忘れられない人
第3ページでは、悠真の高校時代に触れていきます。
今の悠真が「幸せ」を怖がる理由。
それは、かつて大切な人を突然失った記憶にありました。
悠真には、忘れられない人がいた。
それは、美月と出会うずっと前のことだった。
まだ制服を着て、未来という言葉をどこか他人事のように思っていた高校二年の春。悠真は、同じクラスの少女に恋をしていた。
名前は、七瀬陽菜。
明るくて、よく笑う子だった。
教室の窓際の席で、いつも友達に囲まれていて、誰かが落ち込んでいるとすぐに気づく。けれど自分がつらいときは、なぜか平気なふりをする。そんな子だった。
悠真が陽菜と話すようになったのは、図書室がきっかけだった。
悠真は放課後、よく図書室に逃げていた。部活にも入らず、友達が多いわけでもなく、家に早く帰りたい理由もなかった。静かな本棚の間にいると、自分が誰にも見つからない場所へ隠れているようで安心できた。
ある日、悠真が窓際の席で本を読んでいると、隣に陽菜が座った。
「朝比奈くんって、いつもここにいるよね」
突然そう言われて、悠真は驚いた。
「……そんなにいる?」
「いる。図書室の住人みたい」
「それ、褒めてる?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「ちょっと心配」
その言葉を聞いたとき、悠真は思わず笑ってしまった。
陽菜は美月とは全然違う人だった。
陽菜は感情が表情に出やすく、思ったことをすぐ口にした。怒ると頬をふくらませ、嬉しいときは本当に嬉しそうに笑った。泣きそうなときでさえ、笑ってごまかそうとした。
悠真は、そんな陽菜のまぶしさが少し苦手で、でも目を離せなかった。
陽菜はそれから、時々図書室に来るようになった。
「今日も住人発見」
「住人じゃない」
「じゃあ管理人?」
「もっと違う」
「本の妖精?」
「嫌だよ」
二人は、くだらない話をたくさんした。
好きな本の話。苦手な先生の話。給食ではなく購買のパンを取り合う話。将来何になりたいかという、当時の悠真にはまだ答えのない話。
陽菜は看護師になりたいと言っていた。
「人の役に立てる人になりたいんだ」
「七瀬ならなれると思う」
「ほんと?」
「うん。人の顔色見るの、上手いし」
「それ、褒めてる?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「ちょっと心配」
陽菜は声を立てて笑った。
その笑い声が、悠真は好きだった。
春が過ぎ、夏になり、二人は少しずつ近づいた。
放課後に一緒に帰ることが増えた。駅までの短い道を、わざとゆっくり歩いた。陽菜はアイスが好きで、コンビニの前を通るたびに「今日は買わない」と言いながら、結局買った。
「朝比奈くん、一口いる?」
「いい」
「遠慮しないで」
「してない。七瀬が食べたいんだろ」
「うん」
「じゃあ食べなよ」
「でも、分けたほうがおいしい気がするじゃん」
陽菜はそう言って、勝手に悠真の分までスプーンを差し出した。
悠真は仕方なく一口食べた。
甘かった。
アイスの味よりも、陽菜が嬉しそうに笑った顔のほうをよく覚えている。
告白したのは、夏祭りの帰りだった。
花火が終わったあと、人混みを避けるように二人で少し遠回りした。浴衣姿の陽菜はいつもより大人びて見えて、悠真は何度も言葉に詰まった。
「朝比奈くん、今日なんか変」
「変じゃない」
「変だよ。いつもより喋らない」
「いつもそんな喋ってない」
「それはそうだけど」
陽菜が笑った。
その横顔を見たとき、悠真はもう言わずにはいられなかった。
「七瀬」
「ん?」
「好きだ」
陽菜は立ち止まった。
遠くでまだ花火の余韻のような音がしていた。
悠真は心臓が壊れそうだった。
陽菜は少しだけ俯いて、それから小さな声で言った。
「遅いよ」
「え?」
「私、けっこう前から好きだったのに」
その瞬間のことを、悠真は今でも覚えている。
夜風。
浴衣の袖。
陽菜の照れた笑顔。
手を繋いだときの、少し汗ばんだ温もり。
あの夏、悠真は初めて、未来というものを少しだけ信じた。
来年も一緒に祭りに行きたい。
卒業しても会いたい。
大人になっても、陽菜の隣にいたい。
そんなことを、初めて本気で思った。
けれど幸せな時間は、あまりに早く過ぎた。
秋になり、冬が来て、二人は受験の話をするようになった。
陽菜は看護の専門学校を目指していた。悠真は大学進学を考えていた。進む道は違っても、別れることは想像していなかった。
「離れても大丈夫だよ」
陽菜はよくそう言った。
「電車で会える距離だし、スマホもあるし」
「七瀬、忙しくなるだろ」
「それは朝比奈くんもでしょ」
「まあ」
「でも大丈夫。私たち、ちゃんと続くよ」
陽菜はいつも、未来を疑わなかった。
悠真はその強さに甘えていた。
そして、その言葉を信じたかった。
高校三年の梅雨の日だった。
朝から雨が降っていた。
空は暗く、教室の窓には水滴がいくつも流れていた。湿った制服の匂い、黒板に残るチョークの粉、廊下を走る誰かの足音。何もかも、今でも鮮明に覚えている。
その日、陽菜は学校を休んだ。
珍しいことだった。
悠真は昼休みにメッセージを送った。
『大丈夫?』
しばらくして、返事が来た。
『ちょっと熱っぽいだけ。大丈夫』
そのあと、くまが布団に入っているスタンプが送られてきた。
悠真は安心した。
『無理するなよ』
『朝比奈くんも勉強しなよ』
『してる』
『絶対してない』
『してるって』
そんなやり取りをした。
何でもない会話。
最後になってしまうなんて、思いもしなかった。
放課後、雨はさらに強くなっていた。
悠真は陽菜の家にプリントを届けようか迷った。けれど陽菜から「寝てるから大丈夫」と返事が来ていたし、迷惑かもしれないと思った。
そのとき送ったメッセージが、最後だった。
『明日は来いよ』
既読はつかなかった。
最初は寝ているのだと思った。
一時間経っても、二時間経っても、既読はつかなかった。
電話をかけた。
出なかった。
胸の奥がざわついた。
でも、まさかと思った。
まさか、そんなことが起こるはずがないと思った。
夜になって、担任から電話が来た。
陽菜が事故に遭ったと聞いた。
雨の中、病院へ向かう母親を迎えに行こうとして、横断歩道で車にはねられたのだと。
悠真は、電話口の声が途中から聞こえなくなった。
気づけば、傘も持たずに家を飛び出していた。
病院の白い廊下。
濡れた靴。
消毒液の匂い。
泣き崩れる陽菜の母親。
そして、もう目を開けない陽菜。
悠真は何もできなかった。
名前を呼ぶことも、泣くことも、怒ることもできなかった。
ただ、そこに立っていた。
陽菜の手は冷たかった。
いつもあんなに温かかった手が、信じられないほど冷たかった。
悠真はその手を握りながら、何度も心の中で謝った。
ごめん。
行けばよかった。
迎えに行けばよかった。
電話に出るまでかけ続ければよかった。
明日は来いよ、なんて送らなければよかった。
もっと優しい言葉を送ればよかった。
好きだと、もっと言えばよかった。
ありがとうと、言えばよかった。
けれど、どれだけ謝っても陽菜は戻らなかった。
葬儀の日も雨だった。
制服姿のクラスメイトたちが、みんな泣いていた。
悠真だけは、涙が出なかった。
泣いたら本当になってしまう気がした。
陽菜がいない現実を、受け入れなければならなくなる気がした。
祭りの日に繋いだ手。
図書室で笑った声。
アイスを分けた夏。
看護師になりたいと語った瞳。
それらが全部、思い出になってしまうことが怖かった。
人は死ぬ。
そんな当たり前のことを、悠真はそのとき初めて知った。
昨日まで笑っていた人が、今日いなくなる。
また明日と言った相手に、もう二度と会えなくなる。
約束は、必ず守られるものではない。
未来は、簡単に奪われる。
その日から、悠真の中で何かが変わった。
大学に進学しても、社会人になっても、陽菜の記憶は消えなかった。
雨の日になると、あの夜の病院の匂いが蘇る。
電話に出ない相手を待つ時間が、異様に怖くなる。
幸せな約束をするたびに、守れなかった約束が胸を刺す。
誰かを好きになることも、怖くなった。
大切になればなるほど、失ったときに壊れてしまう。
だから悠真は、深く誰かを愛さないようにしていた。
人と距離を取り、穏やかに笑い、必要以上に踏み込まない。
そうすれば、もうあんな痛みを味わわずに済むと思っていた。
美月に出会うまでは。
美月は、陽菜に似ていなかった。
顔も、声も、性格も違う。
陽菜は太陽みたいに明るく、美月は月明かりみたいに静かだった。
陽菜はまっすぐ手を引いてくれる人で、美月は隣に立って歩幅を合わせてくれる人だった。
だからこそ、悠真は油断した。
似ていないから大丈夫だと思った。
でも、好きになる気持ちは同じだった。
美月を大切に思うほど、陽菜を失った日の記憶が近づいてくる。
美月が笑うたびに、この笑顔を失いたくないと思う。
美月が「また明日」と言うたびに、その言葉が怖くなる。
美月が未来の話をするたびに、悠真の心は喜びと恐怖で引き裂かれそうになる。
日曜日、悠真は実家へ向かう電車の中で、窓の外を見ていた。
隣には美月がいた。
彼女は少し緊張した顔で、膝の上に置いたバッグの持ち手を握っている。
「緊張してる?」
悠真が聞くと、美月は小さく頷いた。
「してる。変なこと言ったらどうしよう」
「大丈夫。うちの母さん、たぶん美月のことすぐ好きになるよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「お父さんは?」
「父さんは無口だけど、悪い人じゃない」
「それ、余計緊張する」
美月は苦笑した。
その横顔を見て、悠真は胸が温かくなった。
自分の家族に、美月を紹介する。
かつて陽菜と描けなかった未来を、美月と歩こうとしている。
その事実は幸せで、同時に苦しかった。
実家の最寄り駅に着いたとき、空は少し曇っていた。
雨は降っていない。
けれど湿った風が吹いていた。
悠真の実家は、駅から歩いて十五分ほどの場所にある。古い住宅街の一角。庭には母が育てている花が並び、玄関先には小さな鉢植えが置かれていた。
インターホンを押す前、美月が小さく息を吸った。
「大丈夫?」
「うん」
「無理しなくていい」
「悠真こそ」
その言葉に、悠真は少し笑った。
「俺?」
「さっきから、顔が少し怖い」
美月はやはり、よく見ている。
悠真は隠すように笑った。
「緊張してるだけ」
「本当に?」
「うん」
嘘ではなかった。
でも、全部ではなかった。
玄関が開き、母が明るい声で迎えた。
「いらっしゃい、美月さん。会えるの楽しみにしてたの」
「はじめまして。白石美月です。本日はお招きいただきありがとうございます」
「そんなにかしこまらないで。悠真にはもったいないくらい綺麗な人ね」
「母さん」
悠真が慌てると、美月は少し赤くなって笑った。
父はリビングで新聞を読んでいた。
美月が挨拶をすると、父は短く「よろしく」と言って頭を下げた。
不器用な父なりの歓迎だった。
食卓には母の手料理が並んでいた。
煮物、焼き魚、卵焼き、味噌汁。
美月は一つひとつに「おいしいです」と言い、母は嬉しそうに笑った。
穏やかな時間だった。
家族がいて、美月がいて、笑い声があって。
悠真はその光景を見ながら、胸が締め付けられた。
幸せな景色だ。
でも、その中に陽菜はいない。
当然のことなのに、ふいにその事実が胸を刺した。
もし陽菜が生きていたら。
そんな考えても仕方のないことが、頭をよぎる。
陽菜も、いつか誰かの家族に挨拶をしたのだろうか。
看護師になって、忙しく働いて、誰かを好きになって、幸せになったのだろうか。
その未来は、もうどこにもない。
「悠真?」
美月の声で、悠真は我に返った。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
また言ってしまった。
何でもない。
その言葉で、何度自分を閉じ込めてきただろう。
食後、母がアルバムを出してきた。
「悠真の小さい頃の写真、見る?」
「見たいです」
「見なくていい」
「見たい」
美月が即答したので、悠真は諦めた。
アルバムには幼い頃の悠真の写真が並んでいた。運動会で転んで泣いている写真。誕生日ケーキの前で眠そうにしている写真。中学の入学式の写真。
ページをめくる手が、高校時代の写真のところで止まった。
そこに、陽菜が写っていた。
文化祭の写真だった。
クラス全員で撮った一枚。
端のほうで、陽菜が笑っている。
悠真の隣ではない。
けれど同じ空間にいる。
胸が一瞬で冷えた。
美月もその変化に気づいたのか、写真に視線を落としたまま何も言わなかった。
母が少し声を落とした。
「この子、七瀬さんね」
悠真は息を止めた。
母は後悔したように口元を押さえた。
「ごめん、悠真」
「……いいよ」
美月が静かに悠真を見た。
悠真は逃げたかった。
でも、逃げられなかった。
陽菜の笑顔が、アルバムの中にある。
あの日から何年も経ったのに、写真の中の彼女はずっと高校生のままだ。
笑っている。
何も知らずに。
未来が奪われることも、自分が誰かの記憶の中だけで生き続けることも知らずに。
悠真は立ち上がった。
「少し、外出る」
「あ、悠真」
美月の声が聞こえたが、振り返れなかった。
玄関を出ると、空から細かい雨が落ち始めていた。
また雨だ。
悠真は庭先で立ち止まり、深く息を吸った。
胸が苦しい。
陽菜を忘れたわけじゃない。
忘れたいわけでもない。
でも、美月と幸せになろうとするたびに、陽菜を置いていくような罪悪感があった。
自分だけが大人になっていく。
自分だけが新しい人を好きになって、未来を考えている。
陽菜は十七歳のままなのに。
「悠真」
後ろから美月の声がした。
振り返ると、美月が傘を持って立っていた。
「濡れるよ」
「……ごめん」
「謝らなくていい」
美月は悠真の隣に立ち、傘を差しかけた。
小さな傘の下で、二人の肩が触れた。
しばらく沈黙が続いた。
雨の音だけが、庭の花に落ちている。
「さっきの人?」
美月が静かに聞いた。
悠真は頷いた。
「前に話してくれた、雨の日の人」
「うん」
「大切な人だったんだね」
「……初めて好きになった人だった」
言葉にした瞬間、胸が痛んだ。
でも、美月は手を離さなかった。
「話せる?」
責めるでもなく、無理に聞き出すでもなく、美月はそう言った。
悠真は雨を見つめた。
今まで誰にも詳しく話せなかった。
話したら、あの日に戻ってしまいそうだった。
でも、美月には知ってほしいと思った。
自分がなぜ怖がるのか。
なぜ未来を約束することに怯えるのか。
美月を愛しているのに、不安になる理由を。
「高校のとき、同じクラスだった」
悠真はゆっくり話し始めた。
図書室で出会ったこと。
夏祭りで告白したこと。
看護師になりたいと言っていたこと。
雨の日に連絡が取れなくなったこと。
事故のこと。
病院の白い廊下のこと。
冷たくなった手のこと。
話しながら、何度も声が詰まった。
美月は一度も口を挟まなかった。
ただ、傘を持つ手とは反対の手で、悠真の手を握っていた。
話し終えたとき、悠真はひどく疲れていた。
でも、胸の奥に少しだけ空気が入ったような気がした。
「美月」
「うん」
「俺、美月のことが好きだよ」
「うん」
「でも、怖い」
その言葉は、情けないほど正直だった。
「美月を失うのが怖い。連絡が取れないだけで、また同じことが起きるんじゃないかって思う。未来の話をすると、守れなかった約束を思い出す」
美月の手に力が入った。
「それでも、美月といたい」
悠真は初めて、陽菜の記憶と美月への気持ちを同じ場所に置いた。
どちらかを選ぶものではないのかもしれない。
忘れることと、進むことは違う。
陽菜を覚えたまま、美月を愛してもいいのかもしれない。
まだ、そう信じきれない。
でも、そうであってほしいと思った。
美月はしばらく黙っていた。
やがて、小さく言った。
「話してくれて、ありがとう」
悠真は首を振った。
「重かったよな」
「重いよ」
美月は正直に言った。
悠真の胸が一瞬強ばる。
けれど美月は続けた。
「でも、大切な重さだと思う」
「大切な、重さ」
「その人が悠真の中にちゃんといるから、今の悠真がいるんでしょ」
美月の声は震えていた。
「私は、その人の代わりにはなれないし、なりたくない。でも、その人を忘れさせるために悠真の隣にいるんじゃなくて、悠真が抱えているものごと、一緒に生きていきたいって思ってる」
悠真は言葉を失った。
雨が傘を叩く音が、少しだけ優しく聞こえた。
「私も、いつか話すね」
美月が言った。
「私の中にも、まだ誰にも話せてないことがあるから」
悠真は美月を見た。
その横顔は、いつもより少し弱く見えた。
美月もまた、何かを抱えている。
それでも彼女は今、悠真の過去を受け止めようとしてくれている。
「うん」
悠真は頷いた。
「待ってる」
美月は小さく笑った。
二人はしばらく、雨の中で並んで立っていた。
やがて母が玄関から顔を出し、「風邪ひくわよ」と声をかけた。
美月が「はい」と返事をし、悠真の手を引いた。
その手は温かかった。
陽菜の手の温もりとは違う。
でも、確かに今ここにある温もりだった。
家に戻る前、悠真は庭先に咲く小さな花を見た。
雨に濡れて、少しうつむいている。
それでも花は、折れずにそこに咲いていた。
思い出は消えない。
忘れられない人は、心の中に残り続ける。
けれど、その記憶は未来を壊すためだけにあるのではないのかもしれない。
陽菜と過ごした日々があったから、悠真は誰かを大切に思うことの意味を知った。
失う痛みを知ったから、美月の手を離したくないと思う。
怖さは、愛の裏側にある。
そう簡単には消えない。
それでも悠真は、美月と並んで玄関へ戻りながら、初めて少しだけ思った。
陽菜を忘れなくても、美月を愛していい。
過去を抱えたままでも、前へ進んでいい。
その夜、実家から帰る電車の中で、美月は悠真の肩にもたれて眠っていた。
緊張して疲れたのだろう。
悠真は窓の外に流れる夜景を見ながら、美月の手をそっと握った。
雨はもう上がっていた。
窓ガラスに残った水滴が、街の灯りを小さく歪ませている。
悠真は目を閉じた。
陽菜の笑顔が浮かんだ。
図書室で笑う声。
夏祭りの夜の手。
最後に送った、何でもないメッセージ。
胸は痛んだ。
でも、その痛みの中に、少しだけ温かさもあった。
忘れられない人。
忘れてはいけない人。
そして今、隣で眠る大切な人。
悠真は、美月の寝息を聞きながら静かに思った。
過去があるから、今の自分がいる。
思い出は消えない。
でも、思い出だけで生きていくわけじゃない。
明日もまた、美月と朝を迎える。
その当たり前のようで当たり前ではない一日を、今度こそ大切にしたい。
悠真は美月の手を握り直した。
すると美月が眠ったまま、少しだけ指を絡めてきた。
その小さな反応に、悠真は泣きそうになった。
未来を約束するのは、まだ怖い。
でも、今日この手を握ることならできる。
そう思えた夜だった。
第3ページでは、悠真が抱えていた「忘れられない人」の記憶を描きました。
陽菜を失った痛みが、今の悠真の不安や恐怖につながっています。
次の第4ページ「笑顔の奥の涙」では、美月が隠してきた過去と、彼女が“強い人”を演じ続けてきた理由を描いていきます。




