妻
娘を保育所に送った後、ため息をつきながら車のエンジンを入れた。運転は苦手だった。毎日運転していれば少しは慣れるだろうと思っていたが、確かに慣れる部分はあったが、想定したよりもその慣れよりも蓄積される苦痛の方が分量として上回っているように感じられた。
そして疲労や苛立ち、不快感が募るたびに、自分の代わりに誰かがやってくれたらいいのにと思い、そして次に妻の顔が思い浮かぶのだ。その妻の顔はやつれていて、寂しそうで、悲しそうで、どうにかして励ましてやりたい気持ちになる。
いやそれは、多分習慣に染み付いた嘘で、本当のことを言えばそれを見たら私は同じように寂しく、悲しくなる。そして自分自身はその寂しさと悲しさに耐えられないから、一刻も早く状況を改善したくて、励ますという行動の衝動を覚えるのだ。
きっと私は社会的に見れば誠実な夫に見られるだろうが、自分の内面を覗いてたときに目に映るのは、自分の身勝手さや不誠実さばかりだ。自分を責めているわけではないが、妻がずっとあんな状態なのには自分にもいくらばかりの原因があるのは事実でないとは言い切れない。
できることはやらないと。無理をしない範囲で。
「ただいま」
返事はない。まだ布団の中で寝ているのだろうか。私は伸びをする。肩をぐるぐると回して、関節の可動域が狭くならないように体中をごりごりと動かす。昔は、私のそういう動作ひとつに笑ってくれていた。今も時々笑ったり、何かに喩えることを楽しんでくれるが。
「大丈夫?」
寝室のドアを優しくノックしたあと、うーんと、唸るような声が聞こえたので、おどろかせないよう気をつけながら、ドアを開いて、足音を軽く鳴らした。
「起きてる?」
「……うん」
「何か食べたいものある?」
「……なんでもいい。でもお腹空いた」
「目玉焼きと鯖ならあるよ」
「あったかい?」
「チンすれば」
「お願いしていい?」
「わかった。5分くらい待ってね」
「あい……」
部屋を出て、階段を下りる。妻は愛理が3歳になったときにうつ病になった。育児休暇が終わって会社に復帰してすぐのことだった。しばらくは休職していたが、仕事のことを考えるので呼吸が荒くなったり肌に斑点が出てきたりとパニックや発作に近い症状があったので、結局そのまま退職することになった。
経済的には余裕があったため、私も入ったばかりの会社をやめて、今では週三日程度のパートを行っている。娘の面倒を見なくてはいけないし、家事を全部やらなくてはないので、週に40時間も働くことは難しかった。それに、時給換算だとほとんど変わらないどころか、パートで働いた方が効率がいいという面もあった。
もし私が独身の頃だったら、自分のそういう状況などを恥じたかもしれないが、家庭を持って、子供を持つと、そういう自分の社会的ステータスがあまりに気にならなくなる。いや、それも違う。気にならないわけではないが、気にしている場合じゃなくなるというのが正しい。プライドよりも大切なものができたというとよく聞こえるかもしれないが、どちらかといえば、自然と生じてくる背負いきれないほど重荷を前にして、それ以上多くのものを背負ったり感じたりすることが難しくなっているだけなのだ。
だからか、知らない人に共感したり同情することも減ったし、政治だとかスポーツだとか、遠い世界の事情に感情が動かされることもなくなった。時間自体はあるのに、学ぶ意欲も減ったし、心なしか、人に対する態度も冷たくなったような気がした。
「はい。まずは水飲んで」
「ありがとう」
妻はコップを受け取ってゆっくりと飲んだ。こくこく、と静かな部屋に喉が鳴る音が響く。
「ぷはぁ。沁みる~」
かすれた声ではあったが、せいいっぱいの明るさの滲む声に、なぜだか私は胸が苦しくなった。
「もう一杯いる?」
自分の声が涙声に放っていないことに安心した。
「あ、うん。ごめんね」
もう一杯水を持って帰ってきたころには、妻はスマートフォンの画面をじっと見つめていた。私はそれに対して、何を見ているのか聞くべきなのか聞くべきでないのかわからなくて、専門家に相談したりAIに相談したり色々したが、結局は結論が出ないままだ。
仕方なくこの前妻が、少し調子がよさそうな時に、一緒にリビングでテレビを見ている最中、聞いてみたのだった。
「スマートフォンを見ているとき、何を見ているか聞いてもいいの?」と。
妻はこう答えた。
「その時の私に聞いてみないとわからないかも」と。
それはごまかしているのではなく、妻なりに一番正直な答えなのだろう。そして同時に、私はこう思ったのだ。
それを聞くこと自体が、妻にとってとてもつらい出来事として記憶に残ってしまうかもしれない、と。私に話しにくいことが妻には無数にあることくらいわかっていて、それは私にしてもそうなのだから、互いに距離感を保たなければならない。
時々思う。私たちは赤の他人みたいだと。これほどまでに、互いのことを思っているのに。いや、そう思っているのは私だけなのかもしれないが。
「ねぇ」
私が自分の思考世界に潜り込んでいる間に、妻は朝食を食べ終えたようだった。妻が残した鯖の血合いに、私は妙に食欲を覚えた。
「なに?」
「私、入院した方がいいのかな」
何度か話し合ったことだ。ふたりで費用を確認したり、色々な病院を探した。どんな治療法がなされていて、そこで入院したらどんなことが期待できるのか。結局何も決まらなかった。もちろん、いくつかの精神かに通ってはみたが、たいてい私たちは「他の先生の話も聞いてみてから決めようと思います」と言った。それで、誰の話を聞いても決まらなかった。
「僕は君が家にいなかったらすごく寂しいけれど、君の人生にとってその方がいいというのなら、そうした方がいいと思う」
いろいろなバリエーションで言ってきた、決まりきった答え。妻の表情は変わらない。柔らかくて自然な表情だけれど、心と表情の間には必ずいくらかの距離が開いている。今の時代、それは妻に限ったものではないし、私だってそうだけれど。
「……もう少し考えようかな。入院については」
「うん」
「離婚はどうかな」
「え?」
なんでもないことのように、妻はそう言ったが私は驚いて、その時ばかりは自分の言葉や心の統制が取れなかった。急にエンジンがかかったみたいに、頭の中でいろいろな経験が駆け巡って、推論を始めた。そして出した結論はいくつかあったが、私はどれも採用しなかった。すぐにその理由を聞きだすことだけはきっと正しくないと思ったから、私はただ黙って妻が自分から話し始めるのを待つことにした。目を合わせることはできなかった。
咳が出そうだと思って口に手を当てようとすると、水が手に当たる感覚があって、私はそこで自分が泣いていたことに気づいた。喉の痛みも、目の腫れも、遅れてやってきたように感じられた。
「多分私はもう、君と結婚したときの私じゃないし、私と君の関係は健全じゃないと思うから。だってそうでしょう? 夫婦って支え合うものであって、片方が片方に依存し続けるためのものじゃない。私はもう誰かの支えなしに生きられなくなってしまったわけだけど、別にそれはあなたじゃなくてもいいわけでしょ? こういうときのためにいろんなサービスがあるんだし、君はまだ大丈夫なんだから、私のために不自由するのはおかしいと思わない?」
妻は、早口でそうまくしたてた。そう言ってから「ごめん」と言った。「言わない方がよかったかな? こんなこと。でも、君の方でもこの件は少し考えてみた方がいいと思う」そう言った。私は勇気をもって妻の顔を見たが、妻の法の表情は何も変わっていなかった。まるで、こういうことを何度もやってきたかのような落ち着きようで、私は自分のそのぐちゃぐちゃになった心と表情との差に恥と悲しみを覚えたのだった。
愛とは何だろうと考えた。でも今は考えない方がいいと思った。娘のことも考えないといけない。きっと、私たちが離婚したら娘は困惑すると思う。悲しむかどうかはわからない。そもそも離婚に対してどんな印象を持っているかも定かじゃない。娘は、年にしては賢すぎるし、独特な感性を持って独特な判断をするか、両親の間でこういう話が出てきたときに、どんなことを思うのか、どんなことを言うのかは検討もつかない。
胸が締め付けられるような気持ちになった。逃げ出したくなったが、逃げ出す先がなかった。だから手を動かすことにした。いつもなら死ぬほど嫌なトイレ掃除を始めたら、信じられないほど気分よく手際よく掃除を終えることができた。人間の防衛機制とも呼ぶべきこの機能はなんと素晴らしいのだろうと思った。体全体が、今は自分たちのそういう社会的な将来について考えるのをやめることを推奨しているかのようだった。私は何かひとつ終えるたびに、もうひとつ仕事を見つけて、それに取り組んだ。いつもなら、それにどれくらい意味があるだろうとか、これを終えたらどんな息抜きをしようとか、またそういうのとは関係のない空想や妻や娘、親戚やしばらく会っていない友人などのことを考えたりするのだが、そういう考えが浮かんでくる頻度も、本当に幼少期以来と言えるほど少なくなっていた。
こういう状態があるのならば、私の普段の状態は、常に騒音に悩まされているようなものだな、とふと自嘲するほどだった。
「パパ、泣いた? ママに泣かされた?」
保育所に迎えに行った時、娘は眠っていたらしいが、私の車の音が聞こえて布団から飛び起きたのだと年配の女性の保育士さんが教えてくれた。その人が娘に「本当にパパが好きなんだね?」と聞くと、娘は「微妙」と答えた。「でもうちに帰れるのは嬉しい」と。
よく考えてもみれば、共働きでもなく、母は常に家の中にいて、私もだいたい五週間に四日は日中家にいるのに、娘を保育所に預けているのはおかしいのだが、誰もそれについて疑ったり聞いてきたりすることはなく、私たちもあまり疑問に思ってこなかった。たまたま近所の保育所に空きがあるという話を聞いたから行ってみたら瞬く間に話が決まって、そのおかげで私と妻の心労は何段階か改善されたというだけの話だったのだから。
「パパ?」
「あーん。そうだね。泣かされたと言えば、泣かされた。喧嘩したわけじゃないけど」
「喧嘩はしないでしょ。パパとママは。あ、そうだ。私今日舞衣ちゃんと喧嘩したよ」
「何が原因で?」
「んー? 忘れた。でも仲直りしたから」
「そっか」
「あと今日、数字を並べるやつやったんだけど、やっぱり私が一番だった」
「なぁ愛理。寂しくないか? いつも一番で」
「ん? パパっていつも変なこと聞くよね」
「ごめん」
「一番なのは、頭使うことだけだから。適材適所だよ。あぁでも、せっかく覚えた言葉を言うたびに大人たちに笑われるのは嫌だ。パパとママは笑わないのが偉い」
「パパたちは笑われる側だったからね。いつでも、今でも」
「そうなの?」
「さぁ、ちょっと誇張したかも」
「誇張?」
「大げさに言ったかもしれない。愛理は世界で一番の天才だーとか、パパは世界で一番不幸だーとか、そういう言い方のこと」
「へぇ。じゃあ私が自分のこと天才っていたら誇張?」
「今のところ誇張じゃないかもしれないね」
「5歳の日本人の女の子の中で一番の天才って言ったら?」
「ぎりぎり誇張かもね」
「この地方なら?」
「んー。誇張かな」
「じゃあこの県」
「他の子たちがどれくらい賢いかなんてわからないし、君たちはみんなすぐに賢くなっていく。今賢いかどうかなんて、たいていは遅いか早いかでしかないよ、愛理。気にしても仕方ない」
愛理は少し黙って考え込んだあと、急に車の窓を開けた。それで「わあああ!」と大声で叫んだ。昔みたいに、金切り声ではなくて、音量は変わらないが、耳に痛くない声だ。前に「叫びたいときに人が嫌な気持ちにならないように努力したい」と言ってきて、録音をすることを勧め、その後実際に叫ぶ練習に私は付き合って、そういう叫び方をするようになったのだった。保育所でも、時々叫んでいるらしい。
「パパのバカ!」
外に向かってそう叫んでいる。そのあと、ひとしきり泣いた後、ケロッとしてこういった。
「なんでパパは私のこと褒めてくれないの?」
「あんまり人を褒めるのが習慣じゃないんだ。多分自分を褒めることも」
「私が褒めてほしいって言ったら褒めてくれるの?」
「条件なしで褒められてうれしいの?」
「ううん。でもみんな褒めてくれるから。褒められたいときに褒められないのは悲しい」
「ママはどう思うか聞いてみようか」
「うん」
愛理は多分私よりも妻の方が好きで、家にいるときのほとんどは妻の寝室にいて、一緒にスマホを見たりゲームをしたり本を読んだりずっと話をしたりしている。ただ妻の方はそれに結構消耗しているらしく、定期的に私が見に行って、合図をすると私がうまく愛理の気を引いて妻から引き離す。寝るときも、今は私と愛理が一緒だ。昔は妻と違うところで寝るのが嫌で一晩中に近いほど泣いていたこともあるが、その時妻が発作を起こしたのを見てからは、めったにそうやって癇癪を起すことがなくなった。
かわいそうなことをしているような気もするし、親としてできることはやっているような気もするが、比較対象がなかったのでわからなかった。私たちは子供のことなど何も知らないし、もっといえば愛理に、「普通の子供」の基準が当てはまるとも思えなかった。
娘のことは今でもよくわからない。もっと小さい時は、本当に子どもだったから、保護すべき、守るべき、育てるべき対象だったけれど、二歳ころから言葉を話すようになって、もう一日中というくらい喋るようになって、好奇心旺盛で、理解するのが早くて、忘れるのも早くて、年齢の割には内省的というか、自己分析することが多くて、その割にはとても感情的で、時には暴力的で。
いうなれば、愛理は子供というよりも人間のように私にはみえた。保護する対象というよりも、権利を尊重すべき相手のように思えてしまうのであった。だから私の愛理に対する態度が厳しいのか甘いのか、過保護なのか放任しすぎなのかは、さっぱりわからなかった。私なりに考えながら接しているつもりなのに、何を言っても、何をやっても、どれも正しいことではないような気がするのだ。
「お風呂は今日も入らない?」
「うん。着替えるだけ」
「そう」
愛理は小さいころから風呂が嫌いだった。無理やり入らせるのは嫌だったから、色々な言葉を重ねて説得していた時期もあったが、今は説得されるのは私の方だった。臭ければ濡れタオルで拭いて着替えればいい。髪は短くしているから汚れるまで時間がかかる。ストレスは少ない方が成長にいい。理屈はいくらでも出てくる。ネットでもAIでも、知る手段はいくらでもある。漢字も簡単なものなら読めるし、読めない漢字があったときに「それはどういう意味か」と聞くこともできる。
本当にこちらに理があるときにしか、言うことを聞かせることはできない。もしかしたら世の人はそういう状態は健全でないというかもしれない。子供のうちは、有無を言わせずいうことを聞かせた方がいいこともあるかもしれないとも。実際、言語化は難しいが、やらない方がいいことややってはいけないこと、またやった方がいいことややらないといけないことはこの現代社会いくらでもある。いくらでもあるとしても、愛理が大人になるころに全部それが変わらず残っているとは限らないじゃないか。
私たちの生活自体が、私たちの子供のころではほとんど考えられないようなものだったわけだし。
その日の晩、愛理は布団の中で小声で私にこう聞いてきた。
「ねぇ。ママって死んじゃうの?」
「え?」
「なんか病気なのかなって。いつもよりつらそうだったし、何か隠してるみたいだった」
「病気については僕は何も聞いてないよ。でも、つらそうなことに心当たりはいくつかある」
「何?」
「ずっとこのままではいられないかもしれないってこと」
「お金の話?」
「いや、人生の話」
「なんか、難しそう」
「聞きたい?」
「ううん。今日はもう眠いからいいや。明日、覚えてたら聞こうかな。あ、でもママは死なないんだよね?」
「僕の知る限りでは」
「パパの知る限りでは。お休み」
「うん。お休み」
でも私はこう思ったのだ。このまま、目を覚まさないでいられたらどれだけ楽かって。




