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寂しさ  作者: 冷凍槍烏賊
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拡大解釈

 全然楽しくない。必然性を感じない。


 ずっとそうだったように思う。最後に、書いてて楽しいと感じたのはいつだっただろう。

 もしかしたら、私にとって書くことは苦行だったのかもしれない。目的のための。


 実際のところ、書くことは幸せだっただろうか。書くことは、私を喜ばせただろうか。

 読むこともそうだ。私は書いたり読んだりすることが、本当に好きだったのだろうか。


 ただ私は、自分が好きなことを好きなようにやっているだけのつもりだったが、実際にはそうではなく、自分が好きでないことを、好きであるということにするためにひどく努力をし続けただけの人間であったのでないとどうやって言えるだろうか。

 書くことそれ自体は習慣ではあるが、私はそれを好んでいないのだとすれば。私が書くことから、何の喜びも幸せも受け取ってなどおらず、私にとって楽しいことは、単に妄想すること、想像すること、愛すること、望むこと、叶えること、諦めることだったとしたら、私がそれを言葉にして、共有可能な形にして、それを整えるのは、生成するのは、単なる苦痛であり、不幸の源だったのではないか。


 私は書くのをやめるべきなのではないか。私の書いたものに価値はなく、そして私自身が書くことに苦痛を感じるなら、書くことなど最初からしない方がよかったのではないか。

 小説など書かなければよかった。あぁ。書かなければよかったのかもしれない。実際私は、何も書いてこなかったのとそう変わらない状況に置かれているし、私は自分の書いたものに責任を負うこともできないし、誇ることもできない。

 私は、私のすべてが恥ずかしいし、生きることはやっぱり苦しい。書くことは、その苦しみを別の苦しみで埋めるようなものだったのかもしれない。もしそれがうまくいっていなかったのだとしたら?

 あるいは、今までうまくいっていたが、この先はもううまくいかないのだとしたら。


 書くのをやめるべき時が来た時、私は素直に書くことをやめられるだろうか。それは今でないとどうやって証明できようか。

 私は今までで一番、自分が何をやりたかったのか、何をしたかったのか、何を目指し、どこに辿り着こうとしていたのかわからなくなっている。

 多分私はいつでも、あがくみたいにして書いていたと思う。泥の中をもがくように。私はずっと泥の中にいて、今も泥の中にいる。

 もし沈まない方法が、ただ静かにじっとしているだけだとしたら。だとしても、今私がもっと深く沈んでいくことしか求めていないとどうやって示す? 誰も引き上げてくれないというのなら、私はもう底の底まで沈んでいくしかないじゃないか。


 私が信じてきたものはすべて嘘だったのではないか。実際のところ、嘘は無数にあった。私はそれを否定してきた。否定しづらいものを選ぶということそれ自体に、嘘の香りがあるのに、私は気づいていなかったのだろうか。


 私が小説など愛していなかったのだとしたら、私はいったい何を愛してきたのだろうか。この現実を愛したことなどない。自分の幸せも、短期的な喜びも、富も栄誉も、愛それ自体も、愛したことなどなかったのではあるまいか。

 すべてが単に、私の幼いプライドのためでしかなかったのだとしたら。

 私はこの先どうやって生きていけばいいんだ? 何も持っておらず、何も望んでいない。ずっとそうだったじゃないか。何をいまさら。


 私はずっと望んでいた。何を? 「何を」を。私は自分が何かを望むことを望んでいた。でも相変わらず私は何も望んでいない。ただ呼吸をしているだけであり、ただものを考えているだけだった。

 なら苦しまずともよかったのではないか。なぜ私は苦しんでしまうのか。

 苦しみを滅却することを、なぜ私は肯定できないのか。なぜ私は私に対して、苦しみ続けよと命じたのか。


 私は何も愛していない。何も呪ってなどいない。ただ嫌いなものと、不快なものが無数にあるこの世界で、その嫌悪と不快を両脇に抱えてただ歩いてきた。意味もなく、いろいろな嘘を信じながら。そのまま生きて、死んでいく。


 私は波打ち際に立っている。生きることは苦痛で、海など好きではないけれど、潮風に打たれることは好きだった。海を眺めても何一つ面白くないけれど、流れてきたゴミに、人間の業を見るのは好きだった。

 私は何も愛していなかったが、生きることは好きだった。生きるのを見るのは好きだったし、生きるのに苦しむのも好きだった。

 多分私は小説を愛したことなどなく、単に小説が生きることの模倣であったから、私は小説に好意を抱いたんだと思う。まるで少年が、自分の母親に少し似ている友達を好きになるみたいに。

 でも私は、生きるのが得意じゃなかった。生きるのが下手で、うまくできなかった。多分苦しむことも。愛することも。私は何もかも下手で、すべてに失敗したのかもしれない。

 失敗するのも人生だろうと人は言う。失敗し続けることも、それはきっと生きることに含まれている。ならば私はまだ生きることに見捨てられているわけではないだろうと、そんな励ましの声が聞こえる。

 誰が言ったか、誰よりも失敗した人間は、それだけ多くのものを人生から受け取っていると。確かにそうだと私は思ったのではなかったか。


 生きることは苦痛だった。苦痛がないことも苦痛であり、苦痛があるときは当然苦痛に満ちていた。腹が痛くないときは頭が痛くなり、腹が痛いときは腹の痛さが嫌だった。腹も頭も痛くないときは、心が痛かった。心が痛くないときは、私は自分が何か間違っているような気がした。

 私にとって苦痛は、単なる苦痛に過ぎなかったはずなのに、いつの間にかそれが欠けてはならないもっとも重要なピースのようになっていた。

 苦痛は、私の心臓の鼓動のようだった。


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