第62話 飢えさせない大陸
「大陸交易網、ですって?」
ヴィオラが、算盤を止めて、俺を見た。王都の宿の一室。地図の上に、俺は、大陸じゅうを結ぶ線を、何本も引いていた。
「帝国との戦で、はっきりしました」俺は、線の交わる点を指した。「戦争の種は、たいてい、飢えと、資源の偏りです。麦が余る国と、足りない国がある。鉄が余る土地と、欲しい土地がある。それが、ちゃんと流れず、奪い合いになる。なら――流れを、繋いでしまえばいい」
「物が、余る所から、足りない所へ」リーゼが、地図を覗き込んだ。
「ええ。買い占めても、独占しても、損をする仕組みを、大陸全体に組む」俺は言った。「飢えがなければ、戦の半分は、起きません。剣で平和を守るんじゃない。流れで、戦の理由を、減らすんです」
ヴィオラが、算盤を、ぱちりと鳴らした。その目に、商人の光が戻っていた。
「面白いけど、敵は多いわよ」彼女は、地図に指を滑らせた。「買い占めで儲ける大商人。徴発で兵を太らせる武断派。地方を搾取して肥える貴族。あなたの構想は、その全員の、飯の種を、奪うことになる」
その通りだった。構想を宮廷に諮ると、抵抗は、すぐに表れた。
「流れ者の、机上の空論だ」ドラン侯爵が、評議の席で吐き捨てた。「交易を国が縛れば、商いが死ぬ。馬鹿げている」
「縛るんじゃありません。詰まりを、なくすんです」俺は、数字を示した。「今、麦一袋が、産地から飢えた土地へ届くまでに、関所の税が七つ、仲買の手数料が五つ。値は、産地の三倍に膨らむ。だから、貧しい土地ほど、買えずに飢える。この無駄を削れば、同じ麦が、半分の値で、倍の人に届きます」
「関所を、減らせと?」別の貴族が、声を荒げた。「関所の税は、国境の守りの、費えだぞ」
「守りは、別の形で賄えます」俺は、地図に線を引いた。「考えてみてください。今の関所は、通る荷から、片端から税を毟る。だから商人は、税の安い道へ逃げる。荷は偏り、栄える土地と、飢える土地に、分かれる。――税を一本化して、通り道を広げれば、荷の量そのものが、何倍にも増える。一袋あたりの税は下げても、通る袋が増えれば、国の実入りは、かえって太る」
「荷を、増やす……」
「絞れば、痩せる。流せば、肥える」俺は言った。「水路と同じです。堰き止めれば、上流は溢れ、下流は涸れる。流せば、両方が潤う。経済も、水も、流れを止めた者から、貧しくなる」
「税は、我ら貴族の、正当な権利だ!」
「その権利が、人を飢えさせ、戦を生んでます」俺は引かなかった。「飢えた民は、いずれ、暴れる。隣国は、その隙を突いて攻めてくる。帝国がそうでした。目先の税を惜しんで、国そのものを、危うくしてる」
評議は、紛糾した。だが、俺の側にも、味方はいた。ヴィオラの大陸商圏の人脈。リーゼの、武人としての信望。そして、ノルドで、戦地で、俺が救った人々の声が、口づてに、王都まで届いていた。「あの代官の数は、当たる」と。
数字と、人の支持。それが、少しずつ、評議の流れを、動かし始めた。
「あなた、宮廷で戦うのも、案外、向いてるわね」ヴィオラが、宿で算盤を弾きながら、面白そうに言った。「剣も持たず、ただ数字を並べて、貴族の顔色を、青くさせてる」
「戦ってる気は、ないんですよ」俺は苦笑した。「ただ、詰まってる所を、指さしてるだけです。どこで物が止まって、どこで人が飢えてるか。見えてしまうと、放っておけない。砦の倉庫番をしてた頃と、何も変わらない」
「その『放っておけない』が、王侯貴族を、敵に回してるのよ」リーゼが、窓の外を見たまま言った。「気をつけろ。剣の敵より、こういう場所の敵のほうが、よほど、陰険だ」
だが、奇妙なことが、起きた。
賛成に傾きかけた貴族が、一夜明けると、なぜか反対に回る。中立だった者が、突然、激しい妨害に転じる。まるで、誰かが、夜のうちに、一人ひとりの耳元で、何かを囁いているように。
「不自然です」俺は、評議の票の動きを、盤面で追った。人の「思惑の流れ」が、ある一点から、糸を引かれるように、不自然に、ねじ曲げられている。
「票の動きを、追ってみたんです」俺は、リーゼに、評議の記録を見せた。「賛成に回った貴族が、覆る前夜。必ず、ある人物の使いが、その屋敷を訪ねてる。脅しでも、賄賂でもない。ただ、少し、話をするだけ。なのに、翌朝には、考えが、ひっくり返ってる」
「何を、囁いているんだ」
「分かりません。けど、効果は、てきめんです」俺は、票の流れを、盤面でなぞった。「一人ひとりの、欲と、恐れの、急所を突いてる。この貴族には、隠したい借金の話を。あの貴族には、跡継ぎの醜聞を。相手が一番、動かされる一点を、正確に、知ってる」
「人の弱みを、流れで読んでいる、ということか」リーゼの顔が、険しくなった。「お前と、同じやり方で」
「ええ。だから、不自然なんです」
その糸の、出どころ。たどっていくと、いつも、同じ場所に行き着いた。
王の傍らに控える、灰色の衣の老人。王室顧問官、オルドリック。
俺の構想を、最も執拗に、そして最も巧妙に、握り潰そうとしている「見えざる手」。その正体に、ついに、指がかかろうとしていた。あの老人もまた、人の流れを読んでいる。俺と、同じ目で。確信は、もう、揺るがなかった。




