第四十七話 ~閑話、王の笏~
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「卿、どういたしましたかな?」
「………いや。どうとも。さて、どこまで話したか」
第一外縁内部、都市の最高意思決定機関―――”王の笏”。
そこに集まったのは十数人の貴族と、一人の命核解者だった。命核解者の姿は男である。多くの貴族たちはその男であるというだけしか印象を持たない命核解者について、特に疑問も持たないままに会話を続けていた。
「今回の投資は実るかどうか、です。なにせこの世界は存外に厳しい。都市の外は危険な原生生物や放っておけばすぐに人類の生存領域を飲み込む森林に溢れ、隊商の往来だって命がけです。この街で暮らし、生きて、そのまま死ぬただの市民どもにはわからんでしょうがな」
「そうだな。だからこそ投資をしないわけには行くまいよ。大多数の人間、知能の低い屍のような者どもには先を見る力などない。我々が未来を読み、金と技術と武力の使い道を提示しなければ、都市といえどすぐに滅びる。私はそれを何度も見てきた」
「………命核解者たるあなたの技術を、我々にくだされば………投資が博打にならずに済むというのに」
「私の技術は新たなる輸送路の確保には向かないだろう。それに、こちらとしても一都市に技術を提供するというのはリスクになる」
「………本当に秘密主義者だな、貴様たちは。この第一外縁には他にも命核解者が住んでいるが、皆同じような手合いだよ。まあ、貴様は特に秘密主義者のようだが。………お前、何の研究をしている?」
命核解者の男にそう質問をしたのは、金の髪を持つ少女の姿をした貴族だった。やや首を傾げ、瞳の中にただ映すかのように男を捉えると、視線をやや下に逸らす。
男は、一瞬だけよく認識のできない目元を歪ませると、静かに答えた。
「教える義理はない。私たちはただ協力関係にあるだけだ。私は医療技術を諸君に提供し、代わりに資金を得る。いくら仮初の身分として貴族の地位を得たとはいえ、私は本来外部の人間だ。………無用な詮索を我々に対して行うのは、命の危険があると理解して貰いたいものだが」
「そうか。それは悪かった。では別の話題に移り変わるとしようか。さて、最近このフェツフグオルでは失踪事件が多発している。遺体のありかは不明だが、失踪しているのは第五外縁付近のものが最も多い」
少女貴族のその言葉に、貴族たちが騒めく。
「失踪事件?………初耳だぞ、ライフェンブラー卿」
ライフェンブラー。そう呼ばれた少女貴族が頷いた。
「露呈したのが最近だからな。原因は不明だが暫く前から発生していることは間違いがない。現在、私の私兵を動かし調査させている」
「失踪か。街の外へ出た可能性もあるだろう」
「ない。第五外縁から第六外縁の壁は確かに人間でも乗り越えることは出来る程度に低い。現在の防衛機構の問題点そのものだからな。シュフェリアの黄金塔が存在していた頃は最も巨大な壁と絶対的な攻撃力を持つ塔によって全方位を守護できていたが、現在では見る影もない。どこぞの馬鹿と魔術師が壊してくれたせいだが」
「………魔術師?」
男が初めて疑問を口に表した。だが、ライフェンブラーという少女貴族はその疑問を無視すると、話を続行する。まるで敢えて無視したようだが、話の流れを遮るなと言わんばかりの態度はその事実を周囲の貴族に与えることはなかった。
「さて。その黄金塔がない以上、我々フェツフグオルは外壁の向こう側に斥候を常に置き続ける必要がある。壁の周りにも兵はいるが、あの距離での索敵では重篤な問題の発生時に対応が後手に回るからな。この辺りは都市の暴力機関を司るリンディスラット卿なら理解しているのではないか?散々兵士不足の件で私に噛みついていただろう」
少女貴族が視線を向けた先にいるのは、若い………といっても三十代手前といった容貌の貴族だった。少女貴族と同じように金色の髪を持つが、よく鍛えられた体躯に日焼けした肌は、貴族らしさという点においてはその言葉がそぐわない様にも見える。だが、腰に携えられた剣は使い込まれた形跡、即ち血を吸った形跡があり、実戦を経験していることがわかる存在だった。
―――尤も、と少女貴族は心の中で思う。
リンディスラット卿がその剣に吸い取らせた血液は、原生生物も人間もどちらも問わない。邪魔であれば、都市の存亡に関わるのであればこの男は誰であれ殺すのだ。この私をすら暗殺しようとした度胸は、ある意味では信用に値する。
「………脱走者は居ない。この街の外に張り巡らされた俺の軍の斥候網を抜けて出入りできるのは、アリストテレスを始めとした怪物どもだけだ。それとて、認知自体はしている。今も中にいるぞ」
「あの婆、戻ってきてるのか。まあいい、あれの動向など我々が制御できるものか。大事なのは都市に住まう人間が、都市の外に出ないままに消えているという点だ」
じろりと少女貴族が周囲の貴族たちを睥睨する。
冷たく、裁定でもするかのように。
「どう思う、貴様ら。何が問題だと思う、どこに本質がある。なにが、原因だと思う?」
「………ライフェンブラー卿、その口ぶりだと原因がわかっているかのようですな」
「さて。どうかな。そもそも私一人が理解していても意味がないとは思わないか。我々は都市の意思を決定する機関だが、機関である以上集団の理性を以てそれは論じられ、決定される。だからこそ私は問いかけるのだ。原因は何か、とな」
それが、私の役割だとライフェンブラーという名の貴族は理解している。
―――ライフェンブラー。エルフの血脈を半分持つ貴族。この少女に年齢という概念は当てはまらない。その肉体にも、そしてその精神性にも。老成した賢者のように、この少女はどこまでも冷静に、冷徹に人間を観察し、評価し、俯瞰する。
少女は………リリアス=エルフィー・ライフェンブラーはそういう人間だった。
彼女の眼球が動き、一瞬男を捉える。ほんの数舜だが、彼女と男は睨み合い、どちらともなく視線がそらされた。
男は議論が活性化し始めた貴族たちを眺めると、静かにその場を去る。リンディスラットという名の貴族がその背中を無感動に見ているのにも、当然気が付きながら。
そして、”王の笏”の通路の中で独り言を零した。
「………頃合いか。惜しいな、ライフェンブラーの血。その精神性。私のものになればと思ったが、噂以上に手強い。成程、防衛機構を失ったフェツフグオルが未だ存続できているのも納得がいく。これほど徹底的に潜入しても、あれを捕らえることは難しそうだ」
あれからならば―――新人類はより高い完成度を誇れただろうに。ああ、あと少しだというのに本当に惜しい、本当に勿体ない。
だが。もう不老不死そのものはすぐ近くだ。あと一歩、あと一手。
………魂を完全なるものとするにはピースが足りない。物理手段で解決することは出来ない。魔術の領分を用いなければ、不老不死には到達できない。錬金術師たる私でなければ、新たなる人類は生み出すことなどできはしない。人間も、生物も、たとえ己の血を引く娘とてすべては部品、歯車だ。
故にこそ、その部品をどう扱うかを考える。より効率的に命を使える方法を考える。やがて己が命の果て、世界の果てに到達できるように。
もう少しなのだ。もう少しだけこの街にとどまり、不老不死を完成させる。私の作品、即ちウィスクムにとってこの街は都合がいい。あれの生育過程で欠けていく魂の欠片を、ここならば補完できる。
だが………。
「貴族たちと関わるのは、あと一度が限界か」
靴音を鳴らし、男は王の笏を去る。何を考えているのか、何をする気なのか―――その真意を胸の奥に握りしめながら。




