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Memories  作者: あーちゃん


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4/10

笑顔の奥の涙

人は誰でも、誰にも見せていない涙を持っています。


いつも笑っている人ほど、

「大丈夫」と言う人ほど、

本当は助けを求めているのかもしれません。


第4ページでは、美月がこれまで誰にも話せなかった過去が、少しずつ明らかになります。

実家から帰った夜、美月は珍しく眠れなかった。


 ベッドの中で何度寝返りを打っても、目を閉じるたびに悠真の言葉が思い浮かぶ。


 ――高校のとき、初めて好きになった人だった。


 ――雨の日に、事故で。


 ――今でも怖い。


 あんなふうに自分の傷を誰かに見せるのは、とても勇気がいることだ。


 悠真はきっと、長い間ひとりで抱えてきたのだろう。


 だから美月は嬉しかった。


 自分を信じて話してくれたことが。


 でも同時に、胸の奥が少しだけ痛んだ。


「私も……話さなきゃ」


 天井を見つめながら、小さく呟く。


 けれど、その続きは声にならなかった。


 自分の過去だけは、どうしても言葉にできない。


 話してしまえば、きっと悠真は自分を見る目を変えてしまう。


 そう思っていた。


 翌朝。


 二人はいつものように朝食を食べ、駅まで並んで歩いた。


 悠真は少しだけ表情が柔らかくなっていた。


 昨日、自分の過去を話したことで、肩の荷が少しだけ軽くなったのだろう。


 その姿を見て、美月は安心した。


 けれど、その安心と同じくらい、自分の胸は重たくなっていた。


 ――私だけ、何も話していない。


 その事実が、罪悪感になっていた。


「今日、帰り遅くなる?」


 悠真が聞く。


「ううん。今日は定時で帰れそう。」


「じゃあ、ご飯どうする?」


「久しぶりに外で食べる?」


「いいね。」


 悠真は笑った。


 その笑顔を見るたびに、美月は思う。


 この人を悲しませたくない。


 失望させたくない。


 だからこそ、自分の過去は知られたくなかった。


 会社へ着くと、美月はすぐ仕事モードへ切り替えた。


 後輩から相談を受ければ笑顔で答え、上司に頼まれた仕事も嫌な顔ひとつせず引き受ける。


「白石さんって、本当に優しいですよね。」


 新人の女性社員が言う。


「そんなことないよ。」


「いつも笑ってるし。」


 美月は少しだけ笑った。


「笑ってるだけだよ。」


 その言葉の意味を、誰も知らない。


 昼休み。


 社員食堂の窓際で一人コーヒーを飲んでいると、スマートフォンが震えた。


 画面には一通のメッセージ。


 送り主を見た瞬間、美月の指先が止まった。


『母』


 短く表示されたその文字だけで、呼吸が浅くなる。


 しばらく画面を見つめたあと、美月は意を決して開いた。


『久しぶり。

元気?

今度帰ってきなさい。』


 たったそれだけ。


 責める言葉でもない。


 怒っているわけでもない。


 なのに、美月の心臓は強く脈を打った。


 手が震える。


 視界が少し滲む。


 返信はできなかった。


 そのまま画面を閉じ、スマートフォンを裏返す。


「また……」


 無意識に呟いていた。


 胸の奥が締めつけられる。


 子どもの頃から、母から連絡が来るたびにこうだった。


 何も悪いことをしていないのに、怒られる気がする。


 ちゃんとしなきゃ。


 失敗しちゃいけない。


 期待に応えなきゃ。


 そんな思いだけが体を支配していく。


 気づけばコーヒーは冷めていた。


 午後の仕事中も、何度もスマートフォンを見てしまう。


 返信しなければ。


 でも、何と返せばいいかわからない。


 「元気だよ。」


 その一言さえ打てなかった。


 仕事が終わる頃には、心も体も疲れ切っていた。


 会社のロビーへ降りると、悠真が待っていた。


「お疲れ。」


 いつもの笑顔。


 その笑顔を見た瞬間、美月は無理やり笑顔を作った。


「お疲れさま。」


「何食べる?」


「何でもいいよ。」


 悠真は少し首を傾げた。


「美月?」


「ん?」


「今日、疲れてる?」


「そんなことないよ。」


 また言ってしまう。


 大丈夫。


 何でもない。


 その言葉ばかりが口癖になっていた。


 悠真は少しだけ心配そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


 二人は駅前の小さな洋食屋へ入った。


 注文を済ませても、美月はほとんど話さなかった。


 悠真も無理には話しかけなかった。


 静かな時間が流れる。


 けれど、その静けさは心地よいものではなかった。


 食後、店を出ると夜風が少し冷たかった。


 駅まで歩く途中、悠真がふいに立ち止まる。


「美月。」


「どうしたの?」


「何かあった?」


 美月は反射的に笑った。


「何もないよ。」


「本当に?」


「うん。」


「……嘘。」


 悠真のその一言は、責めるような声ではなかった。


 ただ、心配する人の声だった。


 美月は足を止めた。


 駅前の街路樹が夜風に揺れ、葉の擦れる音だけが静かに響いている。


「どうして、そう思うの?」


 美月は笑顔を崩さないまま聞いた。


 悠真は少し困ったように笑った。


「最近わかるようになってきたから。」


「何が?」


「美月が、本当に笑ってる時と、無理して笑ってる時。」


 その言葉に、美月の胸が大きく揺れた。


 今まで何人もの人と出会ってきた。


 「大丈夫」と言えば、みんな「そっか」と笑って終わった。


 誰も踏み込んではこなかった。


 だから、美月は安心して笑顔を作り続けることができた。


 けれど悠真だけは違う。


 笑顔の向こう側を見ようとする。


 その優しさが嬉しくて、怖かった。


「私は、本当に大丈夫だよ。」


 もう一度言う。


 しかし悠真は首を横に振った。


「大丈夫な人は、自分に何度も『大丈夫』って言い聞かせない。」


 その瞬間、美月の中で張り詰めていた糸が小さく軋んだ。


 どうして。


 どうしてこの人には隠せないんだろう。


「昨日さ。」


 悠真が静かに続けた。


「俺の話、聞いてくれたよね。」


「うん。」


「何も言わずに。」


「うん。」


「だから今日は、俺が聞く番。」


 美月は目を伏せた。


 言えない。


 言ったら嫌われる。


 言ったら重荷になる。


 言ったら、悠真はきっと自分を守ろうとして苦しむ。


 そんな未来だけが頭に浮かぶ。


「……話せない。」


 小さく呟く。


「今は、それでもいい。」


 悠真はすぐに答えた。


「無理に聞きたいわけじゃない。」


「でも……」


「ただ、一人で抱えないでほしい。」


 その言葉が、美月の胸を締めつけた。


 一人で抱える。


 それが当たり前だった。


 子どもの頃から。


 泣けば「うるさい」と言われた。


 助けてと言えば「甘えるな」と返された。


 失敗すれば「だからあんたは駄目なんだ」と叱られた。


 だから、美月は泣かなくなった。


 頼らなくなった。


 笑うことだけが上手になった。


 笑っていれば怒られない。


 笑っていれば心配をかけない。


 笑っていれば、自分さえ我慢すれば丸く収まる。


 そう信じて生きてきた。


「昔からね。」


 美月は少しずつ話し始めた。


「私、いい子だったの。」


 悠真は黙って聞いている。


「勉強も頑張ったし、家の手伝いもしたし、反抗もしなかった。」


 夜空を見上げる。


 星は見えない。


 街の明かりが強すぎるから。


「でもね。」


 美月は少し笑った。


「どれだけ頑張っても、『もっとできるでしょ』って言われるの。」


 その笑顔は、とても寂しかった。


「九十五点を取っても、『なんで百点じゃないの』って。」


「部活で賞を取っても、『もっと上があるでしょ』って。」


「褒められた記憶が、あんまりない。」


 悠真は何も言わなかった。


 美月は続ける。


「だからね、私。」


「頑張れば頑張るほど、自分には価値があるって思うようになっちゃった。」


 言葉にすると、自分でも苦しくなる。


「失敗したら嫌われる。」


「迷惑をかけたら捨てられる。」


「弱いところを見せたら、がっかりされる。」


「だから、笑うしかなかった。」


 美月の目に涙が滲んだ。


 でも泣かない。


 泣き方を忘れてしまったから。


「悠真。」


「うん。」


「私ね。」


 一度大きく息を吸う。


「誰かに『頑張らなくていいよ』って言われたこと、一度もない。」


 その言葉を聞いた瞬間、悠真は静かに美月の手を握った。


 強くではない。


 壊れ物に触れるような優しい力だった。


「じゃあ。」


 悠真はゆっくり言う。


「俺が言う。」


 美月は顔を上げた。


 悠真は少し照れたように笑っていた。


「頑張らなくていい。」


 たったそれだけ。


 たったそれだけの言葉だった。


 でも、その一言が、美月の二十数年間を揺らした。


「泣いてもいい。」


「失敗してもいい。」


「頼ってもいい。」


「俺は、美月が笑ってるから好きなんじゃない。」


 美月の目から、一粒涙がこぼれた。


「泣いてても。」


「怒ってても。」


「弱くても。」


「全部、美月だから好きなんだ。」


 その瞬間だった。


 ずっと我慢していた涙が、一気にあふれ出した。


「……ごめん。」


 美月は泣きながら笑う。


「ごめんなさい……。」


「謝らなくていい。」


「こんなに泣くなんて思ってなくて……。」


「うん。」


「止まらない……。」


「止めなくていい。」


 悠真はそう言って、美月を静かに抱き寄せた。


 強く抱きしめるのではなく、「ここにいていい」と伝えるような抱擁だった。


 美月は初めて、人前で声を上げて泣いた。


 子どもの頃も。


 学生の頃も。


 社会人になってからも。


 誰にも見せなかった涙。


 何年も心の奥に押し込めていた涙。


 それが、止まらなかった。


「……疲れた。」


 泣きながら、美月は初めて本音を口にした。


「ずっと疲れてた。」


「うん。」


「いい子でいるの。」


「うん。」


「笑ってるの。」


「うん。」


「もう疲れた……。」


 悠真は何も言わず、美月の背中をゆっくり撫で続けた。


 慰める言葉よりも、その温もりのほうがずっと優しかった。


 しばらくして、美月は泣き疲れたように小さく笑った。


「こんな顔、初めて見せた。」


「ありがとう。」


「引かなかった?」


「むしろ。」


 悠真は優しく微笑んだ。


「やっと、本当の美月に会えた気がする。」


 その言葉に、美月はもう一度涙を流した。


 嬉しくて泣くこともあるのだと、その夜初めて知った。


 二人はゆっくり歩き始めた。


 繋いだ手は少し温かくなっていた。


 誰にも見せなかった傷を見せ合った二人。


 まだ全部ではない。


 それでも、心の距離は昨日までより確かに近づいていた。


 強い人なんかじゃない。


 笑顔の裏で泣いていた。


 それでも今日、美月は初めて思った。


 弱いまま愛されても、いいのかもしれない。


 その夜、部屋へ帰ると、美月は鏡の前に立った。


 泣き腫らした目。


 赤くなった鼻。


 ひどい顔だった。


 でも、不思議と嫌いじゃなかった。


 笑っていない自分。


 取り繕っていない自分。


 そんな自分を悠真は抱きしめてくれた。


 鏡に向かって、美月は小さく微笑んだ。


「ありがとう。」


 その言葉は、自分自身にも向けられていた。


 何年も頑張り続けてきた自分へ。


 ようやく、少しだけ優しくなれた夜だった。


第4ページでは、美月が胸の奥にしまい続けてきた心の傷を描きました。


「笑っていれば大丈夫。」

そう思い込み、自分の弱さを隠し続けてきた美月。


そして悠真は、「弱くても愛している」と初めて言葉にしました。


二人は互いの傷を知り、少しずつ本当の意味で支え合える関係になっていきます。


次の第5ページ「未来を約束する夜」では、悠真が美月へプロポーズを決意します。しかし、幸せを目前にして二人の過去が再び心を揺らし、大きな試練が訪れます。

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