第四十八話 ~九相解明~
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「先生………お疲れ様、です」
「………あー、ああ」
椅子の背もたれに寄りかかり、木製フレームが軋む音を聞く。
ナフェリアの声と共に、珈琲の香りが漂ってきた。良く出来た弟子だ、俺の疲労がピークに達したのを感じ取って休憩を取らせに来てくれたのだろう。
「悪いな、珈琲貰うよ」
「はい………あの、えっと………帰ってきてからずっと研究していますけれど………その、大丈夫です、か………?」
「ん?」
目元を抑える手を止め、ナフェリアのほうを見る。心配そうな表情を浮かべていたので、その頭に手を乗せてゆっくりと撫でてあげた。
「俺の感じる疲れっていうのは人間の肉体を持っていた頃の名残だからな。実際は通常の肉体運用をしている限り疲れることなんてないんだよ。つまり、魂の錯覚なわけだな。だから、大丈夫だ。過労死なんて絶対にしない」
「でも、魂は疲労している………ということです、よね?」
「お。いい着眼点だな―――俺の場合は、否だ。魂はこの肉体に定着し、完全に一体化しているからな。俺の魂もまた、不老不死の一要素になっているんだよ」
勿論不死の形によるけどな、と注釈をつけておく。
………さて。俺たちが旧第六外縁の魔術師の仮拠点から戻ってきてから、三日が経った。その間中俺は研究室に引きこもり、ずっと持ち帰ってきた九相図研究で使用されたと思われる死体を調べ続けている。死体といってもそのすべてを持ち帰れたわけじゃない。そもそも、九相図というのだから死体が死体のまま完全な姿を保っているもののほうが少ないし、持ち運ぶにも方法に限りがあるためだ。まさかこの第三外縁に戻るのに幾つもの死体を担いで帰ってくるわけにもいかないだろう?
だが、そもそも命核解者の俺たちに、完全な形の死体なんて必要はないのだ。骨の一片、肉体の一欠けら。それだけで、膨大な情報を手に入れることが出来るのだから。
「オルト。何か分かったか」
「あ、師匠。―――ええ、結構沢山分かりましたよ。事実と、確証と。あとは相手の研究内容がどこまで進んでいるのかですね。それは今から調べます」
「ふむ。………ある意味、流石だな」
さて。では研究再開の前に、そもそも九相図というものがどういう物なのか。改めて理解しておこう。
九相図の原点、元となる概念は東洋に存在する………何度も言っている通り、それは死体が朽ちていく様子を九つに分けた絵画が元だ。
そして、その図の一つ一つに名があり、展開がある。
―――まず一つ、”脹相”。
死体の内部に腐敗によるガスが発生し、膨らんだ状態。
第二様相、”壊相”。
死体がより腐り、それにより皮膚が破れる。
第三様相”血塗相”。
死体が損壊し、体液が体外に漏れ出す。
そして、死体が溶け行く”膿爛相”、さらに青黒く変質する”青瘀相”を経て、虫が湧き鳥獣に食い荒らされる”噉相”、それにより死体が散らばる”散相”、骨だけになる”骨相”………最後に、その骨すら焼かれ灰となる”焼相”で完結だ。
「………ただの絵画。だが、魔術師の観点で見れば、この概念は利用できるものへと変質する」
―――顔も名も知らない魔術師、錬金術師の思考回路をトレース。
何を考えて、何を思って、何のために研究を重ねた。到達点、不老不死。新人類の作成………己が不老不死ではなくともいいという判断。
否。死を研究しているものが死から逃げない、そんなことがあるものか。新人類を作るのではなく、新人類たる肉体を作り上げたというほうが正しいに決まっている。
この情報を前提としたうえで、九相図研究に使われていた死体の数と種類を分類してみよう。
「過去数か月のうち、古いものは順番に九相図の流れを追っている」
これは研究が未熟であった頃の時代だろう。黎明期、手探りで研究をしていた。
ここから死体となった時期が現在に近づくにつれ、ある一定の様相付近に死体の数が集中するようになっていく。
―――第三様相”血塗相”。
九相図研究のうち、ここに使われた死体の数が最も多い。死体の肉片を分解した結果、後半の方は殆どこの血塗相の観察ばかり行われている。
「つまり」
魂の乖離は、この血塗相にて発生する。或いは、発生させられると定義したわけだ。
まあ当然といえば当然か?この血塗相を超えてしまえばもう死体は肉体としての形を保ってはいられない。相手の研究内容を考えれば、肉体にこびりついた魂をはがしたいが、しかし魂がとどまっていられないほどの肉体損傷は回避したいはずなのである。
あくまでも。魂の離れた空の肉体を材料として使用したいだけ。そこが肝だ。
継ぎ接ぎだらけ、死体をつなぎ合わせた新人類。そこに魂を宿すことでそれは不老不死の肉体へと変じ―――その魂と己の魂を入れ替えることで、錬金術師は死を乗り越えた肉体を手に入れることが出来る。
厄介なことに、完成された不老不死は如何なる手を以てしても殺すことは出来ない。俺もそうではあるが、場合によっては封印処理すら難しい。
九相図研究が完成に近いという点から、どうやら本当に時間的余裕がないらしいな。
「………そもそも、なんでこの錬金術師はこの街に来たんだ?」
研究内容を一度ノートにまとめ、そこから枝分かれするように派生先の研究内容を浮かび上がらせていく。未知の相手ともなれば、敵が取りうる手段のすべてを予測しておき、そのすべてに対策を用意しておくべきだ。それと同時に―――持ち帰った死体を別の方面で分解し、研究する。
即ち、どこで殺されたのか。誰に殺されたのかを明確にするために。
「偶々とは考えにくいな。何か、錬金術師自体にこの街に訪れたい理由があったと推測した方がいい」
「………相手、が………錬金術師なので………えっと」
独り言に師匠とナフェリアが反応していた。丁度いいのでそちらの方の思考を任せる。
いや、ほら。一応研究としては簡素な部類に入るとしても、仏さんの死因と死んだ場所を炙り出すための研究だ。薬品調合には細心の注意を支払う必要があるので、雑念はあまり抱えておきたくない。
マルチタスクにも限界があるのだ。
生物探求用の薬剤に、ホルマリンから作り出したエリクシールを加える。本来は死後反応を抑制させるための薬剤であるホルマリン………ホルムアルデヒドだが、これは精製時に幾つもの原生生物由来の素材を加え、性質を反転させている。とはいえすべての性質を反転させているわけではないが。
この薬品には生物の細胞の一つ一つに含まれている設計図を修復する作用がある。そこだけは、維持させているのだ。
さて。肉片に薬剤を垂らすと、反転したホルマリン溶液の性質が発現し、死体の固定化とは真逆の溶解反応が発生する。細胞内に浸透した溶液によって一瞬膨らんだ肉片は蒸気を上げつつその体積を徐々に減らしていき、その後に生物探求用の万物融解剤の作用によって、一片のエリクシールを残してその姿を消し去った。
………情報という名のエリクシールだ。あとはこれを更に薬剤により分解し、分類する。
まあ、その前にあとこれを数百回繰り返さないといけないんだけどな!
「死者の研究は………つまり、肉体の製造は………完成に近い、ので………では、次は………魂の、研究、でしょうか………?」
「いい着眼点だ。魂にも寿命はあるというのが近年の研究の主題だ。私やそこのオルトみたいに魂にすら不老処置を施している者は別として、不老不死の肉体に通常の人間の魂を放り込んだのであれば、通常の人間よりは長生きできるが、かといってそれ以上の域は出ない」
「………では、人間以上の、寿命を持つ存在の………魂を、調べれば………?」
「エルフ、糞猫………もとい、猫又。あれら人外の寿命を持つ者の魂を解剖できたのであれば、確かにその問題を解消することは出来るかもしれないな」
師匠とナフェリアの会話がかなり重要な局面に行っているようなので、静かに耳を傾ける。
「………えと。この街に、居ますよね………ハーフエルフの、貴族が………」
「ライフェンブラーの小娘か。―――オルトルート、錬金術師の居場所の割り出しだが、外縁の内部の方から集中して調べろ。恐らくそちらが当たりだ」
「了解です」
師匠に指示されるまま、取り出したエリクシールに作用させる万物融解剤の成分を調整する。
それにしても、ライフェンブラー。ハーフエルフの貴族、か。
「………懐かしいな」
コロン、と音が鳴り。情報そのものであるエリクシールがまた一つ、生み出された。




