帝国
涙で寝袋を濡らしていたわいは、いつのまにか深い眠りについていた。
カーンカーンと金属音のようなものが鳴り響くと、
——ドンッ
「っ......」
息が漏れた。お腹に刺さっている刃物がまだ痛い。
体の衝撃で目を覚ますと、眩しい日差しが目を刺激した。
「まぶっしっ、、、」
「手出せ」
「え?」
何を聞いていたかわからず素っ気ない返事をすると、手錠のようなものをかけられた。
目の前には武装している兵士。空は真っ青。手は血で真っ赤になっていた。
周りを見ると、兵士が多くわいと同じく捕えられている日本人が3人ほどいた。
「ほら動け、ボケ」
何も返事をせず、わいは歩き出した。
わいと同じく捕えられている3人も手錠をかけられていた。俯いたまま歩く。
少しだけ安心した。自分だけじゃない。
そう思った、その直後。
「お前はこっちだ」
「......え?」
わいだけ腕を掴まれ、別の方向へ引っ張られた。
3人と距離が離れていく。
振り返ろうとすると、背中を強く押される。
「前見て歩け」
なんでわいだけ。その疑問だけが頭に残った。
血で濡れた手を握りしめながら、ただ足を動かした。
おばやん、大丈夫なんやろか。
姉貴は。春気は。
考えようとするたび、頭の奥がぐちゃぐちゃになる。
しばらく歩くと、それは見えた。
壁。
壁、という言葉で片付けていいものじゃなかった。
空を裂くみたいに真っ直ぐ伸びた灰色の壁が、視界の端から端まで続いている。
見上げても頂上が遠い。太陽の光すら途中で遮られ、足元だけが薄暗い。
圧迫感で吐きそうになる。
「なんや……これ」
「口を開けるな、指定」
指定。その言葉だけが妙に耳に残った。
意味はわからない。
けれど、その響きだけで嫌な予感がした。
重い鉄の門が開く。
わいのような服をした人間は一人も見えず、ただただ兵士がいるだけだった。
下を向き、歩き出す。
腹にはまだ刃物が刺さったままやし、歩くたびに鈍い痛みが響く。
周囲を見渡す。
妙に整った街並み。
高い建物。
電光掲示板。
車も走っている。
けど、違和感があった。
人がおらへん。
おるにはおる。
でも、少なすぎる。
店は開いてるのに、客がいない。
スーパーらしき場所には商品だけが綺麗に並んでいて、生活感がない。
気味悪い国やな……。
呼吸を整え、後ろを見ると兵士はスマホみたいな端末を弄っていた。
もしかしたら今なら逃げられるか?
前には角。
右に細い路地。
今や。
地面を蹴った。
「っ!」
腹に激痛が走る。でも止まれへん。
曲がる。
走る。
路地裏に飛び込み、そのまま壁に背中をつけた。
「はっ……はっ……」
痛い。痛い痛い痛い。
でも撒いた。多分。いけた。
助かった。
そう思った瞬間だった。
——コツ。
靴音。目の前。
「……は?」
そこにいた。
茶髪に白黒のメイド服。
無表情。路地裏の入口じゃない。
わいの目の前に。
いつ来た。
いや、違う。
いたんじゃない。
現れた。
「え……?」
言葉が出ない。
その背後にも、二人、三人。
同じメイド服の女たち。全員無言。
全員こっちを見ている。
なんやこいつら。
一歩下がろうとした瞬間、
——ブンッ
衝撃。頬が歪んだ。
何されたか理解する前に、身体が吹っ飛んだ。
壁に叩きつけられる。
「がっ……!」
息が止まる。
見えなかった。
茶髪メイドは、何事もなかったように手袋を直していた。
今の、こいつか……?
立ち上がろうとした瞬間。
腹に蹴り。
「ぐぇっ……!」
刺さった刃物が揺れる。
視界が白く弾けた。
痛い。
痛すぎる。
なんでや。
なんでこんな目に。
横腹。背中。顔面。
無言のまま蹴られる。
殴られる。踏まれる。
茶髪メイドがしゃがみ込み、顔を覗き込む。
「あなた、怒れない人ですね」
「.......」
「殴られても反撃しない」
横腹を蹴る。
「っ……!」
「優しいんじゃない」
胸ぐらを掴む。
「捨てられるのが怖いだけ」
楹咤の目が揺れる。
「図星ですか」
膝で腹を蹴る。ナイフがより刺さっていく。
「あなたのように、生存本能と依存性が混ざっている人間は」
「一番壊しやすいんです」
「......あんたになにがわかん」
——ドンッ
「っっ、、」
顔を殴られる。
こいつ......いつか絶対、絶対、、、殺してやる。。。。
涙目で歯を食いしばり、茶髪メイドを睨む。
それでも笑わない。怒らない。
ただ、作業みたいに暴力だけが降ってくる。
「や、やめ……っ」
茶髪メイドがしゃがみ込む。
目が合った。感情がない。
人形みたいな目。
そのまま腹に刺さった刃物を指で押し込んだ。
「っっっっあああああ!!!!」
叫んだ。涙が勝手に出た。息ができない。
痛い。死ぬ。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
その時。
「あーあ」
後ろから兵士の声。
「ちゃんとついてくればよかったのに」
兵士は呆れたように肩をすくめた。
「最初の実験終了です」
茶髪メイドが血のついた手袋を外し、淡々と兵士へ告げた。
実験……?
これが……?
兵士に腕を掴まれ、無理やり立たされる。
足に力が入らない。血が垂れていた。
わいはその時、理解した。
ここは、人間のいる場所じゃない。
「結果は?」
「知能、平均的」
「判断速度、低水準」
「戦闘適正、皆無」
「おまけに孤独耐性、ゼロ」
「ひでぇな。ウケる」
兵士が笑う。
「ですが、痛覚耐性は高め......」
「生存に対する執着値、基準以上」
兵士が眉を上げた。
「ほうほう」
「以上がこの実験において得られたデータとなります。指定対象として移送可能です」
「あ、エネルギーの値は?」
「......観測できません」
兵士の顔から笑みが消える。
「......マジか?」
「おーけー、よくやったロックル。お前は他のメイド連れて研究所戻ってな」
兵士が端末を見ながら軽くいう。
「この凡族を見張っておかなくて良いのですか?」
「こんな状態じゃ、抵抗もしないはずだ」
「承知いたしました」
そういうと、茶髪メイドはわいに背中を向け歩き出した。
「ほら、歩け」
足に力が入らない。
それでも、歩きながら無意識に後ろを振り返っていた。
誰かが助けてくれる気がして。
でも、誰もいなかった。




