12
夜闇を打ち消すほどの業火が走り、それは直視した招かれざる者たちの目を焼いた。雨の如く降り注ぐはずの矢は一矢たりとも落ちはせず、何かの灰が夜を流れる風に消える。
何が起きたのかと驚き見開かれる翡翠の目。己が血で全身を紅く染め上げたその姿に、グレンの魔女はポーチから小瓶を取り出すと人の子へと駆け寄った。
「飲め」
「ぅごふっ!?」
驚き戸惑う様など知らぬと呆けて開いた人の子の口へ問答無用で薬を流し込む。青臭く苦い液体は美味いなどと言える訳のない味だが、人の子はさしたる抵抗もなくそれを飲み込んだ。否、小瓶を口に突っ込まれて飲み込む他なかった。
額を裂き、鮮血を零す傷が塞がり消えるのを見て、ひどい味と不意打ちの行動に噎せ込む人の子の手を彼女は掴む。
「走れ蓑虫、逃げるぞ」
「っごほ、ぇっは、はいっ?」
己から初めて触れる手は硬く、騎士らしい武骨なものだった。痩せっぽちの面影はないが、生きている熱を感じる大きな手を強く握り彼女は森の奥へと駆け出す。
強い光で目を焼いたが奴らは生きている。放っておけばやがて息絶えただろう人の子を執拗に狙ったからには必ず追って来る。それを、グレンの魔女は許さない。
ザワザワと騒ぐ森の木々が月光を遮り、元より深い闇をより深くする。森の木々が起こす神秘に人は迷えど、魔女である彼女には真昼の道と変わりない。それ故に鬱蒼とした道なき森であろうと平地を行くかの如く速度を変えず駆けるグレンの魔女。その手に引かれ走る人の子はついて行くのがやっとだが、ザワリッと一際大きく鳴った梢にグレンの魔女は足を止めた。
人の子には聞こえぬそれは、侵入者を排除する為に森が上げた雄叫びだ。
「諦め去ればよいものを」
凍てつくほどに冷たく蔑む声が漏れ、初めて聞くその音を耳にした人の子が小さく震えたが構うことなく彼女は肺を空気で満たした。
「餌が来たぞ獣共!一つ残らず食らい尽くせっ」
梢の天蓋へ鋭い声を上げ、ピィイイっと高く指笛を吹き鳴らす。森中に響き渡るグレンの魔女の呼びかけに獣たちが吼え応える。
ここは森の入り口、人食らう獣たちの――狩場。
一つ二つと吼え猛る声は増え、ふいにざわめいていた森から音が消える。次の瞬間、森の木々の案内を受けた獣たちが闇夜を駆け行く。足を止めたグレンの魔女と人の子のすぐ傍らを獣の吐息が走り抜け、やがて何処かで何かが叫ぶ声が聞こえて、消えた。それでおしまいだ。
ふぅと吐息を漏らし、グレンの魔女は掴んでいた人の子の手を放した。驚き戸惑い瞬くばかりの翡翠の目を見上げ、血濡れの頬へ手を伸ばせば、常にない彼女の行動に人の子は固まった。しかし彼女の目的は頬へ触れることではなく、人の子の肩から跳ねた黒い毛玉を回収することだ。
「いい子だ。よく知らせてくれた」
人の子の肩からグレンの魔女の手、そして耳元と跳ね、白い毛玉に寄り添う黒い毛玉は労い撫でられチィと鳴いた。
「ぇ、あの、ま、魔女殿?」
己の身に彼女の毛玉が付いていたと知らぬ人の子がようやく何事か問いたそうにグレンの魔女へと声を上げるが、彼女はポーチを漁っておりこれを無視。更に目的のものを見つけたのか翡翠の目を見上げて言い放つ。
「蓑虫、左手を出せ」
否の答えはない。脅すように手を伸ばしたグレンの魔女は、恐らく人の子が手を出す以外を許さないであろう。その様子に眉尻を下げた人の子は何かを諦め、黙って左手を差し出した。
手の平を上にして差し出された左手、その薬指にグレンの魔女は赤い輪を通す。少し大きかった輪が人の子の指に吸い付きぴたりと嵌るのを見て、同色の鎖で繋がるもう一つの輪を彼女は己の指に嵌める。すると輪と輪を繋ぐ鎖が一瞬光り、輪だけを残し消え去った。
「あの……魔女、殿?」
展開についていけていないだけでなく、新たな疑問まで付加されて躊躇いながらも人の子は再度声を上げるが、グレンの魔女は己の指を飾る輪を眺めて頷いていた。
「よし、これでお前は一生私の飯炊き係だ」
「はい?」
妙に満足そうに「何故今それ?」と思われることを口にするグレンの魔女に人の子は間の抜けた声を漏らし、それを聞いた彼女は明確な言葉でこそないが、問いとわかるその声に解を示す。
「勝手に死ぬことは許さん。私と共に久遠を生きろファルナー」




