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第8話 線は、外へ続く

本作は全70話で完結予定です。

毎日5話ずつ、06:40/11:40/17:40/19:40/21:40 に予約投稿しています。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

勝鬨の翌朝、レンは代官の執務室にいた。


オルグレンは横領が露見して以来、砦の隅で小さくなっている。だが、奴一人で塩漬け肉を運び出し、隊商の日を盗賊に流していたとは思えなかった。一介の代官に、街道の盗賊を動かす伝手はない。誰かと、繋がっている。


レンは、押収した帳簿を床に並べた。古い羊皮紙の、黴と埃の匂いが立つ。


数字を、流れとして追う。砦から消えた物資。それを売って得た金。金が、どこへ動いたか。盤面が、見える範囲の取引を、薄い線で結んでいく。


「ベルクさん」レンは顔を上げた。「代官は、横領した物を、どこへ売ってました? 心当たりは」


「さあな。だが、月に何度か、夜中に荷馬車を出しとった」ベルクが髭を撫でる。「行き先は、東のほうだったと思うが」


「東。領都の方角だ」レンは帳簿の日付と、盤面の取引の線を突き合わせた。荷馬車が出た夜と、砦から物資が消えた記録が、ぴたりと重なる。


線は、砦の中で終わらなかった。


消えた塩漬け肉も、抜かれた麦も、いったん砦の外の小さな仲買を経て、領都の、もっと大きな商人へ流れている。その商人の先は、レンの目の届く範囲を越えていた。だが、流れの太さでわかる。一介の代官が、私腹を肥やすにしては、動く物が多すぎる。これは、代官一人の小遣い稼ぎではない。砦を弱らせ、物の値を吊り上げて儲ける。そういう仕組みの、末端の一本にすぎない。


「砦を、わざと飢えさせてた」レンは呟いた。「横領も、盗賊も、同じ流れの中にあった。砦が困れば困るほど、誰かが、上で太る」


ベルクが、腕を組んで聞いていた。「その『誰か』は、どこのどいつだ」


「まだ見えません。流れが、領都の向こうへ消えてる」レンは線の途切れた先を指した。「ただ、ひとつ言えるのは――この砦の飢えは、運が悪かったんじゃない。仕組まれてたってことです」


ベルクの顔に、苦いものが走った。四十年守ってきた砦が、誰かの帳簿の上で、わざと痩せさせられていた。


「儂らは、運が悪いんだと思っとった」ベルクが、絞り出すように言う。「土地が痩せて、街道が遠くて、見捨てられた辺境だと。だが、見捨てられたんじゃなく、毟られとったのか」


「両方でしょう」レンは静かに言った。「痩せた土地だから、毟りやすかった。誰も気にかけない辺境だから、いくら抜いても気づかれない。狙われたんです。弱いところが」


ベルクは、しばらく言葉を失っていた。古い兵の拳が、膝の上で固く握られている。


レンは盤面を閉じようとして、ふと、手を止めた。


おかしい。


押収した帳簿には、領都の商人の名など、一行も書かれていない。レンが触れたのは、砦の中の記録だけだ。なのに、盤面は、砦の外の取引の流れまで、薄くだが描いてみせた。見えるのは「観測し、触れた範囲」だけ――そのはずだった。視界にも入っていない、領都の商人の動きを、なぜ盤面が知っている。


背筋に、冷たいものが伝った。


この力は、ただ「見えるものを数字にする」だけの便利な目ではないのかもしれない。まるで、世界のどこかに、すべての物の流れを記した巨大な帳簿があって、自分はその一部を、覗き見ているだけのような――。


考えすぎたせいか、こめかみの奥が、針で刺すように疼いた。盤面の文字が、揺れて、滲む。長く視すぎたときの、あの頭痛だ。レンは目を閉じ、こめかみを押さえた。


「おい、大丈夫か」ベルクが覗き込む。


「平気です。少し、見すぎただけで」


便利な力には、必ず代償がある。それは初日から、わかっていた。だが、その代償の向こうに、もっと大きな謎が隠れている気がしてならなかった。鑑定では「ハズレ」と笑われたこの力は、本当は、何なのか。神官は石板を一目見て、戦闘にも魔法にも使えぬ外れスキルだと切り捨てた。だが、外れどころか、世界の裏側を覗く窓だとしたら。


考えても、答えは出ない。今の自分には、確かめる術もなかった。レンは深く息を吐き、立ち上がった。


謎は謎として、今やるべきことは、はっきりしている。


砦を、飢えさせる仕組みから自立させること。誰かが砦の弱みにつけ込めるのは、砦が、外から物を買うしかないほど痩せているからだ。砦が自分で富を生み、外と対等に取引できるようになれば、足元を見られることもなくなる。誰かの帳簿の上で痩せさせられる砦から、自分の足で立つ砦へ。


そのためには、外と物を流す相手が要る。商いの、伝手が。


「ベルクさん。砦に出入りしてる行商で、腕の立つのは誰です」


ベルクが、しわがれた声で答えた。「ガロって流れの行商がいる。口は軽いが、足は速い。値の高い低いを、誰よりよく知っとる男だ。明日あたり、また来る頃だろう」


「足が速くて、相場に明るい。理想的だ」レンは帳簿を抱え直した。「砦が自前で物を売り買いできるようになれば、毟られる隙もなくなる。代官の上にいる誰かが、いつか正体を現したときに、こっちが丸裸の砦のままじゃ、話にならない」


「戦の支度か」ベルクが問う。


「いえ。商いの支度です」レンは戸口へ向かった。「剣じゃ、勝てない相手だ。だったら、こっちも剣以外で備える」


その名前を、レンは胸に留めた。ガロ。砦の外へ伸びる線は、今はまだ、敵のものだ。だが、いずれ自分の手で、味方の線を引いてやる。砦から、外の市場へ。痩せた辺境から、富を生む土地へ。


窓の外で、北からの風が、また少し冷たさを増していた。

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