行ってきますは、ただいまを言うために
アンリと誓いを立てた翌月、婚姻届けを役所に提出した。
式は挙げていない。帰って来てから上げるつもりだ。
何故、こんな結婚の仕方をしたのか――「俺、帰ったら結婚するんだ」とか言うフラグを消すため――ではなく、アンリが俺を絶対に逃がさないよう、念には念を入れるためだ。それから、アンリ自身の覚悟を俺に示すためでもある。俺の帰ってくる場所を守り続ける――そう、言ってくれた。
オベルクにもシャンズにも散々からかわれたけど、まあ、悪い気はしなかった。彼らなりの祝福だ。
それから二か月経った、九月。
今日、俺は旅を再開する。
「シャンズ。町の事、任せるぞ」
「いや、任せるっつっても、俺の方がこの町で暮らしてんだが……まあ、いいや。約束通り、俺はこの町で骨埋めるわ。グレイスもいることだしな」
弟子になる上で約束したことを律儀に覚えてたのか。
「ま、お幸せにな。グレイスも体に気を付けるんだぞ」
「ありがとう。シャンズの事は私に任せて」
「俺が世話する方だと思うんだが……?」
シャンズとグレイスは一月前、結婚した。この町で生れ育った魔術師の結婚式は、教会の周囲一帯が人ごみで埋まるほどの熱狂ぶりだった。後始末を手伝わされたのは言うまでもない。
「ハル。傭兵の登録は冒険者組合だぞ。冒険者って名前だけど、傭兵だからな。間違えるなよ。それから、何かあったら俺の名前出せ、聖都の傭兵連中なら大体いう事聞くだろうから。あと、万が一金がなくなったら俺の通帳を――」
「お前は一体ハルのなんなんだ」
「うるせえ!この町で初めてハルと話したのは俺だぞ!」
オベルクは完全に父親面だ。前世と年齢合わせたらほとんど同じ歳だってのに。
「通帳とか逆に扱いに困るからやめてくれ。また、町に戻ってきたら、もう一度あの時みたいに力の見定めをやろう」
「無茶言うなよ……お前とやり合うのはもうこりごりだっての……」
「はは、まあ、町の自衛団の指揮頑張れよ」
オベルクと他三人の傭兵もこの町に留まるらしい。魔力供給の相場……というか、シャンズがほとんど無償レベルでやるようになった為、傭兵に出せる賃金も上がり、竜の討伐に加わった傭兵三人には、毎日の冬の雪かきと自衛団の訓練をするだけで、五年の間、年俸七百万という破格の条件が提示された。オベルクはのんびり過ごせればいいと辞退したようだ。まあ、この町でなら一生遊んで暮らせる貯金があるからな。結婚もできなさ――しないようだし必要ないんだろう。
「いつでも帰って来い!お前の部屋は残しておいてやる!」
「ハイハイ、アンリに会いに戻ってくるよ……あとうるさいから大声出さないで」
お義父さんには絶対に面倒なことになるだろうから旅の本当の目的を告げていない。帰ってきたら、とんでもなくキレられるだろうけど、それも承知の上だ。
お義父さんは聖都に戻らず、お義母さんと一緒にアンリと暮らすことに決めた。この町の惨状からして、ここ数年は仕事に困らないだろう。それにフリュール家には、安定した収入源も出来た。
宿を閉め、その代わり、銭湯として開くことにしたのだ。外から客が来ないなら町から客をとればいい。立派な風呂があるから、使わないと損だ。
それに、魔力供給の出来るアンリがいる。魔術師として対価を得ることは出いない。だけど、風呂に入りに来て、番台に魔石を預けると、いつの間にか魔力が満タンになっている……という、”抜け道”を利用して収入を得られるようになった。監査が来たところで、町ぐるみだからバレることも無い。
これを考えたのは、アンリだ。俺が初めて会ったころの、視野が狭まっていた少女はもういない。今、目の前にいるのは立派な女性だ。
「ハル……」
「なんだよ。やっぱり行かないで、なんて言わないよな」
「……」
アンリとは昨日の夜、ちゃんと話し合った。そのあと、抱き枕になったのは言うまでもない。
「寂しくなるね」
「そうだな。まあ、約束通り、大きな街でその都度、絵葉書送るから、それで我慢してくれ。俺なんか送るだけで、思う事しかできないんだぞ」
「うん…そうだね」
気づいたら、俺たちの周りには誰もいなくなっていた。気を利かせてくれたか。アンリは全く気が付いていないけど。
「……五年だ」
「え?」
「五年で全部終わらせて戻ってくる。それ以上かかったら、そのあとの人生は全部アンリに預ける。なんでもいう事聞くから、それまでに、願い事考えといてくれ」
「ホント?」
「ああ、約束だ」
アンリはわかったと頷き、上着の右ポケットから何かを取り出し、俺に差し出した。
「これは?」
「カンザシで作った願掛け紐。手首か足首に着けて」
「ミサンガみたいなもんか」
「それ、私の魔力込めながら作ったから、ちょっとやそっとじゃ切れないと思う。だから……」
「そっか、じゃあアンリが付けてくれ。右と左で意味が違うんだったっけ」
アンリは、俺の右手首に紐を結んだ。
「右は勝負事とか仕事。それから――」
そう言いながら、アンリは左足首に結んだ紐を見せた。
「左は縁。廻り。ぴったりでしょ?」
「だな。……俺も左でよかったんじゃないか?」
「ハルはまず勝たないとでしょ」
「それもそうか」
俺の紐は緑。アンリのは紺。互いの瞳の色で染められたものだ。これもなにかの意味合いがあるんだろうけど……まあ、そんなことより、これを見るたびにアンリの事を思い出せるのは嬉しい。
しかし、俺だけもらうってのは、気が引けるな……
「……そうだ。これ、つけるか首にでもぶら下げてくれ」
「え、いいの?」
俺が渡したのは、グレイスに作ってもらった術具の指輪――のブラフ用。
「使わないほうだしな。ブラフ用……つまり偽物だから、贈り物としてはよくないかもしれないけどさ。揃いのモノ、それしかないんだ」
「ううん。嬉しい。絶対外さないから」
そう言って、アンリは結婚指輪の逆。右の薬指にそれをはめた。
「うーん。帰ってきたら、ちゃんとしたモノ作るか。世界中回ったら縁起物たくさん見つかるだろうし、その中から二人で選ぼう」
「うん!でも、これはこれで大事にするから!」
「そうしてくれ。……そろそろ、時間だ」
バスは、日本のように時間にきっちりしてはいなけど、一応予定表はある。そこそこ待たせているし、これ以上は迷惑になる。
それに、今のいい雰囲気の内に別れた方が、気持ち的に楽だろう。
バスのステップに足をかけたその時、聞きたいことが一つ残ってるとアンリが声をかけてきた。
「ご飯何がいい?」
「最初に食べた謎の暖かいやつ」
「謎……ふふ、わかった。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ドアの閉まる音。それを聞いて初めて、アンリとパラインとの別れを自覚した。
魔道車にエンジン音はない。タイヤが道を踏む音が出発の合図。
席に座って前だけを見る。多分、今振り向いたらアンリの泣き顔を見ることになる。もしかしたら膝をついて顔を隠しているかもしれない。だから、見ない。心残りはできる限り置いていく。
必ず帰ると約束した。アンリの涙を見るのはその時だ。
次の目的地は、四千年以上の歴史をもつ国。メリア神聖国・聖都スペルライト。




