底にいる彼らに、一応の「安全弁システムロック」の存在を提示した。


『入室(接続)には、適切な資格照合と【許可パーミッション】が必要である。

 ……貴地域文化において「神楽カグラ」と呼ばれる一部の儀式形態は、単なる奉納芸能ではなく、本来はこのシステムへの「許可取得プロセス(パスワード入力)」として機能するように設計された行動パターンである』


「神楽が……システムのパスワード……?」

 現場の神職の男が、目を見開き、震える手で自身の装束を握りしめた。

 彼らが何百年、何千年と受け継いできた神事の舞や祈りが。それは神への奉仕ではなく、地球外の巨大アーカイブへログインするための、高度に暗号化された『生体入力コード』だったのだ。


『また、情報へのアクセスには、個体の脳構造における【情報負荷限界】が存在する。未熟な知性体は、過剰な情報負荷(深層へのアクセス)に耐えられず、自我が崩壊する』

 AIは、冷徹に「人間の限界」を数値化して突きつけた。


『現在、貴母艦上にいる神職、および巫女(感受性要員)の個体適性を参照して、シミュレートを行った』

『現時点で、彼らが自我を保ったまま、安全に到達可能な深度は……概ね【過去五百年分】の、日本列島由来のアーカイブデータまでである』


「……っ」

 神職の男と巫女の女性が、顔面蒼白になって後ずさった。

 彼らは今、自分たちが「国家レベルの極めて危険なログイン鍵」に指定されたことを悟ったのだ。


「過去、五百年分……」

 防衛省の幹部が、呻くように反復した。


 五百年。

 全人類の歴史から見れば、ほんのわずかな期間(浅層)に過ぎない。

 だが。五百年前といえば、日本の戦国時代から現代までのすべての歴史、すべての政治的暗闘、すべての軍事技術の発展と、死んでいったすべての要人たちの「真実の記憶」が含まれている。


 織田信長の真意も。明治維新の裏側も。第二次世界大戦の隠された軍事機密も。

 すべて、彼らが「神楽」を舞い、アクセス権を得れば、完全にノーカットの真実としてダウンロード(あるいは蘇生して直接尋問)できるのだ。


「せいぜい五百年……じゃない。五百年でも、国家が……いや、世界の歴史が完全にひっくり返って、崩壊するほどの、十分すぎる爆弾だ……!」

 外務省の幹部が、頭を抱えて机に突っ伏した。


『なお、反復接続により神経系の耐性と解像度は向上し、到達深度(アクセス可能な年代と範囲)は、訓練次第でさらに【拡張可能】である』


 AIは、最後に、最も残酷で魅力的な「将来の可能性(チートの拡張性)」を提示して、説明を終えた。


 …………。

 ……。


 官邸地下の最高機密会議室は、完全な、そして底なしの絶望的沈黙に支配されていた。

 手に入った情報は、文字通り、人類史を根底から塗り替えるものだった。

 だが、その価値があまりにも大きすぎて、そしてその使い方を一つ間違えれば、他国からの侵略や自滅を招くことが火を見るより明らかすぎて、今は歓喜よりも、ただただ激しい頭痛と吐き気しかなかった。


「……ちょっと待って」


 矢崎総理は、重い頭を支えるように、片手で額を強く押さえた。

 彼女の強靭な精神力をもってしても、この短時間で脳内に叩き込まれた情報の質量は、完全にキャパシティをオーバーしていた。


「……待ちなさい」

 総理は、ふらつく視界を必死に保ちながら、呻くように言った。

「死者蘇生、可能。……過去のあらゆる知識の抽出、可能。……人類以前の知性種の存在、あり。……現代の日本に、すでに無意識の接触者がいる可能性、あり……?」


 総理は、椅子の背もたれに深く体を沈め、天井を仰いだ。


「……誕生日と葬式を一緒にやる国が、この世界のどこにあるのよ」


 それは、国家の最高責任者が漏らした、本気の、そして切実すぎる泣き言だった。


「嬉しいのか、怖いのか。……世界を支配できるのか、世界中から狙われて滅びるのか。……判断する前に、胃が死ぬわよ、こんなの……っ」


 日本政府は、出雲の森を自衛隊で強引に封鎖し、あの厄災に重い蓋を閉じたつもりでいた。

 だが、その蓋のすぐ裏側にあった「正体」を、与那国のAIを通じて、あまりにも親切に、そして残酷なまでに詳細に『知ってしまった』。


 もう、後戻りはできない。

 出雲は閉じられていたのではない。ただ、その真の価値と恐怖の正体を知らないまま、無知なサルたちが「見ないふり」をして怯えていただけだったのだ。


 喜べない。だが、目を逸らすことも、その圧倒的な力を放棄することも、もはや国家の生存競争において許されない。

 それが、この日、極東の島国に突きつけられた、逃げ場のない「新しい現実」であった。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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