孵化
ガルム・バイオローを軽く払い、日がだんだん夜に近づいていく。
自分は研究所に戻ってきていた。
明日で授業は終わり、3週間の夏休みに入る。
「学園は明後日から夏休みのようですが、あなたは何か予定が?」
「......あぁ、少し」
カナリヤードの質問を聞きながら手錠と鉄球を足枷に、自分の部屋に向かう。
「お兄ちゃんおかえり!」
部屋の扉を開けるなり、イグナが抱きついてきた。
今日は晴れて猛暑日だったからか、赤髪が綺麗に光り輝いている。
「いつにも増して好かれているようですね」
「そうだな、うん、そうだね」
「イグナの前だからって言い換えなくて良いです」
冷たく言い放たれて、軽く刺さった。
ベッドに座り、イグナに話をする。
「イグナ、お母さんを覚えてるか?」
なるべく寄り添うように、質問をしていこう。
横に立つカナリヤードはイグナの目を見て、表情を変えず話を聞く姿勢をとっている。
「おかーさん?私のことぽいってした!」
「前も言ってたな...」
「イグナが昔住んでた場所......もし行けたら行きたいか?」
「......お兄ちゃんと一緒ならいいよ!」
間を置いて、自分と一緒なら良いと言う。
自分の返答次第で、イグナの過去が決まる。
そんな気がした。
「自分は一緒のつもり。行かないか?」
「わかった!お兄ちゃんと一緒ならいいよ」
足をパタパタさせながら、笑顔で言った。
「私も同行しましょう」
ずっと聞き手に徹していたカナリヤードが話に入る。
「......あんたもやっぱりイグナが心配か」
「そうです」
「問題は、ドクターが許可するかどうかですが......」
当然浮かぶべき問題だった。
イグナを部屋に残し、自分はすぐに実験長──天城莱壽の部屋へ向かう。
だが、今日は様子がおかしかった。
普段ならノックをした瞬間、軽薄な声が返ってくる。
しかし今日は静かだった。
扉を開ける。
「......いない」
部屋の中には誰もいなかった。
異様な薬品の匂いと、散乱した資料だけが残っている。
「そうですね」
横に立つカナリヤードも小さく頷く。
「私の端末にも連絡がありません」
「私からは連絡できない仕様なので、所在確認も不可能です」
「......片方だけ連絡できるって、不便じゃないのか?」
「ドクターにとっては、その方が都合が良いのでしょう」
淡々と返された。
つまり、自分たちは“呼ばれる側”。
それだけの存在ということ。
「この際だから聞くが」
「......あのイカれ研究者、連絡もなしに外出することあるのか?」
「“イカれ研究者”という暴言は見逃して差し上げます」
冷たい視線。
「ですが、珍しいことです」
「基本的に研究所から出ませんので」
そうか、とだけ返す。
明後日から夏休み。
もしそれまで戻らないなら、ソアヒートと合流して赤炎族の元へ向かう。
そう考え始めていた。
* * * * * *
同時刻。北側都市・ノクス。
巨大な高層建築の一室。
近代的デザインのその建物で、天城莱壽はソファに腰掛けていた。
向かいにはテンハンドレッド・オッド・アルティメット。
「で、結局」
「灰色の髪の少女は見つかったんー?」
「......いえ」
「現在も捜索中です」
「ふーん」
天城莱壽は楽しそうに笑う。
「幻覚を見せる日本人、でしょ?」
「おもしろぉー」
「......心当たりでも?」
「あるかもねぇ」
そう言って、ドクターは自分の顔の右半分を指差した。
「僕、ここから半分日本の血入ってるから」
軽い調子でとんでもないことを口にする。
テンが黙る中、ドクターは耳につけていたイヤホン型端末を外した。
「リヤちゃんが私情でモニター壊しちゃってさぁ」
「カモフラージュしたつもりなんだろうけど、甘ちゃん甘ちゃん♪」
「彼の部屋の音声、ずっと拾えてたよー」
「......盗聴ですか」
「凡族に人権なんてないでしょー?」
悪びれる様子は一切ない。
「まぁ、それは置いといて」
「今日テンくんを呼んだ理由なんだけど」
ドクターが指を鳴らす。
自動ドアが開いた。
現れたのは、桃色の短髪の少女。リボン型のヘアピン。
透き通るような白い肌。感情の薄い瞳。
そして胸元には、ナイフが突き刺さっていた。
「......」
テンが僅かに目を細める。
「貧民街の子を改造したんだぁ♪」
ドクターは嬉しそうに紹介した。
「能力は切断」
「ありとあらゆるものを切り裂く能力」
「名前は知らない」
「ハサミっぽいし、“はさみ”でいっかー」
「ワクチンの適応、痛覚耐性、戦闘性能」
「三拍子揃ってる傑作なんだよねぇ」
鍵をくるくる回しながら笑う。
「僕が研究して《あそんで》る中でも二例目かなー」
「エネルギー枯渇しない彼が三例目♪」
「......手腕楹咤が、ですか」
テンが聞き返す。
「正解!」
その瞬間。
“はさみ”と呼ばれた少女の瞳が、僅かに揺れた。
「戦闘力そのものが能力みたいな子だからね」
「......それで、私はなにすればいいの?」
桃色の髪の少女は唐突に口を開く。
「はさみんはね、この男の子を殺せばいいんだよぉー」
ポケットから端末を出し、手腕楹咤の写真を見せる。
「ついでに赤髪の子ども殺せたら殺してね」
「ふーん、ぱっと見全然強くなさそうなんだけど?」
「そう見えるじゃん?」
「はさみんと良い勝負になると思うんだ〜♪」
天城莱壽は不敵に笑った。
''はさみ''はドクターに嫌悪する目を向けている。それに反してテンは表情を変えず、無言を貫き通している。
「彼と違って、反抗的なのは変わってないねー」
「......今後、手腕楹咤とこいつの処遇はどうするおつもりで?」
「さぁね、彼は今学園に通わせてるから、それが終わってからかな〜」
「それと、3月になったら面白いものが見れるよ」
再び、不敵に笑う。
テンにはその表情が、もはや人間のものには見えなかった。
「いつかあんたを殺してあげるから」
ドクターにそう言うと、興味津々な表情を浮かべる。
桃色髪の少女は自動ドアを出ていった。
「彼女はドクターの命令に従うんですか?」
テンは率直に質問する。
「従うさ。僕の実験を受けてるんだからね」
* * * * * *
「..........手腕楹咤、くん」
建物のエレベーターに乗り、静かにその名を呟く。
“はさみ”という少女にとって、かけがえのない存在。
会ったことないのに、なんでかけがえのない存在なんて言い切れるか?
同じ日本人。同い年。ドクターの研究所直属の能力者。
自分と近しい戦闘性能。同じ痛みを理解できる人間。そう思っていたから。
知りたい、手腕楹咤という人間を。
それは単なる興味ではなく、好奇心?探究心?学習欲?共感?魅了?熱意?
いいや、もしかしたら愛かも?
「......あなたと、戦いたい」
久しぶりに微笑んだ感覚。
何の目的もなく急に拉致され、理解不能な実験を繰り返し周囲からは怪物呼ばわり。
牢獄でまともな生活ができるわけでもなく。
桃色の髪を靡かせ、彼女はキドナク学園のある西側・ヌーンへ向かうのであった。




