表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/40

我執 ⑥

バックヤードに入り後ろ手で店舗と隔てるドアを静かに閉じた。意識してゆっくりと深く息を吐いてみるといつもの調子が戻ってくるような気がした。

薄暗いバックヤードは大きく三つに分かれていて、左から事務所、休憩室、在庫や資材が置かれている倉庫となっている。

僕は真ん中の小ぢんまりとした休憩室に入ると、最奥の席に外したエプロンをかけた。窓は天井に近い場所に横長にあるだけなので、昼間でも電灯は欠かせないのだが、それでも盛夏の太陽光の威力とはすごいもので、薄い窓からも容赦なく侵入し、反対側の壁に光の額縁をつくる。

僕はリュック一つ分しか入らないサイズの年季の入ったロッカーの鍵を回すと、目の前のグレーの肩紐を引っ張ってリュックを引き摺り出した。ロッカーから飛び出した途端、リュックがずしんとした重みを主張してきて右肩が地球に引っ張られるような感覚に陥る。

そのまま、先程エプロンを置いた席まで戻ると、その隣の椅子を引いてようやくリュックを乗せる。

ジジッと音を立ててジッパーを半円状に引き、中からコンビニのロゴマーク入りのビニール袋を掴み上げる。朝、ここに来る途中のコンビニで買ったカツサンドと昆布のおにぎりとペットボトルのジャスミン茶が今日のお昼ご飯だ。

この本屋は駅ビルの中にあるので、昼休みの短い時間でも最上階のレストラン街や一階に並ぶカフェで昼を済ませることができる。実際、半分以上のスタッフが昼休憩は外食に出るので、今日もこの休憩室は僕一人だ。

僕がここでコンビニランチを決め込んでいるのには理由がある。一つはものぐさ根性で外食が面倒だから。もう一つは安くない外食でアルバイト代を減らしたくないからだ。高校時代にアルバイト経験はなく、せっかく“初めての”大学生なのだから、と始めたアルバイトは最初の3ヶ月は何もかもが新鮮だった。書店とは発注して仕入れて販売する、そのくらいの知識で入店した僕には、取次だの、返品だの、再販制度だの、この業界では当たり前の言葉と意味を覚えることに当初は四苦八苦した。しかも読み切れないほどの書籍があるこの大型書店に、ピンポイントで目当てのものを探しにくる客が殊の外多いのだ。そういった類の客は大方レジカウンターに直行してくる。有名な作家や文豪ならば僕でも対応できそうなものなのだが、ほとんどそのようなラッキーなことは起こらない。

「今日のお昼前のラジオで紹介されてた本が気になるのよ。え?タイトル?それがわからないから来たんじゃないの」

「大学で教授が薦めてたナントカって本を探してて………なんか難しいタイトルだから忘れちゃったんですけど。経済学で有名どころはどれですかね。いくつかタイトル挙げてくれたら思い出すかも」

彼らの曖昧な記憶をうまく引き出して、推理し、提示する。僕にとってはこれが一番骨の折れる仕事だ。結局、困り果てた時は倉橋さんが助け舟を出してくれるのだが、できるだけ彼女の手を煩わせたくない僕は、最近では新聞の書評欄や広告にも目を通すようになった。知識のストックは多いに越したことはない。

とにかく新しい環境に“慣れる”ことに必死だった僕だが、ようやく夏になって余裕が出てきたような心持ちがする。それは慣れとはどこか違うのだが、身体が場に馴染んだというか、仕事のリズムを覚えたといった感じに近い。

折角だからこれからはこのアルバイトに何か目的を持とう、その方が一層精が出るものだと思い至った僕は、仕事面では秋までに倉橋さんからの独り立ちを目標にした。谷さんという後輩ができた今こそ、それを成すタイミングに違いない。人から与えられた目標には気分が萎えてしまっても、敢えて自らに課した目標には存外励めるようになるのだから、人間とは不思議な生き物だ。

そしてもう一つ、アルバイト代で運転免許取得も目指すことにした。

(春休みあたりを使って教習所に通えたらいいな)

そう思うだけで胸のあたりが温かい何かでいっぱいになる。この先の予定や漠然とした未来に思いを馳せることの幸せを、それがたとえ塵一つ程の小さな望みであっても、近頃はしっかりと噛み締めるようにしている。


ふと、思う。

(Aはアルバイトとかしたこと、あるのかな)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ