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第65話 管理盤の正体

「この世界は」オルドリックは、卓の上に、一枚の古い羊皮紙を広げた。「壊れかけている」


そこに描かれていたのは、地図ではなかった。大陸全体を覆う、無数の線と、点。物の流れ。水の流れ。生命の流れ。それらを、巨大な一つの仕組みとして、描いた図だ。俺の盤面が映すものと、よく似ていた。ただし、けた違いに、広い。


「遠い昔、この世界には、すべてを管理する機構があった」老人の指が、線をなぞる。「資源を、どこに、どれだけ回すか。生命を、どう巡らせるか。世界そのものが、一つの、大きな盤面だったのだ。神々が遺したのか、世界が自ら生んだのか。それは、私にも分からん。だが、それは、確かに、あった」


「あった、ということは」


「今は、綻びている」オルドリックの声が、低くなった。「管理する者が、いなくなって、長い。だから、流れは詰まり、淀み、偏る。飢えと、戦と、滅びが、絶えない。世界は、自分を直す者を、求めていた。――異世界から、呼び寄せてでも」


背筋を、冷たいものが、走った。


「管理盤」俺は、自分の手を見た。この、物の流れが見える力。「これは……その、世界の管理機構の、権能の一部、なんですか」


「察しがいい」オルドリックは、頷いた。「世界は、傾きを正す管理者の候補を、異世界から、呼び寄せた。流れを読む素質を持つ者を。お前も、私も、その候補として、ここへ落とされた。お前のその力が、時々、観てもいない遠くの流れを、勝手に映しただろう。あれは、力が、世界の本体と、繋がりかけている証だ」


砦で、触れていない領都の取引が見えた。戦場で、観ていない西の集積が、勝手に視界に滑り込んできた。あの、ずっと気味の悪かった「出来すぎた挙動」。その正体が、今、一本に、繋がった。


「あの違和感は」俺は、呟いた。「俺の力が、勝手に、世界の異変を、拾い上げてたんですね。傾いた所、詰まった所を。世界の本体が、俺に、教えようとしてた」


「そうだ」オルドリックは、頷いた。「世界は、必死なのだ。自分の綻びを、正してほしくて。だから、候補に、ヒントを送る。お前のその力は、世界の悲鳴を、聴く耳でもある」


鑑定で笑われた、ハズレスキル。在庫管理しかできない、と侮られた力。その正体は、世界そのものの、管理機構の権能だった。


俺は、便利なハズレスキルを授かった、ただの流れ者ではなかった。傾いた世界が、それを正すために、異世界から呼び寄せた、管理者の候補。それが、俺だった。あまりに大きすぎて、すぐには、受け止めきれなかった。


「私は」オルドリックが、立ち上がった。書架の影が、その背を、大きく見せた。「この四十年、力を磨いてきた。やがて、綻びた管理機構の、本体に手を届かせるために。それを、私が、握る。そして、この世界を、私の理想通りに、作り変える。無駄のない、完全に管理された世界に。飢える者も、無駄な者も、いない世界に」


「人を、選別する世界だ」俺は、立ち上がった。「あなたが、誰を生かし、誰を間引くか、決める世界だ」


「人を、間引く管理者ですか」俺は、低く言った。「あなたが神の椅子に座って、誰が無駄か、決める。そんなものは、管理じゃない。ただの、独裁だ」


「言葉遊びだ」オルドリックは、こともなげに言った。「王も、貴族も、結局は、誰かが誰かを支配している。私は、それを、感情ではなく、数字で、最も効率よくやる。それだけのことだ。お前の言う『飢えさせない大陸』も、結局は、誰が何をどれだけ持つかを、お前が決める世界だろう。私と、どこが違う」


「決めません」俺は、即答した。「俺は、流れを、通すだけだ。詰まりを、なくすだけだ。誰を生かすかは、決めない。生かせるだけ、生かす。間引かない。――そこが、根本から、違う」


「効率とは、そういうものだ」オルドリックは、振り返った。「お前も、同じ力を持つ。だから、選べる。私と共に、この世界を管理する側に立つか。それとも、綻びた世界と一緒に、淀んで、滅ぶか」


その問いに、俺は、すぐには答えなかった。


世界が、なぜ俺をここへ呼んだのか。なぜ、この力を授けたのか。その答えを、今、知ってしまった。重い。あまりにも、重い。


だが、同時に、はっきりと、見えたものが、あった。この男と俺は、同じ力を、同じ目的で授かりながら、たどり着いた答えが、正反対だ。管理とは、支配し、選別することか。それとも――。


力の正体を知っても、不思議と、心は、揺れなかった。むしろ、腑に落ちた。なぜ俺が、物の流れを放っておけないのか。なぜ、詰まりを見ると、直さずにいられないのか。それは、世界が、俺にそうさせるために、この力を授けたからだ。


だとしても、どう使うかは、俺が決める。


「答えは、決まってます」俺は、まっすぐ、老人を見た。「でも、その前に、一つ。あなたの管理は、たぶん、間違ってる。数字の上では、正しくても」


「ほう」


「その理由を、これから、証明します」


二人の管理者の、力の使い道をめぐる決戦。世界の行方が、その一点に、かかろうとしていた。戦えない俺が、四十年の力を持つ男に、何をもって挑むのか。


剣でも、魔法でもない。広さでも、年季でもない。俺が、あの男に勝てるとすれば、それは、たった一つ。あの男が四十年、一度も振り返らなかったもの。盤面には決して映らない、人の心と、現場の機微。その答えは、もう、俺の中に、静かに、芽生え始めていた。

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