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まま?  作者: ありんこ
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3/10

第三話 偶然

紬と陽向が、三歳になった。


二人は同じ幼稚園に入った。偶然ではない。入園を考え始めた頃、美咲が公園で言ったのだ。


「水見さん、陽向くんって幼稚園どこにする?」


「まだ迷ってる。美咲さんは?」


「うちも。見学行った?」


「二つだけ」


そんな話をしているうちに、候補の幼稚園が一つ重なっていることがわかった。


「じゃあ、そこにしようかな」


美咲が言った。


「陽向くんと一緒なら、紬も安心するかな」


私は反対しなかった。むしろ、胸の奥が、ほんの少し温かくなった。


「陽向も喜ぶと思う」


そう答えた。本当に陽向は喜んだ。


「つむちゃんといっしょ?」


入園前にそう教えると、何度も聞き返した。


「一緒だよ」


「まいにち?」


「毎日」


「やった!」


飛び跳ねる陽向を見て、私は笑った。よかった。


陽向のためにも。


そう思った。それだけだった。


入園式の日、紬は紺色のワンピースを着ていた。髪は肩より少し長くなっていて、左右を小さなゴムで結んでいた。


「おはようございます」


美咲が手を振る。


「おはよう」


私は返事をしながら、紬を見た。何かが違う。一瞬わからなかった。


「あ」


髪だ。


「紬ちゃん、髪伸びたね」


「そうなんですよ。切ろうか迷ってて」


美咲が紬の髪を触った。


「暑くなるしね」


「もったいない」


考えるより先に言葉が出た。美咲が私を見る。


「あ、いや」


私は笑った。


「似合ってるから。長いの」


「そう?」


「うん。かわいいよね、紬ちゃん」


紬は照れたように美咲の後ろへ隠れた。


「じゃあ、もうちょっと伸ばそうかな」


美咲は何でもないことのように言った。


「ね、紬?」


紬は、


「うん」


と答えた。私は笑った。莉央も、髪が長かった。二歳の頃はまだ肩くらいだったけれど。もし生きていたら、三歳では、きっとこのくらいまで伸ばしていたと思う。


そんなことを考えた。でも、ただそれだけだった。


幼稚園生活が始まると、陽向と紬はますます仲良くなった。


朝。


二人を送る時間が重なる。


「ひなたー!」


紬が走ってくる。


「つむちゃん!」


陽向も走っていく。手を繋いで園舎へ向かう。帰りも、どちらかが先に出てくると、もう一人を待つ。


「仲良しですね」


担任の先生にも言われた。


「小さい頃からずっと一緒なんです」


美咲が答える。


「幼なじみってやつですね」


幼なじみ。その言葉が嬉しかった。


これから先も、二人は一緒に大きくなる。


三歳。


四歳。


五歳。


小学生。


中学生。


その先まで。そんな未来を想像した。その中には、当然のように紬がいた。そして、私もいた。


四歳になった頃。紬は、よく家へ遊びに来るようになった。最初は美咲も一緒だった。幼稚園が終わったあと、


「今日、ちょっと寄ってく?」


「いいんですか?」


「陽向も遊びたがってるし」


そんな流れで、美咲と紬が家に来る。子どもたちはリビングで遊び、私と美咲はダイニングでコーヒーを飲んだ。


最初は週に一度。そのうち、週に二度。三度。いつしか、特に約束をしなくても。


「今日、行っていい?」


と紬が聞くようになった。


「いいよ」


私はいつも答えた。陽向の友達だから。それだけ。


ある日、美咲が申し訳なさそうに言った。


「ねえ、ちょっとお願いしていい?」


「何?」


「スーパーだけ行ってきてもいい?」


「いいよ?」


「紬、置いてっても大丈夫かな」


私は一瞬、返事が遅れた。嬉しかったから。それを悟られないように、普通の顔を作った。


「全然いいよ。陽向もいるし」


「ほんと? 助かる」


美咲は紬に言った。


「ママ、ちょっと買い物行ってくるね」


「やだ」


「すぐ戻ってくるから」


「ここいる」


「だから、ここにいていいよ」


紬が私を見る。


「いいの?」


「もちろん」


私は笑った。


「陽向と遊んで待ってよっか」


「うん!」


美咲が出ていった。玄関の扉が閉まった。その音を聞いたとき、妙な感覚がした。


家の中に、私。陽向。紬。三人だけ。


「おなかすいた!」


陽向が言った。


「私も!」


紬が続く。


「じゃあ、おやつにしようか」


私はキッチンへ行った。二人分の皿を出す。二人分のジュース。二人分のお菓子。テーブルに並べた。


「手、洗ってきて」


「はーい」


二人が洗面所へ走っていく。私はその背中を見た。男の子と、女の子。二人の子ども。兄妹みたい。その考えが浮かんだ。でも、すぐに打ち消した。


違う。


幼なじみ。


ただの友達。


でも、悪い気はしなかった。


その日の夜。私はネットで子ども用のコップを注文した。今まで紬が来たときは、大人用の小さめのグラスを使わせていた。危ないから。それだけの理由だった。


二つセット。青と黄色。陽向は青。紬は黄色。


商品が届いた日、紬はすぐに黄色を選んだ。


「これ、私の?」


「そうだよ」


「ずっと?」


「紬ちゃん専用」


「やった!」


紬は嬉しそうに両手でコップを持った。黄色。莉央が好きだった色。偶然だった。店には青と黄色のセットしかなかったから。それに、陽向は青が好きだった。だから黄色が紬になった。それだけ。


「黄色好き?」


私が聞く。紬はコップを見た。


「うーん」


「嫌だった?」


「嫌じゃない」


「黄色、似合うよ」


「ほんと?」


「うん。紬ちゃんは黄色が似合う」


紬は笑った。


「じゃあ黄色好き」


私は一瞬、何も言えなかった。


「そっか」


それから。紬の身の回りに黄色が少しずつ増えた。


誕生日に贈ったヘアゴム。黄色。幼稚園で使うハンカチ。私が陽向の分と一緒に買ったものを渡した。黄色。公園でシャボン玉をするとき。


「どっちがいい?」


青と黄色。陽向は青を取った。紬は黄色を取った。


「やっぱり紬ちゃんは黄色だね」


私が言うと。


「うん。黄色好きだもん」


紬が答えた。そう。紬は黄色が好き。いつの間にか、そうなっていた。


五歳。ある冬の日。


美咲からメッセージが来た。


《紬、熱出ちゃった》


その文字を見た瞬間、心臓が強く鳴った。


《何度?》


すぐに返した。


《38.4》


手が止まった。三十八度。莉央。頭の中に、あの日が蘇った。


うさぎのぬいぐるみ。うどん。いちごのゼリー。黄色いパジャマ。冷たい頬。


《病院行った?》


《行ったよ。インフルとかじゃなくて、たぶん風邪だって》


風邪。同じ言葉。胸が苦しくなった。


《今は?》


《寝てる》


《ちゃんと息してる?》


送ってから、しまったと思った。美咲からの返信が少し遅れた。


《してるよ笑》


私はスマートフォンを握った。何を聞いているんだろう。当たり前だ。熱を出して眠っているだけ。


《ごめん。心配しすぎた》


《水見さん心配性だもんね笑》


そう返ってきた。私は、笑えなかった。


その日の夕方。買い物へ行った。ゼリー。スポーツドリンク。プリン。冷却シート。子ども用の飲み物。気づけば、買い物かごいっぱいになっていた。


多すぎる。そう思った。半分戻した。それでも、ゼリーとスポーツドリンクだけは持っていった。美咲の家のインターホンを押す。


「え?」


玄関を開けた美咲が驚いた。


「どうしたの?」


「これ」


袋を差し出す。


「紬ちゃんに」


「わざわざいいのに」


「心配だったから」


「ほんとに大丈夫だよ」


美咲が笑った。


「熱も少し下がってきたし」


その言葉を聞いて、ようやく息ができた気がした。


「よかった」


「ちょっと顔見てく?」


「いいの?」


「寝てるかもしれないけど」


私は家へ上がった。紬はリビングのソファにいた。毛布にくるまって、テレビを見ている。


「紬ちゃん」


声をかける。紬がこちらを見る。


「あ」


弱々しく笑った。


「陽向ママ」


その呼び方に、胸が温かくなる。


「大丈夫?」


「うん」


私は額に触れた。温かい。生きている温度。それだけで、泣きそうになった。


「ちゃんと寝ないとダメだよ」


「寝た」


「お水飲んでる?」


「飲んでる」


「ご飯は?」


「いらない」


「ゼリー買ってきたよ」


「いちご?」


私は止まった。


「……いちご」


「食べる」


紬が笑った。私は袋からゼリーを出した。いちご。莉央が最後に食べたものと、同じだった。偶然。ただ、子どもが好きそうなものを選んだだけ。美咲がキッチンからスプーンを持ってきた。


「水見さん」


「ん?」


「私よりお母さんみたい」


笑いながら言った。冗談だった。わかっていた。


「そんなことないよ」


私も笑った。


「心配性なだけ」


「私なんか、熱くらいなら寝とけば治るって思っちゃう」


「それくらいのほうがいいよ」


「水見さんが二人分心配してくれるからちょうどいいか」


美咲は笑った。私も笑った。その場では、何でもない言葉として、流した。


でも、帰り道。何度も。何度も。


その言葉を思い出した。


私より。


お母さんみたい。


私より、お母さんみたい。


家に帰って。陽向の夕飯を作っているときも。風呂に入れているときも。寝かしつけたあとも。頭の中に残っていた。


私より。


お母さんみたい。


その言葉が、嬉しかった。そう認めたのは、ずっと後だった。


六歳。


春。


小学校の入学式。


陽向と紬は、また同じ学校になった。これは、住んでいる場所が近いのだから。当然だった。そして、同じクラスになった。今度こそ、本当に偶然だった。


「陽向!」


教室の前で、紬が嬉しそうに駆けてきた。


「一緒!」


クラス分けの紙を指差す。陽向も笑った。


「やった!」


美咲も。


「すごいね。幼稚園からずっと一緒」


と笑った。


「本当だね」


私も笑った。私は二人を並ばせた。


「写真撮ろう」


「えー」


陽向が嫌がる。


「一枚だけ」


「紬、こっち」


美咲が声をかける。二人が並ぶ。新品のランドセル。陽向は黒。紬は、黄色、ではなかった。赤でもなかった。薄い茶色。


「紬ちゃん、笑って」


私が言う。


紬が笑う。


左の頬に。


えくぼ。


シャッターを押した。


一枚。


もう一枚。


「もういい?」


陽向が聞く。


「待って」


私はもう一枚撮った。


二人。男の子と。女の子。大きくなった。


その夜、撮った写真を見返した。いい写真だった。


私は一枚を印刷した。そして、家族写真のアルバムを開いた。陽向が生まれた日。お宮参り。


一歳。


二歳。


三歳。


家族旅行。


夫。


私。


陽向。


そこへ、入学式の写真を入れた。


陽向と紬。


何も考えずに、本当に、自然に。そこへ入れた。


数日後。


夫が気づいた。


「これ」


「何?」


「紬ちゃんだよね?」


「そうだけど」


「ここ、家族のアルバムだよね?」


私は夫を見る。


「陽向の友達なんだから、いいでしょ」


「いや、ダメとは言ってないけど」


「じゃあ何?」


「別に」


夫はアルバムを閉じた。私は少し腹が立った。


何が言いたいの。幼なじみとの入学式の写真。それくらい、普通でしょう。


しばらくして、夫が言った。


「最近さ」


「何?」


「莉央のアルバム、よく見てるよね」


私は夫を見た。


「それが何?」


思ったより、強い声が出た。夫は少し驚いた顔をした。


「いや」


「見たらダメなの?」


「そんなこと言ってない」


「じゃあ何?」


「……何でもない」


夫は目を逸らした。


それ以上、何も言わなかった。


その夜。夫が寝たあと、私は一人でリビングにいた。テーブルの上に、二冊のアルバム。一冊は、莉央。もう一冊は、陽向。私は莉央のアルバムを開いた。


二歳。


三歳になった莉央の写真はない。


当然だ。二歳で死んだから。


だから、その先の莉央を、私は知らない。


三歳なら。


どんな顔になっただろう。四歳なら。五歳なら。六歳なら。髪は?背は?笑い方は?


私は想像するしかなかった。


そして、隣のアルバムを開く。


紬がいる。三歳。四歳。五歳。六歳。


私は、気づいた。


似ている。


最初に出会った頃より、今のほうが、ずっと。


似ている。おかしい。莉央は二歳で亡くなった。六歳の莉央なんて、私は知らない。


なのに、わかる。


もし莉央が六歳になっていたら。


きっと、こんな感じだった。そんな確信があった。私は、二人の写真を並べた。二歳の莉央。六歳の紬。


顔そのものは、そこまで似ていない。それなのに。何かが、同じ。私はじっと見た。


そして、気づいた。髪。


紬は、長い髪を二つに結んでいる。莉央も、よく二つに結んでいた。

服。紬は黄色のカーディガン。黄色は、莉央が好きだった。

本。入学式の数日前。紬がうちへ持ってきた絵本。

それは、莉央が何度も読んでいた絵本だった。


「これ好き」


紬は言った。私は、嬉しかった。


でも、その絵本を、最初に紬へ渡したのは誰だった?


私だ。


四歳のとき。


「これ、面白いよ」


そう言って、莉央の本棚から、一冊。紬に読んであげた。紬は気に入った。何度も読んでと言った。そのうち、美咲が同じ本を買った。


髪型。そうだ。入園式の日。美咲は、紬の髪を切ろうとしていた。私は言った。長いほうが似合う。それから、紬はずっと伸ばしている。

黄色。最初は、紬自身が選んだわけじゃなかった。私が。


「黄色、似合うよ」


と言った。それから、紬は黄色を選ぶようになった。


私は写真を見つめた。


髪。


服。


好きな色。


好きな絵本。


少しずつ。


莉央と同じものが増えていた。


胸の奥が、ざわついた。


一瞬、嫌な考えが浮かんだ。


もしかして、私が――。


そこまで考えて、やめた。


違う。


私は。


何もしていない。


髪を切るななんて言っていない。


長いほうが似合うと言っただけ。


黄色を好きになれなんて言っていない。


似合うと言っただけ。


絵本だって。


無理やり読ませたわけじゃない。面白いよと勧めただけ。


選んだのは、紬。気に入ったのも、紬。


私は。


何もしていない。


私は二歳の莉央の写真を見る。


笑っている。


そして、六歳の紬を見る。


笑っている。


左の頬。


同じ場所に、えくぼ。


私は、二枚の写真を、そっと近づけた。


「やっぱり」


小さく呟いた。


似ている。


それは、私が似せたからじゃない。きっと、最初から。この子の中に、莉央と同じものがあった。私は、それに気づいただけ。


紬が何を好きなのか。


何が似合うのか。


他の人より、少しだけ、早くわかるだけ。


だって、私は一度、同じ子を育てているのだから。


その考えが浮かんだ。


おかしい。そんなはずはない。


私は笑った。


自分でも、馬鹿なことを考えたと思った。莉央は莉央。紬は紬。別の子。わかっている。


私は写真をアルバムへ戻した。


でも。


紬と陽向の入学式の写真だけは、家族のアルバムから出さなかった。


そのまま、私たち三人の写真の隣に置いた。

当然だった。陽向の大切な幼なじみだから。それだけ。


私は何もしていない。


ただ、黄色、似合うよ。この絵本、面白いよ。髪、こうやって結んだらかわいいよ。


そう教えただけ。


そして紬が、自分で選んだ。


だから、これは偶然だ。


全部。


偶然。


私はただ、この子が本来好きになるはずだったものを、少しだけ。


教えてあげただけだ。

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