先祖
彼はひどく悩んでいて、道を見失っている。
彼には広大な未来が広がっている。閉ざされている道もあるが、閉ざされていることが問題なのではない。彼は閉ざされている方の道に行きたいという願望は抱いていない。
彼の将来は決して閉ざされていない。しかし、開放されているということ自体が彼の苦しみである。
彼は選ばなくてはならない。選びたくもないのに。
彼は悩んでいる。そして苦しんでいる。自由に。倫理に。政治に。経済に。信仰に。過去に。歴史に。未来に。彼の人生とその精神世界は、途方もないほど広く広がっていて、それぞれはすべて繋がっていて連動して動き続けている。彼はひとつの道しるべを欲している。彼は羅針盤を欲している。舵輪も持っていないというのに。だがもし彼に舵輪があったとしても、彼の悩みが一つ増えるだけであっただろう。
もし彼が将来舵輪を必要とするならば、彼はそれを手に入れることができるだろうから、いま彼に舵輪がないことは決して悪いことではない。
彼はどんなものでも欲している。彼の世界をさらに豊かにし、難しいものにしてくれるものなら、どんなものでも。
彼はもっと複雑になろうとしている。自分の痛みと苦しみを解決するには、もっと苦しまねばならないと彼は知っている。そうすることによってしか、自らの存在と運命を肯定することはできないと彼は知っている。
彼は求めている。新しい物語を。新しい運命を。新しい航路を。
海の底を行くような潜水艦を。月の裏側に潜り込むようなロケットを。
彼はすべての殉教者を愛している。彼は何かのために死んでいったすべてを、自分のために死んでいった何かのように愛している。
そんな彼が一番愛しているのは、彼のことを知らなかった人々のこと。彼のことを知らなかったにも関わらず、彼に最も有益な遺産を残していった人々のこと。
彼らはそんな人々を先祖と呼ぶ。もはや誰も使っていない古い言葉に、彼はそのような新しい意味を与えた。
古い意味を信じていたその言葉自身も、そう呼ばれた瞬間に彼に同意した。そうして彼は先祖を愛し、敬いながら今も生きている。
私は彼の先祖のひとりでありたい。




