目覚めと苦悩
嗅ぎなれた、木の匂いとよく干された布団の香りがする。
小さな足音、濡らしたタオルを絞り、水桶に落ちる音。
額に触れる、人肌の柔らかいタオルの感触――。
「ぎもぢ……い、ごふごふっ…」
「ハル!」
俺の喉から出た声は、聞くに堪えないくらいガラガラで、対照的に、俺の名前を呼ぶその声は、安らぎを感じる奇麗な音だった。
「……アンリ…?」
「そうだよ……私。アンリだよ」
顔を見ようと、瞼を上げようとするけど、びっくりするほど重い。
何とか開いた目に移ったのは、俺の手を握り、ベットの横に膝をつくアンリの姿だった。シーツに水たまりが出来るような勢いで、頬から涙を垂らし、安堵し震えた声でぽつりぽつりと言葉をこぼしす。
「よかった……よかった…ホントによかった」
反応を見るに、かなりの間眠っていたみたいだ。
魔力回路の酷使。二度の宝具使用と創世時代の魔術の使用による、急激な魔力消費。それを制御するための脳への多大な負荷。正直死んでいてもおかしくない状況だったけど……何とか生き残れたみたいでよかった。
五感に問題もないし、四肢も無事、両目の視力も問題なし。少し痺れはあるけど、気にすることでもない。
ただまあ……
「いっ痛たたた……おはよう、アンリ」
魔力回路の方は完全に使い物にならない。今の俺は、年齢通りのひ弱な男の子だ。
「無理しちゃだめ。ちゃんと寝てて。今、シャンズさん呼んでくるから!」
そう言って急いで部屋を出て行った。混乱していたのかタオルが枕もとに落ちたままだ……水浸しになる前に避けておこ。
しかし、寝すぎて体がだるい……。外の様子は窓が閉じられているからわからない。昼か、夜か……どうでもいいか。
周りを見渡して気づいたけど、ここは宿の一室。普通なら病院のベットとかで起きるもんなんだろうけど、こっちの方が安心するからありがたい。……病院がやられたって可能性もあるか……被害状況も確認しないとな。
「身体的な変化は無し。ちゃんと人間の身体だな」
もしかしたら、取り込んだ龍の血のせいで、羽とか尻尾とか生えていないか心配だったけど、まったくそんなことは無かった。……あった方がカッコいいか?
重い体を起こして立ち上がり、身体機能を確かめている途中、アンリがシャンズと、フルジアさんを連れて戻ってきた。
「あ!ちゃんと寝ててって言ったのに!」
「お前……」
泣きはらした顔で怒るアンリに、切羽詰まった表情で入ってきたと思ったら、すぐにあきれ顔になるシャンズ。いつも通りで落ち着く。
「おはようございます。フルジアさん」
「うむ。おはよう」
「俺には挨拶なしか」
「とにかく!早くベットに戻って!」
アンリは、そっと手を添えながら俺をベットへ座らせ、ぎゅっと手を握り、隣に座った。
シャンズは備え付けの椅子をフルジアさんに譲り、自分はそのまま床に胡坐をかいて座る。
「ずっと心配はしていたが……損した気分だぜ」
「いや、損とかいうなよ。ちゃんと生きてたんだから」
それを聞いたシャンズはため息をつき、肩肘をつき、手のひらに顎を乗せ、言った。
「二か月昏睡状態だったやつが、目え覚ましたって聞きつけて全力で走ってきたのに、当の本人は平気な顔しながら立ち上がって伸びしてんだぞ?損もするだろうが」
「二か月か……」
確かに、それだけ寝てたら体起こすのもやっとってもんだよな。
…………?。
「二か月!?げふっ、げふっ!」
「水水!」
「ありがと……、アンリ」
長くて三日程度だと思っていたけど……まさか、そんなに立ってたとは。
「そりゃ、心配かけたな、アンリ」
「ハルの事だから、死んじゃったりしないと思ってたけど、ホントに心配したんだから……」
「俺の事なんだと思ってんだ……」
そう言いながら、腕に抱き着き、肩に頭を乗せてきた。甘え方が異常だ……まあ、二か月だもんなあ。しかも、ずっと看病しててくれたと思うと引きはがすのは、人としてどうか…甘んじて受け入れよう。悪い気はしないし。
「俺にもねぎらいの言葉くらいかけろよ。異変がないか視に来てやってたんだぜ?」
「損したとか言う奴にねぎらいの言葉とか必要ないだろ。……ま、ありがとな。こうして駆けつけてくれただけでも嬉しいよ」
「……おう」
「照れんな」
シャンズもシャンズなりに心配してはくれてたんだ。感謝はしてる。
「フルジアさんも、心配かけまして――」
「心配はしておらん、気になってついてきただけじゃ」
気になって……ねえ。十中八九あの事だろうな。
「それで、町はどうなった?」
「自分の容体より町の心配かよ。ハルっちゃ、ハルらしいが……。壊滅的だが、何とかやりくりしてるよ。誰も死んでねえから安心しろ」
「そうか。ちゃんと守れたんだな……身を削った甲斐が、あだだだ!痛い痛い!」
アンリの力が急に強くなった。身体強化が使えない今、それに抵抗する術がない。
「やめてやってくれ、アンリちゃん。今のハルはひ弱なガキなんだ」
「え?」
「今のハルは魔力がまったく使えねえんだ。つまり、身体強化したアンリちゃんなら腕の一本軽くへし折れるってこと」
「ホントなの!?」
アンリは焦りと不安を合わせた表情で、急に俺の顔を見た。そして、すぐに逸らした。
「シャンズの言う通り、今は使えない。まあ、数週間あれば、魔力を使えるくらいには治るはずだから安心しろ」
「そ、そうだったんだ。ごめんね、力入れて……」
「大丈夫、大丈夫。一応、素の肉体も鍛えてはあるから」
「つっても、ガキに変わりはねえけどな」
「ガキガキ言いやがって……。お前、万全の状態になったら、一発殴らせろ」
「す、すまん」
こうして談笑できる日常が壊れることが無くてよかった。魔力が使えないのは痛手だけど、ここでなら心の平穏を保ちつつ、回復に専念できる。二人には返しきれない恩が出来そうだ。
さて、ここからは魔術師の話し合いだ。
「それで、シャンズ。アレの影響は?」
「不気味なぐらい何にもねえ。”竜は死んだ”その事実だけ残ってる」
「……フルジアさんは」
「それが気になったから、ここにいるんじゃ」
なるほど、やはりフルジアさんは師匠が言う、れっきとした”魔術師”という訳か。
「間近にいたアタシでさえ”記憶に残らなかった”何か。あの時、あの場で何が起こったんじゃ」
「フルジアさん。あなたにはそれを”知る権利”がない――そういう代物であるとしか言えません」
「……では何故、シャンズはそれを知っている。なぜ、理解している」
「シャンズはその権利を持っているからです」
シャンズ。シャンズ・ブラックモア。まごう事なき、天使の血を色濃く受け継ぎし者。
強力な『識別の魔眼』は先祖返りの証だ。制御できないのは当然のことだった。制御が出来るようになったのは、魔力回路という”神代の情報”のおかげだ。
「そうかい……。その権利、どうすれば得られるんじゃ」
「それを知ることが出来ない――というのが答えです」
フルジアさんはあからさまに残念そうな顔をした。
魔術師とは世界の真理を追い求める者。フルジアさんは正真正銘の魔術師だ。
「……頃合い、という事じゃな。女神様の試練を超える事はできなかった……か。アタシはこれで失礼するよ」
総白髪の老婆は背中を丸め、部屋を後にした。
「で、だ」
「?」
シャンズは急に似つかわしくない真面目な表情を見せた。
「なんで、アンリちゃんはそれを覚えてんだ」
「……ああーそれなあ…」
「なんの話?」
俺の腕を掴んだまま、キョトンとするアンリは、それの想像通りの反応を見せた。
「俺があの時使った、魔術。覚えてるよな?」
「雷が落ちたやつだよね。えっと……アドラ……っん」
「ストップ。それ以上は口に出さない」
俺は瞬時に、アンリの口を物理的に閉じた。
「俺の方は全部説明を受けたし、それを知る権利がどういう事かも知ってる。それを踏まえて、アンリちゃんがどうして覚えているのかがわからん」
「それに付いては……まあ、完全に想定外だ。俺にもどこに権利の線引きがあるのかわからないんだよ……」
知る権利が無ければ、知覚すらできない――現在”神代の情報”とはそういうものになっている。
権利は、天使の血族でも先祖返りでもないと持つことが出来ない……では、どうして血族でもないアンリがその情報を知りえたのか……。
「仮説――というか、もうこれが答えなんだろうってのが、一つある」
「なんだ?」
「俺の血。多分、それが鍵だ」
「はあ!?」
シャンズは今までにないくらいの、大声を出した。そういう反応するのは当たり前だろう……俺も気が付いた時、これはヤバいと背筋が凍ったんだから。
「話してなかったんだけど…もともと、俺には神代の情報を知る権利はなかった」
「それは……どういう事だ…」
「権利を得るためには、血筋のほかにもう一つ方法がある。それが”天使の血を取り込む事”だ。俺は、白龍ベルリーア……第八天使の血を十二年間毎日三食欠かさず飲んでた」
「……マジかよ。だが、アンリちゃんはそんなの飲んでないよな?」
「直接、はな……アンリは魔力知覚の時に、俺の血……天使の血で変質したものを取り込んだ。それで、アンリちゃんの血も、同じように変質した……ってことだろうな」
おそらく、摂取しただけでって事ではない。魔力操作で”溶け込ませたせい”ってのが大きな要因だろう。
「気づかぬうちに改造人間にされちゃってたってこと……?」
「要約するとそんな感じ」
「俺も取り込んでんだけど……?」
「シャンズは魔力量が増えたとか質が良くなった……とか?」
「ああ……どおりで最近、魔力がおかしかったのか」
「自覚あったのかよ。先に言えよそれ。なんかあったら危ないだろ」
シャンズはへらへらしながらすまんと平謝りした。魔術師としての実力はあるけど、ちょっと抜けてるのが玉に傷なんだよなあ。
それから、身体や魔量に変化が無いかを調べた。特筆すべきは、アンリの魔力量がシャンズを追い抜いたことだ。取り込んだ血の量もあるだろうけど、町の復興作業で毎日大量の魔力を消費しているらしいから、その分かなり伸びている。
俺の回路も見てもらったけど、酷い有様らしい。ところどころ千切れは途切れ、魔力が干渉しようとすると火花のようなものが飛び散っているらしい。師匠の所でも同じようなことはあったけど、全身となると初めてだ。完治にどれだけかかるのか……。
「にしても、魔力総量……前の二倍はあるぞ」
「まあ、欠乏寸前まで使ったからな」
シャンズも魔力操作の精密さが上がり、魔眼の扱いに磨きがかかっている。もう、魔力酔いすることも無いだろう。
しばらくして、シャンズは病人の部屋にいつまでも居座るのはよくないと、らしく無いことを言って、帰っていった。見え透いた事しやがる。
かくして二人きりになった訳だが……離れる気配は一向にない。……これはマズイなあ。
「あーそういや、アンリの魔術すごかったな。あの時は死んだと思った……てか、町で待機って言わなかったっけ?」
「さ、さ~二か月も前の事だから、お、覚えてないな~」
「嘘つけ。でも、ありがとな。アンリが来なかったら皆死んでた。どうやったんだ、あの水の盾」
竜の最大出力のブレスをただの水の盾で防ぐとか、常識的に考えてありえないんだよなあ。
「あの時は無我夢中だったから……とにかく守らないと!って感じで、こう…ばっ!って」
「マジか……それが理想形ではあるけど……そう、簡単にできるもんじゃないんだけどなあ」
空想魔術は頭の中で思い描いた現象を、魔術として発動する。アンリがやったのは想像と発動を同時に行うという高等技術。そして、”ありえないを可能にする”という空想魔術の最高到達点。
魔術を覚えて二か月のアンリが出来るとは到底思えない……思いたくない……。
「血の変質によるものか……それとも才能か……どちらにせよ、少なくとも俺に教えられることは何もねえな」
師匠なら、まだ何か与えられるものがあるかもしれないけど、俺の手には余る。それくらいにアンリは成長した。なんだよ。チート主人公かよ。
「水魔術以外の魔術も使えるようになりたいんだけど……?」
そういって、また肩に頭を乗せてきた。
「そうだな……当分の間この町に居ることになりそうだし、被検体として研究に付き合ってもらうとするかか」
「どれくらい、いるの?」
「少なくとも魔力回路が完全に修復できるまで……だな。この分だと、一年……かそれ以上になりそうだ」
中途半端な状態で旅にでたとして、また今回みたいな事件に巻き込まれたら確実に死ぬ。そんなことになるくらいなら、修復しつつ、この世界の見聞を広める方が建設的だ。
「そっか。その間は宿にいる?」
「そうしたいのは山々なんだけど……経済的に苦しい。仕事もできない体だし、旅の資金も考えると現実的じゃ――」
「そんなの無料でいいよ!」
「そういう訳にも……」
「じゃあ、宿の仕事手伝ってくれればいいから!力仕事できないなら、受付とか!」
誰も来ない宿で受付って…仕事ですらない。
でも、これ以上、何言っても譲らないな……結構強情なんだよなあ、アンリって…。
「わかった、わかったから腕を締め付けるのやめて……」
「よろしい」
そういって、蛇のように巻き付いていた腕を離し、立ち上がった。この上なく上機嫌だ。
「お腹空いてるでしょ?スープ作ってくるから待ってって」
「ありがと」
アンリは鼻歌交じりに部屋を出て行った。俺はベットに体を預け、天井をみる。
はてさて、どうしたものか……。
「思春期真っ盛りの女の子の扱い方とか知らねえよ……前世でちゃんと学校行っとけばよかった」
ビジュのいい歳の近い異性との一つ屋根の下、二人きりの生活。限界状態の自分に救いの手を差し伸べてくれた人。憧れを与えてくれた無二の存在――好意を持たないほうがおかしいというもの……。
どんだけ鈍感であっても、この状況で知らぬ存ぜぬで済ませられないくらい、事は進んでしまっている……。
「っ~~……悪くない…とか思てる自分が憎い」
誠実でありたい。が、相手は十三だぞ?まあ、俺も今は十二だけども……。
しかし、まあ、歳と言うのは人生経験によって積み重ねられるものだから、この世界での十二年間は勘定に入れないとしても、少なくとも精神年齢は二十二を超えてる。こちらとて抵抗はあるんだよ!抵抗が!
十代で転生してたとしたら?全然アリではある!
そもそも、アンリがいい女すぎるのが、最大の難所なんだわ!
家事は完璧だし、明るくて裏表がないとこも好感持てるし、さりげない優しさも心に刺さる……。
何より、笑顔が良い。天真爛漫なやつも、優しく微笑むところも――。
「駄目だ、これ以上考えないでおこう。おかしくなる」
「何がおかしくなるの?」
「へあ!?」
気づけば、アンリがスープの乗ったトレイを持って、扉の前に立っていた。
一人ベットで頭を抱えながらジタバタしているところを現行で見られてしまった。恥ずかしいことこの上ない。
「……なんでもない。ちょっと人生について考えてただけ」
「へんなの」
差し出されたスープは温かかったけど、味がほとんどわからなかった。




