異彩
「えいくんいいじゃん。その調子だ」
白透看枸は足を組み、笑いながらその様子を見守っている。
「ますますえいくんのことしか見れなくなっちゃうよ」
黒塊と手腕楹咤が数秒止まる。
動いていない。
なのに、観客席だけがざわついていた。
「……なんだ?」
「さっきから避け方おかしくね?」
「読んでる?」
黒塊が揺れる。
それに合わせて、手腕楹咤も一歩だけ動く。
また止まる。
「……は?」
「なんで当たんねぇんだ?」
まるで。互いに“次”を見ているようだった。
「……あ、始まったね」
みるくだけが笑う。
観客は、まだ誰も理解していない。
今この瞬間。
闘技場の“主導権”が、黒塊から移ったことを。
皇帝候補の命令で参加したただの凡族に。
(違うな)
黒塊は速いんじゃない。
“無駄がない”。
だから、次の動きが線のようになる。
黒塊が止まる。
今度は、少女とガイズを一瞬見ている。
(……来る)
理解するより早く。
“選択”が押し付けられる。
右フィールドを見る。少女とガイズが突っ立っている。
そこへ黒塊が一直線に向かう。
(まずい)
(間に合わない)
どちらかしか助けられない。
(トロッコ問題、か)
思考がそこに触れた瞬間。
「殺して殺して殺して」
ガイズの声。
諦めた声だった。
両手を開いている。
死ぬ準備をしている。
それは、元軍人とは思えないほど悲惨な振る舞いだった。
その瞬間。身体が動いた。
「グガッ」
殴る。考えない。狙いはない。
ただ“止める”。
——ハハッ!
受け入れたかのような笑いとともにガイズの身体が吹き飛んだ。
血が散る。だが今の手腕楹咤には、それがただの障害物にしか見えていない。
次。少女。
地面を蹴り、間に割り込む。
「捕まえた」
腕の中に引き込む。少女の瞳が自分を捉える。
「おねえちゃん、名前は」
「.......ぁ、えと、イグナ」
「イグナ・プレッシュ......」
無言で頷く。
同時に。黒塊と正面で向き合う。
銃の形を作る。
エネルギーが収束する。歪む空気。
「死にたく、ない……」
少女がボソッと独り言を吐き、泣きそうな顔を浮かべている。
だが。観客席は笑っていた。
「いいぞガキィ!!」
「泣け泣けェ!!」
手腕楹咤は観客の声を気にも留めず、少女を選んだ事実に安堵していた。
なぜなら、冥土の過去の記憶と重なってしまったから。
(これでいい)
(間に合った)
黒塊が止まる。
一瞬。
だがその“視線”はもう、少女でもガイズでもない。
“自分”に固定されていた。
手腕楹咤しか見ていない。
「バンッ!」
あえて、爆撃を起こす。
その間に考えるとしよう。
(まずいな)
思考が一瞬だけ冷える。
一つはこの能技劇場のルール。
終わる条件はひとつ。
“フィールド上の生存者が減ること”。
つまり——黒塊を止めるまで終わらない。
そして、今の自分はイグナを抱えたまま戦う必要がある。
(片手が塞がれる)
なのに黒塊は、どんどん最適化してくる。
(……なら)
視線が、自分の体へ落ちる。
エネルギー。収束。固定。粘着。
頭の中に、ある生き物が浮かんだ。
糸で獲物を吊るし、自分は自由に動き回る捕食者。
「......蜘蛛、お前、使えるな」
「......えっ......いるのバレたかにいや」
服の中から黒い蜘蛛が顔を見せる。
「てかお前生きてたんだな」
「ひどっ!?そもそもうちと会話できるのにいやしかいないし」
「1対1じゃないと話せないし。にいやが怪しまれるじゃん」
抱えている少女が痛い目でこちらを見ている。
そうだった。蜘蛛と話せるのは自分だけだった。
「今それどこじゃない。協力しろ」
しゃーないなぁ、とため息混じりに蜘蛛は答えた。
目の前を見ると黒塊が消えている。
(右)
理解より先に身体が動く。
——ゴォンッ!!
さっきまでいた場所が抉れ飛ぶ。
「うわっ、近っ……!」
蜘蛛が服のポケットの中で震える。
「にいや、あれ完全に読んでるよ!?」
「......せやな」
イグナを片手で抱えたまま後ろへ跳ぶ。
だが黒塊は止まらない。
着地地点へ、最初からそこにいたみたいに拳が置かれる。
「チッ……!」
衝撃。空気が歪む。
(速いんじゃない)
(先回りしてる)
黒塊の視線。筋肉。重心。
全部がこちらの“次”を追っている。
「……なら」
手腕楹咤の視線が、観客席へ向く。
張り巡らされた照明ワイヤー。
広告用ケーブル。実況モニター。
「にいや?」
服の中から蜘蛛が顔を出す。
「蜘蛛ってのは」
指先に、青白いエネルギーが集まる。
細く。鋭く。糸みたいに伸びていく。
「巣の上で狩るんだろ」
——ビシュッ!!
放たれた光が、天井の鉄骨へ突き刺さる。
次の瞬間。身体が前へ“引かれた”。
違う。ワイヤーじゃない。
自分のエネルギーを、“糸みたいに固定した”。
そのまま空中を振り子のようにに駆け抜ける。
下では黒塊が、こちらを追うように首を動かしていた。
「ッ!?」
少女を抱えながら。
観客席がどよめく。
「跳んだ!?」
「なんだ今の!?」
空中へ跳ぶ。一拍遅れて、地面が爆ぜた。
黒塊の拳。
さっきまで自分がいた場所を、粉々に砕いている。
その様子を見ていた、特別観覧席。
「この戦闘技術、何者だ……」
「それねー?僕すごいでしょ」
えっへん、と腕を組み笑顔を浮かべる。
「お前じゃない」
「厳しー、だから結婚できないんだよ?」
「…………」
「悪かった悪かった。機嫌なおしてエル嬢」
会話は遠くで流れている。
誰がどこにいるかも、もう曖昧だった。
バックリアーは視線だけを向ける。
ただ観測している。
「……面白いですね」
低く、誰にも聞こえない声。
「おねえちゃん、ちょっと我慢してね」
手腕楹咤は、蜘蛛の糸でイグナを瓦礫へ固定すると、黒塊が砕いた場所へ降り立った。
青白いエネルギーが全身から微かに漏れている。
その間にも。
黒塊は“止まっていない”。
止まって見えるだけだ。
実際は違う。
“分析している”。
少女の位置。呼吸。筋肉の動き。
そして——
手腕楹咤のエネルギーの流れ。
(……まずい)
思考が冷える。
(これは、“学習”じゃない)
(“予測”に入ってる)
黒塊の身体がわずかに揺れる。
次の瞬間へ、最適化するみたいに。
観客の歓声が、少し遅れて耳へ届く。
「なんだあいつ」
「調子乗ってね?」
「凡族のくせに」
怒り。苛立ち。熱狂。
それを賭けたもの。
空気が濁っていく。
その瞬間。黒塊の“核”が脈打った。
(……ッ)
吸っている。
観客の感情を。
歓声も、恐怖も、怒号も。
この空間に溢れるエネルギー全部を。
黒塊の視線が動く。
少女。観客席。
そして——
それが“最も濃い場所”。
(誘導してる)
次の瞬間。
黒塊が跳んだ。
観客席の一角へ。
「え?」
「こっち来てるぞ!?」
——ドゴォォォォッンッ!!
観客席のバリアを壊し、席の一部が吹き飛ぶ。
悲鳴。破片。混乱。
「ふざけんな!」
「演出じゃねぇのかよ!!」
黒塊は、その歓声と恐怖を“吸う”ように立っていた。
(吸ってる)
(この空間全部を)
その瞬間。
手腕楹咤は見た。
黒塊の中心。
心臓のように脈打つ、高密度の青白いエネルギーを。




