第9話 行商のガロ
本作は全70話で完結予定です。
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翌日、噂の行商は、砦の門前で荷馬車の車輪を直していた。
四十がらみの、日に焼けた男だ。継ぎの当たった上着に、よく光る目。レンが近づくと、男はにやりと笑って手を止めた。馬の汗と、香辛料の混じった匂いがする。
「あんたが噂の流れ者かい。倉庫の数を、ぴたりと当てたって」男は油の浮いた手を布で拭った。「俺はガロ。しがない行商だ。で、その当てる目で、俺の商売も占ってくれるのか?」
「占いじゃありません」レンは荷馬車の荷を一瞥した。「ただ、あんたの荷を見れば、損か得かは、だいたいわかります」
「ほう」ガロが眉を上げた。面白がる顔だ。「言ってみな。当たってたら、酒の一杯は奢るぜ」
レンは荷台に歩み寄った。覆いの隙間から、毛皮の束が覗いている。鞣しの脂と、けものの匂い。盤面が、品ごとの「今、どこで、いくらの値打ちか」を、薄く灯した。
「毛皮を、たくさん積んでますね。たぶん、北で安く仕入れた。掘り出し物だと思ったんでしょう」レンは束に触れた。「でも、この先の領都じゃ、今は毛皮が余ってる。去年の暖冬で、売れ残りが市場にだぶついてるんです。持っていっても、買い叩かれて、運び賃で消える」
「……なんで、それを」ガロの笑みが、一瞬こわばった。「領都の相場は、俺もまだ見てないぞ」
「物の流れを、追ってるだけです」レンは続けた。「で、提案があります。その毛皮、この砦の薬草と交換しませんか。砦の倉庫の隅に、使い道のない薬草が眠ってる。薬草は今、領都で品薄だ。疫病の噂が出て、買い手がついてる」
ガロの目の色が、変わった。
「あんたは、仕入れ値ゼロで薬草を持てて、領都で高く売れる。砦は、だぶついた市場の毛皮を、わざわざ運ぶ手間なく、防寒に化けさせられる。冬が来る前に、ね」レンは指を折った。「あんたも、砦も、得をする。損をするのは、誰もいない」
ガロは、ぽかんと口を開けた。それから、腹を抱えて笑い出した。
「旦那、あんた、何者だ! 俺が十年かけて覚えた相場を、荷を見ただけで言いやがった」笑いながら、目だけは真剣だった。「いいぜ。乗った。その取引、やろうじゃないか」
交換は、その日のうちに成立した。
砦は、倉庫の隅で埃をかぶっていた薬草の山を、毛皮に化けさせた。冬の防寒が、ただで増えた。ガロは仕入れ値のかからない薬草を抱え、ほくほく顔で荷を積み直す。
「旦那の言うことは、半分わからん」ガロは荷縄を締めながら言った。「けど、当たるんだよなあ、これが。なあ、俺と組まないか。あんたが何を売って何を買うか決める。俺がそれを、足で運ぶ。儲けは山分けだ」
「願ったり、です」レンは手を差し出した。「砦には、外と物を流す相手が要る。あんたみたいな足の速い行商が」
「ただし、ひとつ条件だ」ガロが握り返しながら、にやりとした。「俺に、嘘の相場を教えて儲けようなんて、考えるなよ。行商を三十年やってる。商売の嘘は、すぐわかる」
「嘘はつきません」レンは即答した。「嘘は、いつか帳尻が合わなくなる。長く組むなら、正直が一番得です。それも、計算のうちだ」
ガロは、また笑った。「あんた、変わってるな。けど、嫌いじゃない」
握り返したガロの手は、節くれだって、温かかった。荷を運ぶ手だ。砦から外へ、初めて伸びる、味方の線。
交換した毛皮は、その日のうちに集落へ回された。砦が抱えていても、ただ埃をかぶるだけの代物だ。寒さに震える者の肩に掛けたほうが、よほど値打ちがある。
その夕方、ミナが集落から駆けてきて、もらった毛皮の切れ端を自慢した。「見て、おじさん! 弟の襟巻きにするんだ。あったかいでしょ」毛皮に頬をすり寄せる弟妹を見て、レンの口元も緩んだ。
「ねえ、おじさんは、寒くないの?」ミナが、レンの薄い上着を見て、心配そうに言った。「これも、あげようか。あたしの毛皮」
「いや、いいよ」レンは首を振った。「俺の分まで気にしなくていい。それより、その襟巻き、しっかり弟に巻いてやれ」
「うん!」ミナは弟の首に、不器用な手つきで毛皮を巻いた。弟が、くすぐったそうに笑う。
物が正しく流れると、こんなに早く、人の暮らしに届く。前世では、自分の動かす物資の先に、こんな顔があるなんて、考えたこともなかった。倉庫の数字は、ただの数字だった。ここでは、数字の一つひとつに、誰かの体温がある。
だが、ガロが帰り際に残した一言が、レンの胸に引っかかった。
「そういや旦那。北のほうじゃ、今年の冬は厳しいって、もっぱらの噂だ。雪が早いらしい。蓄え、足りてるのかい?」
レンは盤面で、砦の備蓄をざっと見渡した。配給は安定した。横領も止めた。交易の糸口もできた。だが、貯えそのものは、まだ薄い。今ある蓄えを、今のままの消費で食い延ばして、せいぜい厳冬の半ばまで。雪が早ければ、街道は閉ざされ、ガロの荷も入らなくなる。
冬が早く、長く来れば、この砦は、また飢える。
ガロの荷馬車が、街道の彼方へ小さくなっていく。その背を見送りながら、レンは新しい計算を始めていた。
冬までに、あと何を、どれだけ。塩、麦、燃料、毛皮。足りない分を、どこから、どう運ぶか。雪が街道を塞ぐまでに、何往復できるか。頭の中で、盤面の数字が、目まぐるしく組み変わっていく。間に合わせなければ、せっかく戻りかけたミナたちの笑顔が、また凍えてしまう。
「のんびりしてる暇は、なさそうだ」レンは踵を返し、倉庫へ急いだ。やるべきことが、また一つ、増えた。




