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第14話 ポテチ片手に、空は歌う

 大気圏外、高度四百キロメートル。

 超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉のプライベートラウンジは、重力制御と環境維持システムによって、地上の最高級ホテルよりも快適な空間が保たれている。


 その部屋のど真ん中、人間をダメにするクッションの最高峰とも言える特大のビーズソファーに、銀河帝国最高権力者のクローンであるティアナ・レグリアが、文字通り全身を沈めきっていた。


「うわ……このタイミングでこのヒロイン、それ言うんだ……」


 ティアナは、空中に展開したホログラム・ディスプレイに地球のライトノベルを表示させ、熱心にページをスクロールしていた。

 右手はクッションの縁にだらりと垂れ下がり、左手には地球のジャンクスナックの代表格である、少し大きめのポテトチップスの袋が握られている。

 時折、念動力テレキネシスを無駄遣いして、袋の中から一番形の良さそうなポテチをふわりと宙に浮かせ、そのまま自分の口元へと運んではパリパリと小気味良い音を立てていた。


 地球という惑星では今、地中海の孤島で「神の矢」が確保され覇権国家が量産化に狂奔し、極東の島国では未熟な人類が精神の深淵である「魂の庭」の門前で弾き返され、国家レベルの極秘対応に追われている。

 複数の致命的な火種が並走し、まさに一触即発の事態だというのに、このステーションの代表は、妙にくつろいだ、いや、完全に怠惰な休日モードを満喫していた。


 部屋の隅で地球のサブカルチャーアーカイブの整理をしていたエミリー・カーターは、時折聞こえてくるポテチを咀嚼する音に、半ば呆れたような、諦めたような視線を送っていた。

 彼女はもう、この代表が地球の危機と娯楽コンテンツを並列で処理できる、ある意味で恐ろしい思考回路の持ち主であることを理解し始めている。


「やっほー、ティアナ。またそんな油っぽいもの食べてるの?」


 不意に、ラウンジの自動ドアが開き、ひらひらとした黒いゴスロリドレスに身を包んだ少女――KAMIが、全く遠慮のない足取りで入ってきた。

 彼女は〈サイト・アオ〉の客分であり、ティアナに勝るとも劣らない謎多き存在だが、その態度は常にこの上なく軽く、そして上から目線だ。

 KAMIの片手には、地球の有名パティスリーからこっそり取り寄せたらしい、色鮮やかなマカロンの箱が握られていた。


「別にいいじゃない。ラノベ読む時はジャンクって相場が決まってるのよ」

 ティアナは視線をホログラムから外さず、宙に浮かせたポテチをパクリと咥えながら答えた。


「美意識の問題よ。あなた、仮にも皇帝のスペアなんでしょ? もう少し優雅にお茶でもしなさいよ」

 KAMIはティアナの隣のソファに勝手に座り込み、マカロンを一つ優雅に口に放り込んだ。


 そんな、どこまでも平和で緩みきったラウンジの空気を一瞬で切り裂くように、流体金属のボディを持つ副官XT-378が、全く足音を立てずに入室してきた。

 彼の無機質な光学センサーが、ポテチとマカロンを堪能する二人の姿を正確に捉えながらも、事務的な報告のトーンを一切崩さずに口を開いた。


「代表。ご報告します」


 XT-378の合成音声には、感情の起伏はない。

 しかし、彼が伝える情報の内容は、間違いなく世界の裏側を大きく揺るがすものだった。


「ヘルメス協会が、儀式の実行予定日まで一カ月を切った現段階において、当初のスケジュールを前倒しし、『ミノスの星円盤』の本格的な起動準備に入りました」


 その報告に、エミリーの背筋がピンと伸びた。

 ヘルメス協会。ヨーロッパの古い貴族や知識階層で構成される、純粋な精神的進化を至上の目的とするカルトじみた秘密結社。

「ミノスの星円盤」は、人間の精神に直接干渉し、強制的な進化――あるいは破滅――をもたらす恐るべきアーティファクトだ。


 ついに、彼らが動いた。


「おー、ついにか」


 だが、その地球の運命を左右しかねない報告を受けたティアナの反応は、あまりにも軽かった。

 ラノベのホログラムを消すこともなく、ただ少しだけ顔を上げ、新しいイベントの告知でも聞いたかのような、呑気な声を出した。


「“ついにか”で済ませていい話なんですか!?」


 たまらず、エミリーが人類側のまっとうな危機感を代弁して声を上げた。


「だって、連中、ずっと地下でゴソゴソ準備してたじゃん。そろそろ動く頃合いだとは思ってたけどね」

 ティアナは、ラノベのホログラムにしおりのマークをつけてようやく閉じると、ポテチの袋を抱えたまま、のそりと体を起こした。

 彼の顔に焦りや危機感はない。あるのは、純粋な好奇心と、面白い見世物を観客席から眺めるような、余裕に満ちた笑みだけだった。


「じゃあ、モニタリングしようか」

 ティアナは、遠足に行く子供のような軽い足取りで立ち上がった。

「せっかくだし、連中のお手並み拝見だね。ほら、KAMIもマカロン持って来なよ」


「言われなくても行くわよ。退屈しのぎにはちょうど良さそうじゃない」

 KAMIもマカロンの箱を抱え、気怠げに立ち上がった。


「イベント扱いですか……」

 エミリーは、全く緊迫感のない二人の背中を見送りながら、深いため息をついた。

 地球の危機の度合いと、この二人の態度の軽さが、どうしても比例しない。


 ***


 ティアナがポテチの袋を小脇に抱え、KAMIがマカロンをかじりながら司令センターに足を踏み入れると、すでに主要なスタッフたちはそれぞれの端末の前で待機し、緊張の面持ちで中央の巨大スクリーンを見つめていた。


 ティアナは、センターの中央に設えられた司令官用の椅子にだらっと腰を下ろし、足を組むと、手元のコンソールにポテチの袋を置いた。


「状況は?」

 ティアナが、ポリポリとポテチをかじりながら尋ねる。


虫型諜報機械インセクト・ドローン第七群からの光学および各種波長映像を統合、リアルタイムで出力します」


 XT-378の操作により、巨大スクリーンに複数の高精細な映像が分割して表示された。

 それは、地中海沿岸のどこか、ギリシャ圏の山腹に隠された巨大な地下施設――古代の神殿跡を強引に近代化改修したような、異様な儀式場の内部だった。


 映像には、統一された純白のローブを身に纏ったヘルメス協会の関係者たちが、アリの群れのように忙しく動き回る姿が映し出されていた。

 儀式場の中央には、複雑な幾何学模様が刻まれた巨大な石板が設置され、その上に、鈍い金属光沢を放つ円盤状のアーティファクト――『ミノスの星円盤』が安置されている。

 円盤の周囲には、現代の電線とは異なる、輝く液状の物質が流れるチューブが幾重にも張り巡らされ、外周には重武装の護衛たちが等間隔で立っている。


「……彼らは、儀式の最終起動へ向けた手順確認、および参加者たちの精神同期の前段階に入ったものと見られます」

 XT-378が、分析結果を淡々と報告する。


 参加者たちの顔が、ドローンのズーム映像によってスクリーンに大写しになる。

 彼らの表情は一様に高揚し、瞳孔が開き、ある種のトランス状態に入りつつあるのが見て取れた。


「へえ、思ったよりちゃんとやってるじゃん」


 ティアナは、スクリーンを見上げながら、どこか感心したような声を漏らした。

「星円盤はさ、ただ電源プラグを挿してスイッチを入れれば動くような、便利な家電じゃないんだよ。使用者の精神状態の波長、儀式的なアプローチを通じた空間とのリンク、そして天体配置との位置関係。それらが全部噛み合わないと、本来の力は引き出せない。……あいつら、アーティファクトの構造を完全に理解してるわけじゃないだろうけど、かなり『正解』に近い手順を気合とオカルト知識で再現しようとしてるね」


「褒めてる場合ですか?」

 エミリーが、ティアナの呑気な解説に思わず突っ込みを入れる。

「つまり、彼らの儀式は単なるハッタリのオカルトごっこではなく、本当にあの危険なアーティファクトを起動させてしまうかもしれない、ということですよね?」


「そういうこと。だから面白いんじゃない」

 ティアナは、ポテチの欠片を指先で払い落としながら、楽しそうに笑った。


 その時、ホログラムで司令センターに接続していたザーラ・クォルム博士が、警告のサインを点滅させた。


「代表。現地のエネルギー係数に急激な変動を確認。ミノスの星円盤が……反応しています」


 スクリーンの中の儀式場が、異様な緊張感に包まれた。

 ローブ姿の指導者格の男が、両手を高く掲げ、古代の言語と思われる詠唱を朗誦し始める。それに呼応するように、周囲を囲む数百人の参加者たちが、低く地鳴りのようなコーラスを重ねていく。


 電力や熱といった既存の物理法則では全く説明のつかない、未知のエネルギーの波動が儀式場を満たし始める。

 金属でも石でもない、見たことのない光沢を放つ星円盤の表面に刻まれた紋様が、微かに震え出し、その中心核から、脈打つような青白い光が漏れ始めた。

 円盤の周囲の空気が、まるで陽炎のようにぐにゃりと歪む。


 そして、儀式場に集う者たちの熱狂が頂点に達した瞬間。

 重力を無視し、ミノスの星円盤がゆっくりと、石板の上から宙へと浮かび上がった。


「ミノスの星円盤、励起れいき状態へ移行しました」

 XT-378が、無機質な声で決定的瞬間を告げる。


「ほいほい、お手並み拝見だね」


 ティアナは、浮かび上がる古代のアーティファクトをスクリーン越しに眺めながら、全く緊張感のない声で呟き、ポテチをもう一枚、口に放り込んだ。


 ***


 ミノスの星円盤が励起状態に入ったその影響は、地下深くの密閉された儀式場の中だけに留まるものではなかった。

 精神と空間に干渉するその強大なエネルギーの余波は、分厚い岩盤を透過し、ヨーロッパの空へと直接的な波及を始めた。


「環境モニタリング衛星より、異常気象データを受信」

 XT-378が、即座に司令センターのサブスクリーンにヨーロッパ大陸全域の気象レーダーと光学映像を展開した。


 それは、地球の物理法則に真っ向から喧嘩を売るような光景だった。

 地中海上空からアルプス山脈、さらには北ヨーロッパの一部に至る広大な夜空に、本来その緯度では絶対に発生し得ない、緑から赤紫へと変色する不気味な光の帯――巨大な「オーロラ」が出現したのだ。

 さらに、局地的な気温の異常な乱高下が発生し、高層の雲が、まるで巨大な見えない手によって引き延ばされたように、不自然な渦巻き状の模様を描き始めていた。


「大気中の静電気密度が異常上昇しています。上空の電離層に深刻な乱れが発生している模様です」


「励起状態に入った星円盤のエネルギーフィールドが、地球の磁場と大気、そして電離層に直接干渉したのでしょう」

 ザーラ博士が、ホログラム越しに冷静に分析する。

「ですが、これはアーティファクトの本格的な起動によるものではありません。あくまでアイドリング状態への移行に伴う、エネルギーの『漏出』……気候系への波及としては、まだ極めて軽微な部類と言えます」


「まあ、これくらいはね?」


 ティアナは、ヨーロッパ全土を覆い尽くさんとする異常気象の映像を見上げながら、まるで「ちょっと強めの夕立が来たね」とでも言うような軽さで同調した。

 その“これくらい”という感覚のズレが、このステーションの代表が持つスケールの異常性を如実に物語っていた。


「気候への影響だけではありません、代表」


 XT-378が、さらに別の分析データをスクリーンにオーバーレイ表示させた。

 それは、地球上の特定のエリアにおける、生体情報の微細な変動と、SNSなどのネットワーク上のテキストデータの解析結果だった。


「星円盤の精神干渉波が、地球上の『感受性の高い個体群』に微弱な共鳴を引き起こしています」


「微弱な共鳴?」

 エミリーが、怪訝そうに眉をひそめる。


「はい。霊感と呼ばれる特異な知覚能力を持つ者、芸術家、夢見がちな子供、あるいは日常的に深い瞑想を実践している者など、精神的な防壁が薄い、あるいは感受性の閾値が低い人間たちが、原因不明の違和感や、集団的な幻覚症状を訴え始めています」


 XT-378の報告に合わせ、世界中の言語で呟かれたSNSの投稿が、自動翻訳されて滝のようにスクリーンを流れていく。


『今、ヨーロッパの方角の空がなんか変じゃない?』

『西の空に変な感じがする。胸がざわつく』

『今日だけ、異様に夢がリアルで怖い。誰かに呼ばれてるみたいな……』

『南仏でオーロラが見えるってマジ? ありえないだろ』

『ギリシャ方面の空が歌ってる。絶対に何かある気がする』

『理由は分からないけど、すごく落ち着かない。鳥肌が止まらない』


 その投稿の数は、秒単位で異常な速度で増殖していた。

 最初はごく一部の敏感な人々だけの曖昧な感覚だったものが、ヨーロッパ上空に出現した異常なオーロラを撮影した気象オタクたちの写真拡散と結びつき、さらに陰謀論界隈やスピリチュアル界隈の熱狂的な参戦を招き、ネット空間全体を巻き込む巨大な渦になりつつあった。


「そんな広範囲の人間に、一斉に影響が出るものなんですか?」

 エミリーは、スクリーンを埋め尽くす世界中のざわめきに、背筋が寒くなるのを感じた。


「あの円盤は、本質的に『精神干渉系』のアーティファクトです」

 XT-378が淡々と答える。

「その本来の対象は、惑星規模の生命ネットワークです。地球程度の文明圏と精神構造の強度であれば、本格的に起動する前段階の微弱な漏出波であっても、このように薄く、広く波及するのは物理的必然です」


「うん、あれ、直接精神の根っこに干渉するタイプだからね」

 ティアナは、ポテチを齧りながら、ごく当たり前のこととして頷いた。

「地球上の人類くらい霊的な防壁がスカスカなら、そりゃあちょっと起動の準備運動をしただけでも、少しはみんな過敏に反応するでしょ。むしろ、この程度の共鳴で済んでるんだから、人類の精神構造も意外と頑丈だってことだよ」


「またネットが変な方向に燃え上がりますよ……」

 エミリーは、頭を抱えた。

「これ、どうやって隠蔽するんですか? もう、世界中が『ヨーロッパに何かある』って気づき始めてますよ」


「別に隠す必要ないじゃない。人間たちが右往左往するのを上から見てるの、結構楽しいわよ?」

 KAMIが、マカロンの甘さを堪能しながら、意地悪く微笑んだ。


「その通り。既に異常な増加傾向にあり、表層的な情報統制は不可能です」

 XT-378も、冷徹に隠蔽の不可を宣告した。


 司令センターのスタッフたちが、世界規模で染み出し始めた精神的・気候的な異常事態の対応シミュレーションに追われ、張り詰めた空気を漂わせる中。


 パリッ。


 ティアナは、ただ一人、片手でポテチの袋を抱え、もう一方の手で映像の特定のポイントを拡大しながら、本当に楽しそうにスクリーンを見つめていた。

 その姿勢は少し前のめりで、まるで深夜に大好きなゲーム実況の神配信でも見ているかのような、ワクワクとしたテンションだ。


 エミリーは、司令センターの緊張感と、代表のあまりにも無邪気な態度との、圧倒的な温度差に眩暈を覚えそうになった。

「この人はもう……」と、半ば呆然と呟くことしかできない。


「代表……これ、普通に世界規模の大事件であり、異常現象なんですけど」

 エミリーは、最後の抵抗として、常識的なツッコミを入れた。


「うん、そうだね」


 ティアナは、一切悪びれることなく、満面の笑みで振り返った。


「でも、面白いじゃん」


 そのどうしようもないズレこそが、銀河皇帝のクローンとしての彼の規格外のスケールであり、同時に、この地球という箱庭を「特等席」から観測する者の特権でもあった。


「さて、現状のまとめをお願い、XT-378」

 ティアナは、指先についたポテチの塩を舐めながら指示を出した。


「はっ」

 XT-378が、スクリーンの中央にデータを集約する。


「ヘルメス協会の儀式準備は本物であり、ハッタリではありません。ミノスの星円盤は確かに励起状態に移行しました。それに伴い、ヨーロッパ全土での気候干渉と、地球人類への精神共鳴が発生。ネットワーク上の反応は指数関数的に増大しており、今後、この不安と熱狂はさらに世界へと拡大する可能性が極めて高いと推測されます。……ただし、円盤は完全起動の一歩手前でいったん安定、あるいは継続準備段階へ入ったと見られ、完全な『発火』はまだ先のことと思われます」


 人類はまだ、その異常の正体が何であるのか、全く理解していない。

 だが、世界はもう、確実に見えない波長に反応し、ざわめき始めている。

 ヘルメス協会の狂信的な歩みは止まらない。

 そして、この〈サイト・アオ〉の司令センターからは、そのすべてが筒抜けに観測されている。


「面白いことになってきたじゃない?」


 ティアナは、最高のエンターテインメントの続きを待つように、そのままポテチを一枚つまみ上げ、口の中に放り込んだ。


 その様子を、スタッフたちはただ呆然と見守るしかなかった。

 地球という星に、新しい、そして極めて厄介な火種が、ついに世界の表層へと染み出した瞬間だった。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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お、KAMIちゃん登場か。
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