儀式の余波、黒き残滓
広場を包んでいた黒煙が消え、静けさが訪れた。
石畳に座り込む人々はまだ呆然としながらも、少しずつ互いの名を呼び合い、抱きしめ合っている。
「……終わった、のか?」
リオンが剣を杖にして、疲れたように肩で息をした。
セレーネは祭壇を見つめ、険しい顔を崩さない。
「……いいえ。完全には……まだ」
彼女の視線の先――砕け散ったはずの黒い歯車の欠片が、石畳の隙間でじわじわと蠢いていた。
まるで蟲のように這い寄り、ひとつに集まりかけている。
「おいおい……まだ片付けが残ってるってのか」
俺は鍬を肩に担ぎ直し、嫌そうに眉をひそめた。
「掃除ってのは、最後の細かいゴミがいっちゃん面倒なんだよな」
その時、震える声が上がった。
「……お父さんの記憶が、また……」
「影が……胸の中でざわめいて……」
人々の中から、再び黒い靄が立ちのぼる。
光の種で守られたはずの心に、なお残滓が巣食っていた。
セレーネが低く告げる。
「……これは、“影の種”です。儀式で埋め込まれたものが、まだ消えきっていない……」
リオンが歯噛みする。
「つまり、俺たちの戦いは――まだ始まったばかりか」
俺は思わず空を仰いだ。
青い空のはずなのに、遠くの雲にうっすらと黒い歪みが混じっている。
……まるで、見えない誰かに“上書き”されているかのように。
「ったく……またかよ」
ため息をつきつつ、鍬の柄を強く握りしめた。
「うっ……ああああっ!」
広場の隅で倒れた男の胸から、黒い靄が噴き出した。
その瞳は濁り、理性を失った獣のように吠え始める。
「父さん!? やめて! 私よ!」
娘が必死に抱きつくが、腕は振り払われ、石畳に叩きつけられた。
「……くそ、これが“影の種”の力か」
リオンが剣を構える。だが斬るわけにはいかない、相手は村人だ。
セレーネが叫ぶ。
「心に残った影が具現化し、宿主を操っている……! このままでは全員が喰われる!」
周囲でも、あちこちで同じ現象が起きていた。
泣き叫ぶ子どもを前に、母が牙を剥き、兵士同士が黒い靄を纏って殴り合う。
広場は再び混乱に包まれた。
「……これ以上、影に好き勝手させるかよ!」
俺は鍬を地面に叩きつけた。
響いた衝撃で、石畳に淡い光が走る。
「忘却スキル――《断罪》!」
鍬から放たれた光が黒い靄を切り裂き、数人の胸から影を引きはがした。
人々はその場に崩れ落ち、正気を取り戻して涙を流す。
「……はぁ、はぁ……今の一撃で……」
だが、残った影はすぐに別の宿主へ飛び移った。
「駄目だ、広場中に種が散ってる!」
リオンが叫ぶ。
セレーネの額に汗が伝う。
「ユウマ殿……これは、一度に浄化できるものではありません。種そのものを断ち切らねば……!」
俺は奥歯を噛み、鍬を握り直した。
「ったく……大掃除のつもりが、まだゴミの発生源が残ってやがったか」
混乱の中、祭壇の影が不気味に揺れ――そこから“何か”が芽吹こうとしていた。
ゴゴゴゴ……!
広場の中央にある祭壇の影が膨れ上がり、黒い根のようなものが這い出してきた。
地面を突き破り、石畳を砕きながら伸びるその根は、まるで人々の心を探しているかのように蠢いている。
「……来るぞ!」
リオンが剣を構える。
次の瞬間、影の根が一斉に動き、近くの兵士や子供に伸びた。
俺は咄嗟に鍬を振り、光の壁を作り出す。
「忘却奥義――《遮断》ッ!」
光が人々を守り、影の根は焼き切れた。
だが、祭壇の影はさらに大きく膨らみ、形を成し始める。
「……人影?」
セレーネが呟いた。
やがて浮かび上がったのは、鎧を纏った巨人の姿だった。
顔は空洞で、眼窩だけが赤く輝いている。
『……忘れられし者……ここに還る』
低く響く声に、全員の背筋が凍りついた。
「なっ……人の姿をしている……!」
リオンが剣を震わせる。
セレーネが目を見開いた。
「違う……あれは、この国で“存在を忘れられた者”の記憶が集まって……形を成した存在!」
『……記録に残らず……記憶からも消えた者……我らは“影の王”……』
「……王だと?」
俺は鍬を肩に担ぎ直し、苦笑した。
「またかよ。王とか魔王とか、ほんと好きだなお前ら」
だがその笑みの裏で、汗が背を伝っていた。
――今までの敵とは、明らかに“格”が違う。
『無職の英雄……お前の“忘却”こそ、我らを生む源……』
赤い眼光が俺を射抜いた。
「……は? 俺のせいだってのかよ」
影の王の声が、広場全体に響いた。
『忘れられた者の叫びを、貴様の力が呼び覚ました……!』
俺は奥歯を噛みしめ、鍬を強く握った。
「……だったら責任とって、掃除してやるよ」
広場を震わせる咆哮と共に、“影の王”が動き出した――!
ドォォン――ッ!
影の王の腕が振り下ろされ、石畳が一瞬で粉砕された。
地響きが広場全体を揺らし、近くの兵士たちが悲鳴を上げて後退する。
「っ……速い!」
リオンが剣を構え、必死に影の腕を受け止めた。
だが剣がギィィンと悲鳴を上げ、衝撃でリオンの体が後方へ吹き飛ぶ。
「リオン!」
セレーネが駆け寄ろうとするが、その前に影の根が壁のように立ちはだかった。
『……人の力では、抗えぬ……』
「なめんなよ!」
俺は鍬を振りかざし、影の根に斬り込む。
――しかし。
ズブリ、と鍬が半ばまで飲み込まれ、光が吸い取られていく。
「なっ……!?」
影の王は空洞の顔をこちらに向け、赤い眼をさらに輝かせた。
『……忘却の力……美味……もっと寄越せ……』
「くそっ、通じねぇ……!」
鍬を引き抜こうとするが、影に絡みつかれ、腕ごと締め付けられる。
骨がミシミシと悲鳴を上げた。
「ユウマ殿!」
セレーネが詠唱を始める。だがその瞬間、影の王の眼光が彼女に向けられた。
『……記録の娘……貴様もいずれ忘れられる……』
影の根がセレーネへと伸びる。
リオンが必死に剣を振るい、間一髪で防いだ。
「ユウマ! 今は退け! このままじゃ全員……!」
俺は奥歯を噛みしめた。
――いつもの草むしり奥義が、まったく効かない。
忘却の力そのものが、敵に吸われちまってる……!
「……ったく、また面倒な掃除が増えたな」
血をにじませながらも、俺は鍬をぐっと握り直した。
「おい王サマ。忘れられた影だかなんだか知らねぇけど――」
鍬に光を込める。
「無職流・新奥義……“試作中”だッ!」
白光が鍬の刃に奔り、影の王と正面から激突した。
広場は光と闇の爆発に飲まれ、轟音が夜空を突き抜ける――!




