第6話「世界はそんなに簡単じゃない」
一週間後――。
夜空に月が上る頃に、私は寮の自室を抜け出した。
寮の裏手から少し歩いたところに、今は使われていない大きな倉庫がふたつ並んでいる。
倉庫の周りには何もなく、無駄に広い空き地となっている。
だからこそ、隠れて何かをするにはうってつけの場所だった。
「はっ! たあっ! せいっ――!」
暗闇の中、月明かりだけを頼りにして賢明に槍を振るロイを見つけた。
ネーヴェが急に走り出すから何かと思ったら、そういうことね。
話しかけるタイミングをうかがっていると、たまたま振り返ったロイと目が合ってしまった。
「なんだお前か。こんな時間にどうした?」
「こんばんは。私はネーヴェと夜の散歩。そっちはこんな時間に隠れて特訓? あなたってそんな熱血漢だったかしら」
「……別に。このくらい普通だ」
シャツが汗でびっしょりになるくらいやってるくせに、何をすましてるのやら。
「そんなに追い込まなくてもいいんじゃない? 隊長やノアが言ってたでしょ、無茶はするなって」
「……そうだな。少し休息をはさむとしよう」
切り上げて部屋に戻る……ではないのね。
ロイは槍を置くと、倉庫の壁にもたれかかって座った。
その隣に一緒になって腰を下ろす。
「なんのつもりだ」
「べつに。どうせなら私の話し相手になってもらおうかなと思っただけ」
「そうか。まあ、休んでいる間くらいは付き合ってやる」
素直じゃないのはお互い様ね。
膝の上で丸くなったネーヴェの背中をなでながら、
「……ありがとう」
とつぶやいた。
ロイが不可解そうに首を傾げる。
「どうした急に」
「そんな不思議そうな顔しないで。ただのお礼よ、お礼。……誰にも言わないでおいてくれてるんでしょ。私が――焼却器なしで魔炎を起こせること」
「なんだ、そのことか。話す必要がないからな。お前はエルフだが、同じ焼却師団の団員だ。焼却器なしで魔炎を起こせるくらいで、騒ぎ立てるようなこともないだろう。どうせ俺たち人間は魔法が使えないんだから」
「あなたはそう言うでしょうけれど、世界はそんなに簡単じゃないわ。魔法が使えるというだけでも、羨む人は多いもの」
「考えすぎだ。そもそも、魔法の代替品として研究されていたものが、今の焼却器の原点だろ。そういう意味では、俺たち人間はすでに魔法を使っているようなものだ。今更本物の魔法に固執する必要がどこにある?」
「それはそうかもしれないけれど……みんながみんな、あなたみたいに割り切れるとは限らないでしょ?」
「どうだかな……。どっちにしたって、俺にはあまり関心がない。だからお前もあまり気にするな」
私は、少し迷ってから頷いた。
気にするなと言われても、そう簡単には変わらない。
だけど吐き出せた分、少しだけ胸のつっかえが取れたような心地ではあった。
持つべきものは、不器用に励ましてくれる相棒ね。
「ありがとう」
「いちいちかしこまるな。そういう言葉は、もっと相応しいときに言うべきだ」
「あら、もしかして照れてる?」
「照れてない! まったく、お前といいノアといい、どうしてそう俺をいじりたがるんだ……」
あなたが面白い反応をしてくれるからよ、とはさすがに言わなかった。
「そんなことより、俺からもひとつ訊きたいと思っていたことがある」
「……何?」
「ネーヴェのことだ」
「ニャ?」
丸くなっていたネーヴェが驚いたように顔を上げた。
白と黒のシッポがピンと伸びる。
「魔素はあらゆる生き物にとって毒に等しい。なのになぜ、ネーヴェはあの時『根源』の中心にいた?」
ロイはネーヴェに尋ねるように、視線を落として話しかける。
「俺にはどうしてもネーヴェが自分からあの場所に飛び込んだとしか思えないんだ」
「――つまり、ネーヴェがあそこにいたのには、何か理由があったんじゃないかって言いたいのね?」
「ああ。助け出した本人としての意見は?」
「そうね……多分、ロイの考えはあってると思う。この子はきっと、あそこで何かをしようとしてたのよ」
「何?」
「ニャッ!」
その時、ネーヴェが突然立ち上がって、私の膝の上から飛び降りた。
ネーヴェは地面に爪を立てて小さな円を描くと、円の中心でごろんと横になった。
その体勢は、私があの時見たネーヴェの状態とそっくりだった。
どうやら、答え合わせをしてくれたらしい。
「ネーヴェは、『根源』を塞ごうとしてたのよね。あの森を守るために」
「ニャー♪」
「まさか……ケット・シーにそんな力が……?」
「さあ?」
「さあって、お前……」
「仕方ないでしょ、あの時はネーヴェを助けるのに必死だったんだから。まあ実際のところ、魔素の汚染を遅らせることはできたんだと思うわ。おかげであの森のエルフたちは、十分に逃げるだけの時間があったんだから」
「たしかに、あの規模の魔素の汚染ならもっと多くの瘴樹が発生していてもおかしくはなかった……。そうか、そういうことだったのか……」
「ニャニャッ、ニャーン♪」
「もっと褒めろ、もっと敬え――って言ってるんじゃないかしら」
「俺に? お前じゃなくて?」
「私はもう散々褒めたから」
「なるほど……」
「ニャーン」
ネーヴェは、ゆっくりとロイに向かって歩み寄る。
ロイが差し出した手のひらの上に、ネーヴェの右前足がポンと置かれた。
傍から見れば、ネーヴェがお手をしているようにしか見えないけれど、どちらかといえば、握手みたいなものだと思う。
どことなく、ネーヴェも誇らしげに見えた。
「今度ノアにお願いして、ネーヴェの首輪を作ってもらいましょうか。ちゃんと焼却師団の紋様も刻んでもらってね」
「そうなればネーヴェも俺たちと同じ焼却師団の仲間入りだな」
「ニャニャ!? ニャ〜ン♪」
「うわっ、おいこらよせネーヴェ! 顔を舐めるんじゃないっ……ぷっ、ははは!」
あのネーヴェが、まさかこんなにロイに懐くなんて……。
「……というか、ロイってそんなふうに笑うこともあるのね」
「お前、俺を朴念仁か何かと勘違いしてないか?」
その時――。
「み、ミリィ先輩ーーーーーー!! と、ついでにロア先輩もいた……!」
ウワサをすればなんとやら。
ノアがいつもの作業着姿のまま、寮のほうから走ってきた。
寮からはそんなに遠くないはずなのに、なぜだか息を切らしている。
「はぁ、はぁ……や、やっと見つけた……。まさか、こんなところにいるなんて……敷地中を走り回っちゃいました……ぜぇ、ぜぇ……」
「の、ノア? どうしたのよそんなに慌てて……」
「……つ、ついさっき隊長たちから聞いた話なんですけど、バラッツ王国に大量の瘴樹が現れたとのことで……! しかも、ミリィ先輩が倒したっていう新種の瘴樹が複数体確認されてるみたいなんです!」
「なっ……」
「何だと!?」
はっとして夜空を見上げてみれば、遠い東の空の端がぼんやりと赤く色づいていた。
……今夜は徹夜かしらね。




